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2011年7月の23件の記事

2011年7月31日 (日)

直感が冴えなくなるとき。

直感的なものが、冴えるときと、鈍るときの差というのは、そのときの自分自身のコンディションの差が、主な要因となります。

そのときの自分というフィルターを通して、さまざまな思考やひらめきという形で、メッセージ性のあることが伝わったり、気付きをえたりしていきますので、コンディションが整っていないときには、くすんだフィルターを通した受信をすることになります。

そうなると、受信そのものが鈍くなったり、または、受けとったものの精度が下がったり、正しくない解釈をしてしまう、ということが、起こりやすくなります。

「正しくない解釈がおこる」ではなく、「正しくない解釈が、起こりやすくなる」という表現をしている理由は、もともと、肉体という制限の中にある私たちにとって、100%の直感を発揮することは無理で、冴えているときでも完全はない、という前提があるからです。

その前提の上で、直感が鈍るとき、について考えていきます。

たとえば、ろ過するフィルターにたくさんの汚れがついていて、そこに水を通したら、フィルターの汚れを含んだ水が、下に落ちていきます。

直感の伝達も、それと同じような仕組みで、自分のコンディションが下がっている場合には、受け止めた直感も、「コンディションの下がったフィルターを通した、水」になってしまいます。

自分の悲観的だったり批判的だったりする思いこみや、こうなったらいいなという願望や拡大解釈が混じっていしまったり、意味を取り違えたりすることが、起こりやすくなります。

さらには、あまりにフィルターの(つまりは、自分自身の)コンディションが下がってしまうと、水そのものが、通らなくなることも、あるでしょう。

直感というのは、授かるもの、与えられるもの、ではありますが、それを解釈するのは、自分自身です。私たち人間は、変化していきますし、感情で揺れ動く存在なので、自分という感性のフィルターも、変化し、揺れ動いていきます。

また、コンディションが下がっていくほどに、自分の直感というものを盲信してしまう傾向も出てきます。状態が下がると正しい思考や分析ができにくくなるので、直接の思考を必要としない「直感的なひらめき」に、依存したい気持ちが出てくるのですね。

けれど、思考であろうと、直感であろうと、受け止め、解釈するのは自分であることには変わりがないわけで・・・、

思考というのは自分一人で行っているように思えても、そこには、後ろの方の意向も含まれていることもありますし、直感も、授かるもののように思えても、受け止める段階で自分というフィルターを通してるわけですから、思いこみも混じりますし、どちらであっても、大切なのは「自分」である、という点は共通しています。

直感を有意義に活かしていくためにも、普段からの自分の在り方、というのはとても大切となります。よいものをたくさん受け止められるように、明るく穏やかに毎日を過ごしていくように心がけましょう。

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2011年7月30日 (土)

守護霊が願っているのは、私たちの「成長」です。

守護霊は、私たちのたましいの「成長」を見守りながら、必要なときには何らかのサポートをしてくれたり、ヒントを与えたりして、教え導いてくれる存在です。

しかし、私たち人間は、自分の成長のために、この世でたましいの学びをしているのであり、そして守護霊もそのために見守っているわけですから、何でも手とり足とり、「あれをしなさい」「これをやめなさい」などと、事細かに指示されたり命令されたりすることは、ほとんどありません。

基本は、私たちの自主性が尊重されます。ときに、少々遠回りになろうと、「それもまた学びの一環」だと見なされれば、特に何も言われることはないですし、日常の些細なことにまで、あれこれと、口を出したりはしてこないものです。

「これを、行ってもいいか?」と聞いても、「あなたがやりたいのならば、やりなさい(どんな経験も学びになりますので、無駄になることはありません)」というような、その程度のヒントしか、もらえないことがほとんどです。

人間の感覚からすると、物足りなく思えるかもしれませんが・・・、しかし、守護霊は、私たちの、「たましいの成長」を(必要があれば)サポートしてくれるのであり、「物質的な成功」を、サポートするための存在ではありません。

私たち人間の願うことの多くは、後者のほう、物質的な「成功」に重点が置かれてしまうものですが、成長と成功は、同じではありません。 もちろん、物質的な成功を通して、たましいの成長が得られるケースも無数にありますから、それらのすべてを否定的に扱われるわけでもないですが、あくまで、重点を置かれる基準としては、たましいの「成長」のほうなのです。

「成長」が最も大切な要素であり、成長するための、必要な経験として、ときに、物質的な成功や願望の達成があります。

つまり、目的が「成長」であって、目的を成し遂げるための「手段」が、この世での(私たちの価値観からすれば)物質的な成功や、願望の達成です。

この世という物質社会で、限定された意識の中で生きている、私たち人間にとって、ときに、目的と手段が混同されてしまい、手段を目的であるかのようにとらえてしまうことがあります。

けれど、霊的な価値観には、そのような揺らぎはないので、主目的である「たましいの成長」という点が、他の要素と入れ替わることはありません。

誤解のないように、書き添えますが、人間がこの世という物質社会において、ある程度の成功や願望を追いかけるのは、自然なことです。そして、それらの感覚は、守護霊からも、決して否定されるものではありません。

けれど、それは、物質的成功に付随して、たくさん経験から学び、成長することができるから、という、霊的な価値観による主目的があるからです。その目的のために、ときに、物質的な成功に対する、後押しが得られる、という仕組みなのです。

その目的を差し置き、何かのおまじないや工夫や、ハウツーで、物質的な成功に対する働きかけ「だけ」を得ることは難しいでしょう。表面的に、出来たように思えても、横車をおすようなことをすれば、どこかに歪が出るものではないでしょうか。

物質の成功を追うのが悪いわけではないのです。そこに、何らかの学びとなる要素もあるはずで、そちらにも同時に目を向けていくことが大切、ということです。

そういう意識を持っていると、あちらの世界からも、働きかけがしやすいので、より多くの「成長」を促すための、さまざまなサポートも得られやすくなるでしょう。そして、結果として、物質的な成功も、増えていくことはありうるでしょう。

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2011年7月29日 (金)

目的は抽象的にせずに、具体的にすると、取り組みやすくなる。

「目的を定めて、そのための手段を考えていき、行動に移していく」、その繰り返しにより、自主的な変化や成長がなされていきます。

その際、目的は、抽象的にしすぎないほうが、手段が見つけやすいです。抽象的にすると、とりかかりにくくなります。

抽象的な目的というのは、たとえば、「自分を成長させるようなこと」とか「夢を持てること」とか、「輝いて生きる」などのようなことです。

これらは、どれも素晴らしい事柄ではあるのですが、「自分を成長させる」「夢を持つ」「輝いてい生きる」に関連する要素は、無数にありますし、広い解釈をすれば、すべての出来事が関連する、ともいえます。

そうすると、取り組む具体策もまた、すべてが当てはまる、ともいえますので、範囲が絞りにくくなることがあります。

もう少し具体的に、「今とは違う、新しいことをしたい」とか、「自分ならではの資質を発揮したい」とかなら、手段が見つかりやすいです。新しいこと、というのでしたら、少なくとも、現時点でかかわりを持っている事柄は除外されますし、範囲が限定されてきますから、手段も絞り込めますよね。

目的がまず先にあって、そのための手段が見えてきます。

目的をあいまいにしたまま、成し遂げる方法は、なかなか見つかりません。・・・というより、見つかっても、それが該当するのかそうでないのか、基準がないので判断ができません。

そうなると、有意義となりそうな事柄に遭遇しても、(基準がないので)決断しきれず、結果としてチャンスを逃す、という繰り返しにもなりやすいのです。

前に進みたいのに、一歩が踏み出せない方の中には、「目的の選定が、抽象的で範囲が広すぎて、具体的な行動計画が立てにくいため」であるケースが少なくありません。

この状態を、「私は、やる気がないから、動き出せないのだ。やる気を出すにはどうすれば?」などと誤解してしまうと、さらに焦点がずれてしまい、ますます、動き出すための具体策から遠ざかってしまいます。

今、掲げている目標を、あと少し、掘り下げて、具体性を持たせてみましょう。そうすると、いくつもの手段が、見えてくるようになるでしょう。

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2011年7月28日 (木)

波長が下がっているのに、霊感や直感が冴えてしまうことがある。

自分の波長が高く整っているときには、霊的な世界の方たちとの繋がりが安定し、増していくので、霊感や直感が冴える、という現象がおこりやすくなります。

自分の波長が高くなっていて、あちらの世界からの働きかけも大きくなっているという、2つの条件がそろったときには、「受信側(わたしたち)」と「発信側(霊的な存在)」と、両方の意図するところが、バランスよく、かつ、強く引き合っていますから、それが一番の望ましい形です。

本来、そのように、波長が整った状態で、受信する器が安定しているときほど、たくさんの霊的な要素が流れこんでくるという仕組みになっています。

ところが、自分の波長が下がっているときにも、実は、霊感が冴えてしまうケースがあります。

寝不足をしているときに限って、(眠いはずなのに)妙に目が冴えてくる、という場合があるように、本来、波長が低下していると冴えないはずの霊感や直感も、同様に、波長が下がっているときに限って、冴えることがあるのです。

ただ、これらの状態は長続きすることはなく、波長の状態がさらに下がっていけば、「冴えた状態のまま、波長の低い霊と同調する」という移行が、起こりやすくなるという危険性が出てきます。

以前にも何度も書いていますが、疲れたりストレスが大きくなったりして、心身のバランスが大きく乱れると、肉体とオーラがずれていき、その隙間に、霊的なエネルギーが干渉しやすくなるので、憑依なども起こりやすくなります。

バランスが乱れると、良くも悪くも、霊的なエネルギーにさらされやすくなります。

もちろん、(バランスが乱れているわけですから)良い部分の作用はほんの一部、悪い影響の方が大部分となります。

この状態になる、最初のうちは、悪い影響が目立たないか自覚できないかで、良い部分のみが自覚され、(波長が下がっているのに)霊感がなんだか冴えている、という、反比例のようなことがおこり得るわけです。

よい状態(に思える、状態)は、長続きはしません。その状態が長期化すると、悪影響のほうが目立ってくるようになります。

改善のためには、まず、自分自身を立て直し、普段の良い波長の状態に戻していくことが大切です。そうすると、乱れたことにより発生した「冴え」は一時的に消えてしまうでしょうが、もともと、望ましい形での冴えではないのだから、割り切ることが大切です。

そこで、冴えに執着したり、または、自分に神が降りた、などと勘違いしてしまうと、ますます波長が下がり、元の状態に戻っていくにも一苦労、となりかねません。

霊感や直感は、自分の状態が整っているときにも冴えるけれども、下がっているときにも、一時的に冴えることがあります。そして、その状態は、決して、良いものではない(改善する必要がある)、という認識が大切です。

また、そのような現象がおこるのは、平均以上の強い霊感を持っている人に多いです。

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2011年7月26日 (火)

霊感や直感が冴えるとき。

私たちは人間は肉体を持った、霊的な存在なので、実は誰にでも霊感があります。強い弱いの差はあるけれども、それらの要素がまったくゼロの人はいません。

霊感の表れ方は幅広く、霊やオーラが見えるだけに限らず(一般には、そちらだけが霊感だと受け取られがちですが)、アイデアのひらめきや、危機回避的な予感、深い気付きや洞察などという形で、備わっている(広い意味での)霊感を、自然に活用しながら生活しているものです。

私たちは、霊ですから・・・、霊に霊感があり、霊感が活用されることは、当然とも言えますので、特に、そうしようと意識をしなくても、必要な時に、自然にそれらは使われていくものです。

そのような仕組みで、霊感というものは使われ、活かされているのですが、ときに、霊感や直感が、普段よりも格段に「冴える」時があります。

主に2つのケースがあり、ひとつは、「霊的存在、ガイドスピリットからの、働きかけや、後押しが強まっている場合」です。

つまり、ガイドスピリットが、何らかの必要性があって、いつもよりも、強い働きかけをして、霊感が活用されることを、手助けしているような場合です。

たとえば、霊感を使うことで、その人に、何か特定の行動をさせたい、とか、気付かせたいことがある場合に、直感や思考を通して伝えられる、という後押しです。

「冴える」ときの、もうひとつのケースは、「自分の波長が、高い状態に整っているとき」です。

自分自身が、受信機でもあり発信機でもありますので、高く整った波長を維持出来ているときには、受けとるための器が、キレイに磨かれていて、サイズも大きく準備され、たくさんのものを、受け止めることが可能となります。

私が、このブログで頻繁にお伝えしていることの中に、霊感のみを抜き出して伸ばすことはできないし、そういう好奇心を持ってもあまりいい作用をなさないので、自分を高めていくことが大切、という趣旨があります。

「霊感を伸ばしたい、スピリチュアルな能力を高めたい、そのためにどうすればいいか」とお考えになっている方が願っていることというのは、今回のケースでいえば、1つめの、「霊的世界や存在からの、後押し」を得るにはどうすれば?、ということだと思うのです。

けれど、それは、あちらの世界の方たちの価値観で(それは、私たち人間が、こうしたい、と思う欲とは比例するとは限りません)、必要のあるときに、後押しをする仕組みですから、私たち人間側の都合によるコントロールが及びにくい領域です。

一方、2つめの、自分の状態を整えていくことで、受けとる器を大きくすることで、直感や霊感を冴えたものにする方法ならば、自分の心がけ次第で、工夫したり努力したりすることは可能な領域です。 こちらのほうがずっと取り組みやすいですし、努力しただけ、効果につながっていきます。

そういう仕組みがあるので、「まずは、自分の器づくりを」という意味で、自分自身の向上がとても大切となってきます。

受け取る器が準備されていけば、自然に、霊的な後押しの働きかけも、大きくなっていくものです。

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2011年7月24日 (日)

まずは、「経験者」になること。

いろんなことに挑戦したい気持ちがありながら、上手くできるか心配だったり、周囲からどう見られるかが気になったり、取り掛かっても無駄になるのではないかという恐れがあったりして、なかなか行動に移せない方がいます。

そういう方たちに、まず考えていただきたいことは、「未経験者」から、「経験者」に変わるための、プロセスとして、新しいことに取り掛かってみる、という意識の仕方です。

うまくできるか不安だから取り掛かれない、というのは、逆に言えば「うまくできることが確定しているのならば、やりたい」ということです。

周囲からどう見られるかが気になってできない、のは、「周囲から尊敬や賛同が得られるのならば、やりたい」という気持ちでもあるでしょう。

そういう方たちは、結局、未経験者から→「経験者」になるというプロセスを飛ばして、いきなり、未経験者 → 「成功者」「熟練者」になろうとしていることに、気付く必要があります。

経験したことがある、ということと、それが得意であることは、別の次元の話です。もちろん、上手くできるに越したことはないけれど、そうなるためには、たくさんの経験を積み重ねることが必要で、一回目の挑戦で、素晴らしい成功につながるケースはほとんどありません。

まずは、未経験者から、(それを、高いレベルで行えるか否かはともかくとして)経験者になる、というステップを踏むことが大切です。

うまくできる、周囲から尊敬や賛同が得られるというような、成功者や熟練者になるためには、まずは、「それに、取り組んだことがある」という、「経験者」になることが第一歩です。

多くの「踏み出せない方」は、この点を混同しているように思います。

どんなことも、自分のペース以上に早く進むことはできません。必要なプロセスをスキップするというのは、基礎ができている人の応用編です。

経験者になってから、成功者や熟練者になるために向かっていく道のりのどこかでは、そのような応用もできるかもしれませんが、最初からそこを望むと、一歩目が踏み出せなくなります。

まずは、未経験者を脱して、どんな形でもいいので、「経験を積む」ことを目標として、一歩を踏み出してみてはどうでしょう。

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2011年7月23日 (土)

霊感や直感は、完全ではない。

私たち人間は、「肉体を持っているけれども、たましいは何度も生まれ変わりをしている、霊的な存在である」という前提の思想が、スピリチュアリズム、と呼ばれるものです。

私たちは、実は、霊でもあるので・・・、誰にでも、霊感と呼ばれる感覚を備えているものです。

見える、聞こえる、未知のものを把握できることが、一般に霊感だと思われていることが多いですが霊的な資質のあらわれ方はたくさんあります。直感とか、第六感と言われるものも、芸術的なセンスなども、広い意味でいえば霊感の表れ方のひとつである、ととらえることもできるでしょう 。

霊感は誰にでもありますが、備わり方には個人差があり、とても強い人もいえば、弱い人もいますし、また、そのあらわれ方も、精神的な成長により変化していくこともあります。

霊を見ることが霊感、と思われがちなので、その一点のみで、自分には霊感がある、ない、と判断してしまうことが多いですが、実際には、さまざまなあらわれ方をするものです。

自覚することが特にない場合でも、霊感がまったくゼロの人はいません。

私たちは、肉体をもっているけれども、霊的な存在でもあるので、誰にでも霊感があります。そのことを逆にとらえてみると、私たちは霊的な存在であるけれども、今は、肉体という制限を伴って生きていて・・・、発揮できる霊的な感覚にも、肉体を持つゆえの、制限が出てくるのです。

肉体の中に入ると、さまざまな霊的な感覚が遮られたり、鈍くなったりします。だからこそ、過去の人生で培った叡智を(表面上は)忘れて・・・、また、(表面上は)一から経験を積むために、肉体に入って生まれ変わっているわけです。

先に、「霊感は誰にでも備わっていて、ゼロの人はいない」と書きましたが、逆もまた同じで、ゼロの人がいないかわりに、100%全開になっている人もいません。肉体に入っていながら、霊的な性質をすべて全開にすることはできないようになっています。

つまり、ゼロでもなく、100でもない、その中間に、さまざまな個性があり、霊感の強弱の差がある、ということになります。

では実際のところ、霊感というのは、どのくらいの精度なのか、といえば、「相当に優秀な霊能者でも、霊感の確度は、60~70%程度」と、一般には言われています。(といっても、実際には、目には見えないですし形もないので、数値化するための判断は難しく、いろんな言われ方がありますが、完全はない、という点での認識は共通しています)

霊感や直感は、私たちに授かっている、素晴らしい要素の一つではありますが、受け止める直感等を、解釈するのは、肉体という制限をもつ私たち人間ですから、それだけに頼りきるのではなく、理性による分析や、現実的な状況との兼ね合いや、経験によりつくられた統計的なものなども、同じくらいに大切な要素なのです。

ゼロでもないかわりに、100になることもない、霊感や直感を、良い形で自分の人生に活かしていくためには、精度の不完全な数十%分を、自分の経験や知識をもとに行う分析や思考で、補っていくことが必要だと思います。

頭で考えすぎになるのは、ある意味、霊的な感覚や直感と言われるものを、遮ってしまうのは確かなのですが、かといって、思考を全否定し、霊感や直感があればそれでいい、何も分析もしなくていい、思考は不要、ということではありません。

どんなことも、「適度」がよく、「過度」「やりすぎ」になったら、バランスが悪くなります。

私たち人間がキャッチできる霊感や直感は、完全ではありません。それを分かった上で、バランスの良い受け止め方をしていきましょう。

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2011年7月22日 (金)

選択肢が多すぎるか、不足していると、選ぶのは難しくなる。

いくつかある選択肢の中から、どれを取り上げようか、どれが相応しいのか、と考えても、なかなか答えが絞り込めないことがあります。

そういうときには、「選択肢としてあげている項目が多すぎる」のではないか、という点を考えてみましょう。

お部屋の中にある品物が多すぎると、なかなか片付かないことからわかるように、数が多すぎることは、意識をあいまいにして集中したり絞り込んだりすることを難しくします。

選択肢が多すぎると理路整然とした考え方も難しくなることは、ものが多いお部屋を整然と片付けることが難しいのと同じなのです。

このことに当てはまると思う場合は、今よりも少し、選択肢を減らしてみることから始めるとよいでしょう。10個の選択肢があるなら、その選択肢を半分にして、枠組みを狭めてから最終的な選択をしてみてはどうでしょう。

どれも魅力的な選択で、10のうち半分を除くことなど難しい、と思えるとしても、そこから1つを選ぶことのほうが、その何倍も難しいわけで・・・、半分することができなければ、最終的に1つにすることもできません。

それぞれに素晴らしい要素があるとしても、そこをなんとか、自分の中で折り合いをつけていき、まずは、選択肢の範囲を狭くしていくことから考えてみましょう。

また、逆に、「選択肢が少なすぎて、選べない」、という場合もあります。多すぎるのではない場合は、少なすぎることが原因かもしれません。

そういうときは、極端な二択だけを考えているケースです。100かゼロか、やるかやらないか、のように、白と黒の中間の選択肢がない考え方もまた、どちらもリスクがありすぎて一つを選ぶのが難しい、という状況を作り上げてしまいます。

こちらに当てはまる場合というのは、なかなか、自分でそうなっていることに気づきにくいのですが・・・(自分では、選択肢を2つに絞りこんでいて、後は決断するだけ、と思ってしまうものなので)、白と黒の中間にあたる選択肢を、柔軟に見出していくことが大切となります。

他者の意見が、柔軟な考えをする助けになることもあるので、信頼できる方にアドバイスをいただくこともよいでしょう。

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2011年7月21日 (木)

嫌な態度や発言を繰り返す相手には、反論や対抗をするほうがいいのか?

わりとよくいただくご相談のひとつに、「一方的に嫌なことを言われて攻撃されたり、不愉快になる態度を取られたりすることがあるが、そういうときには、言い返すほうがいいのか、それとも我慢するほうがいいのか」というものがあります。

まず最初に理解していただきたいのは、スピリチュアルな観点から考えるということは、現象という結果だけにとらわれずに、全体を含めて、広く解釈していくことが大切ですので、どちらの選択を取るのが正解なのか、というような、○か×かをつけるような考えからは、ひとまず離れて、総合的に分析をしてみてください。

嫌な態度をされたり、いじめのような発言をされたり・・・、という経験は、誰にも、少なからず経験があると思います。

このような出来事があったときに、自分がどのような対応をすべきか、という問いに対する、たった一つの正解というものはありません。

ときに、言い返すほうがよい場合もあるでしょうし、そうしないほうがいい場合もあるでしょう。それは、ケースバイケースであり、一律の定義をつけることは難しいものだと思います。

たとえば、いくら一方的に言いがかりのような発言をされてしまったとしても、その相手が、勤めている会社の大得意先の社長だとしたら、我慢して、その場をなんとか収めていく必要もあるでしょうし、自分とは無関係な相手や、利害関係のない相手が、無理な要求をしてくる場合には、はっきりと、断ることも、難しくはないはずですので、我慢ぜずに反論することもできるでしょう。

いくら自分の主張をすることが大事、とはいっても、得意先に対して、自己主張をしすぎて相手の機嫌を損ねたら、大変なことになります。なぜなら、そういうときは、「会社という看板を背負って、会社の代表として」得意先に行っているのであり、そこに、個人的な不愉快さを持ちこみ感情的になったら、社内での信用も失ってしまうかもしれません。

そのように、自分がどのような態度をとるのがよいか、というのは、自分と相手との立場や関係性により、変わってくるものです

相手の態度に明らかに非がある場合でも、我慢しなければならないことや、我慢しておく方が無難、という関係は存在します。また、自分の立場を守るために、言い返すほうがベストの場合も、もちろんあるでしょう。

それらを、ケースバイケースで使い分けていくことが大切であり、すべてに一律、同じ対応を当てはめようとすると、トラブルを生むことになりかねません。

「言い返すほうがいいのか、それとも我慢するほうがいいのか」という、二択の考え方をしてしまう人の多くは、人間関係において「自分と、相手」という「間」に存在する問題、という視点が出来ていないのだと思います。

自分と相手の間にある「線」を意識せずに、自分が言われて、自分が不愉快で、自分がどう対応するのがいいのか、という、自分目線の「点」でとらえているために、どうしたらよいのか分からなくなってしまうのだと思います。

つまり、相手との関係性という、相手ありきの考え方が苦手な人が、このような悩みを抱くことになります。

相手ありきの関係というものを理解している人は、「あいつの嫌みな態度がムカツク」などという怒りを持つことはあっても(笑)、自分の対応をどうするかという悩みを抱えたりはしません。その出来事に対して、不満を持つことと、悩んでしまうことは、同じではありませんからね。

つまり「言い返すべきか、我慢すべきか」という点よりも、「相手との関係性や、距離感を理解した人間関係をつくるというのは、どういうことなのか」、という点を考え、工夫していくほうが、解決や改善に近付いていくことになります。

そのような分析により、少なくとも、自分自身の割り切りや納得が、得られていきますので、受け止め方が変わります。そうすると、自分の発する波長が変化するので、少しずつですが、相手の態度も、変わっていくことがありますし、また、担当替えなどにより、そういう相手とは、縁が薄れていくこともあります。

誰に対しても、一律同じ対応をする方法が、必ずしも有効だとは限らないのです。その方が公平な感じがするかもしれませんが・・・、お互いの立場というものを考慮しなければならない社会の場では、一律同じ方法では、対応しきれない場面が必ず出てきます。

相手により使い分けていくことが、スムーズな関係を作っていく上で、求められている機転の一つである、というふうな、受け止め方をしていくとよいでしょう。

相手により差をつける、と考えてしまうと(公平さを重んじる人には)苦しくなるので、機転を利かして、より良い対応を使い分けていく、と考えてみてください。

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2011年7月20日 (水)

オーラの位置が、肉体からズレて、隙間ができてしまうと、どんなことがおこるのか。

私たちの肉体をとりまくように、オーラというスピリチュアルなエネルギーが存在しています。通常、肉体と重なり合っていますが、強いストレスや、疲労、その他の要因で、オーラの位置が肉体からズレてしまうことがあります。

オーラが肉体から大きくずれると、その隙間に、いろんなネガティブなエネルギーが入り込みやすくなり、影響されたり、憑依がおこったりすることもあります。

また、オーラがずれることで、本来、肉体のほうに巡るはずのエネルギーもうまく流れなくなり滞るので、全般的に、体調が優れなくなることもあります。

オーラが大きくズレる現象は、心身が充実していれば、そう頻繁に起こることではありません。何かしら、不調和に繋がるような原因があるからこそズレるのですから、その時点で、平常時よりも、かなり波長が下がっている状態である、と言えます。

そうすると、同じものを引き寄せるという、波長の法則により、低いエネルギーと馴染みやすくなりますから、いろんな低いエネルギーや、さまざまな未浄化霊等の干渉なども受けたりして、気持ちが落ち着かなくなったり、悲観的になったり、怒りが大きくなったりします。そうなると、憑依も起こりやすくなります。

そのような感情の揺れ動く幅が大きくなるので、精神的にも消耗しますし、肉体にもうまくエネルギーがめぐらないので、ますます疲れやすくなり、なかなか、コンディションを整えることができなくなり、さらに影響を受けやすくなる・・・、という悪循環にもなります。

その状態を改善するための心がけとして、オーラのバランスを乱すような、刺激のあるものから距離を置き、規則正しい生活をするようにして、心と体の健康を意識することが大切です。

具体的には、過剰な飲酒、繁華街などに頻繁に出入りすることを、しばらく控え、睡眠をしっかり取ることを心がけましょう。休息をとり、睡眠が十分とれると、その日の疲れからくるオーラのバランスを、元の状態に戻していくことができます。

さらに、入浴も大切です。シャワーだけですませずに、きちんと湯船につかりましょう。エネルギーとの親和性が高い、水につかる、という行為により、不要なエネルギーが抜けていく作用が大きいことと、体が温まることで緩んでいき、それにつれてオーラも緩むので、やはり、不要なエネルギーが、自分から離れていきやすい状態を作っていくことができるからです。

これらは、オーラのバランスが崩れている人だけでなく、普段から、良いコンディションを保つためにも効果的です。

バランスをくずさないことで、影響されにくくなる効果もありますので、どんな方にも有効な日常の心がけのひとつです。

そして、強いストレスを抱えている状況に置かれているならば、できることなら、その要素を改善していくことも、合わせて考えていくとよいでしょう。

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2011年7月19日 (火)

オーラの位置が、肉体からズレやすい人がいます。

私たちの肉体をとりまくように、オーラというスピリチュアルなエネルギーが存在しています。通常、肉体と重なり合っていますが、オーラの状態が不安定で、容易に肉体からズレてしまうタイプの人がいます。

オーラが、本来の位置である肉体から、ほんの少しずれてしまうことは誰にでもあり、疲れがたまっているときや、体調不良のときなどは、そのような現象がみられることもあります。

けれど、 体力や精神面が整って回復していくことで、オーラの位置も、自然に元の状態に戻っていきますので、あまり気にしなくても大丈夫です。

このようなことは、心身に不調和があったり、ストレスを抱えたりすすれば、日常誰にでも起こり得るのですが、中には、特に、その状態を誘発する(強いストレス等の)原因がなくても、普段から、オーラの位置がとてもずれやすいタイプの人がいます。

例えていえば、軽い幽体離脱・・・とまではいきませんけれど、それに近い状態になり、肉体から、オーラがずれやすいという、不安定さを持っている人もいるのです。

オーラの位置が、肉体から大きくずれると、その隙間に、いろんなネガティブなエネルギーが入り込む可能性もあり、とても影響されやすくなりますし、憑依も起こりやすくなります。

オーラがずれる、というのは、心と体が充実していれば、そうそう頻繁に起こることではないのですが、(多少のずれは、日常よくあることなので気にする必要はありません)、普段から、何もなくても、オーラがずれやすいタイプの人は、日常のライフスタイルから改善を心がけていき、ズレを招くような習慣を避けるなどして、ケアをしていくことが大切です。

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2011年7月18日 (月)

まいた種が、未来に必ず花開く ~カルマの法則~。

「カルマの法則」とは、自分のしたことが、いつか必ず、何かの形で自分に返ってくるという真理の仕組みです。

自分が関係していないことが、無作為に降りかかったように思えても、突然、ラッキーとしかいいようのないことが偶然に舞い込んだように思えても、それらはすべて、自分がまいた種が実ったために起こった出来事です。

カルマというのは、特定の出来事だけをさすのではなく、すべての行為の積み重ねをさします。そのすべてが、複雑に絡み合い、結果を伴って展開する仕組みが、カルマの法則です。

けれど、私たちは、日常、ひとつひとつの個別の行動を、これはカルマだ、とは意識しませんよね(もちろん、それでかまいません。考えすぎもよくないので)。

そのため、種をまいたという自覚がないので、それに対応する出来事が起こったときに、あるとき突然、花が咲いたかのように感じられて、驚いたり喜んだりしてしまいますが、まかない種が成長することはありません。

どんな出来事も、すべては、自分が積み重ねた行為の結果です。けれど、その原因となることと、結果となる出来事の関連が、私たちにはよくわからないので、突然おこる出来事のように思えてしまうだけなのです。

その仕組みを現実に例えるならば、実は、コツコツと積立をした貯金がいつの間にか満期になっていたのを忘れて、ラッキー!と喜んでいるようなものでもあり、過去に埋めておいたタイムカプセルの存在を忘れていて、あるとき自分が掘り起こして、「こんなものがあった!」と、びっくりしているようなもの、かもしれません( ̄m ̄;)。

すべて、自分がしたことが、自分に返ってくる仕組み、まいた種が花咲く仕組みなのですが、この物質次元の種まきと違うのは、「いつ、どんな形で花がさくのかまでは、あらかじめ想定することができにくい」という点です。

この世の物質的な種まきならば、バラの種をまけばバラの花が咲き、ヒマワリの種をまけばヒマワリが咲きます。種をまいた、その場所に、花がさきます。花が咲く時期も、だいたい予想をすることができますし、調整することもできます。

けれど、カルマの仕組みの要素である、「カルマ」というものは、行為の積み重ねなので、きまった物質的形状もなく、目でみることもできませんので、バラやヒマワリのような決まった形状という結果にとらわれない、あらゆる出来事の形態をともなった結果に結びつきます。

そのため、肉体をもって、物質社会に生きている私たち人間にとっては、なかなか、この作用を理解することが難しいのですが・・・、しかし、「まいた種が、花開く」という仕組みそのものは、同じです。

この世の物質次元では、たとえば、畑にまいた種の成長は、隣町に引っ越してしまえば、見ることができませんが、カルマというのは、それぞれの「たましい」の領域で作用しますので、何度引っ越そうと、環境を変えようと、どれほどに物理的な距離が(種をまいた時点から)遠くなった場所で生活していても、必ず、その人にとって一番ふさわしいタイミングで花が咲く仕組みになっています。

とても不思議な仕組みですが・・・、しかし、物理的な環境に左右され、例外が発生するような仕組みではないからこそ、私たちは、この「絶対の法則」である、スピリチュアルな仕組みを、人生の指針とすることができるのです。

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2011年7月17日 (日)

他人から誤解され、違う印象をもたれる点を改善するには。

人というのは、多面体のようなもので、誰もが、さまざまな個性や特徴を持っている、複雑な存在です。

このことは、オーラを通してもよくわかります。オーラの色はとても精妙で複雑な放ち方をしているものであり、単一の色のみ、ということはありません。メインとなる色でも、2~3色程度は備わっているのが普通で、もっと多い人もいます。そして、それぞれの色の表れ方も、濃淡もあれば、明度の差もあります。

言葉でそれらを表現することはとても困難だと感じるくらいの、複雑さを、誰もが、独自の個性として備えているのです。

そういう複雑な存在ですから・・・、どれほどに親しい間柄でも、すべてを把握することなどできるはずもなく、自分のごく一部でしかないことを、まるでそれがすべてであるかのような、拡大解釈がなされてしまうこともあります。

お互いに、そのような自己流の解釈を相手にあてはめているとはいえ、あまりに、自分とかけ離れた印象をもたれてしまうのは、精神的につらい気持ちになりますし、また、お付き合いの上でも、やりにくいこともあるでしょうから、改善を心掛けていくことも大切だと思います。

人との交流というのは、直接の言葉や態度だけでなく、「雰囲気」というアンテナで相手のことを、感じ取ることもあります。

その場合は、いくつもある要素の中でも「目立つ要素」が、強く感じられるものだと思います。

たとえば、「真っ赤な紙」と「淡いピンク色の紙」の2枚を示されたときに、どちらに強い印象を抱くかを考えてみてください。一般的には、真っ赤な紙のほうが目立って感じられるでしょう。

人は「自分が、分かりやすいもの」を、強く感じる傾向があるので、たとえば、この2色の紙を持っている人のことを、「真っ赤な紙を持っている、あの人」という受け止め方に、なってしまい、もう一方はあまり印象に残らないこともあると思います。

人は、多面体のような、精妙で複雑さを持った存在なので、たくさんの要素を備えています。紙に例えるならば、「真っ赤な紙」と「淡いピンクの紙」と「青い紙」と、「黄色の紙」を、和紙だったり画用紙だったり包装紙だったり、と、あらゆる形態で備えているようなものです。

けれど、相手に伝わるのは、そのうちの、一つか二つくらいであることが多く、すべてが伝わるわけではありません。通常は、目立つ要素だけが、強く伝わってしまいやすいのです。

たとえば、自分には、強さもやさしさも備わっているのに、他人からは、強い部分だけが伝わってしまっているようで、そのように他人から指摘されてしまう、という場合は、「特定の人だけから、指摘される」のか、それとも「多くの人から、同様に指摘される」のかを、考えてみる必要があります。

前者であれば、たまたま、その人だけが誤解している、ということも考えられますので、この点の判断は注意が必要です。けれど、多くの人から、同様の誤解をされるのであれば、それは、「少なくとも、他人から見て、そう感じるのだな」ということを、受け止めていく必要があります。

そして、自分に備わっているのに、伝わっていないと思われるやさしさを、分かってほしい、感じ取ってほしいと思うのであれば、「意図的に」そういう部分が「相手に伝わるような、態度や言動を心がけていく」という努力をすることが大切です。

備えているものを、「発揮」してこそ、相手に分かりやすく伝わっていくようになります。

具体的にどのような言動をすれば、それが伝わっていくのか、それは、自分と周囲の人との関係を分析していきながら、作り上げ、つかみ取っていくものだと思います。

どうするのが効果的か、考えながら、行動してみましょう。その工夫が通じているか否かは、周囲の人たちのあなたに対する態度が、答えを教えてくれるでしょう。

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2011年7月15日 (金)

オーラに、「念力の強さ」は、どのようにあらわれるのか。

私たち人間には、想念という「思いの力」が備わっています。これらは、体を動かして行動することや、口から言葉を発することと同じように、「エネルギーとしての作用」を持ちます。

頭の中で思うだけならば、何の影響もないはず、と思ってしまいがちなのですが、思いもエネルギーの一種ですので、行動や発言と同じように、作用があります。

目に見える形や、コミュニケーションという形態として認識しにくいので、この点は、行動や発言ほど意識が向きにくいですが、「想念」というのは、きっと、多くの人たちが思っている以上の力を持つものだと言えるでしょう。

思う力の強さ、想念を生み出す力の強さには、個人差があります。誰にでも備わっているけれども、強弱という差がある、という点は、霊感の解釈と似ているところがあるとも感じます。

このような、想念の強さは、オーラの発する「勢いの強さ」として、表れます。さらには、オーラの大きさとも関係してきます。

一般に、(想念の力は、誰にでもある、という前提で)平均以上の「想念の力」を備えている人は、サイズが大きめで、勢いの強いオーラをしている、という、両方の要素を備えていることが多いです。

あえて、この二つのうちの、どちらの要素が、より深く関連しているかといえば、「発する勢いの強さ」のほうとなります。

中には、平均以上、というくくりを超えて、非常に強い念の力を、備えている人もいます。

そちらに該当する人は、オーラのサイズも大きく、発する勢いも強いのはもちろんのこと、さらに、顔の上部、「額の付近のオーラ」が、さらに強く放たれているような感じです。

こういうタイプの人は、額のあたりと位置が近い、目の印象と関連づけられるためでしょうか、一般に、「目ヂカラがある」という印象になることもあるようです。

(しかしこれは、あくまで、そういう印象に繋がることもある、という一つの例であり、目の印象と念力が、必ず関連するとは限りません)

オーラの大きさと、勢いの強さは、多くのケースで、連動していることが多いので、平均以上の強さであることを計るためには、この2つの要素から総合的に把握することができます(あえてひとつ上げるとするならば、勢いの強さという要素です)。

さらに、「平均以上」というレベルを超えて、とても強い念の力を備えている方は、額の付近のオーラが、どのくらい集まっているか、という点から判断することができます。

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2011年7月14日 (木)

スピリチュアリズムの基礎知識は、より深い理解と解釈への助けとなる。

このブログでは、「日常生活で実践できる、スピリチュアルな考え方」も書いていますし、「日常にはあまり関係がない、知識としてのスピリチュアリズム」も書いています。

例えば、「否定的な思考を生み出し続けると、自分の波長が下がる」ことは、日常に活かしていける事柄だと思います。

しかし、「その人が抱えている、否定的感情が、オーラの様子として、どのように表れるか」というのは、知識を得ても、「なるほど、そうなのか」とは思うとしても、現実的に、活用はしにくい要素です。

ご覧いただいている皆様にとって、後者のほうは、あまり重要ではない、前者のほうをたくさん知りたい、というお気持ちのほうが、もしかしたら多いのかもしれません( ̄∀ ̄;)。

けれど、知識をつけることにより、全般的なスピリチュアリズムへの理解が底上げされ、そうなると、日常への応用も、自分の感性で、さまざまな解釈やひらめきがえられるようになりますので、どちらも同じように大切なのです。

ひらめきや、直感と呼ばれるものは、一方的に、与えられるものであり、知識が要らないもののように思えるかもしれませんが、しかし、直感を「受け取る」のは自分であり、「解釈する」のも、自分です。

受け取るための器をひろげるには、知識での学びも有効です。知っていることが増えると、知覚できる範囲も、比例して増えていくものです。そして、そのことをどう当てはめて解釈するか、というのは、知識がないと難しいものです。

おおよその知識があると、「だいたい、こんな感じだろう」という予測ができますが、何もない状態では、曲解や拡大解釈につながることもあるでしょう。

例えば、地面に立って、十段ある階段を見上げると、まるで空まで続くような無限の階段に思えてしまうこともあります。

しかし、自分で一段、二段くらいまで登ってみると、最後の十段の様子が分からなくても、「とにかく、空までは続いていないらしい」ことが、認識できるようになります。

さらに、五段、六段くらいまで登っていければ、その上の段階が、今までの経験を踏まえて、「だいたい、こんな感じだろうな」と、想像力で予想がついていきます。

そうすると、十段のすべてを知らなくても、「あり得ること」と、「あり得そうもないこと」の区別もつきますし、結局大切なのは自力である、という結論にたどり着くこともできるようになります。

階段をまったく上っていない状態で、つまり、基礎が何もないまま、想像力で予想しようとしても、難しいものですよね。

そのため、ここでは、基礎の一段目、二段目を昇っていくための参考資料となるように、あまり日常生活に関係が深くないことも含めて、書いています。

階段を上ること、というのは、経験を通して身につけていくことなのですが知識をつけることが底上げの役割を果たし、進度をスムーズにしてくれる作用があるのです。

英語をまったく知ずに、英会話を聞いても、何が何だか分かりませんが、少しでも単語を知っていれば、会話のすべてを聞き取れなくても、自分の聞き取れた単語から、それ以外の要素を穴埋めのように想像して理解することができたりします。

それと同じで、スピリチュアリズムについても、基礎知識を持っていると、日常生活での経験を照らし合わせた予測的解釈が可能となり、応用力も高まっていくものなのです。

知識と、それに伴う経験とを掛け合わせることで、活用できる「知恵」となっていきます。

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2011年7月12日 (火)

相手を、変えることはできない。

人間関係というのは、お互いに無意識レベルでも影響を与えあっていますので、どちらか一方が変化すれば、それにつれて、もう一方も、変化していくことがあります。

「自分を変えることはできるけれど、相手を変えることはできない」というのは、良く目にするフレーズです。けれど、自分が変化することで、親しい関係の人が、変わっていくことはあると思います。

人間関係というのは、オーラの交流でもあるので、無意識レベルのオーラの感応により、相手にも影響していく、という、間接的な作用があります。

しかし、それはとても緩やかな作用でしかなく・・・、相手が、どこまで影響されるか、というのはわからない以上、「できる」「できない」という表現のどちらにしても、微妙なところかもしれません。

間接的に相手が影響されていく、という意味での、緩やかな変化はあるかもしれませんが、自分が変わることでの相手への影響はダイレクトではないので、相手を大きく変えることは難しいものであることを理解しておくことが大切です。

相手の変化を期待しすぎると、自分にストレスを作り出すことにもなってしまいます。

自分にも、「相手に、もっとこうなってほしい」という意向があるように、相手の人にも、その人独自の意向があります。それぞれ、別の個性を持っている存在なのだから、考え方にも行動の仕方にも、違いがあります。

その点を踏まえた上で、相手に、より成長してほしいという愛の気持ちから、まずは自分が変わっていくこと、向上していくことを心がけ、自分が与える相手への影響がいくらかの後押しとなってくれたらいい、というくらいが、大人同士の対等な関係における、干渉の限界ではないでしょうか。

それ以上を期待すると、相手にもプレッシャーを与え、自分もストレスを抱えてしまいますので、お互いの良い関係を維持するためにも、過剰な期待を抱かずに、お互いの独自性を認め合うことも大切だと思います。

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2011年7月10日 (日)

掛ける時間や労力を、形に繋げていく。

この世で起こることは、すべて意味のある必然で、無駄な経験が、無作為に降りかかることはありません。

また、自分が意図的に起こす行動についても、たとえ、目指すような成果に直結しない経験であっても、積み重ねたことや費やした労力が無駄になることはなく、何らかの意味で、必ず自分のためになり、自分の器を育てていく糧となります。

けれど、無駄な経験はない、とはいえ、労力をかけただけの、活かされ方をしていない場合は、力の掛け具合や、目的となることを、見直していく必要はあると思います。

この世には、時間というものがあり、どんな経験も、「広い意味では、自分のためになる」ことは確かですが、物理的な時間や労力は、消費されていくのですから、その点との兼ね合いも、考えていくことが大切です。

若いうち、10代や、20代くらいまでは、あまり深く考えずに、いろんな経験をしていくことでいいと思うのです。社会経験のない状態で、いろいろ深く考えろと言ってもそれは無理で・・・、後で振り返ったときに初めて分かるものなので、若さで、突っ走っていくのも、必要な経験の一つでもあると思います。

しかし、30代以上になったら、そろそろ、自分がどんなことなら成果に繋がりやすく、どんなことが苦手なのか、過去の経験則から、おおよその見当がつくようになるはずですので、「費やした労力や時間を、何らかの形につなげていく」ことを、意識しながら、行動を考えていくことも大切ではないでしょうか。

広い意味では何らかの形で自分の役に立つ、とはいえ、「少なくとも、無駄にはならない」のと、「大いに、有効活用ができる」のは、開きがあると思うのです。

後者に繋がるような、時間と労力の注ぎ方を、考えてみてはどうでしょうか。

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2011年7月 9日 (土)

一時保留することが、最善の選択肢という場合もある。

ある事柄に関する解決策を、あらゆる角度から検討しても、方法が思い浮かばない場合には、「とりあえず、棚上げ」しておくことも、有効だと思います。

解決方法の発見は、考える時間の長さや自分の意識の深刻度とは、必ずしも比例してくれません。

考えることは、大切ですが、「深く思考する」ことと、「深刻に悩み続ける」ことは、同じではありません。悩み続けて、時間と精神を消耗し続けるよりは、一度、考えることから離れてみる、という選択肢もアリだと思います。

何も考えない、努力もしないで、奇跡のタナボタを期待しなさい、ということではありません。きちんと考えた末、現時点でこれといってよい方法が浮かばないときには、しばらく時間をおいて、解決にふさわしい時期を待ちましょう、という意味です。

ひとつのことにとらわれていると、自分で思うよりもずっと視野が狭くなっています。一呼吸おいて心の状態を広げていくほうが、よい考えがひらめく場合もあります。

深く考えた末、現時点でよい方法がないと思う場合に、とりあえず保留しておくことは、前に進むための知恵であり、怠惰ではありません。

「とりあえず今は動かない」という選択が、現時点では最善、ということもあります。この点は、過ぎてみて、後になって気づくことなので、保留するという決断には勇気がいるかもしれませんが、「保留という選択肢が、現時点での最善というケースもある」ことを、頭の中にいれておくとよいでしょう。

とにかく、何でも焦って答えを出すだけが、前向きとは言い切れませんので、タイミングも含めてベストの判断をするために、いろんな選択肢があっていいのです。

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2011年7月 8日 (金)

生まれ変わり(前世)の「回数」と、たましいの成熟度は、必ずしも比例しない。

江原さんの書籍等を読むと、「物質的価値観」という言葉が頻繁に出てきますよね。これは、現世的な尺度で、損か得か、○か×かのような定義をつけて、本来、そのように明確に割り切れないものまでを、まるで「物質を扱うかのように」とらえてしまうことや、この世だけの尺度である、肩がきや役職や・・・、お金や品物をたくさん持っていることに価値がある、というような、物質的価値、現世的基準が最優先してしまう、とらえ方のことです。

私たちは、この世という、物質社会で生きているので、どうしても、ある程度、物質的に傾いてしまうことはしょうがないのですが・・・、私たちの本質は、「霊」なので、霊的な価値観も大切にしながら、この世での経験から、さまざまに学ぶことが大切です。

物質の基準に馴染んで生活しているため、スピリチュアリズムを理解しようとする際にも、「物質界の基準」を当てはめて、その基準に沿った受け止め方で解釈したくなり・・・、明確な「数値の基準」で、目に見えないことを計ろうとしてしまう方が少なくありません。

そのように考えてしまう気持ちは、分からないではありません。数値というのは、比較が容易です。比較というのは、この世独自の、理解しやすい方法のひとつですから、そのために数値がほしくなるのだと思います。

けれど、スピリチュアリズムというのは、霊的な価値観を、感性で理解していくものであり、数値では計れないものです。

その前提で、前世の回数と、たましいの成熟度が比例しない(回数などの、数値だけにこだわるのは、正しい理解になっていない)ことを、書いてみたいと思います。

たましいの成熟度というのは、生まれ変わりの「回数」という数値の基準だけでは、計ることはできません。

生まれ変わりが5回の人は、3回の人よりも、精神が成熟しているか、といえば、そうとも限らないのです。

回数が多くても、短命な人生ばかりを経験している人は、中年以降の人生や、大人としての人生の経験が少ないので・・・、(今回の人生でも)人生の前半はよいのだけれど、後半になると、とたんに(未知のことにたくさん遭遇するので)迷いが多くなり、何を目的に生きたらよいのか分からない、という悩みを抱えることもあります。

または、たとえば修道院など、限られた環境に生まれることが多かったたましいは、世の中の俗っぽいことから離れているために、「純粋だけれども、世間知らず」になってしまうこともあります。

回数が多い人は、それだけ経験値が増えていき、たましいも成熟していきそう・・・に思えますが、しかし、上記の例からもわかるように、回数だけでは、計れません。

また、上記の例のように、短命ばかりの人生でも、そこで深く学びや気づきを得て、たましいが成長していくことももちろんあります。

人生の長さが大切なのではなく、そこで、たましいが、何を得たか、ということが基準です。人生が長い、短い、80年だ、50年だ、というのもまた、年令という数値の基準にすぎません。

私たちが、この世という物質社会において、スピリチュアリズムを理解するのは、とても難しいことなので、数値に置き換えて解釈することが必要な場合や、そのほうがわかりやすい場合もあるとは思います。

また、一般には、やはり、生まれ変わりの回数が多い人は、平均して、それなりの経験を積み、成熟している場合が多いものなので、「回数が多い=成熟度も高い」という図式での理解が、間違っているわけでもないですし、そのような理解が悪いわけでもありません。

けれど、数値基準というのは、あくまで、理解のための、初歩的なサポートに過ぎず、「本来は、数値だけでは、とらえられないもの」であることを、分かった上で、便宜上、参考にしていくくらいがちょうどよいのです。

この点だけにこだわると、本来、見るべきところから、どんどん視点がずれていき・・・、正しい理解ができなくなります。

さらには、「前世」にとらわれすぎるのもまた、今回の人生を生きる私たちにとって、必要な学びが進まず、過去にエネルギーを注ぎ続けることにもなりますので、その点も、注意が必要だと思います。

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2011年7月 6日 (水)

頼られることが負担でありながらも、頼られることを求めている。

人から常に頼られ、アテにされていることが負担で苦しい、この状態を改善したい、と思いながらも、ついつい、過剰なまでに、他人の面倒を見てしまうタイプの人がいます。

負担でありながらも、自分の意に反してそうなっているのではなく、自分から望んで、頼られる状況に身を置いてしまう、手を貸してしまう、という行動を繰り返します。

自分の存在意義や存在価値を信じきれない人や、他人が自分から離れていってしまい孤独になるのではないか、という恐れを持っている人は、「誰かに頼られることで、自分が必要とされる存在であることを実感して、安心したい」と思う気持ちから、つい、手を出す機会が多くなりがちです。

人のためにやっているようで、心の底では、自分自身を確かめたい、とか、安心したい、という気持ちがあるので、この点に、矛盾が存在します。

出発点に矛盾があるわけですから・・・、当然のことながら、結果や、それに対する自分の受け止め方にも矛盾が出てきます。

それが、「頼られることが、負担」だと思いながらも、「頼られてアテにされる立ち位置を、自分が作り上げてしまう」という、相反する状況を生んでしまうことになるわけです。

本人的には、「頼られてしまう」ことが問題点だと思っていることが多いのですが、原因となっているのは、自分が自分を信じ切れていないとか、孤独を恐れていることが、その過剰なまでの相手への気遣いに繋がっているのですから、この点の認識を間違えないことが大切です。

人から頼られるという行為を通さなくても、自分で自分を信じることもできますし、安心することもできます。この点が、取り組むべき課題であり、「頼られてしまう状況」という見せかけの理由に、まどわされないように注意しましょう。

ここを取り違えると、頼ってくる相手が悪い、相手をどうにかして変えなければ、という認識になり、本当にみるべき点が見えなくなります。

その状況は、自分が作っているのだ、ということに、気付くことができれば、ゆっくりとでも改善し、成長していくことができるでしょう。

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2011年7月 5日 (火)

オーラは変化する?

オーラの様子は、その人自身の反映、とも言えます。オーラには、実にさまざまなことがあらわれます。特に、頭の付近のオーラには、心理状態、性格、霊性などがあらわれていきます。

オーラは、その人の反映ですから、心の状態が一定の人がいない以上、オーラも一定ではなく、常に変化していきます。その中でも、どちらかといえば、変化しにくい部分と、変化しやすい部分、というものがあります。

一般に、性格や考え方などは、一生を通じて、それほど大きく変化しない部分だと思います。もちろん、精神的な成長があれば、変化はするでしょうけれど・・・、たとえば、一日ごとに、性格が違ったりはしませんよね。今日、大らかでこだわりのない人が、明日には緻密で繊細な人になる、ということは、まずありません。

そのため、「性格」や「霊性」を表すオーラについては、その様子、色などの変化も、大きくはない、と言えるでしょう。成長に従い、ゆっくりとは変化していく部分です。

一方、体調や感情などの、その時の「状態」を表すオーラは、その都度、変化していきます。

たとえば、今日、不愉快でイライラしていていも、明日には穏やかな気持ちになっていることもありますし、今、とても緊張していても、1時間後には、緊張が薄れていることもあります。感情等を反映するオーラは、変化が大きい部分です。

まとめると、オーラの様子とは、固定されているものではなく、常に変化しています。しかし、その中でも、変化の度合いが小さい部分と、大きい部分がある、ということになります。

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2011年7月 2日 (土)

オーラの、大きさと、勢いの強さと、明るさは、別の要素。

オーラの仕組みについて、「オーラが大きいことと、勢いが強いことと、明るいことなどの要素は、それぞれ違うことを指しているのか?同じことではないのか?」というご質問をいただくことがあります。

これは、実際の「物」に置き換えてみると、分かりやすいと思いますので、「川」にたとえてみます。

川の幅が広いことと、その川の水の流れが速いことや、水量が多いこと、水が澄んでいることは、それぞれ別の要素です。川の幅(サイズ)と、水の流れに速さ(勢い)は、必ずしも比例はしませんよね。それと同じで、オーラの大きさや、強さ、明るさなども、それぞれ別の意味するところがありますので、比例はしないこともあります。

「オーラが大きいけれど、勢いが弱い人」もいますし、「オーラの勢いは強いけれども、くすんでいて明るさがない状態」になっていることもあります。

目に見える形を伴っているものではないので、イメージがするのが難しいかもしれませんが、形や様子をありありと思い描いて理解しようとするよりも、全体的な雰囲気を、「感性」で受け止めてみてください。

風や光の様子に置き換えていくのも、わかりやすいかもしれません。

オーラが、たとえば風のような勢いを伴う光のようなもの、だと考えると、「サイズの大きい光が、とても明るく、風のように強い勢いで自分から放射しているかのようなイメージ」を持ってみると、それぞれが、別の要素をさす表現であることが、わかるのではないでしょうか。

・・・それとも、説明が複雑になりすぎて?、余計に分かりにくくなってしまったでしょうか( ̄m ̄;)。

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2011年7月 1日 (金)

霊視や透視ができると、自分自身の波長の低下が把握できるか?

「霊的な視覚力を磨いて、自分のオーラのくすみが見れるようになりたいが、そういうことは可能か?」というご相談をいただくことがあります。

自分で、オーラがくすんでいることや、波長が下がっていることが把握できれば、その都度、改善することができる、というお考えをお持ちの方は、少なくないようで、この手のご相談も、しばしばいただくのです。

結論から言うと、・・・霊視や透視ができても、自分のオーラや波長を客観視するのは、難しいでしょうね。少しは、分かるけれども・・・、そんなにはっきりとは、自分のことは分からないと思います。

そうできたら便利、というお気持ちは、理解できるのですが・・・、自分を把握する、というのは、どんな形であれ、本当に難しいものです。

けれど、まったく不可能ということではなくて、少しは、視覚を通して、分かることもあると思います。

しかし、霊的な感性が鋭い人は、見える、見えない、という段階の前に、すでに自分の波長の高低が、ある程度、客観視できるだけの分析力も備わっているので・・・、あえて、自分を透視する、とかの手順を踏まなくても、なんとなく判断がつくものではないでしょうか。

仮に、自分のオーラのくすみが見えたとしても、それは、「あら?今日の私は、くすんでいる?」とはならず、「あ、やっぱり、この位置が少しくすんでいるのね」という、既に自覚していることを、視覚を通して再認識する、という程度でしかないと思われます。

そのくらいのレベルが目的ならば別ですが、毎日自分のオーラをチェックしてなんたら・・・、という形式を想定してのことならば、(透視力を磨いても)それは難しい、ほぼ不可能、と言っていいでしょう。

透視ができても、自分のオーラや波長は客観視しにくい、という、分かりやすい事例をあげてみます。

霊能力がある人が、だんだんと高慢な態度になり、自分はすごいとか、特別である、という思いあがりの気持ちが出てきて、波長が下がっていく、というような話を、見聞きすることが、あると思います。

そのケースを、想像してみればわかるはずです。

霊能力者は、見えているのだから、自分で自分を見ることができるのならば、「あ、自分は、波長が下がっているな」とか、「この状態のオーラになっている、ということは、未浄化霊に憑依されている」と、分かることができて、自分を立て直すこともできるのではないでしょうか。

けれど、現実には、それができないからこそ、気付かずに、波長を下げてしまうのであり・・・、上記のようなケースがある、という事実が、「霊能力のみで、自分を客観視できるものではない」ことを、証明していると思います。

何かが見えるのと、それがどういうものであるか見分けることは違いますし、また、霊視・透視的な、視覚力が広がっていても、何でもわかるわけではなく、特に、自分自身のことは、分かりにくいものです。

自分のことというのは、霊能力があるなしにかかわらず、理性で分析するしかないですね。・・・というか、理性で分析できるようになっていくと、広い意味での感性が磨かれていき、その先に、(必要があれば)霊的な視覚が伸びていく、という順番になっていると思います。

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