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2011年7月17日 (日)

他人から誤解され、違う印象をもたれる点を改善するには。

人というのは、多面体のようなもので、誰もが、さまざまな個性や特徴を持っている、複雑な存在です。

このことは、オーラを通してもよくわかります。オーラの色はとても精妙で複雑な放ち方をしているものであり、単一の色のみ、ということはありません。メインとなる色でも、2~3色程度は備わっているのが普通で、もっと多い人もいます。そして、それぞれの色の表れ方も、濃淡もあれば、明度の差もあります。

言葉でそれらを表現することはとても困難だと感じるくらいの、複雑さを、誰もが、独自の個性として備えているのです。

そういう複雑な存在ですから・・・、どれほどに親しい間柄でも、すべてを把握することなどできるはずもなく、自分のごく一部でしかないことを、まるでそれがすべてであるかのような、拡大解釈がなされてしまうこともあります。

お互いに、そのような自己流の解釈を相手にあてはめているとはいえ、あまりに、自分とかけ離れた印象をもたれてしまうのは、精神的につらい気持ちになりますし、また、お付き合いの上でも、やりにくいこともあるでしょうから、改善を心掛けていくことも大切だと思います。

人との交流というのは、直接の言葉や態度だけでなく、「雰囲気」というアンテナで相手のことを、感じ取ることもあります。

その場合は、いくつもある要素の中でも「目立つ要素」が、強く感じられるものだと思います。

たとえば、「真っ赤な紙」と「淡いピンク色の紙」の2枚を示されたときに、どちらに強い印象を抱くかを考えてみてください。一般的には、真っ赤な紙のほうが目立って感じられるでしょう。

人は「自分が、分かりやすいもの」を、強く感じる傾向があるので、たとえば、この2色の紙を持っている人のことを、「真っ赤な紙を持っている、あの人」という受け止め方に、なってしまい、もう一方はあまり印象に残らないこともあると思います。

人は、多面体のような、精妙で複雑さを持った存在なので、たくさんの要素を備えています。紙に例えるならば、「真っ赤な紙」と「淡いピンクの紙」と「青い紙」と、「黄色の紙」を、和紙だったり画用紙だったり包装紙だったり、と、あらゆる形態で備えているようなものです。

けれど、相手に伝わるのは、そのうちの、一つか二つくらいであることが多く、すべてが伝わるわけではありません。通常は、目立つ要素だけが、強く伝わってしまいやすいのです。

たとえば、自分には、強さもやさしさも備わっているのに、他人からは、強い部分だけが伝わってしまっているようで、そのように他人から指摘されてしまう、という場合は、「特定の人だけから、指摘される」のか、それとも「多くの人から、同様に指摘される」のかを、考えてみる必要があります。

前者であれば、たまたま、その人だけが誤解している、ということも考えられますので、この点の判断は注意が必要です。けれど、多くの人から、同様の誤解をされるのであれば、それは、「少なくとも、他人から見て、そう感じるのだな」ということを、受け止めていく必要があります。

そして、自分に備わっているのに、伝わっていないと思われるやさしさを、分かってほしい、感じ取ってほしいと思うのであれば、「意図的に」そういう部分が「相手に伝わるような、態度や言動を心がけていく」という努力をすることが大切です。

備えているものを、「発揮」してこそ、相手に分かりやすく伝わっていくようになります。

具体的にどのような言動をすれば、それが伝わっていくのか、それは、自分と周囲の人との関係を分析していきながら、作り上げ、つかみ取っていくものだと思います。

どうするのが効果的か、考えながら、行動してみましょう。その工夫が通じているか否かは、周囲の人たちのあなたに対する態度が、答えを教えてくれるでしょう。

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11.家族、恋愛、人間関係」カテゴリの記事

コメント

私の場合は、本当の自分をさらけ出したくないという思いがあります。他人から こんな人なんだ~と思われたいとか、反対にあんな人だったんだ~と思われたくないと考え、行動することは、偽善者なのでしょうか?
このような人になりたい、という自分の理想像が時々心とは、真逆な行動を取ってしまうことがあるような気がします。
本当の自分じゃなくても 他人からの評価が良かったらいいと考えることは、自分を偽っていることになるのでしょうか?
年齢や学歴など すぐにばれるような嘘は、つきませんがね(笑)

投稿: たんぽぽ | 2011年7月17日 (日) 09時34分

*たんぽぽさま

人の数だけ個性がありますから、中には、誤解されてしまうのがつらい人もいれば、本心を知られなくないと思う人もいます。それぞれの考え方の差、個性の差であり、どちらが正解、どちらが正しくない、という区分けは存在しないと思います。

特定の行動という、結果だけをとらえて、どちらが正しい、○か、×か、というような定義をつけてしまうのは、現世的な解釈の様にも思うのです。

霊的な解釈というのは、動機やプロセスも含めて、自分にとって学びがあるか、とか、成長につながるか、という考え方をしていくことだと思うので、そのような解釈でお考えになってみてはいかがでしょう。

投稿: リカコ | 2011年7月17日 (日) 10時11分

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