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2011年4月11日 (月)

相手に対する怒りを、自分が意図的に作り出していることがある。

相手に対する怒りの感情がわくときには、そうしてしまう原因が、相手の中にある(から、自分が怒りを抱く)と、自分の状態を差し置いて、思いこんでしまうものです。

火を付けた原因が、相手の言動にあるとしても、しかし、すべてが相手のせいとは言えず・・・、自分が、無意識も含めて、そういう行動を相手がするように「仕向けている」こともあるので、注意が必要です。

怒りを持っていると、それを吐き出したくなります。なぜなら、自分が抱える器の中に、重いものが入っていれば、それを退けて、軽くなりたいという気持ちが働くからです。ネガティブな感情というのは、とても重たいエネルギーです。

誰かに、そのネガティブなエネルギーをぶつけて、発散したいために、本来ならば、怒るまでもない出来事や相手に対して、重箱の隅をつつくように、指摘事項を見出して、怒りをぶつけてしまいます。そうすると、エネルギーは、相手に向かって放出されるので、少し、スッキリするわけです。

そういうときは、本来怒るまでもない出来事に対して、意識的に、怒りの感情を生み出していることになります。

そして、自分では、「不愉快な気分になっているときに限って、周囲の人が、イライラするような態度をとるから困る」なんて、自分を正当化してしまうわけです。そして、ついでに、相手に怒りをぶつけるという行為までも、正当化してしまいます。

しかし、相手の態度がどうあれ、自分の過剰をぶつけることが、正当化されることなどあるものでしょうか。そのすべてを許せとは言いませんし、相手が悪くないとも言いませんが、どんな事情があるにしろ、感情のままに動くことは、良識ある大人のやることか、という点を考えてみる必要があると思います。

また、怒りという、重たいエネルギーを抱え続けていると、だんだん、気持ちがすさんできて、意地悪なことに喜びを見出すようになります。わざと相手が失敗するように、仕向ける態度をとって、そして、実際に間違って、自分に迷惑が及んだら、「ほら、やっぱりあの人はダメなのよ」とばかり、相手を非難することで怒りを発散し、自分を正当化して満足させたくなったりもします。

そうなると、本当に、悪循環になって・・・、そういう行動をとればとるほど、どんどん、波長は下がっていきます。あまりに下がってしまうと、極端になっている自分に気づけなくなっていきます(軽度のうちは、心のどこかで、本当は自覚しているものだと思います)。

ひどくなっていくと、最初のうちは、自分の怒りにたいして、もっともだと同調してくれていた人まで離れていくようになります。重たいエネルギーにまぎれるのは、誰だって嫌だからです。

そこまでになったら、波長を持ちあげていくのは、かなり困難になります。とても時間がかかりますし、自分も消耗してしまいます。多くの場合、その様子を客観視している、第三者からの信頼も失っていきます。

そうなる前に気づくことが大切です。怒りをぶつけることを正当化するため、相手が悪いという状況証拠をつくるために、意図的に、作り上げている怒りは、より一層、自分を下げる行為であることに。

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10.考え方、感情」カテゴリの記事

コメント

いつもブログ拝見させていただいてます(^^)。素敵なブログで毎日楽しみにしています。
今日のブログの様な方目の当たりにした事があります…(-_-#)。目の当たりにするという事は当時の私の波長も悪かったのでしょうね…。
その時は反面教師で、腹立つばかりでしたが、今となっては、そういう人いるよね…と客観的に想像できます。良い人々に沢山出会える様に波長もあげていきたいです。。

投稿: くみ | 2011年4月11日 (月) 13時22分

*くみさま

「そういう人もいる」を、より正確にいうと、「そういう状態になっている人もいる」となると思います。

ずっと怒りいっぱいでいるわけではなく、人生のごく一時期に過剰な「状態」になっているだけで、その人そのものはもっと広いたくさんの面をもった存在である、という意味でhappy01

逆にいえば、誰もが、(普段は温厚な人であっても)怒りでいっぱいになってしまえば、その「状態」になってしまう可能性は、備えているのだとも思いますcoldsweats01

投稿: リカコ | 2011年4月11日 (月) 14時04分

なるほど。そういう状態の人も…ですね。どこで自分を保つかは幅があるから自分次第て事ですね。ありがとうございます(^_^)。

投稿: くみ | 2011年4月11日 (月) 18時36分

こんにちは。

今回のお話も、耳の痛いお話でした(笑)

私は、自分の意見が正しいと証明するために、
わざと相手が失敗するように仕向けたり、
もしくは相手が失敗するのを待っているときが
あります。

そして、相手が本当に失敗すると
「それ、みたことか」と喜んでしまいます。

なんとなく、自分にそういう傾向があるな~とは
前から思っていたんですが、今回の記事を読んで
はっきりと自覚しました。

今、ちゃんと気づけてよかったです。
ありがとうございました。

投稿: えいこ。 | 2011年4月11日 (月) 21時38分

*くみさま

そのとおりですね、多面体の、どの部分が(そのとき)前面にくるか、というのは、移り変わりのある「状態」ですからね。

投稿: リカコ | 2011年4月11日 (月) 22時21分

*えいこ。さま

きっと、誰の中にも、少なからず存在している部分だと思います。

>私は、自分の意見が正しいと証明するために、

ほとんどすべてのケースは、そのために行うのだと思います。自分を正しいと強調するため(のつもり)に。

しかし、実際には、相手が失敗したことで証明されるのは、自分の正しさではなく「相手のミスや間違い」ですよね。何度も同じことをしても、相手のミスが積み重なるだけで、自分の正当化には必ずしも繋がっていかず、無駄な動きをしているようにも思います( ̄∀ ̄;)。

また、カルマの法則により、自分がしたことが自分に返ってきますのでsweat02、自分に意地悪をして、自分に怒りを投げかけていることになる、というふうに、冷静になることも効果的かと思います( ̄m ̄)。

投稿: リカコ | 2011年4月11日 (月) 22時38分

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