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2011年2月15日 (火)

霊的観点からの「意味」「意義」とは、私たちの霊的成長に伴うこと。

日常のさまざまな出来事について、「この出来事には、意味があるか?」というご相談をたくさんいただきます。スピリチュアリズムに関心が深い方ほど、意味があるかないかを知りたい気持ちが強くなるようです。

このようなことを、自分自身で深く考察して紐解く場合、まずは「すべてに、何らかの意味はある」という前提で考えてみることです。この世に偶然はありません。すべては、意味のある必然です。そういう前提で、「何らかの意味はあるはずだから・・・、だとしたら、どんな意味が?」という考え方をしてみると、何かが見えてくるかもしれません。

ただ、このとき、気をつけなければならないのは、「必ず、意味はある」ことを、「必ず、とても強いメッセージ性を含んだ意味がある」などと、思いこみや拡大解釈をしすぎないように、冷静になっていく必要がある、という点です。

物事には、必ず何らかの意味を含んでいますから、「これには、意味があるのか、それとも意味がないのか」という問いには、ノーという答えになることはないとはいえ、だからといって、すべてに具体的でかつ重要な意味があるとは、限りません。

あちらの世界から、何か、気づきを起こしてほしいと思うことがあって、もたらされるような、メッセージ性を含んだものは、本人にそうとわかるように、とても印象的なタイミングや状況を伴って起こるものです。

メッセージ性を読みとろうという意識が強すぎると、些細なことにまで、拡大解釈をあてはめて考えすぎるために、実際の行動が取れにくくなったり、妄想の域に入り込んでしまう場合もあります。

「この世に無意味なものはない、すべては必然である」、と理解することが、階段の一段目だとしたら、次は、「すべてに意味はあるが、とりわけ重要な意味を持つものと、そうではないものという差は存在する」という理解に到達することが、階段の二段目です。そうして、「出来事の意味するところを考えすぎになる状態から、抜け出す」ことや、「○か×か、イエスかノーか、のような、限定的な解釈は、そう簡単にはつけられないのだ」という理解に達することが、三段目です。

そのように、霊的な価値観というものは、より深いものへと置き換わっていけるものです。自分自身の成長と比例して、思考や感性の及ぶ範囲が広がっていくからです。

物質的な解釈、現世的な解釈というのは、「○か、×か」「イエスか、ノーか」と、定義をつけたらそれで終わりで、深まりがありません

いろんな出来事に対する気づきや、メッセージ的なものを、あちらの世界からの、自分に対する恩寵だととらえるのならば、「霊(的存在)から与えられるものは、霊的成長に伴うもの」と理解することが大切です。

そうすることで、過剰な拡大解釈により、実は自分の意識や行動を狭くしている自分自身に、気がつくこともできるでしょう。

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09.スピリチュアル全般」カテゴリの記事

コメント

今日もありがとうございます。

投稿: さちこ | 2011年2月15日 (火) 08時55分

*さちこさま

コメントありがとうございます。

投稿: リカコ | 2011年2月15日 (火) 09時13分

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