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2011年2月 7日 (月)

物質的価値観とは、目に見えるものや数値のみで価値を計ろうとすること。

私たち人間は、本来は「たましいの存在」です。この世を生きている間のみ、肉体という物質を得て、「人として生きる」という経験をしている、霊的な存在なのです。

本来、私たちは、「霊」であり、それこそが私たちの本質で、大切にすべきものなのですが、この世という、物質社会に生きているうちに、「物質」を第一に考えるような価値観が、作り上げられてしまうことがあります。

霊的、精神的な要素に価値を見出さず、目に見える物質や、数値で計れる、分かりやすく単純な○×をつけられるようなもののみに、高い価値があるかのように思い、その価値観で、「すべて」を計るような受け止め方が、物質的価値観、と呼ばれるものです。

物質的価値観、という表現における、物質とは、目に見えるもの、数値化して計れるもの、比較が容易なものなど、「現世的なもの」をさします。

つまり、現世で生きている間は、(その世界なりの)価値はあるけれど、肉体を失ってたましいの存在になったときに、価値を失うような、その場限りの満足にしかならないものが該当します。

たとえば、金銭や、物質的な財産(家や、宝石など)、肩書、役職、学歴、肉体や容姿なども、この世においては、この世なりの価値はあるけれど、それをたくさん得たとしても、霊的な向上や、たましいの充実感には結び付きません。

この世は、物質社会ですから、ある程度の物質を求める気持ちや、それにより価値を計ったり比較をしたりすることもあって当然、それらが全面的に悪い、ということではありません。「それだけ」が目的になってしまうのが良くない、という意味です。

たとえば、高学歴であることに価値がない、ということではないのです。それを得るために、努力をしたプロセスは、素晴らしい財産です。そして、実際、この物質社会の中では、高学歴という肩書がないとつけない職業などもあります。

ある目的のための手段として、学歴や、お金や、その他の物質が必要となるケースはいくらでもあり、それぞれに意義があります。

けれど、そのような手段として活用するための物質、というとらえ方と、物質や数値が高いことこそが重要であるかのような、目に見えないものに価値を見出さない、偏った価値観に、流され、振り回されることは、同じではありません。

私たち現代人は、ともすれば、後者のほう、物質のみを追い求める価値観に馴染んでしまうものではないでしょうか。

この世は物質界なので、その中で暮らす私たちの意識は、どうしても、物質的に傾いてしまいがちです。けれど、私たちの本質は霊ですから、物質だけを追っても、・・・どこかに不調和が出て、「大切なことに、気付かされる」ようになっています。

それらのバランスを取っていくことが必要で・・・、そのためには、霊的価値観による「スピリチュアリズム」という哲学が、指針となってくれます。

本当は何が大切で、何がそうではないのかを、私たちは、この、物があふれている時代の中で、考え直していかなければいけない時期に入っていると思います。

物欲や名誉欲が満たされることで、本当に幸せになれるのか、そのような考察もしてみると、自分の心のバランスが見えてくるでしょう。

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