« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月の22件の記事

2011年6月30日 (木)

自分自身のエネルギーを満たす。

ネガティブに考えないほうがいい、ポジティブに考えるほうがいい、と、分かっていても、つい、悪い方に考えては、心配になり落ち込んでしまうことがありますよね。

特定の悩みや心配事があって、そのために考え込み落ち込んでしまう場合は別ですが、これといって理由もなく、普段は明るい性格なのに、なぜかネガティブに考えてしまう自分が止められないという場合は、「自分自身が、エネルギー不足」になっているため、かもしれません。

活力が不足しているときには、普段と同じことをするにも、いつもよりも疲れます。そのため、思考もポジティブになれないのです。なぜなら、ポジティブに考える行為というのは、結構、エネルギーを使うことだからです。

「自分が、なぜ、このような状態になってしまうだろう」と、特定の原因を探したくなりますが、・・・そして中には、何か霊がとりついているのではないか、などと気にしてしまう方もいますが、あまり原因を考えすぎても、存在しない改善点をわざわざ作りだすことになりますので、注意が必要です。

このような場合は、エネルギー不足を解消すればいいのだから、「自分を満たす」ための行動をとればいいわけです。

体力を回復するために、ゆっくり休むのもいいでしょう(これが、一番効果的だと思います)。好きな趣味に打ち込んで、楽しい気持ちになることも有効です。

そうして、自分という器に、新たな活力を注いでいく、もしくは、消耗をしないようにゆっくり休む行動をとると、器が満たされていき、活力不足からくる悲観的な思考からは抜け出すことができるでしょう。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年6月27日 (月)

ハードルを高くしすぎると、可能性を限定してしまいます。

真面目な性格の人で、高い理想に向かっていくタイプの方は、自分に課すハードルも高くしすぎてしまうことがあります。

目的を持って取り組んでいく姿勢は素晴らしいけれど、最初から高いところを目指しすぎても、実現が難しくなります。ハードルの高さは、その時の自分のレベルに合わせて、少しずつ高くしていけばいいと思います。

けれど、理想に向かっていく真面目なタイプの方は、なかなか、そういう考え方ができず、最初から、とても高いところを目指したくなります。

ハードルの設定を、少し下げれば「できる」ことも、理想の位置を「下げない」ならば、「できない」状態が続いてしまいますよね。

大切なのは、できる、できない、という事柄だけでなく、そこに向かうプロセスも含めた考え方なのですが、ハードルを高くすることで、(達成が難しいので)スタートできない状況を作ってしまえば、プロセスを経験する機会も失われてしまいます。

やってみたいと思うことの中には、そのときの状況や資質からして、できないもの、達成が難しいものが、存在してしまうことは確かです。人それぞれ、個性の差がありますから、その点は、受け入れることも大切です。

けれど、自分が「やってみたいけれども、できない」としていることの中には、ハードルを少し下げれば、「できる」ようになることも、含まれているのではないでしょうか。

理想を高くもつことは、一般的には素晴らしいことなので、「高くしすぎ」になっていることに、気付かず、悩み続けている人は、少なくないように思います。

どんなことも、適度なバランスが大切であり、過度になったら(良いと言われていることであっても)バランスが崩れて上手くいかなくなります。

少しずつ、できることから積み重ねていけば、いつか、より高いところに手が届くこともあるでしょう。どんなことでも「できる」の積み重ねは、自信になりますので、成長のスピードが加速することもあります。

このことが、自分に当てはまると思う方は、まずは、「スタートをきりやすくする」「経験を積み重ねやすくする」「自信をつけていく」ために、今よりも、ほんの少し、ハードル設定を、下げてみてはどうでしょうか。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月26日 (日)

不要なものを除くことで、必要なものがクローズアップされてくる。

何かをしたい、何かをするべきだ、と思いながらも、現実的に何から取り掛かればいいか分からない場合は、まずは「不要なものを処分する」「掃除をする」など、身軽になることからスタートしてみることをお勧めします。

多くの方は、たくさんのものを、抱え過ぎになっています。しかし、抱えているすべては、必需品ではありません。過去には必要だったかもしれないけれど、現時点ではすでに不要になったものはたくさんあるはずです。また、手に入れた時点で、役に立たないとわかっていながら、もったいない気持ちから、抱えていたものもあるでしょう。

それらを処分して、スッキリさせていくと、見えてくるものがあります。

不要なものを除く作業とは、必要なものをクローズアップさせる作業でもあります。

通常、新しい何かを始める、といっても、まったくのゼロからスタートさせるケースは少なく(ゼロから始める場合は、「何か」をしたい、などという、あいまいな迷いにはなりません)、すでに何らかの形で関わりを持っていることの発展系であることが多いと思います。

不要なものを除いて、必要なものを残すと、その中から、発展させられる可能性のある要素も、クローズアップされてきます。

不要なものとはいえ、処分するのは「もったいない」と思う人もいるでしょう。しかし、処分することがもったいないのではありません。使いもしないものを、買った自分が、もったいないことをしているのです。

もっと言えば、使いもしないものにこだわり、新しいことに立ち向かえない状態になっている自分が、一番もったいないと思います。

人は、成長という変化を遂げていきますから、過去には必要だったものも、成長とともに役目を終えるものが出てくるのは仕方のないことです。そこに、あまり罪悪感を持つことなく、過去の関わりに感謝しながらも、未来の可能性に目を向けてみてはいかがでしょうか。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月25日 (土)

オーラの色は、備えている霊性や性格等の反映。

オーラの色や様子というのは、「自分自身の反映」であり、備えているものが、色などとして反映しているから、そこから逆算して性質が読み取れる仕組みです。

オーラの色が自分の性格や本質を決めているのではなく、自分の性格が、オーラの色から見て取れる、ということなのですが、「オーラの色」という言葉のインパクトのためなのか、この点を誤解してしまう方が少なくありません。

たとえば、独自の世界観がある、という性質を持っている人は、「その性質があるからこそ、オーラが銀色になっている」のであり、オーラに銀色が含まれているから、独自の世界観を持つことになっている、のではありません。

しかし、この点を逆にとらえてしまい、オーラの色により、自分が苦労していたり、思い通りにならなかったりしている、困難の原因がオーラにある、というような誤解がうまれることがあります。

お伝えする際には、「あなたは、オーラに銀色があるから、○○○ですよね」という言い方になることはありますが、それは、表れている結果から、逆にたどって、その理由である性質に言及するので、そのような言い回しになるだけであり、オーラの色が先にありき、ではありません。

オーラに限らず、すべては「自分」のあり方が大切で・・・、オーラが何色であるか、その性質が具体的にどんなことであるか、という点だけにとらわれず、備えている性質を役立て活用していくこと、花開かせ、輝いていけるように、心がけましょう。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年6月24日 (金)

突然の雨が、気付かせてくれたこと。

先日、外出先から戻ってくる途中、後少しで家に着くというところで、雨が降ってきました。霧雨のような、細かい雨に、ほんの少しだけうたれて、ほどなく家に着きました。

家について、「あーあ、なんだか、タイミングが悪いなぁ」と感じました。ほんの少し、早く家についていたら、雨にぬれることもなかったのに・・・。

「今日の私は、何か、タイミングを狂わすような行いをしただろうか、余計な行動を取った数分間があって、その分、家に戻るタイミングが遅くなり、雨にうたれたのかな・・・」、と、そんな、答えの出ない深読み?をしながら、部屋の窓を開けました。

それからまもなく、雨の勢いが、突然強くなり・・・、ザバーッと、バケツをひっくり返すかのような激しい雨の音が聞こえました。

それまで、私は、「タイミングが悪かった、ついてない」と思っていました。ほんの少し、家につくタイミングが遅くなって、雨にうたれてしまった、と。

しかし、こうなってみると、私は、「タイミングがよかった」のです。強い雨になる前に、家に戻ってくることができたのですから。

私は、「後少し、早く家についていれば、こんなことにはならなかったのに、タイミングが悪い」と、霧雨にほんの少しあったことに不愉快になっていたけれど、実際には、「後少し、遅かったら、大雨にあたるところだった」のです。なにしろ、家について、ほんの5分もたたないうちに、大雨になっていたのですから。

私たちはこうして、たった一つの出来事を、前後の関係性をとらえずに、良い、悪い、○だ、×だ、と、自分の都合や願望だけで、定義をつけては、自分をわざわざ被害者に「してしまっている」のかもしれないな・・・と、そんなことに気づかされました( ̄m ̄;)。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月22日 (水)

「誰かに伝えるように」書くことで、答えが見えてくる

「文章化して書いてみる」という行為は、心の中を整理して、気付きやすくなるという作用があります。迷って答えがでないときには、それを書きあらわしてみることをお勧めします。

その際に、「誰かに、その内容を説明したり、相談したりするように書く」と、より、効果的となります。

ご相談者さまから、「相談事項をメールで送ろうと思って、文章にまとめているうちに、自分で答えがひらめいた」という話を聞くことがしばしばあります。書く、という行為により、混乱していた心の中が整理されていくために、悩みが悩みでなくなり、相談事項が当初とは別のものになっていく、ということもあるようです。

「書く」にもいろいろあり、「ただ、記録する」のと「読まれることを意識して、書く」のとでは、違いがあります。

前者は、自分が分かればそれでよく、または、単にアウトプットするだけなら、文章の構成等をあまり考えなくてもよいですが、誰かに読まれることを前提とした文章は、読みやすさ、分かりやすさ、伝わりやすさを考えながら文章化しますので、より、自分の中での、整理整頓が深くなされていきます。

ブログなどを書いている方はわかると思いますが、読み手さんに向けて書きますから、自分は既に分かっていることでも、順番に、出来事の発端や、そうなるに至った理由なども説明しながら、「それを読んで、おおよそのことがわかる」ように書きますよね。

たとえば、「今日のお昼に、久しぶりに外に食べに行こう、ということになり、同僚と一緒に、近所にできたラーメン屋さんに行ってみたところ、私の好きな味噌ラーメンは扱いがなく、醤油ラーメンを食べたら、なんたらかんたら・・・」というふうに、説明があると思うのです。

前置きも何もなく、「2011年6月10日のブログ:ラーメン屋さんで、メニュー表を開いたら、載っていなかったので、醤油ラーメンを頼んだ」なんて、書く人はまずいないと思うのです。何を伝えたいのか、これではさっぱり分かりませんよね。

でも、これが、自分の覚書のメモとしてなら、好きなのは味噌ラーメンであることを説明するまでもないので、これだけでも、読み返してもわかります。

自分のために書く場合、このように、細部を省いて要点だけのメモになりがちです。それと同じで、自分が自分の心の中で思っているだけの悩み方というのは、細部を省いて要点だけを単語で考えているので、整理整頓がなされずに、答えが出ないのだと思います。

ご相談者さまが、依頼内容をまとめているうちに、答えがひらめくのは、「依頼内容というのは、相手が読んでわかるように書くもの」なので、「私はああなって、こうなって・・・、それで、家族がこう言って・・・、という事情なのですけれど・・・、」と、分かりやすく説明しようとまとめているうちに、思考が整理されていき、「見えてくる」ようになるのでしょう。

迷いから抜け出せない方は、その内容を、誰かに伝えるように、誰かに質問するかのように、文章化して書きあらわしてみることを、試してみてはどうでしょう。

それで、完全に解決するかはわかりませんが、少なくとも、心の中が、整理されていく作用はえられると思います。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年6月19日 (日)

不満や悩みがあるからこそ、気付き、学び、成長することができる。

目の前に大きな悩みがあるとき、「この件が解決してくれれば、幸せになれる」と、誰もが思います。そのため、悩みを、なんとか排除しようと、「悩み続ける」ことになります。

けれど、仮に「その件」が解決されたとしても、今度はまた別の悩み事が持ち上がってきて・・・、きっと、この人生の中から、悩み事がすべて除かれることはないのだろうと思います。

○○が得られない、と悩んでいても、実際に得てしまえば、今度は失う恐れが出てきて・・・、もしくは、得たものに対して人からどう見られているかが気になります。

さらには、自分の得たものと、人の持っているものを比較して競争心が出てきて、さらには・・・と、いくらでも続いてしまいます。

特定の物事に執着があれば、それだけ悩みの比率は高くなってしまうでしょう。

生きていくための意欲や向上心は大切ですから、そのための原動力となる適度な欲求は必要ですが、どんなこともバランスが大事で、執着してしまうと、自分が苦しくなっていきます。

そして、欲求がある以上は、(付随する)悩みとも、無縁にはなれません。ですから、人生の中で、常に悩みがあっても、「それが当然」だと思って付き合っていく考え方でいいと思うのです。

人は、大きな苦難があったときに、「この苦難のせいで、私の人生が大変になった」ような気がしてしまいますが、仮にその苦難がなかったとしても、きっと別の何かが、立ちはだかって、やはり人は常に悩む・・・ようになっているのです。

「これさえ除けば・・・」と思うから、特定の悩みにとらわれますが、「これを除いても、また別の悩みが持ち上がってくるのだろうな」と思えば、気持ちにも余裕が出て、除くよりもうまく付き合っていく(いずれにしても、人は何かしら悩むのだから)方向に気持ちを切り替えることもできるかもしれません。

これは、悩みに立ち向かう必要はない、という意味ではありません。その点は誤解のないようにお願いします。ただ、完全に除かれることのない悩みについて、「悩むために、悩んでいる」方が多いのですね。ならば、視点を変えたほうが、楽になれることありますよ、という話です。

また、悩むことが、悪いわけではない、むしろ人生に必要な学びだと考えることもできます。実際、悩みがまったくない人生からは、得るものがありません。悩みもなく、苦しみもなく、すべてに満足していたら、向上心も疑問もわかず・・・、そんな平坦な人生から、何を経験すればいいのでしょうか。

人は、悩み苦しむからこそ、そこから脱しようとあらゆる思考や行動をし、過去の経験を活用したり、アイデアを試したりして、そのすべての経験から人間力を磨いていくのだと思います。

たとえば、今、スピリチュアリズムに興味を持っている人も、何も不満がないところから唐突に興味がスタートしたわけではないと思うのです。

何かの苦しみや挫折があり、「なぜ、こうなるのだろう・・・」「どうして、努力が報われないのか・・・」「こんな苦しい人生に、何の意味があるのだろう・・・」と考えた先に、スピリチュアリズムに真理の光を見出したか、求めたのではないでしょうか。

悩みがあるか、ないか、ということにこだわるよりも、悩みという経験から「何を得るか」が大切だと思います。

私たちは、この世で肉体をもち、転んで痛みを知り、立ち上がり方を学び、その過程から精神的な成長をするという、遠回りな経験を、「わざわざ、するために、来ている」のですから、悩む過程も、この世での大切な経験なのですね。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年6月18日 (土)

オーラの状態は、自分自身の反映。

オーラの色の組み合わせや、明るさや大きさなどの情報から、その人の内的な部分を知ることができます。これが、一般的によく言われる、「オーラリーディング」というものだと思います。

けれど、誤解していただきたくないのは、「オーラの様子に、その人の内的な要素が反映されている(から、わかる)」のであり、「オーラの様子により、その人の人生が決められているのではない」という点です。

オーラの状態がよくない、ということがもしもあれば、それは、自分の内的な何かが不調和を作り出しているからこそ、オーラにあらわれているのであり、オーラの状態が悪いことが原因で、自分が被害を受けている・・・のではありません。

この点を誤解なさっていて、オーラの状態を、特定の方法で変えれば、自分が被害から抜けられる、というふうにとらえてしまう方が少なくありませんが、オーラの状態は、自分自身の反映なのですから、自分が変われば、オーラも比例して変わっていきます。

オーラの状態がよくないならば、それは、自分の何かが、その原因をつくっているわけですから、改善のために取り組むとしたら、自分自身を見つめ直していくことが大切です。

ほとんどの方は、仕組みをご理解なさっているとは思うのですが、中には、「オーラが青いので、私はクールな性格なんですね。もっと他の色ならよかったのに・・・」などと、オーラによって自分が固定されているかのような、誤解でとらえている方がいますので、正しく理解していただき、自分をより向上させていく参考として受け止めていただければと思います。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月17日 (金)

影響を受けやすいと、カウンセラーや、セラピストにはなれないのか?

相談業やリラクゼーション等の活動やお仕事を志している方から、「敏感で影響を受けやすいと、カウンセラーやセラピストには向かないのか?」と、ご質問をいただくことがあります。

私個人の見解としては、そんなことはないと思います。むしろ、それくらいの敏感さがあるほうが、よいカウンセラーやセラピストになれる性質を備えている、という受け止め方をしています。

あるレベル以上に感性が広がっている人は、同調しやすいので、悩んでいる人や疲れている人と接すると、どうしても影響を受けやすくなるのは確かです。しかし、その性質をいかして、人に寄りそったり、想像力で相手を思いやったりすることもできると思うのです。

程度の差はあるだろうけれど、他人の影響を受けない人のほうが、むしろ、そういう活動や仕事をしていくのは、大変かもしれません。影響を受けにくい、ということは、相手のことを理解したり、想像したりという感覚も、あまり発達していないことが多いからです。

けれど、あまりにご自分の精神の状態が整っておらず、相当にバランスが悪くなっていたり、または、そうなりやすい傾向のある人は、・・・あくまで、私の個人的な見解ですが、カウセンラーやセラピスト、スピリチュアルな要素のある仕事などを継続して成り立たせていくのは難しいのでは、と思うこともあります。

その場合は、まずは、(カウンセラー等を志す前に)自分自身を立て直して、バランスを整えていく必要があるでしょう。

また、感受性や敏感さが高い人ほど、極端に影響を受けてしまうのか、というと、そうでもありません。可能性は、元の性質が敏感であるほど高くなりますが、「そうなりやすい」のと、「そうなってしまう」のは違います。

たとえば、「風邪をひきやすい体質であること」と、「実際に、風邪をひいてしまうこと」が同じではないように、影響が出るか否かは、体質や性質だけで決まるわけではありません。

とても敏感で、霊感体質であっても、その人が、自立心をもっていて、明るいエネルギーで満ちている、パワーあふれるタイプの人であれば、ネガティブな影響を受けることは(ゼロにはできませんが)最小限となり、自分自身のコンディションが保てず、引きずられやすい人は、大きく影響されてしまうことにもなるでしょう。

ですから、敏感な人でも、(影響をとても受けやすい職業であると思われる)カウンセラーやセラピストになることは、可能だと思います。繰り返しになりますが、私は、むしろそのくらいの感受性が必要、というとらえ方もしています。

いろんな、リラクゼーション関係や相談業等のお仕事についている方にお聞きすると、皆さん、最初はとても影響を受けてしまった、とおっしゃいます。それが、だんだんとコツがわかってきたり、自分のあり方を改めていくことや向上していくことなどで、年月とともに、保てるようになってきた、と。

センスのある方ほど、相手に寄り添う感性も高いので、きっと、多くの方が、影響されることを経験し、それを乗り越えて、お仕事をなさっているのだろうと思います。

その点を受け止めつつ成長していくことで、活動やお仕事をしているものですから、影響を受けやすいから不向きだ、ということはないし、むしろ、その感性を、よい方向に活用していくこともできるのですから、その点だけにこだわりすぎない考え方も大切ではないかと思います。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年6月16日 (木)

頼ることができないのは、「他人を信用できない」ため。

人をあてにせず、何でも自力で取り組んでいくのは、とても自立心あふれる、素晴らしい姿勢のように思えます。

けれど、「人を頼らないで、自分で行動する」のと、「頼ることができないから、自分で行動するしかない」のは、同じではありませんよね。

行動の表面だけみれば同じに思えることも、その行動の動機となっている点は、まったく違ったものとなっています。

他人を頼ることができないタイプの人は、「他人を信用することができない人」でもあります。信頼して任せられないので、何でも自分で手掛けたくなるし、実際にそのような行動をとってしまい、とても忙しくなり、負担も大きくなります。

他人を信頼すると、裏切られることもありますし、思い通りにならないこともある、というリスクを負います。

「傷つきたくない」という気持ちが大きい人ほど、心の底からは、他人を信頼することができません。

他人を信頼できない、というよりも、「裏切られることもありうる、というリスクを負うことができない」、といったほうが正しいかもしれません。

つまり、このようなタイプの人は、傷つくこと、裏切られることへの恐怖心があるわけですから、人を信頼するためには、この感情を乗り越えていくことが大切です。

何でも自力で取り組んでいく姿勢は、一見素晴らしく意欲的であるので、上記のような「恐怖心」が根本にあることが、自分でもわかりにくくなります。恐怖心からの行動が、見せかけの自立心に覆われてしまい、改善点が長所のように認識されてしまうのです。

どんなに優れた人でも、自分ひとりの力で生きていくことはできませんし、お互いの助け合いの中でしか学べない、「大切なこと」が存在します。裏切られることを恐れて、人に任せることすべてを避けてしまうと、裏切られることもない代わりに、得られるものも制限されてしまいます。この点を、良く考えてみましょう。

このときに「得られる、大切なもの」は、裏切られるかもしれない、というリスクを、「補ってなお余りある」有意義なものとなります。他人を信頼することは、ある意味、恐れを乗り越えた勇気ある行動ですから、その勇気に見合ったものは、必ず得られるのです。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (3)

2011年6月15日 (水)

オーラカラー別、恋愛傾向。

恋愛傾向「赤いオーラの人」:

情熱と行動力があるので、好きな人に向かっていくことができる。一目ぼれも多く、熱しやすいところがある。しかし、飽きっぽいのと、刺激を好むので、関係が安定してきて刺激が薄れてくると、愛情も薄れてしまうこともある。短期集中タイプなので、熱しやすく、かつ、冷めやすいところにも注意。

恋愛傾向「青いオーラの人」:

真面目な性格なので、なかなか、一歩が踏み出せない。確実に上手くいきそうな相手であることを見極めてから恋愛をしたい、と考えるので、よいチャンスがあっても、タイミングを逃してしまうこともある。恋愛につきものの「感情」よりも、「理性」を優先して、頭で考えすぎになってしまうので、ときには、感情に流される自分自身を味わい楽しむくらいの受け止め方で。

恋愛傾向「銀のオーラの人」:

恋愛をしたい気持ちはあるものの、世間一般の「平均的な付き合い方」たとえば、デートをすることなどに対して、気力がわかないことがある。独自の世界観があるので、自分を変えたくない、というこだわりが優先してしまい、孤独になることも。恋愛に限らず、人付き合いの対する関心が薄いので、意識的に、それらを楽しもうと努力を。

恋愛傾向「赤紫のオーラの人」: 

積極的な行動力と、受け身な優しさとの両方を備えているので、面倒見の良さを発揮することができる。相手の世話を焼くことが、楽しいと思えるうちはよいけれど、消耗してストレスにならないように注意。相手に合わせるばかりではなく、ときには自分のペースで付き合っていくことも大切。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年6月14日 (火)

スピリチュアルなセンスも、オーラに表れる。

私たち人間は、「肉体を持った、霊的な存在」である、という前提で、スピリチュアリズムという哲学が存在します。

つまり、私たちは、実は霊なので・・・、誰にでも、霊感、スピリチュアルなセンス、と呼ばれるものが、備わっています。強弱の差はありますが、まったくゼロの人はいません。

また、いわゆる、何かが「見える=霊視、透視」「聞こえる=霊聴」、という、いわゆる霊能力的な性質だけが、イコール=霊感、ではありません。直感も、予感も、芸術センスなども、広い意味でいえば、霊感の一種です。

そのため、霊能力者でありながら、歌手でもある、という、美輪さんや江原さんのような人が存在するわけです。霊能と芸術センスはとても似ている分野だと言えます。外国の霊能力者が書いた書籍等を拝見すると、昔は画家だったとか歌手だったとか、芸能活動をしている方がとても多いことがわかります。

そのように、スピリチュアルなセンスは(霊が見える、聞こえるなどに限らず)広い現れ方をしますので、霊感を特に意識せずに過ごしている(気付いていない)人の中に、霊感が強い人が含まれている場合もあります。

スピリチュアルなセンスは、「オーラの大きさ、質感のきめ細かさ、形状(特徴的な形状を示す場合が多いです)」から、ある程度、把握することが可能となります。

オーラの状態が霊感に関係している・・・というのではなくて、備えている資質がオーラにあらわれている、ということですね。オーラの状態は、その人の内的な要素をも反映していますので、おおよそのことを、読み取ることもできるわけです。

いろんな把握の仕方はあるのでしょうが、私は、一番分かりやすい、オーラの状態から把握してお伝えしています。

霊感というのは、決して特別なものではなく、実は、誰にも備わっている資質なので、日常生活の中で、活用していくことや、スピリチュアルな知識を身につけることで、さらに磨かれていきます。

仕事や趣味、ライフワークにおいて、霊的な感性をより高いレベルで活用していきたい、という希望のある方は、霊的な価値観を大切にしながらも、しっかりと現実を見つめ、自分をあらゆる意味で成長させていくような、前向きな生き方を心がけていくとよいでしょう。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月13日 (月)

直感の精度を高めるには、人格を磨いていくことが必要。

私たちは、日々、さまざまな導きを「直感」「ひらめき」を通して与えられています。自分の思考だと思っているものの中にも、直感的要素が、実は含まれているものです。

直感として受け取った事柄は、そのとおり(思ったとおり)になることもあれば、そうならないこともあります。また、少し時間がたってから、「(別の角度から受け止めてみれば)正しかった」と思うこともあるでしょうし、簡単に「当たった」「外れた」などとは判断できるものではありません。総合的にとらえていく、応用力をもって受け止めていくことも必要です。

いずれにしても、直感力が磨かれているほど、ひらめきが冴えわたり、アイデアが湧くので、創造的に生きることができます。

また、磨くといっても、それは技法的なものではなくて、感性を磨く=人間力を高めていくことであると理解してください。

この手の話になると、まずは瞑想をして・・・、次に○○をして・・・、などと、形式に走る方が多いけれど(それが悪いとは言いませんし、違うとも言いませんが)、形式や手順というのは、「道具」と同じで、大切なのは、「道具を使いこなすこと」です。

どんな場合でも、まずは「自分ありき」で、人間力を高めていくことが大切です。

直感力がどれほどに優れている人でも、精度が100%になることはありません。それぞれ「自分というフィルター」を通してキャッチしますから、バイアスはかかります。高めるというのは、自分比で高めることができるという意味であって、その先に「完全」があるという意味ではありません。

その前提で、「自分なりの、最善」が、目的地です。また、受け取るフィルター(自分)の純度が低ければ、内容は、あまりアテにならない場合も多いものです。

なぜなら、受け取ったものを解釈するのは、自分であり、「自分の感性という枠」のうちでしか、解釈が広がらないからです。

思い込みが強い人は、思い込みで解釈をするでしょうし、こだわりが強い人は、こだわりの方向へ偏った解釈になる可能性が高くなります。つまり、自分の脳内にひらめいたことを、そのまま「あちらの世界から送られたもの」だと単純に解釈することは間違いです。

「自分が思いついたことが、すべて正しいはずがない」「頭の中のひらめきが、すべてあちらの世界からのメッセージとは限らない」ことは、ごく普通の一般常識からすれば「当然」と分かるものですが・・・、なぜかスピリチュアルに傾倒している方は、この当たり前のことが、分からなくなってしまう方もいます。

また、直感が当たらなくても、守護霊や先祖霊が悪いのではありません。フィルターがクリアーになっていない、自分のせいです。発信側ではなくて、受信側の問題です。

もしくは、おかしな存在(未浄化な霊など)が、間違った情報をわざと与えた場合でも・・・そんなところに波長が合ってしまうような、低い感性の自分が悪いと考えなければいけません。

直感というものに、意識的に向き合うにあたり、私たちは謙虚になる必要があります。そうしないと、どこまでも流されます。

直感の精度を高めたければ、自分の人格を高めることです。心のくもりをなくして、クリアーな意識を保つように努力をしていけば、自分の器が磨かれていき、直感力も高まっていくことでしょう。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月12日 (日)

ハイペースになりすぎないよう、コントロールを。

人生には、調子の良い時と、そうでない時があります。自分の内的な気持ちや、自分を取り巻く状況も、上がったり下がったりしながら、波のように繰り返していきます。

調子のよいときほど、アレもコレも・・・と、いろいろなものに手を出したくなるものです。状態が上向きのときは、タイミングにも恵まれやすく、実際に、何をやっても上手く進んでいくので、自分自身も、ますますその気になったりします。

しかし、その状態がいつまでも続くことはありません;。本来の自分のペースを考えず、勢いに駆られて突き進むと、いずれ手が回らなくなります。

でも、その渦中にいる本人は、そんな状態にある自分自身に気付きにくく、何をやってもうまくいくような気がして、予定を詰め込みたくなります。

また、そういうときには、「気が上がっている」ので、何かに急かされるようにハイペースで進めていきたくなり、コントロールが効かなくなります。なかなか寝付けないかと思えば、朝も、とても早い時間に目が覚めたり・・・。とにかく、何かをしないと、気がすまなくなりやすいです。

周りも同じペースで進んでいるならよいですが、自分だけがハイペースになってしまうと、周囲と温度差が生まれて、トラブルの元になります。

周囲の人たちが遅いように感じてしまい、イライラも募りますし、そういう状態にあるときは(自分は勢いに乗っているので)行動も口調も、ワンクッションの気遣いが薄れ、乱暴になったりしやすいからです。

ハイテンションになると、何もかも全部やりたくなってしまいますが、気力も体力も限界があり、体はひとつ、一日は24時間しかない、ということを忘れないようにしてください。

上り調子の時だからといって、やりすぎると、自分の体調にも影響しますし、周囲の人間関係もおかしくなってしまったりして、結果として、自分で自分を苦しめてしまうことになります。

そうならないためには、セルフコントロールが大切です。

「どんなに頑張っても、よいときが永久に持続することはないので、どちらにしても必ず中休みをとることになる」「今のハイペースをずっと持続させようとしても、(それは不可能なので)空回りになる。ならば、最初からそのつもりでペース配分をしておくほうがいい」という、このことを知識として踏まえていけば、ちょうどよいバランスで、効率よく人生をクリエイトすることができると思います。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年6月11日 (土)

霊感体質による影響で、頭痛や首の違和感が出ることもある。

私たち人間は、「肉体をもった霊的存在」なので、実は誰にでも霊感は備わっているものです。

その中で、平均以上に、霊的な感受性が高い人が少なからず存在しますが、霊的な影響をうけることからくる「頭痛」を訴える方がいらっしゃいます。

確かに、霊的な影響を受けて、頭痛に繋がるケースはあり得ると思います。

そのようなタイプの方は、頭の周囲のオーラが大きいことが多く、いろんな霊やエネルギーなどに感応し、取り込んでしまうと、その箇所のエネルギーが滞るために(近い位置にある)頭が、痛くなることがあると思います。

頭の付近のエネルギーというのは敏感なので、それだけ感じ取りやすい、とも言えるでしょう。また、体の他の場所に、実際には影響を受けていても、頭の周りほどには感じ取りにくく気付かないので、頭痛のみが認識されやすいのかもしれません。

また、よく言われることですが、霊的なエネルギーが出入りする場所として、肩甲骨の間と、首の後ろがあります。

この説を裏付けるかのように?、霊感の強い人は、だいたい首のオーラが干渉されて状態が悪くなっていることが多いのですが(私も( ̄m ̄;))、このあたりのオーラが乱れると、当然、連動している肉体にも不調和が生じますので、首の骨の位置が、ずれやすくなります。

首というのは、動きが多い場所なので、もともと、骨が動きやすい場所であることも手伝って、

「霊的なエネルギーに干渉される」

「そのあたりのオーラが滞る」

「(本来あるべきエネルギーが回っていかないので)連動して、首の骨の位置がずれやすくなる」

「頭を支えにくくなり、頭痛が」

という仕組みで、「物理的に」頭痛に繋がってしまうこともあるようです。

なので、霊感体質からくる頭痛は、エネルギーの動きが滞っていることからくる違和感のような痛みとして感じている場合もあれば、エネルギーが滞ることから派生して、骨の位置がずれてしまって、頭の重さを支えにくくなり、頭痛になっている場合もあり、両方が関係していると思いますが、よほど敏感なタイプの方を除き、(痛みとして感じるまでになっているのであれば)後者のケースが多いようです。

対処法としては、カイロプラクティック等にいって、首の位置を戻していければ解消していきます。骨の位置のずれが、頭痛を誘発しているわけですから。

それは、一時的な対処法であり、影響を受けやすいこと自体を変えられるわけではありませんが、最も手っ取り早く、かつ効果的な作用があるのは、「上手な専門家の手に掛かること」です。

位置が正しくなれば、エネルギーがめぐりやすくなるので、自然に、不要なエネルギーは除かれていきます。特別な「除くための行為」をしなくても、整えば解消されていくのです。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

人気ブログランキングへ

| | コメント (3)

2011年6月10日 (金)

不思議な現象は、ガイドスピリットからの働きかけ?

不思議な現象や、恐怖を伴う心霊現象が起こって、「これは、ガイドスピリットからのメッセージなのだろうか?だとしたら、何を伝えたいのか?」と、ご質問をいただくことが、しばしばあります。

たしかに、その人にまつわる霊、守護霊や先祖霊などが、メッセージを送るために、たとえば、印象的で意味ありげな夢を見せるとか、現実の出来事の中でシンクロのようなことを起こして、伝えたいことを、そうと分かりやすく印象づけるために、出来事と絡ませて、不思議な経験をさせられることがあります。

けれど、そういう場合は、メッセージを間接的に「伝える」ことが目的であって、私たちを、怖がらせたり、驚かせたりすることが目的ではないので・・・、おかしな心霊現象、金縛りや悪夢などの、恐怖をともなうような現象で、アプローチされることは、まずないものだと思っていいでしょう。

ガイドスピリットは、意味のないことはしないので・・・、必要なときに、必要な働きかけをしてくれます。

怖がらせたり、むやみに驚かせたりするのは、多くの場合、未浄化な霊が起こしている現象です。

そのような現象に頻繁にあうときは、未浄化霊と波長があっているからこそ、現象に遭遇するわけですから、自分のコンディションを省みることが大切です。

霊感が強くても、常時スイッチが入りっぱなしで、霊が見えるわけではありません。おかしな現象が多いときは、やはり、コンディションが下がっていることが多いのです。

そういうときには、「これは、ガイドスピリットの・・・?」と、深読みをしたりせずに、自分自身のあり方を見つめていきましょう。

ガイドスピリットが働きかけてくるときというのは、「伝えるため」ですから、「伝わるように」出来事を展開していきます。深読みの深読みをしないと、わからないような表しはしませんので、思いこみを当てはめすぎないようにしましょう。

また、怖い現象ではないけれど、とくに深い意味はないような、不思議な現象が起こることもありますよね。光ったり、何か愉快な雰囲気の映像が見えたり、だとか。

そういうときは、その場所にいる、自然霊(肉体をもったことのない霊、妖精など)が、起こしている現象であることも多いようです。

それらに、メッセージ性がないわけでもないでしょうけれど・・・、自分に親和性のある、ガイドスピリットが伝えてくるような、深い愛情のこもった導きとは、ちょっと違ったもののようにも思います。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月 9日 (木)

未来のリーディングができるのも、カルマの法則があればこそ。

リーディングで、近い未来の可能性について、言及する場面がしばしばあります。

未来というのは、あらかじめ決まった筋書きがあるわけではなく、これから、自分の手で作っていくものなので、その前提で、「今の時点から見た、未来の可能性のひとつにすぎませんが・・・」という前提で、理解していただくようにお願いしています。

そのようにお伝えする、「可能性としての未来」ですが、クライアントさんから、「可能性とはいえ、既に(伝える要素がある、という意味での)未来がある、というのは不思議であり、仕組みを知りたい」と、そのようなご質問をいただくことがあります。

この仕組みには、「カルマの法則」が関係しています。

カルマの法則とは、自分の行動、発言、想念などの積み重ねが、いつか必ず、ふさわしいタイミングで、自分に返ってくるという、スピリチュアルな仕組みです。

この世で起こるすべては、カルマの法則により、展開していきますので、未来のこともまた、この仕組みに沿って展開します。

つまり、未来というのは、無作為に第三者から与えられる偶然のものではなく、自分が過去に積みかねた行為が元になって、作られています。なので、その積み重ねが、すでに(たとえばこの時点でも)「ある」わけですから、ある程度の確率をもって、予測をすることはできるわけです。

しかし、その場合でも、それらが「どのように」作用して出来事が展開するか、という点まではわからないので、出来事そのものをズバリと言い当てることも難しいのです。

たとえば、いもとニンジンと玉ねぎが「ある」としたら、ここからカレーをつくったり、肉じゃがをつくったりできるな、という「予測」が立てられますよね。現時点での、この材料から、茶碗蒸しはつくられないだろうな、と該当しそうにないものを省くこともできます。

過去の行為の積み重ね(=カルマ)をもとに、未来を予測する、というのは、そういうことなのです。

けれど、予想を外れて、同じ材料からつくられた結果が、野菜コロッケになったりすることもあるでしょうから、完全には、当たらないですね。

また、その人が備えている要素、上記のたとえでいえば、食材の種類ですが、それらのすべてを把握できるわけではないので・・・、仮に、実際には、60個もありながら、そのうちの3個しか把握できない状態での予測は、狭すぎて偏ったものとなるでしょうから、リーディングに必要となる、相応の要素を把握していくことで、精度が保たれます。

このように、自分がしたことが自分に返る、という「カルマの法則」が作用しているからこそ、未来の可能性の一部を提示することができます。

確実に存在している方程式、カルマの法則がある以上、方程式にあてはめる要素をいくつか把握できれば、その答えとなることは、不確定ではあるけれども、おおよその見当はつ場合もある、という仕組みになります。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月 7日 (火)

感情を絡めない判断、とは。

判断や決断の際に、感情ではなく理性で判断することが望ましいとされています

感情そのものは、決して悪いものではないけれど・・・、感情を絡めないほうがいい、と言われる理由は、総合的な観点から判断することが必要な場合には、自分の個人的な好みや、利害関係、自分が得をすることができるか、などの要素に流されないことが求められるからです。

けれど、感情を絡めない判断を、と思っても、具体的にどのように思考すればよいのか、分からない人もいると思います。

そういうときには、「私は、○○がほしい」「私は、○○をしたい」「私は、○○をしなければならない」という、考え方のうちで、自分の欲求や感情と、それが関連する要素とを分けてとらえ、「○○」に該当する、行動の要素のみを抜き出してみるとよいでしょう。

たとえば、ハワイに旅行をしたい、新しい車がほしい、書類を作成して提出しなければならない、家事を終わらさなければ・・・、と考えてしまうと、何が優先するのか、自分でもよくわからなくなってしまうものです。

そういうときには、「ハワイに旅行」「新しい車の購入」「書類を作成&提出」「家事」というように、要素だけを、そのままシンプルに見つめていくと、優先順位がつけやすく、判断もしやすくなると思います。

そのように考えることで、欲求や感情が消えるわけではありませんが、けれど、少なくとも、自分が冷静になることができ、その感情そのものから、少し距離を取った位置で思考をすることができ、本当に自分に必要なものを、選ぶことができるのではないでしょうか。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (4)

2011年6月 6日 (月)

極端な二択の中で、自分の可能性を「自分が」狭めている。

白黒をつける、とか、一か八か、などという言い回しを考えてみると、とても面白いと感じます。なぜ、「白黒赤をつける」でもなく、「一か五か八か」ではないのか(笑)、という点です。

人は昔から、複数の選択肢や区分けを考える場合、とてもわかりやすい両極端なものを想定して、考えてしまう傾向があるのだろうなぁ、と、そんなことを思うのです。

二つの、両極端な選択肢、というのは、それぞれの違いが鮮明で、差を認識しやすいですよね。似ているものは、差が分かりにくいですから。

これらは、選択や判断の場面における行動や考え方を「わかりやすく」表す言葉として、イメージがしやすいように、あえて、違いが明確となる「白・黒」という対比にしているのでしょう。

ですから、日常のすべてを、この言葉のように、極端すぎる二択で考えようとしても、実情に合わないことが多いものだと思います。

ところが、実際に、極端すぎる二択で迷っていて・・・、というより、そういう迷い方をしているから、出口が見いだせなくなり、自分の可能性を発揮したいと思いながら、むしろ、可能性を狭めるような考え方をしているケースが、少なくないと感じます。

たとえば、「自分はこの先、結婚して専業主婦となるのか、それとも起業して大勢の人を使うような仕事に人生を賭けるか、どちらにするか迷っている。後者ならば、恋愛や結婚を諦めなければならない」などのように、二択を選定して、迷いから抜け出せなくなっているのです。

先にも書いたとおり、人は、選択の際に、まずは、両極端なものを想定して、○か×か、というふうに、考える傾向を持っているのだと思います。

けれど、それはあくまで、「まず、最初に思い浮かべる」選択肢であり、実用的な選択肢は、そこから、さらに目盛を細かく刻んでいくものではないでしょうか。さまざまな、「白と黒の間にある、無数の中間の選択肢」を、柔軟に検討していくことで、自分に合っているものを見つけることができるのだと思います。

上記の例でいえば、「結婚して専業主婦か、起業して大勢の部下を使うか」のような二択しか考えないのは、現実的ではない、と思うのです。

結婚したからといって、専業主婦になる人ばかりではないし、結婚してから起業する人もいるかもしれないし、起業してから結婚したいと思えばそういう選択もできるでしょうし、働き方の形態にしても、起業して人を使うことに、こだわりすぎなくてもよい、という考え方もあるでしょう。

将来の方向性として、目指したいことが、その2つであるのはよいとして、そのことを実現するまでの「プロセス」として、必ずしも、そのどちらかの、枠組みに、ぴったりハマったレールを進まなければいけない、というものではないはず。まずは、取り組みやすいところからスタートしていき、だんだんと、発展していく形のほうが現実的ですし、取り組むための具体策も、見つけやすいものです。

柔軟な考え方、目標の選定の仕方をしていくほうが、「今やるべきこと、今できること」が明確になっていきますし、また、自分自身が楽になることもできます。

極端すぎる二択で迷っていると、どちらも選べないまま、そんな自分の状態に、不満を感じて落ち込んでしまい、やる気もなくなっていく、というループにはまり込んでしまいます。

白と黒の間にも、一と八の間にも、たくさんの選択肢を、考え方次第で、自分が「作る」ことができるはずです。自分の可能性の発揮の仕方は、いくつもあるはず、という前提で、視点広げてみてはどうでしょうか。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月 5日 (日)

他人に、気配りを「し過ぎてしまう」状態を改善するには。

周囲の人たち全員に、過剰に気配りし過ぎて、自分が消耗してしまうのに、(そのことが、分かっているのに)態度を改めることができない、という悩みを抱えている方が少なくありません。

「分かっているのに、出来ない(改められない)」のは、なぜでしょうか。

それは、原因を分析しきれていないからです。「気配りをし過ぎる」ことが、「消耗の原因」であることは確かですが・・・、では、なぜ、気配りをし過ぎてしまうのか、という原因には、考えが至っていないので、納得に繋がらず、改善に結びつきにくくなっていると思われます。

ここで、考えていく必要があるのは、なぜ、自分は、他人に過剰なまでに気配りをしてしまうのか、という点です。

このようなタイプの方は、もともとが、とても優しくて親切な性格をしていることが多いのだけれど、それに加えて、「相手に合わせて、都度、自分の接し方を使い分けることが、苦手である」ことが多いです。

たとえば、A子さんは、さっぱりした性格なので、自分の態度もそれに合わせて、あまり世話を焼きすぎないほうがいいな、B子さんは子供がたくさんいて、あまり自由な時間がない人だから、私ができるだけ協力してあげよう、C子さんは、自分が仕切りたいタイプだから、頼まれるまで、手を出さないほうがいいかな、などと、相手により、自分の労力を配分していければ、「全員に、気配りし過ぎてしまう」状態には、ならないものです。

しかし、相手に合わせるためには、相手が求めていることを、把握する必要があります。相手のニーズを知ってこそ、それに自分を合わせることが可能となります。

この点に、想像力を働かせて、相手を把握することが苦手な人は、「すべての人に、過剰なまでに親切にしておけば、まず間違いないだろう」という方法で、対処してしまうのです。「大は小を兼ねる」のような対応の仕方ですね。

そうすると、してもらう相手はありがたいでしょうけれど、自分は消耗しますよね。常に全力疾走しているようなもの、ですから。

このような状態は、「すべての人に対する、公平で大きな優しさ」の表れ、とも言えますが、同時に、「個人差を把握するのが苦手である」ことの表れ、でもあると思います。

つまり、気配りをし過ぎる状態を改善するためには、相手に合わせて「接し方を、使い分ける」ことができるように、相手の個性やニーズを把握する感性を磨いていく、とう視点から、自分を高めていくとよいのです。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月 3日 (金)

既に出来上がった人間関係に、新たに入っていくのが苦手と感じる場合。

新しい職場に中途採用になる場合や、転勤で環境が変わるときなど、既に出来上がった人間関係に、自分だけが新たに加わる立場になるのは、緊張しますし、強いストレスを感じる方もいると思います。

全員が初対面という、横並びであれば、お互いに探り合いをしていく時間の猶予がありますし、その場の雰囲気は、自分も含めた皆で、これから作り上げられるものです。

しかし、既存の人間関係の輪に加わる、というのは、その場に、すでに作られたものが存在するわけで・・・、後から加わる人が、想像力を働かせて、「きっと、こうだろう」と予測を立てたり仮説を立てたりしながら、受け身になって合わせていく、という姿勢が求められるところがあると思います。

それほど固い場所ではなくても、最初は、そのような振舞いをして、雰囲気に馴染んでいくことが必要となってくるでしょう。

このような場を苦にしない人とは、相手が何を求めているか、何を望んでいるか、という、「ニースを読む」ことが上手な人です。感性が発達していて、自分の求められている役割がすぐにわかる人は、ほどなく、その場に馴染んでいくことができ、逆にその場を、自分のカラーに染めてしまうようなことも、できたりします。

しかし、相手が何を求めているか、・・・ということはつまり、自分に何を期待されているか、ということですが、それらを把握するのが得意ではないタイプの方は、既存の輪に自分だけが後から加わるのは、緊張と苦痛が伴うでしょう。

これらの感覚というのは、ある程度の経験を重ねないと、磨かれないものであり、身に着くまでには、相応の時間もかかってしまいます。

それでも、日々、できることを積みかねていくことが何より大切ですが、しかし、お仕事の場面などでは、悠長なことも言っていられないでしょうから、ポイントとなることを押さえておき、まずはその点に注意をしてみるのもよいと思います。

たとえば、派遣で職場が短期間で変わる環境にある方ならば、「繁忙期の営業補助」など、同時期に、複数の新人を採用する形態の職種を選ぶ、ということなどもよいと思います。新入りが「自分だけではない」という環境が心強さにつながることもあります。

また、その輪の中の、中心となっている人物を見分けて、観察してみるのもよいでしょう。複数の関係というのは、相互に同じ比率で結びついていることは少なく、少数の中心人物がいて、そのほかの人たちも、役割分担が自然に作られています。輪の中心にいる人を基点に見ていくと、輪全体の把握がしやすくなると思います。

さらには観察する視点が身についていくと、相手のことがわかる感性が同時に磨かれていき、既存の輪に加わることへの苦手意識も、薄れていくと思います。

苦手とする場面そのものは避けられなくても、自分が少しでも楽に馴染めるように、工夫することはできますので、自己分析ともに、どのように振舞っていけばよいのか、という具体策を見つけて、行動につなげていくとよいでしょう。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年6月 2日 (木)

怒りの感情を、後で振り返って分析してみる。

他人の言動に対して、怒りでいっぱいになり、ケンカになったり、感情をぶつけてしまうようなことがあって、そのときは「私が、これほどに強い怒りを抱くのは、相手がそれほどに悪いから」と、自分の怒りを「当然のこと」だと思っても、少し時間が経って、冷静になってみれば、「・・・しかし、あれほどには、怒るまでもないことだった」と、受け止め方が変わることも、少なくありません。

それは、どちらが悪くて、どちらが正しい、ということではありません。「あんなに怒ることではなかった」という受け止め方は、「自分の態度が、過剰だったのではないか」という意味の気づきです。

相手が不愉快な言動をしたからといって、そのすべてに強い怒りが出てくることはなく、その時々で、怒るまでもない些細なことに、怒ってしまうこともあれば、それ以上のひどい態度をされても、怒りに結びつかずに、受け流してしまえることもあります。

その差というのは、「そのときの、自分のコンディション」によるのではないでしょうか。

気持ちに余裕があるときや、何かに一心に打ち込んでいて、細かいことは気にしていられない、という状況のときには、あまり極端な反応にはならないものですし、余裕がないときには、小さいことにもイライラしがちになります。

つまり、自分が満たされているときには、多少の不愉快なことでも、大きな反応になりませんし、満たされていないとき=自分のエネルギーが不足しているときや、ネガティブな感情でいっぱいになっているときには、ほんの少しの不愉快さにも、怒りが爆発してしまいます。

相手の言動に対して、怒っているようなつもりになっていても、実際には、それは、ほんの少しの上乗せに過ぎず、大部分は、既に自分の内側に、大きな怒りに結びつく要因が「存在していた」ことになります。

相手の言動に対する、自分の怒りの反応が過剰だった、と、後で反省する機会があれば、同時に、その時の自分の状態を、冷静に分析することも、行ってみるとよいでしょう

大きな怒りの「きっかけ」は、特定の相手の言動だったとしても、そこに至るまでの、自分の内側に、積み重なっていた何かがあるからこそ、過剰な反応に結びついているのですから。

その「何か」が分かれば、コントロールをしていけるので、誰かが不愉快なことをして「きっかけ」をつくっても、怒りの反応に結びつきにくくなり、他人の言動に感情を左右されることが少なくなります。

 ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »