« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月の27件の記事

2011年3月31日 (木)

相手から見て、印象に残りやすい性質がある(オーラからの考察)

人は、多面性を持った存在なので、ひと言ふた言で、「あの人は、こういう人」などと、言い表わすことは不可能です。それは、オーラの観点からも明らかで、性質を表わすオーラの色が、単色の人はいません。誰もが、とても複雑で独自なオーラを備えています。

しかし、幾つもの要素を備えている中でも、とりわけ「他人の目からみて、目立ってしまう要素」というものがあり、その一部分が、まるで全部であるかのように拡大解釈されてしまうことも少なくありません。

ご相談で、「私は、とても気にするタイプの性格なのに、楽天家だと思われて、「気にしないタイプの人よね」と、扱われるのが辛い」など、自分の認識と、他人から見た印象のギャップで、辛くなるという方もいます。

人は多面性を持っていますから、そういう方はきっと、「気にするタイプである要素」も、「楽天的で細かいことを気にしない要素」も、どちらも備えているのだと思います。けれど、他人が強く印象を抱いてしまう要素が、後者のほうである、ということなのでしょう。

ちょっと話は変わりますが、私はこのブログの中で、オーラについて説明する際に、「例えば赤いオーラの人と、青いオーラの人を比較して優劣はつけられないように・・・」などと、「赤」と青」を例として取り上げることが多いです。

何故、「オレンジと緑では・・・」としないのかと言えば、赤の元気でパワフルな性質と、青のさわやかでクールな性質は、イメージしやすく、分かりやすいからです。そのほうが、説明が伝わりやすいだろうという判断です。単純に「色」として考えても、赤や青って、ぱっと目を引いて印象に残りやすいですよね。

それと同じように、幾つもの要素を備えている人でも、相手が受け取る印象として、分かりやすい部分が強調されて認識されてしまうものではないでしょうか。複雑で言葉に置き換えにくい部分ほど、相手には伝わりにくいものかもしれません。

他人から、違う印象を持たれて誤解されてしまう等の悩みも、それが大きく支障をきたすならば、分かってもらうための努力をしていくことも必要ですが、それほど大きな影響もなく、自分の気持ちの問題であれば、「他人から見た目というのは、そういうもの」と、割り切って、気にしないほうが楽に生きられるのかもしれません。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月30日 (水)

相手に合わせた付き合い方を。

人付き合いで、悩んでしまう方の中には、性格がやさしすぎたり、真面目すぎたりして、誰にも同じくらいの親切な態度をしなければ、というプレッシャーを抱えてしまう方も多いです。

すべての人に公平な態度で接することは大切であり、素晴らしいことではあるけれど、相手により、態度を使い分けることも、同じくらいに大切だと思います。

真面目すぎる性格の方は、すべての人に同じ労力で、同じ方式で接することが公平だ、(差をつけると、不公平だ)、というふうに、同じやりかたにこだわって考えてしまう傾向があります。それも一理あるのですが、しかし、それぞれ別の個性を持つ、別の人間ですから、同じ態度をしても、同じに伝わるとは限りません。同じ労力をかけなくても、ポイントを押さえていくことで、むしろ効率よく伝わる場合もあるでしょう。

優しすぎる性格の方は、相手に合わせて態度を変えることは、自分の心が狭いためではないかと考えてしまう傾向があります。しかし、ひとりの人間がやれることには限界がありますから、そんなに自分を責めることはないと思います。

相手に合わせた態度の使い分けに、居心地の悪さや、罪悪感が出てしまう方は「使い分けることで、自分だけでなく、相手にもメリットが生まれる(こともある)」という考え方をしていくといいでしょう。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年3月29日 (火)

懐かしい再会が、短期間に連続して起こるのは?

昔の知り合いに、久しぶりに、しかも偶然に再会する機会が、短期間に何度も重なることがあります。そのような出来事が起こる時期は、ちょっと立ち止まって、過去から今までをじっくり考えていく時期、「転換期に入る、少し前」であることも多いようです。

昔話に花が咲き、忘れていたことを思い出させてくれたり、気持ちがリフレッシュできたり、いろんな作用があると思います。

昨日と今日の差、今日と明日の差というのは、とても小さいので、私たちは、なかなか、自分の成長や変化について、日々意識していくことは難しいものです。

変化を分かりやすく認識するには、ある程度の「時間の経過」が必要です。しかし、時間がたちすぎると、忘れてしまうことも多くなり、または、目の前のことに忙しく、過去を考えるための機会を持ちにくくなります。

そんなときに、昔の知り合いとの出会いが、偶然に(実際は、それは必然なのですが)、しかも、何度も短期間に起これば、意識が、過去から今までを振り返ることへと、自然に向いていくものです。そのために、必要な機会が用意されていて、一見、偶然に思える形をとって、出会うようになっているのでしょう。

懐かしい再会が、何度も続いてあるときには、「過去を振り返って、今を見つめなおす時期なのかもしれないな」と、意図的に、とらえていくこともよいと思います。新鮮な気持ちを取り戻すことは、未来に向けて、力強くあるいていくための力になってくれます。

ただ、気をつける必要があるのは、それ以上の意味を、無理にこじつけて解釈しないことです。「この再会には、この人と親しくしなさい、などの、特別な意味が含まれているのではないか・・・」などと深読みしだすと、過去を振り返って力にしていくどころか、逆に、今に(考えすぎによる)混乱が生じてしまいます。

もちろん、特別なメッセージ性を持つ再会の可能性も、ゼロではないでしょうけれど・・・、その点にとらわれすぎないことも大切です。細部にとらわれてしまうと、全体像が見えてこなくなります。

どちらに当てはまるかは、懐かしい再会を、短期間に何度も繰り返すときの、自分の状況を、考えてみると分かります。

多くの場合、上記のとおり、「過去から今までを振り返って、この先の人生を改めて考えていく必要性」を感じる状況に、置かれているはずです。

だからこそ、「必然」で、過去を思い出し振り返る機会が与えられる、という、プロセスを経て、未来に向かっていく準備が、なされていくのでしょう。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年3月28日 (月)

仕事に何を求めるか。

お仕事について、悩んでいる方は多いです。その悩みを、自己分析していく際に、考えるとよいのは、仕事の「何が」悩みなのか、不満なのか、という点を明確にしていくことです。

多くの場合、「人間関係」か、「待遇=金銭面」の悩みや不満です。ならば、「仕事における、人間関係で悩んでいる」、「仕事の待遇が不満である」と、受けとめたほうがいいです。

その点を明確にすることで、改善方法を検討しやすくなりますし、または転職する場合でも、次の仕事に求める要素が絞り込めるからです。

この点をあいまいにしたまま、「仕事」というあまりに大きな枠組みで、悩みを作ってしまうと、改善方法も探しにくいです。

「仕事の人間関係の悩み」ならば、転職を考える前に、次の定期異動を待って様子をみよう、とか、自分のコミュニケーション力に問題があるのかな、とか、相手のニーズはどこにあるのだろうか、などと、改善の方法を考えることができます。

けれど、「仕事」について悩んでしまうと、このまま続けるか、それとも辞めるか、というような、とても極端な二択になり、どちらも選べないから、いつまでも解決しません。

悩みながらも、どうしたらいいか分からなくなっている方の多くは、上記のように、「仕事の、何が」問題になっているのか、分析できていません。

それで、苦し紛れに、「自分に合う仕事は何か」と別の問題にすり替えてしまいます。

以前の仕事がうまくいかなかったのを、「合わない」からだと思っているうちは、次の仕事に就いても、同じようなことで悩み続けることになるでしょう。「何が、合わなかった」のか、という点を考えていく必要があります。

何が悩みなのか、という点は、その人が、「仕事に、何を一番求めているか」という点に連動しています。求めているものが、満たされなければ悩みになりますし、求めていないものは、満たされなくても不満にはなりません。

たとえば、人間関係が一番だと思っている人なら、多少待遇がよくなくても、それは大きな悩みにはなりません。一番のニーズが満たされているからです。

仕事の悩みを解決するために、まずは、仕事の「何について」悩んでいるのかを、明確にしていきましょう。考えてもわからなければ、視点を変えて、自分は仕事に「何を一番に求めているか」を、考えてみましょう。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月27日 (日)

生活習慣を見直したい方にお勧めの本。

「心」と「体」と「たましい」は繋がっています。精神の状態は、体の状態と連動している部分があります。悩みすぎると、胃が痛くなったり、眠れなくなったりしますし、体調がととのっているときは、やる気がみなぎって気分も明るくなるものです。

日々の生活習慣は、精神面の状態にも、大きく影響していくものなのです。

精神の状態がすぐれないとか、影響を受けやすいと悩む方で、霊的な影響で、不調和が作られているのではないか、と、考えている方が少なくありません。実際、そういうケースもありますが、霊の影響を受けるのは、そのときの自分の調子が下がっているからであり、霊だけが悪いのではありません。

改善のためには、そのとき限りの除霊などに頼るよりも、毎日の生活を見直すことのほうが、長い目でみれば有効です。

精神の状態を整えるためには、考え方や心の在り方という目に見えない部分を成長させていくことも大切ですが、それと同じくらいに、体調面を整えていくことも効果があります。

体調がよくなると、本来の備わっている力がみなぎっていくので、精神面においても、多少のことでは、調子を落としたり、影響されたりはしなくなります。

世の中には、さまざまな健康法や、食事法などがありますので、自分に合ったものを探して、実践するのが一番ですが、何を選んだらよいかわからない方のために、私が参考にしていている本を紹介しておきます。

長いお付き合いのクライアントさんは、すでにこの本をお持ちの方も多いと思いますが( ̄m ̄*)、「アンチエイジングの鬼」です。有名なブログを書籍化したものなので、ご存じの方も多いでしょう。

食事やストレッチ、化粧品などについて、また心のあり方などについても書かれていて、面白いです。私は、この本のすべてを取り入れているわけではありませんが、基礎的な知識がたくさん載っていますし、わかりやすく書かれていると思います。

生活習慣を見直したいけれど、何からはじめていいのか分からない、という方には、オススメの2冊です。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (4)

2011年3月26日 (土)

仕事に対して、金銭面もきちんと考える。

ある職業に対して、自分の備えている資質が、とても合っていることと、その仕事が金銭的な安定につながることは、必ずしもイコールにはなりません。

たとえば、「お花屋さん」という職業が、資質的に向いていることと、実際にお花屋さんをオープンして金銭的に成り立っていくことは、別の話になります。

お仕事の悩みをお持ちの方から、「どんな仕事につけばうまくいくのか、合っている職業名をズバリ答えてほしい」というご相談をいただくことも多いのですが、このようなご質問をなさる方は、「うまくいく」とか「合っている」の、認識の仕方が、あいまいになっているのだと思います。

「合っている」と、馴染みやすさがあって、資質が発揮しやすいとか、集中して取り組めるとか、いくつものメリットが生まれます。

けれど、合っていても、金銭的には成り立たないケースもあると思います。そもそも、安定しにくい職業、というものが存在するからです。そのあたりを、混同して考えていたり、合っていれば、すべてうまくいくはず、という思いこみで、現実を分析していない方が多いのではないでしょうか。

たとえば、俳優さんなどは、テレビに出て華々しく活動する人は全体のごく一部で、大部分の方は、アルバイトをして生計を立てながら、活動などをしていると聞きます。彼らも、きっと、「俳優としての才能はある」方たちだと思うのです。けれど、俳優という職業そのものが、きわめて成り立ちにくい仕事のため、それで生活をしていけるのは、まれである、ということなのでしょう。

それでも、本人が納得してやっているのであれば、それでいいと思うのです。どんな生き方も自由だからです。金銭的に成り立ちにくいことを承知の上で、目指す職業があって、そして、そのために不足分をアルバイトなどで補う、というのは、とても現実的で立派な考え方だと思います。

問題なのは、自分がどこにも納得も理想も持っていない場合です。

何を仕事に求めているのかが、自分でもよくわからないまま、「合っている仕事」「うまくいく仕事」を探そうとしても、基準がなければ判断も難しくなります。

仕事の目的は、お金がすべてだとは思いません。けれど、生活の手段である以上、金銭面を全く考慮しないわけにもいきません。この点をきちんと考えることが大切です。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月25日 (金)

他人から、「過度に頼られ、利用されてしまう」のはなぜ?

いろんな人たちから、いつもあてにされ、過剰に寄りかかられて、いつも他人の面倒を見ていて忙しい状態になり、大きなストレスを抱えてしまうタイプの方がいます。

このような方は、基本的に性格がやさしいので、困っている人がいると放っておけずに手を貸してしまい、たび重なると、だんだんと、自分が消耗してしまいます。

人を助けてあげるのは尊いことですが、何でも、バランスが大事で、過剰になったらよくありません。過剰な手助けは、相手の自立心を奪いますし、なにより自分自身がひどく消耗し、不満も出てきます。

手を出しすぎないほうがいいと、分かっていても、なぜか、自分の周りに、依存心の強い人ばかりが集まってきてしまい、自然とそのような役割になってしまう(から、自分が悪いわけではない、好きでそうしているのではない)と、思うこともあるかもしれません。

人の縁というのは、意味なく作られるものはなく、必ず、自分の中にある何かが引き合って、出会うようになっています。このケースでも、原因は、自分の中に存在しています。

先にも書いたとおり、このような悩みを抱えるのは、基本、性格がやさしい人で、どちらかといえば受け身なタイプが多いです。

どこか自信がなくて、「相手の反応で自分の存在価値を確かめたい、それで納得して安心したい」、という気持ちを持っているので、その部分が、依存してくる人を引き寄せてしまいます。

誰かに何かをしてあげることで、相手から感謝なり尊敬なりの反応を示してもらって、自分の価値を作り上げたい、何かをしてあげることで、相手かの反応がほしい、相手から愛されたい、私に恩を感じてほしい、などの気持ちが過剰にあれば、「波長の法則」で、別の意味で過剰を引き寄せてしまうので・・・、依存的な人がいつも集まってきます。

つまり、自分の中にも、相手からこう思われたい、という依存があるのです。依存が依存を引き寄せて、自分が自分を不満でいっぱいにしていることになります。

やさしさや、親切心は、(ときに、自分が苦しくなることがあるとはいえ)それは喜ぶべき長所であり、改善点ではありません。より良い形で発揮させていき、輝いて生きていくことが望ましいです。

「自分が、そういう相手を引き寄せていたのだ」と気付くことで、「なぜ、そういう人ばかり集まってくるのだろう?」という悩みが消えます。状況はすぐには変わらないかもしれないけれど、少なくとも「なぜ」には、答えが出たことになります。

気付くと、自分が変わります。自分が変われば、引き合う相手も、もちろん変わっていきます。その様に段階を踏んで、状況も変化していくものです。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年3月24日 (木)

話し手も聞き手も、それぞれ「自分の思考の習慣というバイアス」が掛かる。

自分の伝えたいことが、思うように相手に届かなかったり、曲解されて、相手に対して不愉快な思いを抱いたり、自分のストレスに繋がることがあると思います。

そんなときに、まず念頭に置いていただきたいのが、「人は、自分が認識したいように認識する」ものであり、「発言者の思うとおりには、受け取ってくれないもの」である、ということです。

ですから、発言者側も、あらかじめ、相手の受け取り方として、多少の誤解ありき、曲解ありきが、「当然」だというふうに、割り引いて考えておくことが必要なのです。

どれほどに力を尽くしても、話し手の思った通りそのままに、相手に伝わることなど、まずありません。解釈は、相手の内的な領域でなされる以上、外から他人が働きかけられる部分には限度があります。

人は、自分にとって都合の悪いことは聞きたくないので、「他人ごとのように」しか解釈しないし、自分に都合のよいことには、拡大解釈を当てはめる傾向があります。矛盾があっても気づきませんし、気づこうともしません。

そのような「自分の思考の習慣というバイアス」をかけた会話やコミュニケーションの中で、意思の伝達をしているのだから、思った通りに伝わらない可能性を、あらかじめ認識しておくほうがいいのです。そうすると、不愉快になったり、イライラしたりすることも、少しは減るでしょう。

その点を考慮してもなお、受け止め方の差という範疇を超えた、あまりに大きな解釈の開きがある場合には、「自分の伝え方が、悪い」という可能性も、考えてみた方がいいと思います。

「人は、自分が認識したいように認識する」のは、発言者にも当てはまるわけで、「自分の伝え方が悪いなんて、認めたくない」かもしれませんが・・・、あまりに度々、そういうことが起こるなら、受け止める解釈のずれというよりは、「自分の伝え方が適当ではない」可能性もあります。

あらゆる言葉を駆使して、分かりやすい例え話を用いたり、表現を工夫したり、相手に合わせた伝え方を使い分けることが大切です。

また、「伝える相手の選定が、適当でない」という場合もあります。相手が知りたくないことを、伝えようとしても、望む反応がないのも当たり前です。対象の選択ミスという自分の間違いを、相手の理解力のせいにしてしまうことも、気をつけなければなりません。

発言者である自分と、受け止める相手との認識の感性は、同じではないのは当然であり、立場を変えれば、自分も同じように、誰かの発言を曲解しているかもしれないわけで・・・、「お互い様」の部分に、一方的にイライラを募らせることなく、冷静に、自分のコミュニケーション力を、より高いレベルに磨いていくことが大切だと思います。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月23日 (水)

結果のみを重視する「現世的」な考え方から、卒業することが大切。

この世で起こるすべては、意味のある必然です。出来事が起こるか否か、という結果だけにとらわれず、原因があって、結果がでる、まいた種が実る、という「プロセスを含めて、包括的な視点でとらえていくこと」が、スピリチュアルな考え方だと言えるでしょう。

なぜなら、「プロセスを経験する」ことも、「包括的にとらえていくことでえられる気付き」も、どちらも、たましいの成長に繋がることだからです。

プロセスをすっ飛ばして、結果のみを手に入れられたら、簡単ですが、それは、たましいの成長という観点からは、得られるものが少ないです。

しかし結果を出すのが無意味だ、ということではありません。結果に価値を置きすぎることや、プロセスはどうでもいい、というインスタントな考え方が、スピリチュアルとは言えない、ということです。

世の中の多くの人は、「目に見えないことを話題にするのが、スピリチュアリズムだ」と、誤解しているように感じられることがあります。

目に見えないことであっても、考え方が物質的価値観、現世的で結果重視、今さえよければいい、という動機や解釈が絡んでいれば、それはスピリチュアル(な考え方)とは言えません。

たとえば、「将来的に考えて、私はどちらの選択肢を選べば、たましいにふさわしい生き方ができるのでしょうか?」というような質問は、一見、とてもスピリチュアルに思えるかもしれません。「たましい」という言葉が入っているからです。

けれど、そのことについて、考えたり、悩んだり、ときに選択を失敗して悔み、やり直したりする経験にも、得られるものがあります。というより、「その経験からしか得られないもの」があります。「どちら」という答えに至るまでのプロセスも大切です。

自分に合っている、ふわさしい、というのは、備えている「傾向」として、参考にすることはできるかもしれませんが、決めるのは自分自身であり、どちらがいいか、悪いか、というような「ただ一つの正解」は存在しません。

この世という、限られた時間の中で生きている私たち人間の考え方が、(スピリチュアルというよりも)現世的に傾きやすいのは、仕方がないかもしれません。が、また、だからこそ、そんな世界に生きて、実践がとても難しいスピリチュアルな感性を大切にした生き方をする、という学びを経験しているのでしょう。

この世で生きている限り、結果を基準にすることは、ある程度仕方がないことです。この世はそういう世界であり、何かの「目的」を定めるほうが行動しやすいのは明らかで、その目的とするところには、結果がついてまわります。

大切なのは、結果を含めた一連の経験や気付きにも、学びがあり価値があり、○か×か、イエスかノーかと、まるでクイズのように、正解の答えを探すことは(一見、楽や得ができるように思えても、実際のところは)、学びから遠ざかる行為になり、自分のためにはならないのだ、という、理解をしていくことだと思います。

現世的には得ができても、たましいの観点からすれば、まったく得にならないどころか、むしろ学ばなければならないことを、増やしてしまっている、という場合もあります。

何に価値を置くか、という感性を磨いていくことが大切です。その上で、スピリチュアリズムの学びを活用していければ、人生はより輝いたものになっていくでしょう。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年3月22日 (火)

今の感覚で、過去の言動を振り返ってみる。

自分で自分の変化は、分かりにくいものです。過去から、自分がどれくらい変化したか、どのくらい精神的に成長できたかを確かめるためには、過去の言動を、振り返ってみると分かりやすいです。時間の経過が、比較を容易にしてくれるからです。

どんなことでもいいので、過去に、トラブルになったり、自分か相手のどちらかが気を悪くしたような出来事を、思い返して、「あのとき、どうすればよかったのか」を、考えてみます。

もしも、今の自分だったら・・・、今の感覚で、その時に戻るとしたら、どんな言動をとるか。当時と同じか、それとも違っているか。

「あそこまで、きつい言い方をしなくてもよかったな」とか、「もっと、相手のことを考えて、分かりやすく伝えるべきだった」とか、「相手の態度に、大人げないリアクションをしてしまった」とか・・・、今なら、もう少し冷静になることができたのに、と思えるならば、その点が、過去からの変化であり、成長した部分だと言えるでしょう。

過去の自分の言動が、悪いという意味ではないのです。人は、常に変化していて、変化とは成長でもありますから、「その人にとっての最善」の位置するところは、成長とともに移り変わっていきます。

きっと、自分も相手も、過去の時点でとった行動は、お互いに「そのときの、自分の精一杯」だったのでしょうから、それに○×をつける必要はありません。あくまで、「今の、(成長した)自分ならば」という観点で、振り返ってみると、見えてくるものがあると思うのです。

「見えてくるもの」とは、多くの場合、その時点なりに、とても一生懸命だった、自分と相手の姿です。

きっと「あの時点では、しょうがなかった」と思えて、過去の自分と相手に対して、やさしい気持ちになることができるでしょう。

そして、その様なことを考えることができる自分自身に、「成長」を感じることもできるでしょう。

★ブログランキングに参加しています。記事がお役に立ちましたら、以下のバナーをクリックして、投票をお願いします。

   ↓ ↓ ↓

 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月20日 (日)

自立心を持って支えあえる関係がベスト。

お互いに信頼できる、人間関係を作るためには、まずは、自分が、自立心を持つことが大切です。よい関係というのは、「自立した人同士の間で、つくられるもの」だからです。

人間関係も、同じものが引き合うという「波長の法則」によりつくられますから、出会いも、関係も、自分自身がつくっている、と考えることもできます。

私たちは、お互いに支え合って生きていくことが大切です。支え合う、というのは、自立心を持った人同士が、相手の身になって助け合うことであり、お互いに依存しあうことではありません。

これらは、表面的には似ていて、混同されやすいかもしれませんが、決定的に大きな違いがあります。前者は、お互いの信頼のもとに長続きするのに対し、後者は、長続きせず、お互いに不満を抱きます。

誰の心の中にも、多少の依存心は存在します。完璧な人などいませんから、それは責めるようなことではありません。大切なのは、「過剰にならない、バランス」です。

世の中には、とても行動的で愛と勇気にあふれた、「頼りになる人」がいます。率先して動くことを厭わず、相手を思いやれる人です。

このような思いやりにあふれた人なら、「頼りになる人(自立)」と「頼りたい人(依存)」で、良い組み合わせになるのではないか・・・、と、そんなふうに思えるかもしれません。 けれど、実際には、その様な組み合わせで、お互いを大切にできる関係はなかなか作られることはありません。

なぜなら、自立している人は、相手にも同じような大人の感性を求めますから、一時ならよくても、長く信頼し合える関係には、発展しないものだからです。

外では、人のために率先して動いていて、依存に対しても、親切な行動ができる人でも、プライベートでは、気持ちを休めたい、と思うでしょう。そういうときに、パートナーとして選ばれるのは、やはり、「バランスの取れた人」になるのではないでしょうか。

また、「頼れるタイプの、自立した人」は、自分がそうあるべきだから、という信念に基づいて行動しているのであり、人から頼りにされたいから、ではありません。つまり、「頼りになる人」からすれば、「頼りたい人」という存在は、自分のニーズを満たす存在ではない、ということです。

頼れるタイプのパートナーがほしいけれど、なかなか、そういう人と出会えない、という悩みを持っている方は少なくありません。そのような人と縁ができるためには、まずは、自分自身が自立心をもって、輝いて生きていくことが大切です。そうして、自立の想念が自分から放たれていけば、波長の法則により、同じような要素を持つ人と、縁が作られていくのだと思います。

まずは、自分が、自分を支えられるようになって、そして、人のために行動できる思いやりを持ち、実践していくことからスタートしてみましょう。頭でわかっていても、なかなか行動できない人も、勇気を出して人のために行動してみましょう。

自分が誰かを頼りたい、と思っているうちは、頼れる人とは出会えません。まずは、自分自身を見つめなおしましょう。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月19日 (土)

自力が及ばない部分は、「委ねる」ことが大切。

さまざまな機会や情報、新たな人間関係、出会いの縁などを得るためには、自から求めて動いていくことが、一番大切だと思います。

けれど、広い意味での「タイミング」や「チャンス」というのは、自分では意図しないところから、もたらされるケースも実際には多いものです。

すべては「カルマの法則」により、自分がまいた種が何らかの形で実っていくのですが、「実り方」や「実るタイミング」については、私たちの思い通りになるわけではありません。(あくまで私たちの、人間としての観点からすれば、ですが)委ねていくしかない部分も存在します。

なので、まずは自分から動いて行くことを前提として、さらなるプラスアルファを考えるとしたら、「特定の、自分の望むタイミングを作り上げる」ことは実際には難しいので・・・、「求めているタイミングやチャンスを、引き寄せられるような自分になる」という、取り組み方をしていくのがよいと思います。

この点に執着して、タイミングもチャンスも、自分の思う通りに何とかしようとすると、・・・現実にはありえない魔法を探して、時間をロスして遠回りをすることにもなりかねません。

委ねるしかない部分においては、こだわらずに、そこから少し意識を離すようにして、広い意味で自分を高めていく、という解釈も大切です。

たとえば、「宝くじを当てたい!」と考えて、「実際に、宝くじを購入する」ことはできます。「よく当たるという売り場で、購入してみる」という工夫もできます。・・・どこまで、効果があるかは分かりませんが;、一応、そのような行動をとることは可能です。けれど、実際に、当選するかどうかは、自分が何とかできることではありません。

つまり、「自分が行動することで事態が動いていく部分に関しては、積極的に行動」し、「自力が及ばない、思う通りには動かせない部分に関しては、『求めているチャンスが、もたらされるような自分になるべく、成長していく』ことを心がけて、委ねる」という、切り替えが大切なのです。

自分が動くところを、動かなければ何もスタートしませんし、また、自分でなんともできないところにこだわりすぎても、前に進めなくなります。

今、自分の人生がなかなか上手くいかない、変化がない、と悩んでいる方は、ご自分が、上記のどちらの要素で止まっているかを、考えてみましょう。 自力が足りないのか、それとも、自力にこだわり過ぎているのか、分析していくことで、次にとるべき行動が見えてくるでしょう。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月18日 (金)

相手と状況により、言い方やタイミングを考慮しなければならない。

正しいことも、伝える相手を選んでこそ、活かされるものと思います。

たとえば、「人として、世の中のために尽くしていく意識をもって、自己責任のうえで、さまざまなことに立ち向かっていくべきである」などの、ごもっともな意見も、対象が大人であってこそ通じる話で、言葉もよくわからないくらいの小さな子供に言って聞かせたとしたら・・・、「そんな難しい話は、非常識だ」ということに、なると思います。

相手が大人でも、その人の置かれている状況を踏まえて、言葉を選んでいかなければならない点は、同じです。

もしも、今、溺れている人がいたとして、「なぜ、(不注意にも)溺れるのか!」「溺れてはいけない!」と、叫んでも、・・・分かっているなら、最初から、溺れたりはしないでしょう。

溺れてはいけないという意見そのものは正しくても、今現在、窮地にいる人は、聞く耳を持つ余裕はないかもしれません。

まず、その人を引っ張り上げて、陸に上がってもらってから、諭すなり、注意なりするのはいいかもしれませんが、伝えるタイミングを考慮する必要があります

完璧主義の人や、はっきりものを言う性格の方は、正論を主張しすぎて、人間関係の上で大きく損をしている場合が少なくないようです。

話の内容は正論であり、愛情からの発言だとしても、伝える相手と状況を選んでいかないと、(伝えたことで、逆に)反抗心を持たれて、余計に頑なになってしまうこともありえます。

相手のために伝えたい、と思うのならば、相手の身になって、どんな伝え方と、どのタイミングがよいのか、考えながら、発言していくようにしましょう。

自分の意見が正しいか否か、だけではなく、伝えようとしている相手の理解度や状況に、ふさわしいといえるか?言い過ぎになることはないか?という観点からも、考えていきましょう。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月17日 (木)

人を、大切に思う気持ち。

苦しいときに、励まし合える相手がいる人は幸いです。お互いに支え合い、助け合える相手がいる、ということは、それだけでとても幸せなのです。

私たちは、「人間関係の大切さ」を、改めて考え、「本当の意味での、たましいの大人」へと、成長しなければならない時期だと思います。

日頃、文明と物質で満たされているように思える環境では、私たちは、なかなか、そのことを、考える機会がありません。

人との関係は、かけがえのないもので、本当は、物質では埋めることはできないのだけれど、これだけ物質的に発展した社会においては、「物質で、補うことができるかのように、錯覚してしまう」ものだと思います。

今、地震による被害は甚大で・・・、多くの人たちが、「自分も、何かをして手助けをしたい」と思っていることでしょう。その気持ちは尊いけれど、現実の被害はあまりに大きく、とても、私たち素人が手を出せる状況ではないのも事実。今回の被害は、「あり得ないくらいの規模」であり、救助やサポートは、「プロにお願いするしかない状況」のようです。

少し離れた場所にある、同じ国の中で、未曾有の大災害が起こっていて・・・、今このときに、自分のことを考える、というのは、なんだか少し、不謹慎のようにも思ってしまうこともあると思います(少なくとも、私は、あります)。 今は、物理的に、自分が取れる行動は、ほとんど存在しないとわかっていても・・・。

けれど、今このときだからこそ、被災地から離れたところにいる人たちは、自分のことを見つめていくことも大切だと思います。

テレビの向こうに映る、危険な作業に従事なさっている方たちや、被災なさって苦しい方たち、未だ救助を待っている方を見て、きっと、心に思うことが、それぞれにあるはずです。その気持ちを持って、今の自分を見つめていきましょう。

一緒にいるご家族やパートナーに、感謝の気持ちを持っていますか。 

一緒にいられるだけで、幸せだということに、気づいていますか。

あれをしてほしい、これをしてくれない、と、要求が一方的になっていませんか。

お互いに、安否を心配しあい、励まし合える相手がいますか。

苦しいときほど、人間関係に大切さや、温かかさが、心に響くものです。今回の災害における、人の輪や、助け合う姿勢を見ていて、本当にそう思います。

けれど、できるならば、何もないときでも、人の大切さや、感謝の気持ちを、持っていたいものです。

私たち現代人は、物質的に恵まれ過ぎていて、何が大切で、何がそうでないのか、という、価値観がアンバランスになっていたと思います。

それは、人間関係においても同様で・・・、いつも一緒にいる人達を当たり前だと思って、感謝や愛を忘れていたり、または、人付き合いを軽視して、孤独さを正当化している人もいたかもしれません。

本当に、それでいいのか、この先も、そのままでいいのか、と、考えてみたときに、必ず、自分が取るべき道が見えてくると思います。きっと、今まで以上に、「人を大切にしたい」という気持ちが、わいてくるのではないでしょうか。

「このような出来事に対しては、このように、考えるべき」という、共通した定義は、(人間関係に限らず、どんなことにも)存在しません。 同じ出来事に対しても、どう理解するか、何にどんな思いを抱くか、というのは、その人のパーソナルな領域で起こるものだからです。

人が、人として、人を大切に思う。 この「当たり前すぎて、ときに、意識しなくなってしまう価値観」を、改めて考え、育てていきたいものです

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

違いがあるだけでは、対立や争いは生まれない。

一般に、「対立が生まれるのは、主張に違いがあるため」、だと認識してしまうことが多いのではないでしょうか。

しかし、よく考えてみると、違いがあるからといって、必ずしも対立を生むわけではありません。対立は、「どちらか一方の意見にお互いの相違を集約しようとする」か、「優劣をつけようとする」行為から生まれてしまうものです。

仮にお互いの意見が違っていても、その関係の中で、どちらが正しいかとか、優れているか、という点を追求しようとしなければ、問題も争いも生まれないと思います。

たとえば、A子さんは、カレーライスが好きだとします。B子さんは、オムライスが好きだとします。お互いの好みには相違があります。でも、好みが違うという事実だけでは、対立にはなりませんよね。

「カレーライスと、オムライスと、どちらがおいしいか議論する」という優劣、もしくは、「この二つのうち、どちらか一つだけを選ぶ」という集約の必要がある場合、利害が絡む場合などに、お互いが主張をしあうことで、発生するのが対立です。

つまり、あらゆる人間関係において、「違いがある、というだけでは、対立は生まれない」のです。「それ以外の、プラスアルファの要素があるため」に、生まれてしまうものなのです。

たとえば、姉妹間の仲が悪い場合に、私と姉は、性格が全く違うために仲が悪い、というふうに捉えてしまうことは、必ずしも正しい認識ではありません。性格が似ていなくても、仲の良い姉妹はたくさんいます。

このようなケースは、性格の違いよるものではなくて、親が姉ばかりかわいがって、自分を対等に扱ってくれなかった(優劣)という不満があるなどの、違いとは別の要因を、「違いが原因であるかのように、自分で認識しているだけ」なのですね。

基本、「違う」だけでは対立はありません。必ず、プラスアルファの「別の要素」があります。

そして、通常、自分の癒しや成長として、とりくまなければいけないものは、「別の要素」に関する部分です。それは多くの場合、「感情」を伴います。

「違いがある」という事実ではなく、そこからうまれる「感情」により、対立に至っているという部分を見つめていくことで、さまざまな出来事を、別の見方で受け止めることができるようになると思います。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月15日 (火)

おしゃべりな人は、信用されない。

おしゃべりが過ぎる人は、あまり信用されないものです。ここで言う「おしゃべり」とは、会話好きでにぎやか、という意味ではなくて、「余計なことを言いふらす人」というような意味です。

会話とは、お互いに何らかの情報を提供することで成り立ちますが、取り上げる話題は、「その状況や、相手を考えた、相応しいもの」にすべきであり、何でもいいわけではありません。

それらをきちんと踏まえて、相応しい会話ができる人が、「分かっている人」「賢い人」「空気が読める人」と評価されます。

口数が少ないのも、コミュニケーションの上では困りものですが、あまりに口数が多すぎ、余計なことや、他人の噂話に終始している人は、「「調子のよい人」と思われ、信用されません。

おしゃべりな人は、どれほどに仕事ができても、頭の回転が速くて気が利くところがあっても、ある部分では認められても、心の底からの信用は得られにくいでしょう。

自分の目の前で、噂話をペラペラと話している様子を見れば、「ということは、他の人の前では、自分も同じように扱われて、いろいろ言われるのだろうか」と、想像されてしまい、深い付き合いは避けておこう、と思うのが、一般的な感覚ではないでしょうか。

自分では良かれと思って、その場を盛り上げるためとか、相手を楽しませるため、注意をひくために、他人の失敗談などを面白おかしく取り上げたりして、結果として、自分の評価を下げている、というケースもあると思うので、サービス精神や盛り上げ精神が、行きすぎないように注意しなければなりません。

楽しく会話をするのは、とても素晴らしいことですし、話が盛り上がるのが悪いという意味でもありませんが、どんなことも、「適度」を超えて「過剰」になったら、バランスが崩れて、不調和を生み出します。会話も、同じです。

余計なことを言わないためには、「何が、余計な話題で、何が、そうではないのか」を、判断できるだけの感性が必要です。

周囲を見渡し、相手のことを考え、自分の立場を踏まえた上で、相応しい話題を取り上げるように心がけましょう。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月14日 (月)

「今までと同じ」を、「いつもと違う何か」に、入れ替える。

現状に満足していない方、もっと創造的で充実した毎日を過ごしたい、と思っている方は、たくさんいると思います。

今のこの状態を何とかしたい、改善したい、と思うのならば、その意思を、きちんと分析して、「変化のための、必要な行動」につなげていく、ということを意識していくことが大切です。

「今までと同じこと」を、「今までと同じ方法」で行っていれば、かなりの確率で、「今と同じ状態」が、この先も続いていくものだと思います。

私たちは、常に成長し続けていて、成長とは変化でもありますから、「今と全く同じ継続」は厳密には存在しないけれど…、「同じ」ことを繰り返せば、それにつれて起こる変化の度合いも限りなく小さくなることは、想像に難くありません。

同じことを、同じ方法でやり続けた成果が、今の自分を取り巻く(決して満足していない)現状です。

ということは、つまり、「今までと同じ」では、この先も思う通りの成果にはならない、という事実が、すでに目の前に成果として提示されているわけで、現状に満足していないならば、改善のための、「今までとは違う、何か」を考える必要があります。

単に継続の時間が足りていなくて、結果が出ていないだけならば、いずれ時間が解決してくれると考え、同じ努力を続けていくこともよいでしょう。

けれど、そういうケースはごくまれで…、ほとんどは、「今までと同じ」では、「この先もずっと同じ」になってしまうような、つぎ込んだ労力が、(決して満足していない)現状を維持するためにしか作用していない場合も多いのです。

現状に満足しないなら、「今までと同じ」を、「いつもと違う、何か」に、思考と行動のパターンを入れ替えることが大切です。

自分に馴染んだ思考を変えるのは、簡単ではないけれど、だからこそ、結果への反映度も大きくなるというもの。一度にすべてを変える必要はないのですから、少しずつの変化を、意識的に、取り入れてみましょう。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (2)

2011年3月13日 (日)

今、思うこと。

このたびの地震で、想像を絶する状況が続いています。「想像を絶する」、・・・これ以外に、ふさわしい言葉が思い浮かびません。

ニュースで流れる映像は、「・・・本当に、これは日本で起きているのだろうか?」と、目を疑ってしまうようなものばかり。被災された方たちを思うと、・・・言葉になりません。

私は、この惨状を、半日以上知りませんでした。北海道も、沿岸部はかなり揺れた地域もあったようですが、札幌では、ほとんど影響はなく、私の体感では、震度2以下、家の物は何一つ落ちたりずれたりもしない程度でした。

私は、普段から、ほとんどテレビを見ません。ネットで確認をして、「東北のどこかで、ちょっと大きい地震があったらしい」という程度の認識でした。半日経って、やっと事態を知って、びっくりしました。

かつての阪神大震災の様子も、未だに忘れることができませんが、今回の災害も、同じかそれ以上に、ショッキングでした。

テレビの向こうの様子は、本当に、この技術大国であり、文明大国の、日本のものなのか・・・?と、現実だという実感がわきません。

昨日も、そして今日も、朝、目が覚めた瞬間に「あれが、すべて夢だったらいいのに・・・」と、そう思いました。

札幌の様子は、「普通の、春に向かいつつある、一日」なのに、同じ国内で、大災害が起こっていて、多くの方が苦しみ、助けを待っていて、原発の関係者の方たちも、どれほどの緊張感の中にいるかと思うと・・、今ここにこうして存在している、自分の無力さに、やりきれない思いがいたします。

まずは、今の私にできることとして、「Niftyのweb募金」へ、今の私にできる最大限の金額を、募金させていただきました。

あとは、祈ることしかできませんが・・・、どうか、一人でも多くの方が、救われますように。救援活動や、輸送にかかわる関係者の皆さま、そして、原発関係のエンジニアの皆さま、どうかご安全に作業が進みますように・・・。

心から、皆さまのご無事を、お祈りしております。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月12日 (土)

霊感の強さは、親子間で遺伝するか?

血縁の親子間でも、容姿は似ていても、性格や考え方が、まったく違っているというケースは、めずらしくありません。

性格や考え方は、家族からの影響など後天的に作られる部分もありますが、たましいが備えている個性としての要素もありますから、スピリチュアルな考え方をすれば、そのような家族間、親子間の性質の違いがあっても、不思議ではありません。

霊感もまた、資質や個性のひとつ、たましいが備えている要素になります。

しかし、実際、霊感の強い人がよくでる家系、というものはあり、親子間でも、「まるで、遺伝したかのように」霊感の強い人が続く場合が多いです。家族、親族間で、代々、女性だけに霊感の強い人が生まれてくる、というケースなどもあります。

これらは、たましいが備えている「先天的」なものと、家族環境という「後天的」なものとの、両方がミックスされて作られる状況のように思われます。

私たちは、自分の学びの要素にあった家族環境を「自ら、選んで」生まれてきます。もともと、たましいの性質として、強い霊感を備えている人が、その資質を強く発揮する人生を経験しようとする場合に、学びの要素にあった家族環境として、霊感の強い人を、親として選んでくる、という場合もあると思われます。

なぜなら、霊感の強い人同士は、(少なくとも、その部分に関しては)お互いに分かりあえます。霊感に限りませんが、身近に理解者がいる、というのは、とても大きな支えになるものです。

また、人との交流というのは、オーラの交流でもあり、お互いに影響しあいますから、霊感の強い人と一緒にいると、自分の霊感も眠っている部分が活性化される、という形で影響をうけて鋭くなる場合があります。いつも一緒にいる親に、霊感が強い人がいると、子に対する親の影響というのは大きいですから、子の感性の発達を促していくような役割を果たすこともあるでしょう。

結局、それらの、家系が備えている要素や、影響の仕組みを、分かった上で、(そうすることが、必要であれば)霊感の強い家系を「選んで」生まれてくるために、家系内で遺伝しているかのような、性質の同一性がみられる、ということもあるでしょう。

ここでは、「霊感」という資質を取り上げましたが、すべてに同じ仕組みは働いていて、お互いに必要な役割を果たしながら、家族という学びを経験しているようです。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月10日 (木)

依存性・中毒性のある行為の原因は、不足感や欠乏感。

過食、買い物依存、極端な量の飲酒や喫煙など、中毒性、依存性を伴った行為が、やめられなくなってしまうことがあります。

美味しいものをたくさん食べたい気持ちや、購買欲が高まることは、誰にもしばしば起こり得る現象ですし、飲酒や喫煙も、適度にたしなむ程度なら、それほど問題ではないようにも思います。

問題となるのは、「それなくして、いられない」くらいに、習慣化してしまうとか、その行為に依存的になってしまうというような、「度合い」です。過度になってしまえば、さまざまな方面に影響が出てきます。

これらの行為が、極端になった最初のうちは、「何かの代替行為」として、または「逃避の手段」となっていることが多いです。

本来得たいものが得られないので、その代わりに、別の、「刺激が強い何かを、得ようとする」、とか、得たいものが得られないことを忘れるために、別の、「刺激が強い何かに、没頭して気を紛らわせたい」、というように。

足りないものを手に入れるのではなく、より刺激の強い行為を行うことで、不足感を覆い隠そうとしてしまいます。そのため(覆い隠されるため)、不足感を抱いている、不満を持っているという自覚がないまま、刺激の強いものに馴染んでしまっている人も多いのです。

最初のうちは、それらの行為は「手段」です。得たいものの代わりとして、気持ちを紛らわせるため、など、何かの目的のための、手段として、その行為を行います。

短期間であれば、それもいいでしょう。ときに買い物に夢中になることも、たまには飲酒が過ぎてしまうことも、リフレッシュに繋がり、力がわいてくるなら、適度であれば、自己責任の範囲、個人の嗜好の範囲です。

けれど、その状態が長期にわたると、「手段」が、「目的」にすり替わってきます。気持ちを紛らわせるための手段だった行為が、そのこと自体が目的になります。

不足感を別の刺激で満たそうとする(解決方法として、正しいものではありませんが)手段であるうちは、その大元の原因である部分を改善していけば、ゆっくりでも、依存や常習から遠ざかることも可能ですが、その行為が手段を超えて「目的」になってしまうと、もう止まりません。買いたいから買う、飲みたいから飲む、と、依存性、中毒性のある行為が、人の意識を離れて「独り歩き」するような状態になります。そこまでいくと、自力での解決は、困難になります。

できれば、そうなる前に、つまり、手段が目的に入れ替わるほど長期化する前に、周囲、または自分自身が気づいて、その行為から離れることが大切です。

そして、何が満たされていないのか、本当は何を得たいのか、自分のたましいが欲しているものを、改めて考えてみるとよいでしょう。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月 9日 (水)

簡潔に伝えられず、会話が長くなってしまうのは?

自分の考えを述べる際、または、相手に質問をする際に、「要点を絞って、簡潔に伝える」ようにすると、テンポよく会話がはずむことが多いです。

相手が理解しやすいように、分かりやすい説明をすることは大切ですが、長々と話すのがいいとは、必ずしも言えません。

簡潔にまとめた会話をするためには、「なぜ、簡潔にできないか」という原因を認識しておくことが有効です。「上手に行うためのコツ」には、「上手にできない原因を、認識し取り除く」ことも含まれるからです。

意見を簡潔にまとめられず、長くなってしまう傾向を持っている方は、主に3つの理由があるように思います。

ひとつは、「前置き、本題に入る前の説明が長い」場合です。このようなタイプの方は、長い説明のほうが丁寧である(そのほうが、分かりやすいはず)、という認識をしているのでしょう。それは間違ってはいないけれど・・・、あまりに長い説明は、本題の焦点をぼやかしてしまいます。また、いつ本題に入るのか・・・と、相手は、構えて待たなければならず、「相手に、強い集中や緊張を強いる」ことにもなります。このような会話の仕方は、会話の内容以外のところで、相手から好感を抱かれません。「疲れる」と認識されてしまうからです。

2つめは、「伝えることの本題、話の結論が自分の中で定まっていない」場合です。自分が会話しながら、それらを探っていくので、話題があちらにいったりこちらにいったりで・・・、それでも、結果が、うまくまとまればよいけれど、多くの場合、自分でも、何を言っているのか、途中で分からなくなります。

3つめは、「自分をよく見せようとするあまり、難しい伝え方を意図的にしてしまう」場合です。アピールの気持ちが強すぎると、本題以外のことまで、あれもこれもと会話に盛りこみ、知っている自分、分かっている自分を表現したくなります。

自分の考えをしっかり伝えるためには、言葉が足りなくて、うまく話せないことも問題ですが、かといって、長く話せばいいというものでもなく、「ちょうどよい長さで、簡潔に話す」というバランスが大切です。

前置きが長くなってしまう、丁寧に説明したいと思ってしまうタイプの方は、「まず、結論から先に述べ、説明は、その後にする」という、英語のようなスタイルを心がけるとよいでしょう。そのほうが、相手に伝わりやすくなります。

伝えることの本題が、自分の中で定まらなくて、話が広がってしまうタイプの方は、だいたい「(伝える)相手が、自分に何の説明を求めているのか、分からない」タイプでもあります。相手のニーズが分からないので、答え方が分からなく、焦ってしまいます。相手が何を求めているのか、想像力を磨いて行くことも大切となるでしょう。

アピールの気持ちが強くて、難しい伝え方をしてしまい、本題以外の話が広がってしまうタイプの方は、「自分を表現したい、自分を分かってもらいたい」のと「要件を伝えることで、相手の理解を得たい、賛同を得たい」のと、どちらが優先されるのか、よく考えてみることが大切です。

時間を掛けた長い説明が、必ずしも相手に親切とは言えず、逆に負担になったり、話を分かりにくくしてしまう場合もありますので、ちょうどよい「簡潔な伝え方」を心がけていくと、スムーズなコミュニケーションに繋がっていくでしょう。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (4)

2011年3月 7日 (月)

他人の影響を受けやすい?

他人の感情や発するエネルギーに影響されて、具合が悪くなってしまう、というご相談は少なくありません。そういう方は、平均よりも、感受性が高くて敏感な性質である、と言えるでしょう。

人付き合いとは、オーラの交流でもあるので、お互いに相手のオーラの影響を受け合っています。たとえば、自分と似たような雰囲気の人には、馴染みやすさや親しみやすさを感じ、違う雰囲気の人には、刺激を受けていくなどして、目に見えないオーラの領域では、お互いに、さまざまに影響を受けているものです。

そのため、元気で明るい人と一緒にいると、自分も元気になってきたり、落ち込んで暗い気持ちになっている人と一緒にいると、自分もつられて落ち込んだ気持ちになってしまう、というような状況がつくられるのです。自分にはそうなる理由がないのに、相手の雰囲気に(良くも悪くも)同調してしまう現象が起こるのは、お互いのオーラが影響し合っているから、と言えるでしょう。

しかし、一緒にいる人や関わりを持つ人から、何でも一方的に、影響を受けてしまうのか、といえば、そんなことはありません。

スピリチュアルな法則のひとつに「波長の法則」と呼ばれるものがあり、同じ要素を持つ人同士が、引き寄せあい、出来事が展開していく仕組みになっています。

自分には何の原因もないのに、一方的に、他人のネガティブな影響を受けて、調子が悪くなった、と感じるかもしれませんが、実際には、自分の中にも、何かしら、気付かないところで、そういう影響を引き受けてしまう要因があった、ということになります。

仮に、相手の状態がとても悪く、引きずられても仕方ない、と思えるような状態だったとしても・・・、では、なぜ、その様な状態にある人と、自分が出会うという縁がつくられたのか、と考えてみれば、同じものが引き合うという「波長の法則」がある以上、無関係の災難が降りかかったわけではないと、分かります。

いろんな影響を、誰もがお互いに受けているとはいえ、「影響を受けやすい敏感なタイプの人」が存在することは事実です。人n影響を受けて調子が悪くなる、と訴える方は、気のせいや思いこみではなくて、実際に、影響を受けて、そうなっているのだと思います。

けれど、「敏感で影響を受けやすいタイプである」ことと「いつも、ネガティブな影響を実際に受けてしまう」ことは、同じではありません。

前者は「性質=本質」ですから、変えられませんが、実際に影響を受けるか否かというのは、自分のその時の「状態」に左右されますから、完全には防ぐことはできませんが、心がけていくことで、影響を最小限にすることは可能です。

その性質をいかして、(波長を高く保てば)良い影響をたくさん受けていくこともできるのですから、ネガティブな影響のほうだけに、フォーカスし過ぎず、明るい気持ちで、過ごしていくことも大切だと思います。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (3)

2011年3月 6日 (日)

大きくて明るいオーラの人は、「他人に対する影響力が高い」。

私たちは、「オーラ」と呼ばれる、霊的なエネルギーを放っています。

オーラの様子には、その人の性格や資質、感情、その他がさまざまに反映していますので、色や形や質感、明るさや大きさなどに個人差があります。

オーラの色は、その色が表す性質の差があるだけで、特定の色であることが素晴らしくて望ましい、というような、優劣はありません。

優劣があるとしたら、むしろ色よりも、「明るさ」です。明るく輝いていて、力強いエネルギーを発している状態がベストです。

オーラが大きくて明るく輝いている人は、「他人に対する影響力が高く、リーダーシップを発揮しやすい」特性を持っています

人との交流は、オーラの交流でもあり、お互いに影響を受けていくものですが、大きなオーラの人ほど、他の方達に与える影響力も比例して大きくなります。その様子は、単純に面積や容積を比較したイメージをすると分かると思います。

特に強気な態度で、その場を仕切ったりしなくても、自然に、その人のペースになっていったり(それは、周りの人たちが、いつのまにか、その人のオーラに感化されているのでしょう)、いつも、リーダー的な役割が回ってきたりするのも、大きなオーラの人に見られる特徴です。

オーラの大きい人ほど、影響力を発揮し、自分のペースを作り上げていくことができます。人を指導したりまとめたりしていく立場の方は、大きなオーラの人ほど、役割を遂行しやすくなるでしょう。

しかし、同時に、「引き受けなければならないことも、オーラの大きさの比率で発生する」ので・・・、(それは、霊的には、学びになるのでありがたいことでもありますが)、現実的かつ労力的な負担もまた大きい場合もあるでしょう。

上記のとおり、意図的に、グループ内をまとめる、指導する、という形でこの資質が活かされることもありますが、本人の意図しないところで、徳を積む?こともあります。

明るく輝くオーラが影響して、他の人のオーラを活性化するような役割を果たしたり、周囲の人が、感化されて、「(何かを)見習おう」と思ってくれたり・・・、そうすると、「相手に、(何らかの)良い影響を与えた」という、良いカルマがつくられた、ことにもなるわけです。

それは自分のしたことが自分に返る、というカルマの法則により、いつか必ず、ふさわしい形で、実りとなって返ってくるでしょう。

大きくて明るい、影響力のあるオーラになると、そのように、あらゆる形で、自分で自分を助けることになるのです。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月 5日 (土)

ネガティブな心境の、オーラへの現れ。

心の状態は、主に、「頭の周りのオーラ」に見て取れます。一般に、「あなたのオーラは、○○色」という場合の、本質を表わすオーラは、頭上に現れますし、その時々で移り変わっていく状態を表わすオーラも、感情や心境など、心の動きを表わす部分は、頭の周りに現れていきます。

ネガティブな感情でいっぱいになっている人、落ち込んだり、やる気をなくしていたり、打ちひしがれている状態では、「頭の周りのオーラが、内側に巻き込まれたかのように、外側に広がっていない状態」になります。

私は、この状態を言い表すときに、本来は、広がっているはずのオーラが、それを阻害する要因があって、イレギュラーな状態になっている、という点を強調したいので、「縮まっている」と言わずに、「広がっていない」と、言い表わすようにしています。

本来、広がっているはずのオーラを、内に巻き込んだような状態にしてしまっている要因は、何らかのネガティブなエネルギーや要素より、通常の流れが阻害されているためです。

外的要因は、さまざまにあるとしても、そのことから、自分の感情が、怒りや、悔しさ、恨み、嫉み、または自分自身を否定し落ち込むことも含めて、「自分の放った、感情的なエネルギー」が、その状態を作り出していることが多いです。

オーラは、当然のことながら肉体とも密接に連動していますから、その状態が長く続くと、頭痛がしたり、肩や首のコリとなったり、肉体的な痛みやゆがみにも繋がってしまう可能性があります。

また、心に及ぼす影響としても、いつもの自分らしいポジティブな考え方ができなくなり、何でも悪い方に悪い方に受け止めるようになり、悲観的になり、過剰な被害者意識が生まれ・・・、と、ネガティブな方向にどんどん傾いていくようになります。

そういう心境で日々の生活を送っていけば、・・・どういうことが起こるかは、想像に難くないでしょう。

その状態になってしまうと、多くの思考や感情という想念が、ネガティブなフィルターを通して(自分にも)放たれるようなものですから、ポジティブに考えること自体が困難になります。

傍から見れば、「なぜ、そんなにネガティブに考えるの?」と、思うかもしれませんが、内に巻き込んだオーラの状態で、ポジティブになれ、というのは、たとえて言えば、今現在溺れている人に、「溺れるな!」と、アドバイスするようなものでもあります。

その場合、溺れたことを咎めるよりも、まずは陸に上がってもらうことから始めなければいけないように、オーラの状態(ということは、心の状態)を、まずは、あるべき状態に戻していかなければなりません。

結局、心の状態が、オーラに反映して内側に入り込んでいるわけですから、心の状態を、ポジティブにしていくことや、歪みの要因となった何か(通常、特定の相手からの言動に傷ついた等)を、改善していかなければならないのですが、それには、本人的な「納得」や「理解」を伴わなければならず・・・、通常の状態ならともかく、本来のオーラからほど遠くなっている「広がっていないオーラ」では、それも、なかなか難しいことなのです

内観・内省をして、自分を見つめ直していくことは必要ですが、かなりの時間が掛かるのと、また、上記のとおり、本来のオーラではない状態にあると、そうして正しい思考をすることも難しくなってしまうこともあるので、場合によっては、「オーラの状態を、まずは、何とかする」という、オーラに働きかける方法も、ときに必要となるかもしれません。

オーラに直接働きかけるのが、いわゆるエネルギーヒーリングだとすれば、間接的にオーラに作用する方法としては、整体やカイロプラクティックなどのボディーケアもあります。オーラと心と体は、繋がっていますから、肉体を整えることで、オーラの状態にも(・・・ということは、心の状態にも)波及していきますので、上手な治療家にかかることは、大変に有効となるでしょう。

また、自分の内側にたまっている感情を、外に向けて吐き出すだけでも、スッキリすることもあります。言葉と一緒に、(ネガティブな)エネルギーも、吐き出しているためです。誰かに、悩みや苦しみを聞いてもらう、というのも、実は有効な方法のひとつではあります。

さらには、簡単な瞑想などの「セルフワーク」も良いと思います。が、多少の波長の低下は、瞑想などで意識を持ち上げていくことで、調整がなされ、良い影響がでるものですが、かなり低下してしまうと、瞑想もうまくできない状態、になってしまうこともあるかもしれません。

基本は、自分を見つめ直して、じっくりと長い目で成長を志していくことなのですが、おもに頭の周囲のオーラに現れる、心の状態が、あまりに「広がっていない状態」になってしまっている場合には、長い目で…と言わずに、まずは、手っ取り早く、何らかの対処をしたほうが良い場合もあります。

遮っているものを除くことで、自力を引き出すきっかけとなり、活力がよみがえってくることもあります。ご自分の心の状態を省みて、思い当たる方は、何らかのケアやリフレッシュを心がけてみてください。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月 4日 (金)

人付き合いは、自分の内面を知ることができる機会。

他人(相手)を知ることとは、つまりは、自分との違いを知ることであり、相手を通して自分を確認する作業でもあります。人付き合いの経験から得られるたくさんの要素の中には、「(相手を通して、相対的に)自分を知ることができる」、というものもあります

たとえば、相手に対して「彼は、短気な性格だ」と思うとします。それは、「私から見て、彼は短気な性格であるように、感じる」ということですよね。他の人たちも彼に対して同じように思うとは限りません。

「あの人は、○○」という評価は、自分の思いこみも含まれた、自分の基準に照らした、「私は、そう感じる」ということであって、それはとても主観的なものなのです。

つまり、相手を語るという行為を通して、「相手について○○と評価している、自分がいる」ということなのです。

特定の人を、好ましく感じている感情も、嫌っている感情も、すべて、「主観」ですから、相手に抱く評価というのは、自分というフィルターを通しての評価であり、(通常、私たちはそれを相手のこと、と、思ってしまいがちですが)自分の領域で起こっていることです。

より多くの人と関わる機会を持つ中で、経験を積み重ねた統計がつくられ、自分の思考のクセや習慣が、良くも悪くも分かってきて、それらのすべてが、結局は、自分を知る、ということに繋がっているように思います。

人と関わると、相手に抱くさまざまな感情や、受け取る印象から、より自分を知ることができるのです。それらはすべて、主観により「自分が、抱いている」ものだからです。そういう意味でも、人付き合いという経験は、私たちが成長していく上で、避けて通ることのできない貴重な学びの場です。

人と関わりを避けて、ひとりで内観するなどして自分を知ることも、できなくはないけれど・・・、「自分のフィルターを通して見た、自分」を、客観的に分析するなど、ほとんど神業で(笑)、それは、とても困難なやり方です。

そこまでしても、人を避けたいならば、そこにもまた、自分が気づかなければならない「何か」があるわけで・・・、その「何か」を、知るためにも、やはり、人と関わることが大切です。

お互いに写し鏡になることで、さまざまな形で、相手を通してみた「自分」を、認識していけるものではないでしょうか。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (4)

2011年3月 2日 (水)

「避けたいもの」から逆算すれば、「得たいもの」が見えてくる。

自分が、何をしたいのか、何をすべきなのか分からない、というご相談は多いです。

江原さんの本では、よく、「小さい頃から、得意だったものや、好きだったものを思いだして、過去の棚卸をしながら、自己分析をするとよい」などと、書いてありますよね。まず、そういう考え方が基本だと思います。そこから、取り組んでみるのがよいでしょう。

けれど、中には、過去を思い起こしてみても、これといって思い当たるものがない、という人もいるでしょう。そういう場合は、発想を逆にして、まずは「この先、どんな状況になりたくないか」を、考えてみることも、よいと思います。

「何をしたいのか、分からない」としても、「こんな状況になることは、避けたい」と思っていることのひとつやふたつは、思い浮かぶと思うのです。ならば、とりあえず「避けたい」ことの逆を、考えてみると、少しは選択範囲が狭められてきます。

このようなご相談をいただく場合、半数以上の方が、「何をしたいのか、分からない。けれど、このままずっとひとりで、孤独なままではいたくないとは思う」などと、とりあえず「避けたい」と思っている状況の分析は、できています。

ならば、孤独ではいたくない、=誰かといたい、のですから、そのための行動をするなり、ではどんな形で何をしたらよいのか方法を考えるなり、誰かといたい感情を分析するなりしていけば、だんだんと、何をしたらいいのかが分かっていき、同時に、(分かっていくという意識の広がりにつれて)何かをしたい意欲も生まれてきます。

または、「何をしたらいいのか、分からない。けれど、とにかく今のままでは居たくない」としたら、避けたいことは「今のままで居ること」なのですから、では、「今のまま」というのは、どんな状況が続くことなのか、というのを考えてみます。

仕事がルーティーンになっているのがいやなのか、現状がものたりないのか、それとも、自立できていない自分(の現状)がいやなのか、自分がどんな要素を想定して「今」をとらえているのかを、見つめ直していきます。

そのように、「この先の未来において、避けたい状況」を考えて、その逆を行く、ことから、まずは選択範囲を絞っていく方法も、効果的な自己分析の仕方だと思います。

「やりたいこと」が、ストレートに見つかっていくと一番よいですが、間接的なアプローチとして、「避けたいこと」を認識するほうが簡単な人は、そういう順番でもいいと思うのです、最終的に、やりたいことにたどりついて行くことが大切です。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

2011年3月 1日 (火)

体の冷えと、オーラの滞りの関連性

体の冷えやコリと、オーラの滞りは、関連性が見られることが多いです。

オーラは、エネルギーなので、ひとときも同じところにとどまっていることなく、動いているものです。それは、私たちが、呼吸をしたり、体を動かしたり、感情が上下したり、思考をしたりすることなどのすべてが、オーラの様子に反映していく仕組みから、想像がつくことと思います。

オーラがくすんでいると、エネルギー全体の動きが鈍くなります。オーラが明るい状態では、(その人なりに)エネルギーが活発に動いていきます。

もともとの、活力には個人差がありますので、必ずしも、明るさとオーラの動きの強さはイコールにはなりませんが、あくまで「本人比」においては、明るい状態のほうが、「本来のあるべき動き」がなされていきます。

これらのオーラの働きは、肉体の機能で言うと、免疫力や回復力などに例えると分かりやすいと思いますが、どこかに過剰な負荷がかかっていると、全体的なパワーが下がり、整っている状態であれば、少しくらいの負荷は、はねのけることができます。

オーラ全体の活力が下がると、オーラの動きが鈍くなり、普段ならはねのけられるくらいの滞りも、そのままオーラに現れ、・・・ということは、肉体や精神にも、何らかの影響が出てしまうこともありますので、コンディションを整えておくことは大切です。

オーラが滞っている箇所の肉体は、コリがあったり冷えていたりすることが多いようです。たとえば、足元のオーラが滞っていると感じられる人は、だいたい、足の先が冷えやすいようです。

「オーラの滞り」がある様子は、その部分のエネルギーの「動き」が、他と比べて「鈍」い感じがあるとか、オーラの「密度」がそこだけ「薄く」感じられたりします。

筋肉が少ない女性は、コリや冷えが起こりやすいのですが・・・、それらの肉体面のバランスの崩れがあると、オーラ全体の(本人比での)活性度にも、多少、影響が出てくる、という仕組みが分かると思います。

オーラの状態を整えていくためには、自分の心の在り方や、精神面の成長が大切ですが、肉体面のケアも、無視できない大切な要素なのです。

tulipブログランキングに参加しています。

バナーをクリックして、投票をお願いします ⇒⇒ 人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »