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2011年8月の15件の記事

2011年8月31日 (水)

オーラから把握できること。

オーラにあらわれる、色、形、輝き、大きさ、その他の様子から、実にさまざまなことが把握できます。

特に、頭の付近のオーラからは、その人の本質や人格、霊性、個性などの要素がわかります。感情や、ストレスなどの、心の状態もみてとれます。

オーラは、肉体をとりまいていますので、体の周囲のオーラからは、肉体の調子、疲労の有無なども読み取れることもあります。疲れているときには、体のオーラの一部が、薄くなっていたり、くすんでいたりします。

精神的な要素においても、オーラのくすみの位置により、過去から抱えている、ストレスやトラウマなどの有無が分かることもあります。

そのような様子から逆にたどっていくことで、オーラ透視者は、相手の状態の一部を、把握することができるのです。

オーラの様子が分かれば、上記のようなことが把握できるわけですが、「オーラが見える(もしくは、感じ取れる)」という表現にも、実にさまざまな段階があります。

オーラが見える人にも、どこまで見えるか、という差があるからです。

単にオーラが視界にとらえられることと、オーラの差異を「見分ける」ことは同じではありません。

また、差異を見分けられる人でも、10%を見分けることができる人もいれば、50%の人もいる、という幅もあるでしょう。

透視者の把握力、認識力、知識量(見えたとしても、解読する知識がなければ、紐解けません)には、差がありますし、透視力に100%はありまえませんので、なにもかもすべてを知られてしまう・・・というわけではありませんし、オーラを透視をしてもらえば、自分の知りたい要素が必ず把握できる、ということでもないのです。

この点は、透視者側も、自分を過信せず、謙虚かつ慎重な姿勢が大切だと思いますし、透視される側、依頼者側になる方も、盲信や期待をし過ぎないことも大切だと思います。

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2011年8月28日 (日)

相手に、要求しすぎ、期待しすぎ、になっていないか。

人間関係というのは、自分と相手の「間」に生まれるものです。ということは、その「間」を構成している、双方に責任があるのであり、どちらか一方のみに、責任があるわけではありません。

けれど、誰もが、自分中心に考えてしまうものなので、そのような受け止め方ができずに、何かうまくいかないことや思い通りにならないことがあるたびに、一方的に、相手に対する不満を抱いてしまうものです。

分かりやすさのために、人間関係の作られ方を、品物に例えてみます。

自分が「水」で、相手が「砂糖」だとしたら、人間関係というのは、その双方が混ざり合ってつくられる「砂糖水」のようなもの、ではないでしょうか。

砂糖水の状態が、望ましいものではないから、と、砂糖(相手)だけが悪いと考えるのはおかしいですよね。水(自分)には、まったく責任はないのか、ということです。このような一方的な責任転嫁を、誰もが、無意識に、行ってしまっているもの、だと思うのです。

砂糖水の甘さが不足している、これでは望ましくない、と思うのならば、自分の水の量も、変えてみるという努力をすることは可能です。それをせずに、相手の砂糖が足りない、砂糖の量を増やすべき、というふうに自分を中心に考えて、すべて原因を相手にあるものととらえてしまうから、思い通りに動いてくれない相手に不満がつのります。

自分の水の量を変える、ということは、相手との関係に対する、一方的な要求や期待を減らすことです。求めすぎになるから、相手が与えてくれるものが足りない、と感じるのではないでしょうか。

我欲を持ちすぎると、常に、満たされないという、落ち着かない状態を作り出してしまいます。我を引っ込めて、相手を尊重する気持ちをもち、求めすぎを改善していけば、ほんの少しの愛情や親切や心遣いも、ありがたいと、感じられるようになります。

それが、どちらにとってもちょうどよい濃度の「砂糖水」であり、バランスのよい人間関係、ということではないでしょうか。

中には、一般的に考えて、明らかに相手の砂糖の提供が少なくて、濃度が薄くなっている、自分が求め過ぎというわけではないはず、というケースもあるかもしれません。

けれど、そういう、クールで淡白な相手に対して、平均的なものを求めている自分が、やはり、バランスの悪さを増長している、という考え方もできます。

かといって、それは、相手が全く悪くなく、自分だけが一方的に悪いと考えるべき、ということではありません。

最初に書いたとおり、人間関係は、双方に責任があるのですから、どちらか一方だけに原因があるわけではないからです。

その上で、相手を変えることは一般的には難しく・・・、変えられるのは自分のことだけ、なので、自分求め過ぎ、期待し過ぎになっていないかを、まずは考えてみましょう、ということです。

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2011年8月25日 (木)

ときには、言い争うことも必要。

人間関係にトラブルを抱えている人の多くは、なんとかして、波風がたたないように、穏やかな関係を保っていけるようにと、日々、思案していることでしょう。

対立や争いは消耗しますから、できるならば避けたいと、考えますよね。

お互いに、相手を尊重し合って、理解を示しながら、違いを受け入れその上で、調和が計られていくのが一番望ましいですが、実際には、なかなかそうはならず、どちらかが引くことで一時的なバランスが保たれることはあっても、お互いにとってよい状態になっていくことは、難しいもののようです。

何とか解決をしたい気持ちが強くても、同時に、争いは避けたい気持もあるので、なるべく無難な対応をしておこうと、多くの人が考えると思います。

実際、自分が我慢することで、大人の対応をしていくことが、現時点でのベストな手段、というケースもあるでしょう。

けれど、何でも無難に、対立を避けることだけを心がけていても、同じこと(自分にとって不都合なことや不愉快なこと)が、延々と繰り返されてしまい、まったく改善が見られないならば、ときには、我慢以外の選択もしてみることもいいかもしれません。

違う意見を強く主張すれば、対立したり、ケンカになったりするかもしれない、と思っても、そうすることが、調和のためのプロセスとして必要だ、と思うのならば、ただ我慢し続けて悩むよりも、はっきりと主張してみることも、アリだと思います。

といっても、ケンカをけしかけているのでないですし、そのほうがいいと言っているのでもないですが(そこは、ケースバイケースだと思うので)・・・、受け身になる一方では、その状態が当たり前だとみなされるようになって、ますます、エスカレートしていくことも考えられます。

その際、大切なのは、感情にとらわれずに、冷静さをたもったまま、主張することです。感情を相手にぶつければ、相手も感情で返してきて、逆に、状況が混沌とするだけになります。

怒りや不満から、主張をするのではなく、「仮に対立を生むとしても、お互いにとってベストなプロセスだと思うから、自分は意見をするのだ」という理性を動機として、考えてみるとよいと思います。

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2011年8月23日 (火)

不愉快さやストレスを感じる相手は、「似ている」か「違いすぎる」か。

人間関係の不満や悩みは、多少なりとも誰もが抱えていると思うのですが、中でも、大きなストレスになるような揉め事が起こったり、感情がかき乱されるような不愉快さを感じてしまう相手が、いると思います。

そういう相手は、「自分とよく似ている」か、または、「自分と違いがありすぎる」タイプの性格をしているものです。

似ていれば、共通する要素同士がぶつかり合いますし、違いすぎれば、なかなか埋まらないほどの大きな溝が作られてしまいます。

たとえば、自己主張の激しい人同士では、どちらが主導権を取るか、とか、相手が自分に合わせるべきだ、とか、私の意見のほうが正しい、という主張をお互いに譲らずに、ケンカになってしまうことがあります。

依存的な性格の人同士では、どちらも主導権を取ろうとしないので、事態が動かず、自分では何もしないわりに相手への期待が大きいので、思い通りにならない相手に不満がつのってしまいます。

よく似ているタイプは、お互いを補えないので、上手くいかないことも多いのです。

一方、違いがありすぎても、溝がうまれて理解し合えないこともあります。

たとえば、お金に細かい人と、お金に無頓着な人が、財布をひとつにすると、・・・揉め事は起こることでしょう;。「あなたは、細かすぎる!」「君は、大雑把すぎる!」と、相手の価値観への不満が生まれます。

それぞれ個性をもった、別の人間である以上、どんな関係間でも、多少の不満や行き違いはありますが、とても大きなストレスを感じるような相手の場合は、「自分と似ているか、違いがありすぎるか」の、どちらかです。

関係を改善するためには、「まず、原因となる要素を分析する」ことが基本です。その上で、改善のための手段を考えていくことができます。原因があいまいなままでは、ふさわしい手段は思い浮かばないからです。

人間関係で大きな悩みを抱えている方は、自分とその相手との関係が、「似ている」のか「違い過ぎる」のか、を、まずは考えてみることが有効です。

そして、似ているのならば、相手に不満を抱くまえに、自分自身の改善すべき点を見つけて取り組んでみましょう。自分にも同じ要素があるならば、一方的に相手のことだけを批判するのはおかしいですよね。

違いがありすぎて上手くいかない相手とは、「それぞれ別の個性を持っているのだから、同じ意見にならなくても当然」という受け止め方をしていくことも大切です。違いがあるものを、同一にまとめようとする、もしくは優劣をつけようとするから対立が起こるのであり、違いがあるだけでは対立にはなりません。

このように、まずは、分析をしたうえで、さて、では実際にどんな対応をしていくのがよいのか、と考えていけば、分析を何もせずにただイライラしていた時よりは、建設的な思考ができるようになります。

そうすることで、関係がすべて改善する・・・とはいいませんが、少なくとも、以前よりはストレスは和らぐでしょうし、自分自身にも気持ちの余裕が生まれます。相手を好きにはなれなくても、「苦手では、なくなる」のではないでしょうか。

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2011年8月22日 (月)

オーラとは、どのようなもの?

オーラというのは、体の周りを覆うような形状をともない、さまざまな色で放たれている、スピリチュアルなエネルギーです。

オーラは、とても精妙で奥深いものです。私たち人間は、とても複雑で神秘的な存在なので、その複雑な存在を反映しているオーラもまた複雑です。

一般によく話題になるのは、「オーラの色」ですが、それ以外にも、分かりやすい要素だけでも、明るさ、濃淡、質感、形状、放つ光の強弱などがあります。しかし、これらの要素も、とても奥深いものの、ごく一部でしかありません。

分かりやすさのために、大まかに言うと、オーラとは、体全体を取り巻いている光で、とくに、頭の周辺のオーラには、その人の本質や人格、感情の動きなど、霊性や精神、心理状態などが、表れます。

存在感のある人や、カリスマ性のある人に対して、「オーラがある」という表現をすることがありますが、オーラは誰にでもあり、オーラのない人は存在しません。この場合は、存在感を大きさや印象深さを、オーラという言葉で表したものでしょう。実際、そういうタイプの人は、大きくて、特徴的なオーラをしている場合も多いようです。

オーラは、通常、肉眼で、はっきりとは見えないことが多いですが、オーラ透視者には、色と光として可視されます。そして、その様子から、さまざまなことを把握することが可能となります。

しかし、オーラ透視者のようには、はっきりとは見えなくても、オーラを、「感じ取る」ことは、誰にでも可能だと思います。

相手のコンディションの高低が、何となく伝わったり、優しいオーラの人と一緒にいると、自分も影響されて、気持ちが穏やかになっていったりします。それらは、相手のオーラを感じ取っている(から、分かる、伝わる)、とも言えるのです。

これらの、感じ取る力は、自分のオーラのコンディションが整っているときほど、冴えていきます。

オーラのコンディションは、自分自身のコンディションと比例します。オーラは、自分自身の映し出しだからです。

「オーラ」という表現をすると、何か特別なもののように思えてしまいますが、オーラは誰にでもあり、そして、その人の個性を反映する光のエネルギーですから、要は「自分自身の現れ」なのです。

そして、私たち人間が、肉体に限定されない「たましいの存在」であることをも示している、といえるでしょう。オーラが、肉体よりも外側へと広がって放たれている様子をイメージすると、それらの仕組みの理解が、容易になると思います。

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2011年8月21日 (日)

周囲を考慮するタイプの人が、自分を優先するタイプの人と、共同作業をする際に感じるストレス。

家族や仕事上の人間関係で、「自分の考えを優先して行動する」タイプの人と、「周囲の状況を考慮しながら自分の行動を決める」タイプの人がいると、共同作業の負担は、後者の方に大きく掛かってしまうことが多いです。

同じボリュームを分担しても、付随する要素に気を配って、あれこれ気が付き、仕事を増やしてしまう後者のタイプからすると、自分だけがなぜ、という気持ちになってしまうことも多いかもしれません。

けれど、考え方によっては、自分を優先して動く人は、周囲の細かいことをあまり気にしないので、その分、気を配るタイプの人が、「細部まで、自分のやりたいように、動くことができる」というふうにも、受けとることができます。

とてもよく気がつく、細かい人ばかりの集団も、別の意味で、調和していくのが大変になります。

その人たちのこだわりのポイントが一定であれば、分かりあえて、作業も分担されていくのでしょうけれど、人の個性はさまざまですから、「細かいことに気を配る」点は共通していても、「こだわりのポイントがそれぞれ違う」と、本来そこまでやらなくてもいい仕事が、(よく気がつくゆえに)どこまでも増えてしまったり、お互いの粗さがしをしてしまうこともあるからです。

「自分の考えを優先して行動する」タイプのと、「周囲の状況を考慮しながら自分の行動を決める」タイプの組み合わせでは、悩みや不満を抱えてしまうのは、通常、後者の方です。

自分の負担が大きくなり、不公平のような気持ちになってしまいがちですが・・・、しかし、そういうときには、逆の発想で、「もし、自分と同じくらいのよく気がつく人が相手だったら・・・、そして、自分とは考え方が違っていて、作業の進め方が統一ではないとしたら・・・、それはそれで、別の苦労があるだろうな」と、考えてみるとよいかもしれません。

そうすると、多くの場合、「ならば、負担は多くても、自分のやりたいようにできる余地の大きい、今の状態のほうが楽」と、感じられるのではないでしょうか。

どうせやらなければならない作業ならば、イライラしながら行うよりは、そのように気持ちの上で割り切って、さっさと済ませてしまうほうが、自分が楽になります。

また、「やらされている」と思わずに「やらせていただいている」と思うこともよいでしょう。なぜなら、この世の仕組みは、カルマの法則という、自分のまいた種が自分のゆく道に実っていくようになっていますから、人のためにしたことも、広い意味でとらえれば、すべて自分のため、でもあるからです。

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2011年8月18日 (木)

怒りの感情を、セルフコントロールするためには。

感情の上下が大きくて、自分のストレスになったり、人間関係にトラブルが起こりがち、という人は少なくありません。

そういうタイプの人は、自分の感情に流されない、という、セルフコントロールをしていくことが大切です。

強い感情が出てくるケースで一番多いのは、「怒り」です。特定の何かに対して、怒りの感情がでると、自分もその怒りを体現して、その対象に向かって強い言動をとってしまうことが、このタイプの方にとって、一番のトラブルの原因です。

仮に、その主張には、いくらかの正当性があるとしても・・・、怒りの感情と一体化して、強く相手にぶつけてしまえば、スムーズな解決に結びつくはずもありません。怒りという表現の仕方をとることで、逆に、正当性もどこかにふっとんでしまうほどに、違う意味でのトラブルを、わざわざ作り上げてしまうケースが大多数のように思います。

これらの感情をコントロールしていく、ためには、「感情と(自分が)一体化せずに、少しの距離をおいて、とらえていくようにすること」が必要です。

そして、その際、感情と自分との距離を取るための道具は、「理性的な思考」です。または、「物事を表面だけでとらえないこと」です。

表面的な結果だけを重視すると、できない、手に入らない、思い通りにならない、と、感情に直結してしまいます。

しかし、理性をもって、プロセスも含めてとらえていけば、仮に、一時的に怒りを感じるような状況になっても、その先に別の展開があるかもしれない、これもまた学びになるのだろう、という納得をしていくこともできるのです。

感情が、とても大きく出てくること自体は、個性のひとつであり、必ずしも悪いものではないので、(感情とは、怒りだけではありませんので)、感情そのものをなくしようと考えるのではなく、「受け流していく」こと、自分がそれに乗っかってしまわない、という冷静さを保っていけばよいのではないでしょうか。

感情を、我慢することで何とかしようとしても、それは、「現実的な、人間関係でのトラブル」は、抑えられるかもしれませんが、我慢をしているという自分のストレスはなくならず、むしろ、なぜ自分が我慢しているのか、という不満が、さらなる怒りの感情を作り出し、ますます、抱えるものが増えてしまいます。

そういう我慢は、一時はよくても、長続きはせず・・・、通常、どこかの時点で、周囲を巻き込んで、貯め込んだものが大爆発することになります。

出てくるものを抑え込むより、うまく「流していく」というコントロールをしていくようにして、感情とは、自分が作り出したものではあるけれども、自分そのものではないのだ、という考え方をしていき、理性で、距離感を保っていけるとよいでしょう。

感情が大きくて、振り回されてしまう人は、感情を減らそうとするのではなく、理性を増やしてバランスを取るようにしてみてください。それが、一番の、セルフコントロールになります。

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2011年8月17日 (水)

五感の延長上に、第六感がある。

直感や霊感を含めた、超感覚を、「第六感」と表現することがあります。この意味は、五感以外のもの、という解釈もできますし、五感を超えたところにあるもの、というとらえかたもできます。

私としては、第六感といわれるものは、「五感の延長上にある」という表現をつかうことが、一番しっくりきます。五感と第六感は、関連性があり、きりはなされたものではない、と感じるからです。

一般に、霊感が強い人は、芸術的なセンスも優れている場合が多いです。

五感の中には、触覚(触れた感覚)がありますが、手先が器用であれば、触覚が鋭い、と言いかえることもできますよね。あまり使われない表現ではありますが・・・。作品を創る活動などは、この(五感の一種である)触覚のセンスが鋭いことが求められるでしょう。

音楽活動も、芸術の一環ですが、音をとるには聴覚のセンスが必要でしょうし、楽器を演奏するには、手先の器用さ、触覚の鋭さも大切となるでしょう。

芸術センスは、広い意味で、霊感ととても共通点があるので、これらの性質の両方が備わっている人が多いのですが、上記のたとえのように、芸術活動を、ひとつひとつ分析してみれば、使われるセンスは、「一般よりも、鋭い五感」であることがわかります。

霊感や直感は、第六感であり、芸術センスは、霊感ととても近い性質であることを踏まえれば、「芸術に必要なセンスは、鋭い五感」であることから、「第六感は、五感の延長上のある」という表現はふさわしいと思いますし、また、「第六感と五感は、関連性がある」こともわかります。

つまり、五感を磨くことで、第六感への後押しになったり、感覚の底上げになったりする可能性がある、ともいえるわけで、日常の生活において、このようなことを意識すると、第六感の広がりに、繋がっていくこともあるでしょう。

第六感を得るためにどうすればいいか?、という質問への答えは難しいものですが・・・、(そして、第六感だけを特別視するとらえ方にも、あまり賛成はできませんが)

五感を磨くには?、という質問であれば、いくつもの答えが存在すると思います。そしてその延長上に第六感と共通する領域があるわけですから、こちらのほうが取り組む糸口が見えやすいでしょう。

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2011年8月11日 (木)

改善のための方法が適切であるか。

あることを、改善するために、またはさらに成長するために、努力をしているのに、効果が表れないことがあります。

そうなる理由は、いくつも考えられますが、そのうちの一つとして、「改善のために、取り入れている方法が、適していない」場合があります。

そして、この「適していない」とう理由は、さらに2つに分類されます。

(1)方法が、「自分に」適していない 場合

(2)方法が、「その要素に」適していない 場合 です。

(1)の、方法が自分に適していない場合、というのは、一般には、その方法が効果があると言われているし、実際に効果がみられることでも、体質や個性の差などにより、自分には合わないケースです。

○○を食べると健康によい、と言われていても、自分にはアレルギーがでることもありますよね。そこまで極端な表れになれば、むしろわかりやすいのですが、逆に、そこまでにならないために、適していないことに、気付きにくい場合もあるでしょう。

(2)は、はっきりいえば、改善のための方法が、「間違っている」場合です。

これは説明するまでもないでしょう。暑い、と言いながら、暖房器具の前に座っているようなものです。

言葉で読むと、極端すぎてあり得ないと感じるかもしれませんが、「暑さに、耐性をつけよう」という方向から考えてしまった場合には、ときに、このような、ふさわしくない方法を、選んでしまうことはあるのです。

自分のことは、思いこみがあるので、なかなか、適していない方法を選んでいることに気付けません。

また、適していない方法が、まったく何の効果もないのであれば、そうと気付くこともできますが、広い意味では、ほんの少しくらいの効果は、(どんな方法をとっても)出てしまうもの、でもあるでしょう。

そうすると、「あのとき、少し効果があった」という思いが、現状の方法を肯定してしまいますので、ますます気付きにくくなります。

効果が表れないときには、柔軟な気持ちで、自分の取っている方法について、考えてみる、という習慣をつけていくと、よいかもしれません。

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2011年8月10日 (水)

クリエイティブな作業や活動をすることで、霊的な感性が磨かれていく。

広い意味での霊的な感性と、創造的・芸術的な感性は、とてもよく似ています。どちらも、自分の内側に存在するもの、もしくは、湧き上がってくるものを、何らかの表現に結び付けることで、発揮していますよね。

そのため、霊感が強い人は、クリエイティブなセンスがあって、とても手先が器用だったり、何かを作り上げることを好む人が多いです。

また、創造的・芸術的な活動をしている人の中には、やはり、平均以上の霊感を備えている人が多いものでもあります。

両方の感性は、表れ方の違いはあるけれども、元は同じ要素でもあるので、それも当然かもしれません。

つまり、クリエイティブな要素のある活動をするとか、趣味を持つなどをすると、間接的に、広い意味での霊感もまた、磨かれていくことに、繋がります。

私の知る限りでも、霊感が強い人は、手先が器用で手芸や工芸が得意だったり、そのようなセンスを生かした職業を経験していたりします。

そのような活動を通して、「クリエイティブな活動の経験がセンスを磨き、霊感もより磨かれていった」、と考えることもできますし、同時に、「備わっている強い霊感を生かして、(同じ要素である)クリエイティブな活動が得意となっている」、とも言えるでしょう。

自分の中に備わっているものを、工夫しながら、洗練させて、発揮していく、という作業は、同じように、備わっている性質である霊的な感性も、発揮しやすくなる、「エネルギーの流れ」が、作られていくように思います。

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2011年8月 8日 (月)

母親と娘の間によくある、気持ちのすれ違い。

娘と息子がいるお母さんから、「息子には、愛情を表現できるのに、娘には、表現しにくいことがある」と、ご相談をいただくことがあります。

女性のご相談者さんから、「自分の母親は、弟や兄ばかりを大事にして、私を大事にしてくれなかった。私は、愛されていなかったのではないか」という、ご相談をいただくこともあります。

悩んでいる当事者が、母親か、娘か、という違いがありますが、この問題は、根本は同じところにあります。

一般に、女性同士の人間関係は、「横のつながり」が重視されます。共通点が多くなるほど連帯感が生まれ、親しみを感じやすくなります。一方、男性同士の関係というのは、「縦のつながり」が重視され、序列が考慮されていきます。

上記のような悩みが生まれてしまう背景にも、この、「女性同士は、横並びで人間関係を計る」という性質が関連している場合があります。

お母さんと娘という関係もまた、「女性同士」ですから、横並び=同じ、という前提があります。

たとえば、娘が、母親である自分と違う行動をとったり、自分には簡単にできることができない、もしくはやろうとしないときに、「(自分と同じ女性なのに)なぜ、娘は同じようにできないのかしら」という、受け止め方になりがちです。横並びの感覚があるので、無意識に、比較が生まれてしまいます。そのため、心配になったり、もっとこうしたほうが娘にとって望ましいはず、という愛情から、口出ししたくなってしまいます。

けれど、息子に対しては、「(男の子だから)自分の感覚とは、違いがあって当然」「男の子というのは、そういうものなのだろう」と受け止められます。そのため、甘くなりがちなところがあります。

母親の愛情の深さに、大きな差がついているわけではないのだけれど、上記のような性別の差からくる感覚の違いが、娘からすれば、「お母さんは、私に厳しく、兄と弟だけには甘い」と受け止められ、母親側からすれば、「娘に対して、どう接したらいいのかわからない。息子のように、愛情いっぱいの態度を示しにくい自分がいる」という悩みを抱えてしまうのです。

男の子に甘くなるのは、息子が小さいうち、自我が強く発揮されるまでの、ほんの短い期間でしかないのですが・・・、子供にとって、母親という存在が占める割合はとても高いので、思わぬ心の傷になることもあり、大人になっても、その悔しさや寂しさが解消されないままになることも少なくありません。

このようなケースの、解消方法としては、「自分の受け止め方」の解釈を変えていくこと、より深い理解をしていくことが大切となります。

お母さんは、娘に対して、女性同士の横並びの感覚を当てはめてしまいやすい、違いやもどかしさが、同性同士ゆえにより強調されてしまうものなのだ、ということを認識なさって、その点を割り引いて、お子さんを見ていくことが大切となります。

娘さんは、お母さんの過去の態度について、兄や弟だけが大事にされていたのではなく、異性ゆえに目につきにくいところと、同性ゆえに目につきやすいところがある、という性別の差によるものであり、同じように愛されていたのだ、と、気付くことが大切です。

娘に厳しくしてしまうのも、娘に対して愛情があるからです。愛情のない人には、関心がわきません。厳しさも、愛情の表れです。

お母さんに、「私は、愛されていないのでは?」と、不満を持ってしまうのは、自分がお母さんを愛しているからこそ、です。関心がなければ、愛されていないかも、という不安も不満も生まれません。

お互いに、愛があるからこその行動の、認識の違いであり、気持ちのすれ違いでもあると、その点に気づくことができれば、それだけでも、自分の想いが変化していきます。

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2011年8月 7日 (日)

直感は、思考の中にも含まれる。

直感力とは、私たちが、たましいの成長をしていくために、あらゆる形で活用されていく、霊的な感性のうちのひとつです。

唐突に、頭の中に、特定の情報が降ってくるものを、「直感」と表現することが多いですが、直感の伝達は、そのような形態で行われるとは限らず、(自分の理性で作り上げた)思考の中に、ほんの少しの直感的エッセンスが含まれている場合もあります。

理性的な思考と、直感は、相反するものではありません。たしかに、過剰なまでの思考で、ときに直感が遮らえるようなケースも、ないわけではないですが・・・、しかし、直感と思考の間に、明確な区分けが存在するわけではありません。

一見、直感的に思えるものの中にも、自分が作り出した思考も少しは含まれることもあるでしょうし、逆もまた同じで、現実の状況を分析して作りだした思考だと思っているものの中にも、少しの直感は含まれることもあるでしょう。

自分の頭の中に浮かんだアイデアや思いについて、「これは、自分の思考なのか、直感なのか、区別がつかなくて困っている」というご相談をいただくこともありますが、直感と思考というのは、完全には分けられません。

直感と思考という言葉は、全くの別物ではないので、どちらかに区別をしよう、という受け止め方の認識を変えていくことが大切だと思います。

ひらめきや思いについて、「これは直感なのだろうか、それとも思考なのだろうか」と悩むのは、たとえて言えば、「ピンク色」に対して、「これは赤に分類されるのだろうか、白に分類されるのだろうか」と、悩んでいるようなものです。

どちらの要素も含まれてピンクが存在しているのであり、それを、どちらか一方の要素だけに区分けすることはできませんよね。

ひらめきや思いを、直感か思考か、と二択で考えるのは、それと同じことになります。

そのような明確な区分けができないものが、直感、なのです。

「あれ」と「これ」と、区分けができるのは、物質です。直感は、物質ではなく、霊的な領域にある形のないものなので、物のようには区分けはできません。

直感を受け取るのは、感性を使いますが、直感の仕組みや成り立ちを理解することもまた、感性で行うものです。

直感力が高い人ほど、「思考の中にも、直感が含まれる」ということが、理屈抜きで、感覚的に理解することができるのです。

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2011年8月 6日 (土)

霊視や霊聴のすべてが、正しいわけではない。

霊感が強くて、オーラや霊が見える、声が聞こえる、というセンスを持っている方は、少なくありません。

しかし、見えることと、「見分ける」ことは、同じではありません。これらのセンスを備えている人が、気をつけなければならないのは、見分ける目を持つこと、惑わされないこと、だと思います。

霊的な視野に映るもののすべてが、自分にとって意味のある守護霊などからのメッセージや、透視的な事実とは限らず・・・、中には、憑依霊が見せているものもあるかもしれません。さらには、自分の願望が、映像のように見えてしまうこともあります。

そういうときは、この先の未来の姿を、予知したように思えてしまうものです。しかし、それは、実際に予知したのか、違うものを見ているのか、事前にはわかりませんし、または、仮に予知的に把握したとしても、守護霊ではなく憑依霊が見せている場合もありますし・・・(憑依霊であっても、それなりの力を持っている霊もいます)、これららの区分けは、本当に難しいのです。

霊的な視覚力が高い人にとっては、「見える」ことは、自然になされるのでそれほど難しくはありません。けれど、「見分ける」ことは、自然になされることはなく、そのための知識をつけて、同時に人格を磨いて行く必要があります。

霊的な視覚に映るもの、見えるもののすべてが、実際の様子だったり、守護霊からの啓示であるとは限りません。

声が聞こえる場合も同じで、守護霊や先祖霊からのメッセージもあれば、憑依霊の声が聞こえている場合も考えられます。聞こえるはずのない声がきこえると、すべてを、啓示であると解釈したくなりますが、そうとは限りませんので注意が必要です。

必要があれば、守護霊が何かを伝えてくることはありますが、しかし、高い波長の霊というのは、むやみやたらにアクションを起こすことはなく、「そうする必要があるとき」のみ、働きかけてくるものです。

重要ではないことや、何でもかんでも聞こえてしまうのは、・・・守護霊の声ではない可能性もあります。

これらを、見分けるには、どうすればいいのか、どんな基準で判断すればよいのか知りたい、というご相談は多いのですが・・・、判断するための確実な見分け方法というものはありません。

確実に判断するためには、絶対的な基準が必要です。たとえば、「身長150cm以上、150cm未満」という基準の区分けがあるとしたら、そこに該当するか否かは、明確になります。

けれど、霊的な物事というのは、この世で肉体を持つ私たちにとっても、この物質社会においても、完全な形で100%体現されることはありませんので、絶対的な基準を持つことは不可能です。数値で計るように、「○○であれば正しい、○○でなければ間違い」のような区分けは、つけにくい領域です。

判断するのは、自分の感性でおこなうしかありません。理性も、感性のひとつです。理性を磨くには、知識をつけて活用することが効果的です。

思いこみの感情や、不思議な現象にただワクワクしてしまうような好奇心から抜け出し、自分の軸をしっかりとうちたてていくことで理性は磨かれていきます。

そうすると、見分ける以前に、未浄化霊からのアクションそのものが減っていきます。引き合うものは、自分の波長と同じものですから、波長が上がれば、低いものと引き合わなくなるからです。

すべての基準は、自分自身。その時の自分に、見合ったものが引き寄せられてきますから、いつも明るく、くもりのない心で、日々を大切に生きていく姿勢が、よいものを引き寄せ、霊からのサポートも(必要があれば)引き寄せることができるでしょう。

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2011年8月 4日 (木)

肉体からズレやすいオーラと、その仕組み。

私たちの肉体をとりまくように、オーラというスピリチュアルなエネルギーが存在しています。通常、肉体と重なり合っていますが、オーラの状態が不安定で、容易に肉体からズレてしまうタイプの人がいます。

ズレがあると、肉体へのエネルギーがうまく回らなくなりますし、その隙間に、不要なエネルギーが入り込んだりして、ネガティブな影響が出やすくなります。

オーラが、本来の位置である肉体から、ほんの少しずれてしまうことは誰にでもあり、疲れがたまっているときや、体調不良のときなどは、そのような現象がみられることもありますが、体力や精神のバランスが整って回復していくと、オーラの位置も、自然に元の状態に戻っていきます。

このようなことは、誰にでも起こり得るのですが、中には、特にその状態を誘発する(強いストレス等の)原因がなくても、ちょっとした刺激により、容易に、軽い幽体離脱・・・とまではいきませんけれど、それに近い状態になりやすいタイプの人もいるのです。

そのようなタイプの人は、体全体のオーラがあまり発達していなく、しかし、頭の付近のオーラ(ここは、心の状態や霊性などが表れる部分です)が、体のオーラと比較して、大きく発達していて、逆三角形のような不安定さがあります。常に、オーラが、若干浮き上がっているかのような状態であることも多いです。

全体のオーラがしっかりと広がっていて、その上で、頭の周囲のオーラが更に大きく発達しているのならば、問題はありませんし、むしろ、そうなっていると、望ましい形で感性の高さが発揮されていくのですが、頭の周囲のオーラだけが大きくなっていると、バランスも崩しやすいのです。

また別のパターンでは、揺らぎやすいタイプ、染まりやすい性質を備えていて、全体的にはっきりしないオーラになっている人もいます。こちらのタイプは、とても影響されやすいので、何らかの干渉を受けることで、オーラがずれてしまう頻度が高い、というパターンです。それで、ある意味、習慣化してしまう、というか・・・。

とても質感が細かく、かつ、全体的な活力や強さにかけているので、いろんなものを吸い取ってしまうようなタイプでもあります。

改善方法としては、自分の肉体と意識を、しっかりと結びつける効果のある行動をとり、前者の場合は、頭の付近だけでなく、全体のオーラが大きくしっかりしたものとなるように、現実的な生き方をすることが効果的です。後者の場合は、特に精神面での「強さ」を鍛えていくことが大切となるでしょう。

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2011年8月 1日 (月)

出産を期に、霊感が強くなることがある。

私たち人間は、「肉体を持った、霊的な存在」ですから、誰にも必ず、霊感というものが備わっています。 誰にでも備わっている資質ではありますが、強さには個人差があります。

また、一生のうちで、霊感のあらわれ方が一定とは限らず、強くなる時期と、弱くなる時期が存在する人もいるでしょう。 女性にとって、霊感が強くなりやすい時期、というものがあります(全員が該当するわけではありません)。

それは、「思春期」「妊娠、出産」「更年期」のあたりです。とくに、妊娠~出産を期に、霊感が一時的に強くなるケースが、少なくありません。

「霊能力者は、太っているか痩せているかの両極端で、中肉中背は少ない」という話があります。それは、ホルモンのバランスと霊能が、何らかの関係があるためではないか、などとも言われています。

このこととも関連すると思われますが、実際に、バランスが大きく変わっていく、「思春期」「妊娠、出産」「更年期」が、霊感が強くなりやすい時期、に当たっていき、中でもとくに、妊娠~出産を過ぎた時期に、そのような現象が目立ってくるケースがあります。

多くの場合、その際に生まれたお子さんも、活力あふれるタイプで、霊感が強い場合が多く、お互いの感性が相乗効果となり、お母さんの霊感が、(お子さんのパワーに後押しされていき)底上げされていくため、でもあるようです。

以前にも、書いたような気がしますが、霊感の強い人と一緒にいると、自分の中の霊感も刺激を受けて活性化し、強くなっていくことがあります。同様のことが、お子さんとの関係間でも起こり、また、自分のバランスもかわっていくことから、変化が起きやすい条件が、いくつも重なりあって、そうなるのでしょう。

これらの現象は、霊感が降ってわいたわけでもなく、後で付加されたわけでもなく、備わっていたものが、あるきっかけにより、表面化した、というふうに考えられます。

妊娠と出産がきっかけとなり、表面化した霊感は、そのまま、一定以上のレベルにおいてその後もずっと維持される場合もありますし、強まるのはその一時期のみで、時間とともに、薄れていく場合もあるようです。

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