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2011年4月の24件の記事

2011年4月30日 (土)

結婚で、すべてが劇的に変わるわけではない。

人生において、結婚は、一つの節目になる出来事だと思います。

男性は、結婚しても、(多くの場合)名前が変わるわけではない、仕事も変わるわけではない、家族を持つという責任は増えるとしても、個人的な要素がそれほど大きく変化しませんので、女性ほど、結婚に対する思い入れを持っていないことも多いかもしれません。

けれど、女性のほうは、結婚することで、名前が変わり、中にはお仕事を変える場合もありますし、子供を持つならば、出産という行為もすることになるなど、男性よりも、変化のふり幅は大きいものです。

そのためか、女性は、結婚に、大きな夢や期待を抱きがちになります。

結婚すれば、相手の男性に対する、多少の不満や不安は、自然に解消していくのではないかと、考えてしまうところがあります。

パートナーの男性の考え方や性格に、不安定な部分を感じ取りながらも、「結婚すれば、変わってくれるはず」「結婚すれば、協力しあってなんとかなっていくだろう」という期待を抱く女性は多いですが、人の性格というのは、そう簡単には変わらないし、男性にとっての結婚は、女性ほどに変化のふり幅が大きくないこともあって、期待通りにはいかないことも多いようです。

女性は、心の底では、そのことを薄々分かっていながらも、相手への気持ちと、結婚したいという思いから、「でも、結婚すれば何とかなるだろう」と、思いこんで、自分を納得させたくなりますが、過剰な期待は、見る目をくもらせてしまうこともあります。

結婚したい気持ちや、相手を思う愛情はわかるけれども、結婚は、その後もずっと続く「生活」なのだということも、現実的に考えていく必要があります。

完璧な人間はいないとはいえ、責任感や社会性が著しく低い相手と、お互いの納得をともなわいままで、結婚という形態だけを整えても、・・・その後の長い人生をいっしょにやっていくのは難しいものではないでしょうか。

無理を押し通すと、後にしわ寄せがきます。 結婚前に、お互いに歩み寄って話し合うなりして、解消していかなければいけないことを、「結構すれば、何とかなるだろう」という期待で、覆ってしまわないことが大切です。

女性は、自分が(結婚することで)いくつかの物理的な変化を伴うことも手伝って、男性も同じように、変わってくれるだろうと、自分の感覚を当てはめて考えてしまうことが多いのですが、男女の受け止め方は違うところもあります。

結婚生活での経験という学びが、長い時間をかけて、人を変える(成長させる)ことはありますが、結婚という出来事が起こった瞬間に、ガラリと変わってくれるわけではありませんので、その点は、期待しすぎないようにしましょう。

このことは、相手だけではなく、自分にも言えることだと思います。結婚は、よいきっかけになることはあっても、変化や成長は、そこから学びを得た自分自身が起こすものですから、外的要素に過剰に期待するよりも、自分が能動的にそうしていくのだという気持ちで、考えていくことが大切です。

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2011年4月29日 (金)

ルールを重んじる「青紫のオーラ」

その人の性格や資質、霊性などを表すオーラは、頭の上のほうに現れます。

青紫は、青の冷静で知的な分析力と、紫の思いやりの気持ちをあわせ持った色となります。

ルールに沿った行動、理想に向かって進んでいくような考え方を好み、理屈や理論が明確であるものに安心感を覚えます。

慎重で用心深いところもあって、簡単には本音を見せませんので、打ち解けるまでに時間がかかりますが、心の中には、深い情愛を備えている優しい人です。

哲学的な思想などを好みますが、一方では、とても現実主義な面があり、そのため、ルールや慣習や常識に則った行動を、重んじるところがあります。勉強熱心で、事前の準備を周到に行うことで、安心するタイプでもあります。

常識やルールを大切に考え、自分もそれに従って動いていくことができるので、他人がそこから外れた行動をとると、とてもイライラしてしまいます。他人もまた(自分と同じように)理想に向かっていく、常識的な生き方を目指しているはず、と考えてしまうところがあるので、予定通りに行かないことに、ストレスを感じることも多いでしょう。

知的な思考力は大切にしつつも、ときに、ルールや常識と言われること以外にも、楽しみもあれば、学びもあることを理解し、柔軟に受け止めていくことも心掛けていくとよいでしょう。

誰もが、複数の色を持っていて、単色のオーラの人はいません。一般に「青紫のオーラの人」という場合は、「青紫の比率が高い」という意味でつかわれます。

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2011年4月28日 (木)

複数の選択肢の中で、優先順位をつけるための考え方。

何をしたらよいのか分からない、決断が苦手、今やるべきことが決められない、という人の多くは、優先順位をつけるという考え方も苦手としています。

というよりも、優先順位をつけるという考え方が苦手なので、それらの行動の仕方が分からない、という悩みが出てきてしまうのですから、逆に考えれば、「優先順位が付けられれば、それらの悩みは、薄れていく」ことにもなります。

では、「優先順位をつける」とは、具体的にどう考えればいいかというと、まずは、「1番と、2番を決めること」です。

たくさんの要素があっても、「1番と、2番と、それ以外、」というくらいの、シンプルな区分けにすることがポイントです。

3番、4番、5番・・・と、延々と順位をつけても、実際には、そこまで細かくコントロールはできませんので、まとめてしまってもいいと思います。

まず、取り掛かるまでを長くしないことがポイントです。そのほうが、モチベーションも保てます。細かく条件をつけすぎると、考えている間に時間が経って、気持ちが落ちてきたり、考えていること自体に満足して、実際の行動に繋がらないこともあります。

なるべくシンプルに思考して、1番と2番を、まずは決めてみましょう。

そのどちらにも該当しなかった要素は、すべて「それ以外」とまとめましょう。

1番と2番の優先順位は固定しておき、3番以降は、その時の流れで、必要だと思ったことに、都度、対応していく、というルールを、自分の中に作り上げていくと、効率よく動くことができます。

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2011年4月27日 (水)

代々受け継がれる、家系のカルマは、存在するか(2)。

(1)の続きです。

前回は、個人の学びの要素に、共通点のある人たちが代々集まっていることから、学びに関連性や継続性が見られて、「因縁が受け継がれている」ように思えるパターンでした。

それとはまったく別のパターンで、先祖が、他人を苦しめるようなことをして、その災いが、降りかかっているような意味での、家系の因縁、家系の受け継がれるカルマというものもあります。

しかし、スピリチュアルな原則、自分のしたことが自分に返る、というカルマの法則を考えると、このようなパターンは、「ない」「それは気のせいであり、他人がしたことが降りかかることはない」という回答になるはずではないのか、と、思う人もいるのではないでしょうか。

けれど、実際、このようなパターンは「ある」のです。

・・・といっても、自分に関係のない災いが降りかかる、という意味ではなくて、やはり、何かしらの、その経験をしてしまう理由は出てくるのですが。

私は、このブログの中で、「ネガティブな影響を受けやすい」人について書く際に、影響を受けやすい体質であることと、実際に影響を受けてしまうことは別で、ネガティブな影響を受けてしまうときは、自分の波長が下がっているためであり、波長が高ければ、そうそう極端な影響を受けるものではない、という表現を使っています。

このことは、すべてに言えるので、そのまま、当てはめて理解をしていただければいいです。

たとえば、他人を苦しめた先祖がたくさんいる家系に生まれたとします。そうすると、先祖に苦しめられた人達の強い思いや怒りが、苦しめた側の子孫となる人たちに悪影響を、いわゆる霊障を及ぼしてくる可能性は、あります。

しかし、そういう出来事が仮にあったとしても、その家系に生まれた全員が、同じような影響を受けるとは限らず、どんな影響を受けるか、それともさほど受けないかは、その人の波長が決めます。

その人の波長が高く保たれていれば、そう簡単には影響を受けませんし、波長が下がっているときには、ネガティブな影響を受けやすくなります。

その家系に生まれたからといって、誰もが、苦しみを味わう、ということではない、それは、本人の生き方や考え方などをふくめた、波長により変わってくるわけで、むしろ、そのことを気にし過ぎて、心配や不安というネガティブな想念を、自分が作り出してしまっていることから、一見、因縁に思えるようなことが起こっている、という場合もあるのです。

そして、この点が最も大切なのですが、長く続いてきた家系全体を考えれば、どこかで、色々あるのが普通で、まったくひとつの因縁のない家系というものは、ほぼ存在しないとも言えます。ですから、気にしすぎもよくないのです。

もちろん、その比重というか、つよい因縁がある家と、そうでない家との差はあるかもしれませんが。

私たちは、そのカルマ、学びの要素があるからこそ、この世に生まれて、より成長するために、たくさんの経験をしているともいえますので、それらをあまり、悲観的に受け止めたり、必要以上に怖がったりすることも、避けなければならないと思います。

家系のカルマを気にする人が多いのは、自分が原因を作ったカルマについては、自分のしたことだからしょうがないとしても、先祖のしたことが降りかかるならば、それは自分には関係のない、とばっちりのようなもので、割をくっているじゃないの、という気持ちがあるためだと思います。

しかし、縁あって、そういう先祖がいる家系を「選んで」きている以上、無関係なことが降りかかるとは、言えないと思います。先祖もまた、縁あるたましいであり、そういう意味では、グループソウルとは別の観点からの、連帯責任の部分もあるでしょう。 

それらの影響をも乗り越えて、力強く生きていく姿勢が大切で、気にしすぎて被害者意識にならないようにしましょう。

そのような、家系の因縁(が、あるとすれば)を、自分こそが、この代で解消していき、ここから家系の流れを切り替えていくのだ、というくらいの前向きさで、生きていくことができたら最高だと思います。

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2011年4月26日 (火)

代々受け継がれる、家系のカルマは、存在するか(1)。

家系で、何代も共通するトラブルなどがあって、それは、いわゆる家系の因縁などと呼ばれるものが存在するのではないか、自分や家族は、先祖の引き起こしたカルマの悪影響を受けているのではないか、という相談はしばしば寄せられます。

これは、簡単には説明できないので、2回に分けて、詳しく説明していきたいと思っています。

カルマというのは、広い意味では、言葉や行動や思いなどの、積み重ねすべてをさしますが、「家系の因縁、カルマ」という使われ方をするケースでは、災いが降りかかるようなことを指していることが多いので、以下はそのような意味で、カルマという言葉を使っていると読み変えてください。

「カルマの法則」、というのは、「自分のしたことが、自分に返ってくる」「自分が原因をつくったものが、いつか何かの形で自分に返ってくる」という仕組みのことを言います。

この仕組みは、時代を超えて作用することもあります。つまり、前世で徳をつんだものが、今世で返ってきて、実りを手にしたりすることもあるわけです。前世で借りを作ったものを、今世で返す場合などもあります。

今この時に、行動していることはもちろん、思っていることなども、想念というエネルギーとして作用していき、いつか、何かの形で、自分に返ってくることになります。それは、今世のうちに返ってくるかもしれませんし、あるいは来世かもしれません。

一見、無関係な災難が降りかかったように思えても、すべて、何かの形で「自分が」原因を作っているのであり、また、特別なできごとだけをさすのではなく、「この世のすべては、カルマの法則という仕組みに則って動いている」のだ、ということを、まず理解しておきましょう。その上で、家系で引き継がれるカルマについての説明をしていきます。

いくつものパターンがありますが、分かりやすいものとして、「それぞれのたましいのもつ、個人のカルマに共通性があるから」受け継いでいるように見える、場合があります。

血縁であっても、夫婦であっても、たましいは別の存在なので、個性もそれぞれであり、本来は、個人的なカルマもそれぞれなのですが、似たような性質の人たちが集まって家族という縁を作る場合があります。

たとえば、とてもお金にだらしない性格が、代々受け継がれていて、どの代でも、金銭トラブルが絶えないお家などが、当てはまります。

私たちは、自分の学びにあった場所や家族や性別などを、「選んで」生まれてきますから、そういうお家であることを、分かった上で生まれてきます。つまり、もともと、お金に対して、苦労する経験を学ぼうとしているたましいが、学びに相応しい場所として、その家系を選んでくるわけです。

そうすると、お金で苦労して学ぶ必要のあるたましいが、その家庭にやってくるので・・・、つまりお金の管理や考え方がヘタなたましい;が集まってきますから、トラブルも起こるわけですが、「家系で受け継がれる共通性がある、というふうに、傍からみれば、思えてしまう」こともあるのです。

こういう場合は、先祖のしたことが降りかかっているとか、因縁がなんたら、というよりも、「自分自身に、トラブルとなる甘さがある」わけです。

カルマの法則というのは、自分のしたことが、良くも悪くも自分に降りかかるのですから、自分が原因を作ったことが、自分に結果をもたらした、という意味での「カルマ」ではありますが、ご相談者様の多くがご心配なさっている意味での、自分には無関係なことが、先祖のせいで因縁的に災いした、ということではありません。

でも、自分のしたことが自分に降りかかるなら、ごく普通の金銭感覚の家族に生まれて、自分だけがお金に甘くて苦労する人生でもいいじゃない、代々苦労している家に生まれる意味があるの?と、思われる方もいるかもしれません。

その差というのは、それこそが個人のカルマの差があるゆえ、です。

お金についての学び、という点は共通していても、「ごく普通の金銭感覚の家族内で、自分だけが感覚が甘い」という状況設定で学ぶたましいもいれば、「家族全員が、金銭感覚が薄い中で、自分自身もまた甘い」という状況設定で学ぶことが相応しいカルマをもったたましもいる、という違いなのでしょう。どちらが良い悪い、ではなくて、学ぶべき要素に合っている家族を選んできているため、なのだと思います。

しかし、個人のカルマとはいえ、家族内でも、(他の人は、特にお金に甘い部分がなくても)その人の行動が関係してきて、全員が苦労したり、悩んだりはしていくでしょうから、そういう意味では、どんな状況であれ、家族内の共通した学びの要素、という意味では、「家族や家系全体の学び、カルマ」という、受け止め方をすることもできます。

(2)に続きます。

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2011年4月25日 (月)

実際の年齢と、たましいの成熟度は、必ずしも比例しない。

私たち人間は、肉体をもった霊的な存在であり、たましいは何度も生まれ変わって、さらなる成長のための経験を重ねています。

生まれ変わりの回数が、多い人もいれば、少ない人もいます。また、回数は多くても、長生きの人生がなくて、延べ年数が少ないこともありますし、似たようなパターンの人生が多く、たくさんの経験を積んでいない場合もあるでしょう。

それらの違いにより、今回の人生での、人としての器や感性に、差が出てくることがあります。たくさんの経験をしている人は、「たましいが大人」で、深い洞察力に優れ、愛と勇気にあふれた人であることが多いのに対し、経験が少ない人は、「たましいが成長途中」であるので、どうしても考え方が自己中心的になりがちで、他人を思いやる気持ちが薄い人も多いです。

実際の年齢と、たましいの年齢、つまり成熟度は、必ずしも比例しない、というのが、この世での人間関係の受け止め方として、難しいところの一つです。

スピリチュアリズムの知識がある人にとっては、上記の内容はすでに知識として分かっていることでしょうけれど、しかし、現実の人間関係で、自分にかかわりを持つ相手に、これらを当てはめて納得するのは、容易ではありません。

年齢や立場が下の人には、「まだ知らないのだろうから、しょうがない」と思えることでも、上司だったり親だったり、役割が上の人に対しては、「大人なのだから、これくらいわかるのが普通だろう」と、期待を込めて思ってしまうものです。それが期待通りにいかないと、怒りや、大きな不満に繋がり、人間関係がうまくいかなくなるのです。

これらは、意見の対立ではなく、相手の「無理解さ」に腹が立つ、という形で起こるので、自分の中での一方的な感情になり、エネルギーの向けどころがないので、とても消耗してしまうものです。

しかし、自分よりも上の立場に、自分よりもたましいが幼いと思われる人が配置された、ということは、その状況を通して、お互いに学ぶことがある、という必然なので、「ここから、自分を成長させるための、学びを得よう」と、気持ちを切り替えていくことも大切だと思います。

私たちは何度も生まれ変わって、いくつもの人生を経験していて・・・、今は要領がよくてよく気がつく人も、いくつか前の人生では、周囲の人をイライラさせていたかもしれず・・・、きっと、これらは、順番なのだと思います。

今は幼く思える、目の前も相手も、ずっと同じではありません。これから、学んでいくのでしょうから、必要以上に、イライラして、自分が消耗しないように、割り切りを持っていきましょう。

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2011年4月24日 (日)

「考え過ぎ」の改善策は、考え過ぎから離れること。

真面目な性格の人ほど、「考え過ぎ」になることに、注意していく必要があります。思考の習慣は大切ですが、それだけに意識が向いてしまうと、広い視野で深く見つめていくことができなくなり、いつまでも決断に至りません。

多くの「考え過ぎになっている人」が、陥りがちなことに、「考え過ぎている状態を、さらに考えることで解決しようとする」、というものがあります。

考え過ぎの自覚はあって、何とかしようと思うのはいいけれど、「この状態から抜け出すには、どうしたら・・・?」と、また、考えを重ねていくという方法は、有意義ではありません。

それは解釈が逆で、考え過ぎになっているのだから、まずは、「考えることから、離れる」ように、意識を向けていくことが大切です。

これは、なかなか、理解が難しいかもしれません。なぜなら、改善の方法を探しているのだから、順序として間違ってはいないじゃないか、と、一見、そのように思えてしまうからです。

理解のために、別の事柄に置き換えてみます。

たとえば、食べ過ぎて困っているとします。その状態を改善するために、「食べ過ぎを改善したい。では、何を食べれば・・・?」という方法の探し方は、それほど適切な改善策ではないと思うのです。

それと同じで、「考え過ぎを改善したい。そのために、どうするかを考える」というのも、適切な改善法とは言えないと思います。しかし、上記と違って、考え過ぎを改善するために考える、という矛盾には、意外と気がつきにくいものかもしれません。

「考え過ぎ」になっている自分に気付いたら、その改善策としては、考え過ぎになっている特定の要素から、離れることをする、というのが基本です。

考え過ぎになってしまう人というのは、元々の性格が真面目で分析的で、思考の習慣が出来上がっているケースがほとんどなので、そういう人に、「考えること自体をやめなさい」といっても、実際、対応は難しいでしょう。

そういういタイプの人にとって、最も手っ取り早いのは、「思考の対象を、別のものに入れ替える」ことです。全く違う行動をして、それに取り組んでいる間だけでも、思考の焦点をずらしていくのです。すると、だんだんと、バランスが取れていくようになります。

次に有効なのは、「考えを伴わない行動をする」ことです。これは、「考えるのをやめる」こととは違います。考えを伴わない行動とは、たとえば、睡眠とか、歌をうたう、とか。人と軽い会話をする、食事をする、などです。

睡眠以外は、思考とまったく無縁にはなれないけれど、しかしそれほど深くは思考しない・・・というか、思考だけには集中できないものです。

このような、一見、単純に思える方法を取るほうが、考え過ぎの状態から離れるには有効です。そうして、自分を、元のあるべき状態に整えてから、改めて、必要なことを考えていけばいいと思います。

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2011年4月22日 (金)

感情と思考は、感情のほうが重いエネルギー。

物事を判断する際、感情があまりに大きい場合、冷静な判断ができずに、勢いで、相応しくない選択をしてしまう場合があります。

そのようなときこそ理性が大切で、感情に偏らないほうがいいと、多くの人が知っているはずが、実際には、感情に支配されてしまう場面がしばしば出てきます。

その理由のひとつに、「思考よりも、感情のほうが、重たいエネルギーだから」、という点があげられます。

この世という場所で、肉体という重い物質をまとっている私たち人間には、「より重いものに、強く影響されてしまう」傾向があります。

なぜなら、重いものは、波長が近いので感じやすく、軽いものはわかりにくいからです。

この世というのは、重たいものに反応しやすい仕組みになっていること、

強い感情というのは、理性の思考より重いこと、

この2つを理解すると、「私たちは、無意識でいると、感情で判断しやすくなる」のだ、ということが分かります。

だからこそ、意識して、理性の思考を加えて、偏らないようにすることが、適切なバランスに有効になるのです。

実際には、少しの感情も伴わない思考もないでしょうし、逆もまた同じだと思うので、「感情」「思考」という分け方は、便宜上のものでしかないですが・・・、激しい感情に基づく判断は、ともすれば、(発するエネルギーが近い)物質的価値観に、傾いてしまうこともあることを、覚えておくとよいでしょう。

感情が悪いということではないのです。そればかりに偏り、コントロールの範囲を超えて、振り回されるようになったら、遠心力がついて「重く」なるのです。

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2011年4月21日 (木)

自分の波長が上がれば、憑依霊が浄化していく(こともある)。

波長が下がると、未浄化な霊に、憑依されてしまうことがあります。憑依と聞くと、とても恐ろしいものをイメージしてしまうかもしれませんが、実は、日常、よくある現象のひとつです。

憑依の度合にもいろいろあり、プチなものも含めれば、それほど珍しいものではありません。逆にいえば、深刻な憑依というのは、それほど多くはない、こともわかると思います。

憑依現象を解消するには、除霊や浄霊のような特殊な形式が必要、とも、思われているかもしれませんが、そんなことはありません。

この世の出来事は、すべて、そうなる意味が合って起こる必然で、無作為の偶然に困難が降りかかることはなく、霊に憑依されることも、自分の中に、そういうものを「引き寄せてしまう、何か」があるからこそ、起こってしまう現象です。

そこから考えれば、自分の中にある、「引き寄せてしまうもの」が、なくなれば、自然に、憑依も解消されていくことが、分かると思います。同じ要素がなくなれば、引き合うこともなくなるからです。

気付きがあったり、自分の言動を反省するなどして、波長が上向きになっていけば、その瞬間に、憑依霊が、抜けていきます。

取り憑かれている人の波長が上がることで、繋がりが断たれて、その場から離れていく(除霊)こともあれば、霊も(取り憑いている人に同調しているわけですから)学びを得て浄化していく(浄霊)こともあります。

未浄化霊の憑依は、軽いものなら、自分次第で、いくらでも解消することができる仕組みなのです。

憑依されないような生き方が大切だけれど、仮に、たまたま波長が下がって、ネガティブな感情にとらわれ、憑依現象を呼び込んでしまったとしても、自分を立て直して、切り替えていければ、自然に解消されていきます。

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2011年4月19日 (火)

いつもの行動範囲から、飛び出してみる。

変わりたいけれど、なかなか行動ができない、と思っている人の多くは、「変化」を、特別なものに考えすぎて、自ら敷居を高くしてしまっているように思います。

生活のすべてを大転換させる必要はないのです。全く自分らしくない、極端な行動をする必要もありません。

すべてを変えようとせずに、何でもいいので、「いつもの日常と、少しだけ、違うことをしてみる」という考え方で、行動してみてはどうでしょう。

ほんの少しの時間と労力を掛けるだけなら、すぐにでも取り掛かれます。

たとえば、いつも買い物をしているスーパーを変えるとか、朝、家を出る時間を、いつもより15分早める、とか。

それくらいでは、ほとんど影響しないではないか、と思えるようことでもいいです。とにかくまず、行動の「範囲」を動かしていくことを心掛けましょう。

今自分がいる場所を中心に、半径1mの円をつくると、その中に、色々なものが含まれます。このブログをご覧になっている今なら、パソコンや携帯電話がその円の中に入りますよね。それ以外にも、たくさんのものが、含まれます。

次に、その場から数歩、移動した場所を中心に、同じように半径1mの円をつくると、その輪の中に含まれるものは、先ほどとは全く違ったものになります。

いつもと違うお店で買い物をする、というのは、それをもっと広範囲で行うようなものです。

私たちは、さまざまな影響を受けながら生きていることを考えれば、いつもと違う場所や時間に身を置くことで、少なからず何かが違ってくる可能性が、想像できると思います。

自分自身は、ほんの少しの移動や変化であっても、関わりを持ってくるものは、それなりに変わってくるはずです。

そうして、少しずつでも、新しい範囲の中で、人と出会ったり、会話をしたりを積み重ねていくと、そのことにより、自分が変わる、とまではいかなくても、少なくとも「変化のための行動の仕方や考え方」は、身についていくと思うのです。

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2011年4月17日 (日)

人付き合いを避けたい気持ちを、乗り越えるには。

人付きを避けたいという気持ちになるのは、「人付き合いを避けることで、得られるものがある」からです。

それが具体的に何であるかは、個人差があります。干渉されずに自分の時間が得られることだったり、人前に出ると緊張することが避けられるとか、他人から攻撃されたくない(ので、その機会を避けたい)という気持ちだったり・・・。

それが絶対的にいいことだと思っているわけでもなく、自分の価値観で考えた結果、自分にとってのメリットと思われることを、(その価値観が、消極的な意思からくるものだとしても)選んでいるわけです。

そんな自分の状況について、迷いが生まれ、悩んでしまう方もいると思います。

そういうときの考え方として「付き合いを避けることで、得られるもの」と、「人付き合いをすることで、得られるもの」を、比較してみることはとても効果的です。

それぞれに、得られるものがあります。

多方面から考えていき、「人付き合いをすることで、得られるもの」に対する関心の比重が自分の中で、「避けることで得られるもの」より、高くなれば、そのことを目的として、行動や意識を切り替えていくこともできるでしょう。

両方にそれぞれ別の得られるものがあるけれど、付き合いをしていくことで得られるものにより高い期待や価値観を感じていければ、変化のきっかけにしていくことができます。

「今を変えるとしたら、得られるものは・・・?」と、考えていくのがポイントです。「このままでいると、失うものがあるだろう・・・」という考え方にすると、なかなか、そこから抜け出せません。なぜなら「このまま、という前提」で考えると、導きだされる答えの範囲は、ほとんど「このまま」に、偏ってしまうからです。

けれど、人を避けている自分に迷いが生まれる、ということは、本当はどうしたらいいのか、心の底では分かっている、ということでもあります。

ならば、その気持ちを大切に考え、肯定していくためにも、避ける前提で考えるのではなく、避けない前提で考えていき、より豊かになれる生き方を目指していくとよいと思います。

避けたい気持ちを乗り越えるために、「避けないことで、得られるもの」を考え、その気持ちを自分自身が、全力で肯定していきましょう。

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2011年4月16日 (土)

個性という才能は、「使うため」に与えられている。

誰もが、それぞれ独自の個性や特性を備えています。皆が、個性を発揮し、上手く活かしていければ、世の中が、今よりもっと平和で創造的になっていくと思うのですが、なかなか、そのようには進んでいかないもののようです。

人と同じではない部分、人より優れている部分は、与えられた才能であり、世の中に貢献できる要素、でもあります。特殊な才能しか貢献できない、というわけでは決してありませんが、相手が持っていない要素を、持っている自分が供給する、という形が、相互になされていけば、それぞれが満たされていくことができます。

たとえば、頭脳明晰な人たちは、研究者になったり、医師になるなどして、仕事を通して世の中の人達を助ける活動をすることもできます。芸術的センスを備えている人は、作品を生み出すことで、多くの人に感動を与えることができます。

上記は、分かりやすさのための、専門的な例えですが、それぞれ、人の数だけ個性や特性があります。

それらを持ち寄り、分かち合う精神を、皆が持っていくようになれば、この世に平和と調和が生まれていくと思うのです。個性をつぶそうとしたり、逆に独り占めしようとするところから、争いが生じます。

国や地域の特性も同じで、本来は、持ちより分かち合えばいいのでしょうが、希少な資源が出る地域には、争いが起こり、仕組みが出来上がれば、利権争いなどもついてまわります。

国や企業という存在が、この世の物質的な仕組みの中で、成り立っていくためには、理想論のきれいごとでは難しく、競争が生まれることは、仕方がないことかもしれません。

けれど、せめて、人同士、営利が絡む団体を離れたところでは、お互いを認め合い、分かち合う世の中に、少しでもなっていったらよいと、思っています。

個性や特性は、「使うため」に与えられています。眠らせていてはもったいないと思います。発揮することで、人のためにもなりますが、その経験を通して、自分自身も大きな学びを得ていくことができます。

誰もが皆、「使うことで磨かれ、役立てていける、個性という才能」が、与えられているはずですから、それらを表現して、世の中に貢献していく意欲をもった生き方を考えてみてはどうでしょうか。

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2011年4月15日 (金)

古くなった「自分らしさ」に、こだわっていないか。

人の数だけ、個性がありますから、それぞれが「私は、こういうものが好き」「これが相応しい」「これが効果的」という、自分なりの価値観で物事を考えながら生きています。

しかし、人は成長していくものですから、価値観も変化します。5歳のころにはぴったりのサイズだったお気に入りの洋服も、10歳になれば、サイズも合わなくなりますし、好みも変わります。

子供の数年間に起こる変化が大きいことは、体も成長しますし、精神の成長スピードも速いので、誰もが、そのことを自然に受け入れていきます。

ところが、大人になってからの変化については、体が大きく成長するわけでもなく、精神の変化も、子供のころほどには(伸び率が)大きくはないので、「自分らしさ、という価値観は、年令とともに、移り変わっていく」ものであることを、忘れてしまい、すでに(今の自分には)古くなったものを、いつまでも握りしめていて、それが停滞や不調和を招いていることがあります。

それは、過去にこだわっていたり、しがみついていたりするのとは違って、「自分らしさという価値観は、変わっていくのが当然だ、ということに、気付いていない」ことから、起こっていると思います。

個性や価値観というのは、自分の本質に基づいているものですから、それほど大きな大転換、というのは少ないにしても、年令とともに、または、自分の成長とともに、微調整していくことで、より、今の自分に合ったものへと変えていくことが望ましいと思います。

・・・というより、本当は自然に変わっているはずなのに、それを、(自分はこれだ、というこだわりや定義付けのせいで)分かっていない、認識していない、(ということは、自分の感覚が、固定されてしまっている)のだと思います。

現状が、停滞していると感じる方は、今の自分にあった、自分らしさとは、という観点から、考えてみるとよいでしょう。

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2011年4月14日 (木)

守護霊が、「間違った導き」をすることは、ありません。

たまに、ご質問を受けるのですが、自分の守護霊が、「間違った導き」をすることは、(間違い、という言葉の解釈にもよりますが)、ありません。かといって、「すべてが、当たっている」という解釈もまた、実情からずれているように感じます。

なぜなら、間違いとか、失敗、というような結末になるのは、そのほとんどが、物質的価値観による、物質的視点での結果にすぎません。たとえば、不合格になった、とか、壊れた、とか。

そもそも、守護霊が、物質的視点の問いかけ、合格しますか?それとも不合格ですか?のような問いに、イエスかノーかと、答えることはありませんので、明確な間違いの答えが出された、という状況にはなりようがありません。

守護霊というのは、進化向上した霊であり、私たち人間のような、感情や欲望のようなものを超越している意識存在です。

与えるアドバイスがあるとしたら、その人のたましいの成長につながるようなこと、そのサポートとなることであり、どちらが得か、未来がどうなるか、先回りして答えを知りたい(ということは、経験の大切さを軽視していることになります)というような、我欲に基づく質問には、まともに取り合ってもらえません。

守護霊というのは、私たちのことをすべて知っています。なぜなら、広い意味でいえば、自分自身だからです。

守護霊は、私たちのを成長させるために、見守りながら、導いています。必要だと思えば、転んで痛い目を見るような出来事も、与えるような厳しさもあります。手とり足とり、世話を焼き、災難を除いてくれるような存在ではありません。

この世は、「カルマの法則」により、自分のしたことは自分に降りかかるのですから、その仕組みを通して学ぶために人生を経験しているのであり、先回りで(イエスか、ノーか、というような)答えが出されたら、学びは薄れるわけで・・・、そう考えれば、成長を見守る守護霊が、○×の結果に直結するような、「答え」を与えてくれるものではないと、分かると思います。

・この世には、「カルマの法則」という、スピリチュアルな大原則があり、自分のしたことが自分に返ってくるという仕組みのなかで、私たちは、さまざまな経験を通して、学ばされ、気付かされ、成長していくことができる。

・守護霊は、私たちを災難から守ってくれるお世話係ではない。成長のために、常に寄りそい見守っている、大いなる自分自身、でもある。

このことを理解していれば、「守護霊が、間違った導きをすることがあるか?」という質問の無意味さが、分かります。

それはまるで、「高層ビルは、美味しいか?」「太陽は、美人か?」とでも聞いているようなもので( ̄∀ ̄;)、設問が、ミスマッチです。

○か×か、正しいか、間違いか、という「ひと言だけの答え」を、求めたい気持ちから卒業して、「答えは、自分自身が、この人生を通して、自力で手に入れていくのだ」、という意欲をもって、取り組んでいくことが大切です。

そういうときにこそ、守護霊の力強いサポートが、有形無形に、与えられていくものです。

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2011年4月13日 (水)

シンプルすぎる質問の仕方は、相手に不親切。

「○○をどう思う?」、などのように、ひとつの単語だけを使って、詳細を省いた質問の仕方を、多用している人は、少なくないでしょう。

シンプルすぎる聞き方は、言葉がなくても分かり合えるような、とても親しい間柄における会話を除き、相手に、意図するところが、きちんと伝わりにくいです。伝えるための言葉が足りていないからです。

このような聞き方を頻繁にしてしまうと、答える相手を疲れさせてしまうこともありますので注意が必要です。

たとえば、「カレーライスを思いますか」「政治についてどう思いますか」と、自分がきかれた場合を考えてみればわかります。この表現では、具体的に、何を聞かれているのか、わかりにくくないでしょうかsweat02

「カレーライスが好きですか」でもなく、「政治に、平均以上の関心があるほうですか」でもない、「どう思いますか」というのでは、・・・「どう」っていったい何のこと?と、思われてしまいます。

聞かれた相手は、答えに困り、きっと、補足として、それはカレーに関心があるかという意味?とか、今の政権についてということですか、それとも別のことですか?、などと、内容を確かめる質問を返してくれると思います。

それに対し、「ええ、最近、カレーがブームだと聞いたもので・・・」などと、説明を加えれば、その後の会話は成り立っていくとは思いますが、相手に、答えの前に聞き返される、ということは、・・・逆に言えば、的を射た質問になっていない、ということです。範囲の広すぎる聞き方を、唐突にしてしまっているから、詳細を確認されているわけですよね。・・・っていうか、最初からそれを含めて聞くほうが、自分も楽だと思うのですが。

といっても、状況により、単語だけで意味が通じる場合もあるでしょう。たとえば、テレビで、教育について議論している番組を一緒に見ているとして、その流れで、「教育についてどう思う?」と聞くなら、その番組の内容が、お互いの基礎的な共通認識となっているでしょうから、それだけで通じるでしょう。

けれど、共通認識の前置もなく、その質問だけが単独で出現しても、聞かれたほうは、質問の意味するところの範囲が広すぎてとまどいます。

これらは、状況に合わせて、使い分けていくことが大切です。

会話が苦手な人は、このあたりの感覚がピンとこなくて、頭に浮かんだ単語を、そのまま質問として口にしてしまうので、(相手との認識差が生まれて)テンポの良い会話ができなくなっていると感じます。

現代は、テレビやネットで、「自分が言葉を発しなくても」たくさんの情報が得られてしまいます。その感覚に慣れていると、自分が言葉で説明をしなくても、相手にも自分の思っていることが自然に伝わるかのように、錯覚してしまうところがあるのかもしれません。

会話が上手で、適切な質問ができる人は、相手に伝えるために、どんな表現がいいか、相手がこたえやすい聞き方をしよう、と、考えながら話しています(だからこそ、やり取りがスムーズです)。

けれど、ネットやテレビで、自分は無言のままで情報が得られていく日常をおくっていて、実際の人とのやりとりが少ない現代は、そのコツが身についていかない人も多いようです。

「あれ」「それ」で話が通じるような間柄よりも、さらに外側の付き合いを億劫がって避けている場合も同様です。

それでも生きていけてしまうのが、この便利な時代なので・・・、インプットが簡単に得られることで、皮肉にも、アウトプットの力が弱まり、せっかくの情報を、有意義な思考や会話や行動に、うまく結びつけることができなくなっているようにも思います。

自分の思考の習慣や、言い回しのクセなどは、自覚することが難しいものなので、意識しにくいものではありますが、この機会に、考えてみてはどうでしょう。

この点を意識するだけで、格段にやりとりがスムーズになります。

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2011年4月12日 (火)

問題が複数あるように思えても、実際には、同じ要素から発生している。

困難な状況いくつも同時に、あれもこれもと降りかかって、「なぜ、こんなにもトラブルが同時に・・・」とか「どうして、私の周りだけに、これほどたくさんの問題がやってくるのだろう・・・」と、思ってしまうことがあると思います。

しかし、多くの場合、「問題となっている原因は、一つか二つ」であり、複数ではありません。

複数の問題が同時に展開しているように感じられるとしても、実際には、「同じ要素から、幾つもの問題が派生しているだけ」なのです。

一番目のボタンをかけ違えれば、その後のボタンも順番にズレていきますよね。しかし、大元は、最初のボタンの掛け違いであり、それ以降のズレは、それ単体で発生しているのではありません。

例えば、「目ざまし時計が壊れて、朝起きるのが30分遅れた」ために、「用意も遅れ」て、そして、「いつもの通勤電車にも乗り遅れ」て、そして「会社へ到着するのも遅れ」た、としても、「今日は、4個も問題が降りかかり、踏んだり蹴ったりだったよ」なんて考えるのは・・・おかしいですよねsweat02

大元はひとつ、「朝起きるのが遅れた」だけであって、それ以外は、付随的に発生しているのであり、単体で発生しているものではありません。

また別の例では、「人間関係を上手にこなせない人」なら、家族間でも、親戚づきあいにも、何かと揉め事が起こったりすることもあるでしょう。PTAでも苦労するかもしれないし、上司とも衝突するかもしれません。

しかし、これもまた、問題となっている要素は、「人間関係の構築が苦手」という点であり、複数の問題が同時に降りかかっているのとは、違うと思います。

困っているときや苦しいときは、視野が狭くなり、自分だけが被害者になったような考え方にとらわれてしまい、いくつもの問題が、次々に訪れているようにも感じられます。

しかし、実際には、「ひとつのボタンの掛け違いから、以降のボタンに派生して」出来事が起こっていることが多いのです。その点に、まずは気づくことが大切です。

そして、(問題が複数あるわけではないと)気づいたら、ボタンをあるべき位置に順番に戻していくための努力が必要ですとなります。

その際に、大元の一番目のボタンから直す方もいれば、最後の、五番目のボタンからかけ直す方もいれば、改善のためのアプローチは、いくつも存在すると思いますので、取り掛かりやすい部分から、改善をはかっていくとよいでしょう。

どこかが改善していけば、隣のボタンにも、順番に影響して、すべてが少しずつ改善にむかっていきます。

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2011年4月11日 (月)

相手に対する怒りを、自分が意図的に作り出していることがある。

相手に対する怒りの感情がわくときには、そうしてしまう原因が、相手の中にある(から、自分が怒りを抱く)と、自分の状態を差し置いて、思いこんでしまうものです。

火を付けた原因が、相手の言動にあるとしても、しかし、すべてが相手のせいとは言えず・・・、自分が、無意識も含めて、そういう行動を相手がするように「仕向けている」こともあるので、注意が必要です。

怒りを持っていると、それを吐き出したくなります。なぜなら、自分が抱える器の中に、重いものが入っていれば、それを退けて、軽くなりたいという気持ちが働くからです。ネガティブな感情というのは、とても重たいエネルギーです。

誰かに、そのネガティブなエネルギーをぶつけて、発散したいために、本来ならば、怒るまでもない出来事や相手に対して、重箱の隅をつつくように、指摘事項を見出して、怒りをぶつけてしまいます。そうすると、エネルギーは、相手に向かって放出されるので、少し、スッキリするわけです。

そういうときは、本来怒るまでもない出来事に対して、意識的に、怒りの感情を生み出していることになります。

そして、自分では、「不愉快な気分になっているときに限って、周囲の人が、イライラするような態度をとるから困る」なんて、自分を正当化してしまうわけです。そして、ついでに、相手に怒りをぶつけるという行為までも、正当化してしまいます。

しかし、相手の態度がどうあれ、自分の過剰をぶつけることが、正当化されることなどあるものでしょうか。そのすべてを許せとは言いませんし、相手が悪くないとも言いませんが、どんな事情があるにしろ、感情のままに動くことは、良識ある大人のやることか、という点を考えてみる必要があると思います。

また、怒りという、重たいエネルギーを抱え続けていると、だんだん、気持ちがすさんできて、意地悪なことに喜びを見出すようになります。わざと相手が失敗するように、仕向ける態度をとって、そして、実際に間違って、自分に迷惑が及んだら、「ほら、やっぱりあの人はダメなのよ」とばかり、相手を非難することで怒りを発散し、自分を正当化して満足させたくなったりもします。

そうなると、本当に、悪循環になって・・・、そういう行動をとればとるほど、どんどん、波長は下がっていきます。あまりに下がってしまうと、極端になっている自分に気づけなくなっていきます(軽度のうちは、心のどこかで、本当は自覚しているものだと思います)。

ひどくなっていくと、最初のうちは、自分の怒りにたいして、もっともだと同調してくれていた人まで離れていくようになります。重たいエネルギーにまぎれるのは、誰だって嫌だからです。

そこまでになったら、波長を持ちあげていくのは、かなり困難になります。とても時間がかかりますし、自分も消耗してしまいます。多くの場合、その様子を客観視している、第三者からの信頼も失っていきます。

そうなる前に気づくことが大切です。怒りをぶつけることを正当化するため、相手が悪いという状況証拠をつくるために、意図的に、作り上げている怒りは、より一層、自分を下げる行為であることに。

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2011年4月 9日 (土)

選択肢の数よりも、「質」を大切に。

たくさんの選択肢の中から選ぶと、それだけベストの選択に近くなるような気持ちになりますが、実際には、たくさんありすぎて、選びにくくなることがあります。

たくさん集めても、実際に検討に値する選択肢はそのうちの一部であることが多く、収集に費やす時間と労力が無駄・・・とは言いませんが、掛けた労力ほどには活かされないものかもしれません。

たとえば、洋服屋を買う場合でも、店内にある品物のすべてが、選択肢に入るわけではなくて、自分の気に入ったものやサイズが合う数点の中から、選びますよね。

それと同じで、集めた選択肢のすべてが、自分の中で同列に並ぶわけではない以上、数だけたくさんあっても、実際に「選択範囲」に含まれるのは、ほんの一部になります。本当に自分に合うものは、そういくつもありません。

そのことに気づき、視点を「数」から「質」に変えていくことが大切です。

どんなことも、その事柄に対する、ふさわしい規模というものがあります。5つの選択肢を、10に増やすことで、より良いものに巡り合える可能性も出てきますが、さらに50や100に増やしても、逆に、焦点がぼやけて、分かりにくくなるかもしれません。

集めるまでに時間が掛かるうちに、最初の5つの選択肢の「旬」が過ぎてしまうというリスクもあります。物事は常に移り変わっている以上、最初に選択肢に加わった条件そのままで維持されているとは限りません。

選択肢の数に、とらわれすぎず、本当に検討に値する選択肢であるか、という「質」を考えることも大切です。

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2011年4月 8日 (金)

霊感が強い人は、電化製品が故障しやすい?

霊的なエネルギーは、電気に似ている、と感じます。これは、言葉で表現するのは難しいのですが・・・、かなり「近い」エネルギーだと思われます。

そのため馴染みやすさがあるためなのか、霊感の強い方は、電化製品が故障しやすかったり、誤作動が起こったりすることも多いです。

霊的現象が、「(物理的に、もしくは見た目に)電気っぽい反応」を伴って起こることも多いです。・・・といっても、実際に、電気を目視したことはないので(笑)、想像でしかありませんが、多分、電気や磁気が見えるとしたら、似ているのではないかな、と( ̄m ̄*)。

霊感が強い人は、備えているエネルギーが大きいので、普通にしていても、電化製品に影響を与えやすいとは言えますが、しかし、頻繁に故障したり、不具合が起こるのは、そのときの自分の波長の問題が大きいと思います。

感情がひどく上下して、イライラ&カッカしているときには、そのような不具合がおこりやすいものです。怒りなどは、(人や物など、向ける対象があるため)意識のエネルギーが外に向かっていきやすいことも関係しているかと思います。

波長が下がって、バランスが悪くなっているときには、それこそ電気がショートするかのように、自分のエネルギーの乱れが、誤作動の原因を作ります。

霊感が強くても、自分がよい状態を保っていられれば、(それでも、影響がなくなりはしませんが;)、そんなに頻繁に、悪影響は出ないと思います。自分の経験上も、そう感じます。

こういうことは、霊のせいや、自分の体質のせい、と考えたくなるけれど、「風邪をひきやすい体質」と、「実際に風邪をひいてしまうこと」は、同じではないように、良い状態を保っていけば問題ないのですから、自分を被害者のようにとらえないことも大切です。

自分を成長させて、感情に左右されないようになっていけば、影響は格段に減っていくものです。

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2011年4月 6日 (水)

未浄化霊を見たり、憑依されたりの、霊現象に遭遇するのは霊感のせい?

私たち人間も、「肉体を持った霊的存在」なので、自覚のない人でも、少しくらいの霊感は備えているものです。霊感のあらわれ方はさまざまで、何かが見える聞こえる、という形で表れる人もいれば、カンの良さとして発揮される人もいます。

日常、誰もが、あらゆる場面で、霊感を使いながら過ごしているものなのですが、中には、霊を見てしまうとか、憑依を受けてしまうなどの、できれば遭遇しなくない類の霊現象にあってしまう人もいます。

なぜ、そのような、目立った霊現象に遭遇してしまうか、と質問をするとしたら、多くの方は、「霊感が強いから」という答えを思い浮かべることでしょう。

しかし、この答えは、半分は正解ですが、半分はハズレです。

霊感が強くないと、見えたり聞こえたりしないことは確かですが、霊感が強い人が、頻繁に霊を見ているわけでもないからです。

そのような霊現象に合ってしまうのは、「もともと、霊感が強い人」である場合と、「そのときの精神の状態が大きく乱れている」場合が多いです。この二つが揃うと、ベストの状況sweat01になってしまいます;。

霊感が強い、というのは、元から備わっている「本質」です。その時の状態が乱れて下がっている、というのは、移り変わりのある「状態」です。この条件のどちらかが、または両方が、極端に強く出てしまうと、バランスの乱れが、ネガティブな霊現象と引き合ってしまうのです。

未浄化な霊を頻繁に見てしまうのは、「霊感が強い人で、かつ、その時の波長が下がっている」人になるでしょう。

しかし、「霊感が強くなくても、その時の波長が極端に下がっている」人も、霊の姿は見ないとしても、憑依は受けてしまうでしょう。

波長が極端に下がれば、誰でも憑依される可能性はあるのです。

このような現象には、霊感の強さが関係していることは確かですが、しかし、それだけが理由ではないのです。霊感は、改善することは難しいけれど、移り変わりのある状態である、波長は、保つことができます。そちらを心がけていくことが、とても大切です。

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2011年4月 5日 (火)

まずは、目の前にある「やらなければならないこと」に取り組んでみる。

何をしたいのか、分からない、という悩みを抱える方は少なくありません。できれば、目的を持って、それに向かって生きていくことが理想的であり、あらゆる意味で効率もいいとは思います。

しかし、いかなる時でも、具体的な目的に向かって生きていくことが、誰にとっても必要か、といえば、そうではないとも思うのです。それは、人により、または状況により違うものではないでしょうか。

何をしたいのかを、見つけなければ・・・と、考えすぎて苦しくなっている方は、「本当に、今、したいことが明確に分かる必要があるのか?」という視点からも、考えてみることをおすすめします。

もちろん、明確になっているほうが計画も立てやすく生きやすいかもしれませんし、目的がないまま一生を過ごすのもよくないとは思うけれど、長い人生の中で、何をしたいのかが、あいまいなまま、よくわからないまま、過ごす時期もあってもいいと思います。

そういうときには、無理にやりたいことを探そうとするより、まずは、目の前にある(自分がしたい、したくない、という感情とは無関係の)どうしてもやらなければならないことから、取り組んでみてはどうでしょう。

私たちの人生の仕組みとして、自分に必要なことが起こる、という法則があります。この仕組みがある以上、自分に無関係なことがめぐってくることはありませんので、何をしたいのか、見つけられないときには、その時めぐってくるものを必然として受け止めていく、という考え方です。

いつまでも受け身でいい、ということではありませんが、ときには、そのように、柔軟に行動していくほうが、経験値が高まっていきますし、それらがヒントとなって、目指すものが見つかりやすくなることもあるでしょう。

目的ができれば、自然に、能動的になっていけるものなので、焦りすぎずに、今目の前にある、やらなければならないことに、まずは、取り組んでみてはいかがでしょう。

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2011年4月 4日 (月)

自分は何をしたいのか、分からない方へ。

「この先の人生で、何をしたいのか、わからない」、または、「何をするべきなのか、わからない」というご相談をいただくことが、しばしばあります。

「何をしたいのか、わからない」人には、なぜ、分からないのか、というその理由を、まずは、認識していただくことから始めます。

この点をきちんと考えず、「何をしたいのだろう?」「結婚だろうか?」「平和に生きることだろうか?」「・・・それとも・・・??」と、選択肢をいくら並べても、どれだけ時間をかけても、自分が本当に納得できる答えには、至らないことでしょう。

「何をしたいのか、わからない」という文章は、「主語」が抜けています。主語を入れて考えると、「自分が、何をしたいのか、わからない」になります。ここが大切です。

このような悩みは、「自分」が、分かっていないことから生まれるのです。

自分には、どんな資質があって、どんなことが得意で、どんなことが苦手で・・・という、自己分析をして、「自分で、自分をはかる」ことができていない、または今までそういう考え方をしたことがなく、何をしたいとか以前に、「自分」を、わかっていません。

「私は、何をしたいのか分からない。何をしたいのだろう・・・?」と、何を、にフォーカスして、答えが見つからなくなるケースがほとんどです。

ここでまず、考えるべき項目は、何を、の前に、「自分」です。自分が、「自分を知る」ことです。

自分を知っている人は、「何をしたいか、わからない」という疑問の抱き方をしません。「やりたいことが、できるかどうか、分からない」とか、「やってみたいけれど、それでいいのか不安」という考え方に(少なくとも)なっていくものです。

「何をしたいのか、わからない」と思っていらっしゃる方が、まず取り組む必要があるのは、「何を」を知ることではなく、「自分」を知ることです。

そうすることで、自分の人生という舵を、自分の手で握ることができるのです。

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2011年4月 3日 (日)

自分の作り出した感情と、他人から影響を受けた感情を、明確に区分けできるか?

他人の感情などに影響されて、バランスを崩しやすいという、感受性の高い方から、「自分の作り出した感情と、他人から受けた影響による感情とを、区別する方法はないか」というご質問をいただくことがあります。

人との交流というのは、オーラの交流でもあり、お互いに、相手のオーラから影響を受け合っています。自分と同じ考え方の人とは馴染みやすいと感じ、違うオーラの人からは、新たな刺激を受けるなどして、目に見えない領域も、さまざまに影響しあっているものです。

そのため、元気な人といると、自分も元気な気持ちが出てきたり、疲れて落ち込んでいる人と一緒にいると、何の原因もないのに、自分も落ち込んだ気分になってしまう、という状況がつくられます。

しかし、やみくもに、関わりを持つ人の影響を、何でも受けてしまうわけではありません。スピリチュアルな仕組みとして、「波長の法則」と呼ばれる、同じ要素を持ったもの同士が、引き寄せあい、影響し合っていく仕組みがあります。自分の中に、引き合う同じ要素がなければ、他人の影響を過剰に受けることはありません。

自分には何の原因もないのに、他人の影響を受けて、調子が悪くなった…ように思えることがあっても、実際には、自分の中にも、気づかないところで、その影響を引き受けてしまう要因があったことになります。

敏感な人ほど、さまざまな影響を受けやすい、という傾向はあるけれど、そのことと、実際に影響を受けるか否かは、別の話です。常に高い波長を保っていられれば、それほど極端な影響は受けません。完全に影響を防ぐことは難しいですが・・・、それは、敏感な人に限らず誰でも同じで、お互いに関わりを持って影響しあいながら生きているわけですから、許容範囲として受け止めていく必要があるでしょう。

実際に、他人の感情や想念の影響を受けて、調子が悪くなってしまうことは、よくある現象です。自分の生み出した感情ならともかく、他人からのネガティブな影響で、自分がイライラしたり、辛くなったりする・・・、と考えると、相手が加害者で自分が被害者のような気がして、損をしているような気持ちもなるかもしれません。

しかし、自分の中に、引き合う要素があるからこそ、「波長の法則」が働くわけで、相手のせいとはいえず、自分にもそうなる原因が存在していたことになります。

自分の中にも、同じような要素が最初から存在しているところに、他人からの影響が加わったとして、それを(他人からの影響のみを)抜き出して認識することは難しいです。明確な区分けは、できないと思います。

たとえば、ワカメのみそ汁が入っている鍋に、別の鍋で作られた、ワカメのみそ汁が足された状態から、「後で足された分だけ」を、わけることも難しいですし、足されたことを認識することも難しいものではないでしょうか。 違いがあるからこそ、比較ができるために分けられるのであって、共通点があるものについて、明確な区分けは困難です。

自分が影響を受けたことが、「他人のせいでこうなったのであり、自分は悪くない」と受け止めてしまうと、なんとかして影響を見分けて除きたい、という気持ちになります。

しかし、自分の中にも同じ要素があったからこそ、「足された」ようなものであって、まったくの無関係なものが新たに足されることはない、という受け止め方をしていけば、見分けたいという気持ちも、薄くなります。

本当に見分けていく必要があるのはどこなのか、が、分かるからです。それはつまり、相手から足された要素ではなく、自分の中に存在していた、共通する要素です。そちらを改善していけば、影響を受けにくくなっていきます。

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2011年4月 2日 (土)

雑念が過剰になるときは、視覚を休めるのが有効。

どうでもいいような雑念が次々にわいてきて、止まらなくなってしまうことがあると思います。今考えなくてもいいことや、本当に些細なことなどが、次々と浮かんできて、頭の中が休まらないような状態です。

私たちが、呼吸をしたり、内臓が動いたり、瞬きをしたり、体温調整をしたりする行動をつかさどっている神経を「自律神経」と言います。わかりやすく2つに分けると、「活発モード」と「リラックスモード」があって、これらのバランスが常に取られています。

しかし、何らかの原因があって、このバランスが崩れると、多くの場合、「活発モード」にスイッチが入りっぱなしになります。リラックスモードになれないので、常に、緊張していて、気が上がって、活気が出過ぎるので、イライラしやすい状態にもなります。

緩むことができなくなるので、妙に冴えてしまって、思考が過剰になります。次々といろんなことが思い浮かび、「思考を止めることが、出来にくい状態」になるのです。

「活発モード」に固定されてしまうのは、そうなりやすい状況、集中や緊張せざるを得ないような状況に置かれているためです。たとえば、とても忙しくて張り詰めているとか、時間に追われている、とか。

本来、その状態から離れれば、自然に、元のバランスが取れた状態、真ん中に戻るものが、あまりにそちらに傾いて、習慣化してしまうと、戻りにくくなり、常に集中力や積極性が働いて、(必要がないのに、自分のコントロールが及ばないくらいの)過剰な思考力に繋がってしまうわけです。

そういうときは、視覚を使っていることが多いです。たとえば長時間ネットを見ている人なども、過剰な活発モードになりやすいので、注意が必要です。

しばらくネットから離れて、もしくは短時間で切り上げるようにして、視覚を休ませることが大変に有効です。眠れるなら、それが一番良いのですが、リラックスモードに切り替わらないと、なかなか寝付けないことも多いです。

そのような状態になって、辛く感じたら、まずは目を休めましょう。ネットから少し離れてみるとよいでしょう。

また、リラックスモードに切り替えるためには、体を温めることも有効です。二つの神経のバランスが崩れているときは、体温調整機能がうまく働かずに、冷えやすくなります。それを、あたためることで、元の状態に戻していくのです。

私は、こちらの商品をよく使っています。「あずきのチカラ 目もと用」。

ホットタオルなどと比べて、準備が楽なので・・・。目の上に乗せるときの、重さによる圧も、心地よい感じです。

思考が止まらなくなるのは、いろんな複数の要因が絡み合って、そうなることが多いので、すべてが、上記の方法で改善するわけではありませんが、多少は、(少なくとも、その要素が干渉している部分においては)改善していくと思います。

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