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2011年1月の26件の記事

2011年1月31日 (月)

思考と行動の間に、「感情」のフィルターが掛かっている状態。

頭の中では分かっているのに、理想通りの行動をとれないことがあります。

言いたいことがあるのに、言うことができない、とか、言うべきではないと分かっていたのに、つい、口が滑ってしまった、または、言いたいことがあるのに、口から出た発言は、本心とはかけ離れたものだった、ということもあるでしょう。

なぜ、思考と行動が一致しないのでしょうか。

それは、その二つの要素の間に、「感情」というフィルターがあり、そのとき抱いている強い感情が、バイアスをかけている場合が多いです。

相手をやり込めたいとか、発言の責任を負いたくないとか、相手を憎む気持ちがあったとか、私がこんなに苦しいのに(相手が理解してくれない)!とか・・・。

それらの感情が、理性的な思考を妨げたり、または、理性的な思考と、雑念との区別をつけにくくさせたりします。思考よりも、感情が優先してしまうのですね。

一般的には、「思考」よりも、「感情」のほうが、重たいエネルギーになりやすいです。なぜなら、感情というのは、「過剰」になりやすいからです。怒りや、憎しみや、妬みなどは、いとも簡単にマックスになります。感情そのものが悪いというのではなく、どんなものでも、過剰になれば、バランスを崩す、という意味です。

私たちが生きている、この「現世」という物質社会は、重たいものにより影響されやすい世界である、と言えます。そのため、気をつけていても、感情に引きずられてしまいます。誰もが、そうなる傾向を持っています。

その「重たい世界」の中で、いかに、自分自身のバランスをとり、物質的なものや、激しい感情に影響されすぎることなく、霊的な理想に基づいて生きてけるか、という学びに、私たちは挑んでいるのです。

この、感情というものは、自分自身の生み出したエネルギーなので、とても自分に馴染みやすく、私たちは、なかなか、「感情にとらわれている状態」を、認識することができません。「自分」と「感情」を、分けることが難しく、一体化してとらえてしまうものなのです。

それらは、意識的に、機会を設けて考えてみないことには、認識しにくいものなのですが・・・、「思考のとおりに、行動できない」というのは、だいたい、この、とても認識しにくい、感情が、バイアスをかけています。

しかし、自分では、その感情を認識することができにくいので、なぜそうなるのか、具体的にどうすればいいのかが、分からないまま悩んでしまう・・・という状況になりがちなのです。

自分の思考(理想)と、行動との距離を作っているのは、自分の中にある感情が、影響しているのかもしれない、という前提で、自分を見つめてみてください

どんな感情が、自分の中にあるのか、まずは、その点を認識していくことが、思考と行動を一致させるための、第一歩になると思います。

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2011年1月30日 (日)

KY(空気読めない)にならないためには、「世間一般の考え」や「定番」を、知っておくこと。

ひところ、KY=空気が読めない人、という言い方がよく使われました。

空気が読めない、と思われてしまう基準というのは、「一般的に、多くの人が分かるはず、と思われていることが、分からない比率が高い」場合です。

ひとつかふたつ、たまたま、その時の話題に付いていけなかったとか、知識がなかったとか、的外れな発言をしただけでは、KYとは言われないと思います。

空気を読む、とは、その場の雰囲気に合わせることだったり、相手のことや周囲の調和を考える発言をすることだったり・・・、感性の鋭さを発揮して、表面の言葉や態度だけではない部分を把握していくことでもあるでしょう。

これらは、想像力が必要となります。

想像力を働かせるには、一定以上の経験が必要となります。まったく知識がないことは、想像しにくく、もしも、自分だったら・・・と、引き寄せて考えることができません。ということは、相手の身になって考えることも難しくなります。

集団の中で浮いてしまう、その場に合わせた発言、という感覚が分からない、という方は、まずは、たくさんの経験を積むこと、人と関わる機会を増やしていくことが大切です。実践から、想像力が磨かれていきます。

「このような場面では、世間一般に、どういう態度が普通と思われるのか」とか、「こういう態度が、無難であるようだ」という感覚を、積み重ねていくことが大切です。

無難に平均値で振舞うべき、という意味ではありません。必ずしも、周囲に合わせるのがいい、というわけでもないです。けれど、定番が分からなければ、アレンジもしようがない、という点を理解していくことも大切です。

多くの人は、自分らしさ、という独自性の発揮にこだわるあまり、周囲に合わせないのが個性的であり、いいことだと勘違いしているのではないでしょうか。

平均値がわかっていてこそのアレンジと、自分のことしか考えないワガママは違います。そういう態度こそ、KYなのです。

「自分らしさや、個性を発揮していい場面」と、「それがふさわしくない場面」を、誰に何を言われなくても、自然に、今までの経験を活用して、感じ分けていける人が、「空気を読める人」になるのではないでしょうか。

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2011年1月29日 (土)

他人の会話を通して、必要な情報が得られたり、ヒントがもらえたりすることもある。

世の中は啓示に満ちていて・・・、自分のしたことが自分に返るという「カルマの法則」と、同じレベルの事象が引き寄せあうという「波長の法則」が、ひとつのくるいもなく作用しているこの世の仕組みは、「神秘」だと感じます。

この二つの法則が働いているからこそ、私たちは、自分の身の回りにあることから、気づきを得たり、学んだりできます。自分に関わる出来事に、無作為な偶然はなく、同じ波長の出来事であるという前提があれば、そこから逆算して、今すべきことがわかります。

私たちが、耳にしたり目にしたりする、一見、深い関わりのない情報、次から次へと入れ替わり、通り過ぎていくような出来事にも、カルマの法則と波長の法則が作用している以上、何かの要素が引き合っていて、見聞きするようになっています。

(ただ、このときの解釈で注意しなければならないのは、「何らかの引き寄せあう要素」の中には、とても薄い関連性も含まれている、という点です。見聞きする要素のすべてが、重要な深い関連性を持っている、という意味ではないので、深読みしすぎないことも大切です。)

他人の口を通して、(発言者は、アドバイス的な行為をしているつもりがない状況で)、その時の自分に必要な情報が、得られることも多いものです。

先日、こんなことがありました。

私は、ネット通販で、ニンジンを買おうかと迷っていました。送料がかかるので、まとめ買いをすれば、送料を差し引いても安いのでしょうけれど、少量の購入では、送料を含むとかなり高額になってしまう場合もありますので、購入量を、考えていました。

そのお店では、「500g=○○○円」という単位で販売されていました。ニンジンの500gというのは、だいたいどれくらいの本数なのか分からないので、判断ができませんでした。

それで、近くのスーパーで、買い物のついでに、確認してこよう、と思いました。野菜は、「一袋○○円」で売っている場合もあるけれど、g単位で値段がつけられているものもあるので、似たような大きさの野菜、たとえばサツマイモとか、実のつまったものなら、だいたい同じだろうから、確認できるはず、と考えました。

私の目的は、「ニンジン500gの、見た目のボリュームか本数」を把握することですから、だいたい分かれば、どんな方法でもいいわけです。

で、スーパーに到着した瞬間、私はそのことをすっかり忘れ(笑)、別の買い物に気を取られてしまいました。野菜売り場を通り過ぎ・・・ようとしたとき、年配の女性客が、売り場の担当者に、白菜だかを、500gで買いたい事情があるので、その大きさにカットして売ってくれないか、と話していたようでした。

そして、女性が、「できれば、ニンジンも・・・」と話したときに、売り場の男性が、大きな声で、「ニンジンは、向こうにある3本の袋入りが、だいだい500gですよ」と答えました。

そこで私は、「あ、私もニンジンを見にきたのだった( ̄∀ ̄)」と思いだし、・・・そうだ、500gを知りたかったのだった。えーと、向こうにある袋入りが、ほぼ500gで・・・?、と考えたところで、はっとしました( ̄A ̄;)。

そう、自分で確認する前に、答えは得られていました(笑)。人の会話を、通して。しかも、目的も思い出させてもらった(来店の時点で忘れていたので;)、というおまけ付きです。

このように、人の会話等を通して、ちょっとしたヒントや、必要な情報を、ちょうど良いタイミングで得られることもあるものです。

けれど、自分がなにしなくても、ヒントが自然にやってくる、望めば得られる、というわけでは(必ずしも)ありません。

この場合だと、量を確認しよう、と、スーパーに出かけて行ったのは自力です。仮に、私が耳にした会話がなくても、他の野菜のgを目安にして、見当をつけることは出来ました。どうしても、その伝わり方が必要というわけではありませんでした。結果として、私の労力的に、少しのショートカットが出来た、というだけです。

サポートというのは、本人の行動や意欲に呼応するように起こるのが普通で、何もしなくても、天から降ってくるわけではないし、また、行動せずに望むだけでは得られません。

決断も行動も、すべて自分が実際に行うことであり、いくらこの世が神秘的だとはいえ、サポートとして得られるのは、「ほんの少しの、後押し」でしかないのです。

情報を得ようと、行動したのは自分ですし、そして、情報を得た後に、自分で動かなければ、成果につながりません。私は、この後、500gがわかったことで、なんだか落ち着いてしまって、…実はまだ、ニンジンを注文していません(笑)。

ヒントは、ヒント。そして、情報は、情報。行動のための、後押しやショートカットはあっても、ニンジンそのものは、自分で注文しないと得られません( ̄m ̄*)。

自立心や意欲を持って過ごしていけば、少しのショートカットになる、手助けの情報やヒントは、周囲を通して、届けられます。ときには、人の会話を通して、ときには、本を通して。・・・でも、ニンジンは、自分で実際に注文しないと届きません(笑)。

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2011年1月28日 (金)

霊感が強い人の特徴、「太りやすい」。

私たち人間は、肉体をもった霊的存在なので、実は誰にでも霊感があります。強い人もいれば、そうでもない人もいるという差はありますが、霊感がまったくゼロの人はいません。

霊感は、見えないものが見える、聞こえる、という現れ方をするとは限らないので、強くても自覚がない人はたくさんいます。霊感には様々な現れ方があり、私たちは、日常、無意識にそれらを活用しながら生きているものなのです。

霊感が強い人の特徴のひとつに「太りやすい」というものがあります。

霊感が強い人は、アンテナが鋭いので、他人の想念や、その場の雰囲気など、いろいろなエネルギーに影響を受けやすいものです。そのような影響が積み重なると、「気が上がってしまう」状態になり、行動のテンポも上がってしまいます。

何かと気が急いてしまい、食べるスピードも速くなり、いつも以上に食が進んでしまう・・・という結果になりやすいため、太ってしまうのです。

また、霊の憑依による影響で、食欲が増してしまうこともあります。自分と霊との共通点のある要素が、現実的な事象に色濃く反映してしまう仕組みになっていますので、食欲などの、本能的な欲求に、共通点が生まれやすいためです。

憑依が起こるのは、波長の法則で、何かの引き合う要素がある場合に起こることは、多くの方がご存じだと思います。

たとえば、自分がネガティブになっているときに、同じようにネガティブな心境になっている霊が、一時的に憑依したとします(それは、珍しいことではなく、日常、誰にでも起こっていることです)。

何らかの、共通点があって引き合って憑依になっていたとしても、全部の要素が影響されるとは限りません。

仮に、その霊は、お金にとても執着していたとします。憑依された人間が、もともと、お金に執着を持っていれば、その要素が、二人羽織状態になるわけですから、強くこだわりが出てしまうと思いますが、その人が特にお金にはこだわっていなければ、(たとえ霊が強い執着を持っていたとしても)あまり極端な影響が表面化することはないわけです。

しかし、食欲というのは、誰もが少なからず備えている本能的な欲求のひとつです。そして、未浄化な霊や、浄化途中の霊は、人間だった時の本能的欲求から抜けられていない(から、浄化できない)ので、食べることに対する執着を持っていることが多いので、この要素は、かなりの確率で、憑依した霊と人間における、共通項になってしまいます

それが、霊感の強い人が太りやすい傾向がある、といわれるメカニズムなのです。

私の知る限りでも、ぽっちゃり気味の方のほとんどは、キメが細かくて、受信力の高そうなタイプの方が本当に多いと感じます。

なので、霊感の強い人は、食べ過ぎには気をつけなければいけないのです( ̄m ̄;)。

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2011年1月27日 (木)

グループソウルは「全体」で、私たちは「部分」。

私たち人間は、肉体をもった「霊(的存在)」です。肉体は、今回の人生限りの物質ですが、霊の部分は、消えてなくなることはなく、今回の人生を終えた後も、永遠に在り続けます。

今回の人生を終えると、肉体を離れた霊の部分は、あちらの世界の、たましいの大元である、「グループソウル」に戻っていきます。

けれど、現世で、肉体を伴って生きている最中も、私たちは、グループソウルから切り離されているのではありません。この、たましいの絆は、どんなときも、常に繋がっており、切れることはありません。

たとえば、プールに水が入っていて、その中に、バケツを入れたとします。バケツの中にも、やはり同様に水が入り込んでいるけれど、バケツの中の水は、(バケツを外に出さない限り)プールの水と同一であり、完全に別個になったわけではありません。

バケツの中の水とは、「バケツの中の水でもあり、同時に、プールの中の水でもある」、という状態になります。

私たちと、グループソウルとの関係も、それと同じで、「私という今回の人生を生きる霊でもあり、同時に、グループソウルという全体の、一部分でもある」のです。

あちらの世界と、こちらの世界(現世)は、どちらも密接に関連していて、切り離されることはありません。

現世は、プールの外側にある、バケツの中という単独の世界のように思えてしまいますが、実際には、この二つは、大きい箱に小さい箱が入っているように、重なり合っているのです。

ある一部分と、別の一部分を、二つに分けることはできても、全体と部分は、二つに分けることはできません。なぜなら、全体は、部分をも含んでこその全体だからです。

グループソウルが、霊としての全体であり、今回の人生を生きている私たちが、部分だと考えれば、私たちは全体に含まれているのだから、この絆が切れることはありません。いつでも、繋がりをもっていて、見守られながら、私たちは、この世という「プールの中の、バケツの中」で、今回の人生という学びを経験しているのです。

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2011年1月26日 (水)

自己分析の力とは、質問力の高さに比例する。

自己分析をしようとしても、まったく結論にたどりつかない方は、ただ何となく、「○○について・・・」などと、頭の中に「そのことを思い浮かべるだけ」になっていないでしょうか。

その状態は、分析が出来ているとは言えません;。「出来ていない」という事実に、気づくことが大切です。

悩んでしまう多くの人は、(その状態にある)自己分析が出来ていない自分、という現状に気づかず、(その状態を)自己分析をしてみたけれど、分からなかった、という受け止め方をしています。

自己分析の力とは、「質問力の高さ」です。

その問題に対して、適切な質問をつくりあげることができるか、という点です。それができなければ、自問自答ができませんから、(問ができなければ、答を導き出せません)、考え方が前に進んでいかないのです。

質問力が低ければ、自己分析に限らず、日常会話もうまくはずまないでしょう。リズムのあるやりとりには、適切な質問を挟むことが有効だからです。

たとえば、何かについて相手に一方的に説明する場合でも、ただ「はい・・・、はい・・・」としか返事をしてくれなければ、分かっているのかいないのか、把握しにくいものではないでしょうか。

話の途中で、「なるほど、今の話は、○○○のきっかけになったのですね?」などと、肯定と質問の両方をうまく挟まれると、きちんと聞いてくれているのだな、という安心感にもつながり、「乗って」話すことができますので、ちょうどよい会話のリズムが作られていきます。

自己分析の際には、自分に対する質問力が大切で、人とのやりとりの際も、相手に対する質問力があると、うまく人間関係を作っていくことができるのです。

では、自己分析のための、質問力を鍛えるには、具体的に、どうすればいいのでしょうか。

以下は、私がスカイプレッスンで取り入れている方法です。

「ひとつの言葉について、適当な質問を出し合い、それに答えていく」という方法で、練習していただいています。

たとえば「お金」というキーワードがあったら、私が、そのことに関連する「軽い質問」を出していき、それに答えていただきます。

「もし、今、何に使ってもいいお金が1万円あったら、何につかいますか?」

「では、10万なら?」

「財布に、いくら入っていたら安心できますか」

「心おきなく寄付できる金額とは、いくらくらいまでですか」

「贈り物をするとしたら、購入代金として、最高いくらまで出せますか」

「今、やってみたいけれど、お金の都合で断念していることはありますか?」

「では、それは、具体的にいくらあれば、可能になりますか?」

・・・というように、どんどん質問をしていき、簡単に答えていただくのです。

そうすると、多くの方は、なかなか答えが出てこないことに気付きます。スムーズに答えられない理由は、そんなこと、考えてみたことがないから、という理由です。

つまり、もうおわかりのことと思いますが(笑)、お金をほしいと思っていたり、お金について日ごろから考えているつもりになっていても、・・・実際には、意外と考えていないものなのです。

そのことにまず、気づいていただき(ここが、第一段階)、そして、今度は、役割を入れ替えて、私に対して、同じように、お金についての質問をしていただくのです。まずは、自問自答よりも、相手に対しての質問のほうが、イメージがわきやすいものだからです。

レッスンでは、相手に対する質問という形で(そのほうが効果的なので)行っていますが、自分で練習する際には、「ひとつの単語について、もしも、相手に質問するとしたならば」のような形で、質問を作っていくのもよいでしょう。

そうして、質問という思考のパターンを、自分の中に作り上げていく(ここが、第二段階)と、他の場面に応用できるので、自己分析がしやすくなったり、会話が上手になったりもすると思います。

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2011年1月25日 (火)

霊感が強い人の特徴、「他人の影響を受けやすい」。

私たち人間は、肉体をもった霊的存在なので、実は誰にでも霊感があります。強い人もいれば、そうでもない人もいるという差はありますが、霊感がまったくゼロの人はいません。

霊感は、見えないものが見える、聞こえる、という現れ方をするとは限らないので、強くても自覚がない人はたくさんいます。霊感には様々な現れ方があり、私たちは、日常、無意識にそれらを活用しながら生きているものなのです。

霊感が強い人の特徴のひとつに「他人の影響を受けやすい」というものがあります。

人との交流は、お互いのエネルギーの交流でもあります。霊感が強い人は、感応する力も強いために、自分以外のエネルギーの影響も、大きく受けていくことになります。

オーラの大きい人は、それだけキャッチする面積が広いことになりますし、オーラの質感がキメ細かい人ほど、キャッチしやすい形態を備えているともいえます。目の粗い網と、細かい網を比較すれば、後者のほうが、さまざまなものをキャッチしやすくなります。

質感が細かいオーラの人は、それだけ、馴染みやすい性質でもあるので、自分以外のエネルギーによる影響と、本来の自分との区分けがつきにくくなりがちです。

相手の主張していることに同調しやすく、落ち込んでいる人のそばにいると、自分も落ち込んでしまったりすることもあるでしょう。その場の雰囲気にのまれて、大胆な行動をしてしまったり、後先を考えずにノリで動いてしまうことなどもあるかもしれません。

他人の想念や、その場の雰囲気などをキャッチしやすく、さらに馴染みやすいので・・・、極端な形で、影響が出てしまう傾向があるのです。

ただ、この場合、きちんと認識しておくべきことは、「影響を受けやすい性質である」ことと「実際に、影響を受けて流されてしまう」ことは、同じではない、という点です。そうなりやすい傾向があるとしても、実際に影響を受けるか否かは、自分しだいであり、すべて自分に原因があります。

馴染みやすく感応しやすい資質を、よい方向に発揮していくように心がけ、よくない影響は最小限になるように、高い波長を保てる自分であるよう、心がけていくことが大切です。

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2011年1月24日 (月)

自分の矛盾は、感じにくい。

他人の一貫していない言動(矛盾)に対して、なぜ、その二つが自分の中で成り立つのだろう?不調和を感じることはないのだろうか?と、思った経験は、誰にでもあると思います。

けれど、そういう場合、本人としては、矛盾しているつもりはない場合がほとんどです。本人の中では、意外と、矛盾は「共存」できるものだからです。・・・ということは、他人に限らず、自分自身も、そうして、矛盾を抱えているのに、他人のことだけが目についている、という可能性もあります( ̄∀ ̄;)。

自分が有利になる要素については、「自分のこと」に重ね合わせてとらえますが、自分が不利になる要素については、「他人のこと」として、とらえる傾向が誰にもあるからです。

つまり、自分が称賛されるようなことや、得をする場合などには、「その意見は、私と同じ」「私も、そのような考え方を取り入れよう」などと、肯定的に、自分のことのように、物事を解釈します。

しかし、自分が批判を受けることや、認識不足を指摘されるようなことに対しては、「世の中には、そういう人も、いるのね(私は、違うけど)」というように、自分のことではない、他人ごとのように、解釈する傾向があります。

また、実際、他人の(自分への)批判や指摘が正しくない場合も多いですから・・・、批判というのは、発言者本人が備えている部分を投影していることもあるので、ネガティブな意見を、あまり自分に置き換えない、という認識の仕方が必ずしもよくない、ということもでありませんから、これらの認識は、難しいものかもしれません。

称賛には同調し、批判には聞く耳を持たない、という認識の仕方、これは、少なからず、誰もが、無意識でやってしまうことだと思います。

誰もが、自分の抱える矛盾は感じにくく、他人の矛盾には敏感になるものです。しかし、「お互い様」のはずなので・・・、矛盾を感じたとしても、「人は人、自分は自分」、という考え方で、受け流していくことも必要ですね。

親子間や、会社の業務間で「人は人・・・」なんて、言っていられませんから;、それは、指摘するなりして、改善を促すことも、時には必要になると思いますが、それほど深くない間柄においては、意識的に「気に留めない」ようにするほうが、お互いのためであるような気もします。

改善に取り組むとしたら、それは、「自分の中にある、矛盾」が対象で、「他人の矛盾」ではありません。人様のことに口を出すのは、まずは、自分が改善した後の話だと思います。

どんなに立派な意見であっても、口にする本人が実践していなければ、「正論」も、説得力に欠けてしまいます。まずは、自分のことに目を向けていくことが大切ではないでしょうか。

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2011年1月23日 (日)

情報収集は、目的ではなく、行動に向けての手段。

ある目的があって・・・、現時点では、その目的について大枠では見えているけれど、明確な到達点が、自分でもまだよくわからない、目指す分野はあるが、自分がかかわる内容は絞り切れていない、などの場合、「とりあえず、そのことに関連しそうな経験を積んだり、情報集めをしてみる」という方法は、とても有効ですし、多くの人がそこから取り掛かるものと思います。

けれど、「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉もあるように、ある目的のためにいろいろ情報収集をしているはずが、逆に「収集行為のしすぎ」により、目的がぼやけてしまって;見えにくくなる場合があります。

自分に本当にふさわしいものを見つけようとして、たくさんの情報を集めていても、その中から、必要なものを選び取るのは自分の意思であり、数さえ集めれば自動的に取捨選択がなされるわけではありません。

集め終わったら、どこかで「選ぶ」方向にスイッチを切り替えなければならないのですが、「やりすぎ」になると、収集のスイッチをオフにすることが、モチベーションが切れてしまうように感じて、できなくなってしまうことがあります。

いつの間にか、手段と目的が入れ替わってしまい、「集めて、その中から選ぶ」つもりが、「集めることが目的」になっている状態(それは、精神的にも金銭的にも、かなり消耗するはずですが)に、馴染んでしまって、気づかなくなるのです。

「5つ集めて、その中から一番良いものを選ぼう」としているはずが、50個も集めれば、何がなんだか、どこが選定の基準なのか・・・、焦点がぼやけて、分からなくなってしまうのも当然です。

集めることもよいけれど、集め過ぎて分からなくなっていると思ったら、「集めた中から、不要なものを除く」方向に、考え方を変えていくことも必要です。

今は、情報が簡単に手に入る時代ですから、多くの方が、「集め過ぎて、逆に混乱」している気がします。

情報収集というのは、行動の「初期段階」であり、いつまでも収集だけしても、実際の本格的な行動にはつながらなず、逆に集め過ぎることで、行動が遠ざかってしまうこともあります。

たくさんの情報の蓄積から、必要なものにたどり着くこともありますから、そのすべてが悪いわけではないけれど、一定の数を超えたら、集めるよりは、せめて「入れ替える」ようにして、不向きなものを排除していくことも、大切ではないでしょうか。

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2011年1月22日 (土)

霊感が強い人の特徴、「ひとつのことに集中しにくい」。

私たち人間は、肉体をもった霊的存在なので、実は誰にでも霊感があります。強い人もいれば、そうでもない人もいるという差はありますが、霊感がまったくゼロの人はいません。

霊感は、見えないものが見える、聞こえる、という現れ方をするとは限らないので、強くても自覚がない人はたくさんいます。霊感には様々な現れ方があり、私たちは、日常、無意識にそれらを活用しながら生きているものなのです。

霊感が強い人の特徴のひとつに、「ひとつのことに、集中しにくい」というものがあります。

それは、ひらめきがよすぎるため、でもあります。次々に、アイデアがひらめいて、頭が忙しく働いてしまい、あれもこれも目に留まります。

それゆえ、気の利いた行動がとりやすい、とも言えますが、集中力には欠けてしまいますので、場合によっては、飽きっぽくて、移り気な人、落ち着きのない人に、思われてしまうこともあるかもしれません。

「受信機」が発達しているので、たまたま目にした雑誌の文章や、自分に対して発せられたものではない他人の発言、テレビの一場面など、実に多くのものが、ひらめきの材料となります。

それらの感覚が、日常生活の知恵となり、仕事の効率化に繋がるなど、役立つことも多いけれども、思考力が分散してしまうことは確かです。

感応力がよいのは、全般的にはありがたい資質ですが、それ故に、集中力には欠けてしまうことが多いので注意しましょう。

ある事柄に取り組んでいて、時間をかけて予定を立てているはずが、思考が脇道にそれて、さらにそれて・・・、横に広がっていく一方で、さっぱり前に進んでいない;、というようなことも、感受性が良い人にはおこりやすいです。

自分の趣味の範囲などでは、それでも問題はないですし、幅が広がることで、新たな視点を得られることもあるのだけれど、相手のあることや、他の人からの依頼事、一定の成果を上げる必要のあることなどについては、脇道にそれずに集中的に、「思考力」を活用していくことも大切です。

ひらめきが良いことは、ありがたい資質ではあるのですから、それらをうまくコントロールして、よい方向に発揮していくようにしましょう。

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2011年1月21日 (金)

直感力とは、思考の瞬発力でもある

私は、直感力を言い表す際に、「ふさわしい引き出しを、瞬時に引き出せる力」という表現を使うことがあります。

ある問題に直面したときに、「その問題に関連する、ふさわしい引き出しを、自分の中から探し出し、それを空けることが出来る力」や、もしくは「その一連の作業のスピードが速いこと」が、直感力の高さ、だと思っています。

引き出しを空けるスピードがどれほどに早くても、・・・そもそも、中身がからっぽであれば、問題の解決には至りません

直感力に関して、後付けで鍛えることができるのは、この、「該当する引き出しを見つけるまでのスピード」と、「その引き出しを空ける、スピード」だけです。

ところが、直感力というものを、まるで魔法のように、「からっぽの引き出しが、ひとりでに満たされること」だと思っている人がいます;。

直感や霊感は、魔法ではないのだから、無から有が生み出されるわけではないのです。引き出しの中身は、自力で満たしておく必要があります。

過去に、レッスンを受けていただいた方はわかると思うのですが、直感を言葉で表現しようとすれば、自分の知っている知識の範囲でしか、解釈は広がっていかないものです。

それは、例えていえば、以前に知っていながらも、しばらく忘れていた漢字の読み方を、瞬間的に思い出すようなものであって、もともと知らないはずの漢字の読み方が、直感力により、魔法のように読めるわけではないのです。

引き出しの中身とは、自分自身の中身です。今まで身に付けた経験や知識や・・・、さまざまなものが、その中に入っており、開け閉めの力が強くなっていくに従って、使い方のコツが分かってきて、可動域も広がっていく、というのが、直感力が高くなっていく仕組みです。

引き出しの数は、その人の、人間的な器です。器が少なすぎても、または、たくさんあっても中身を満たす努力をしていなければ、(与えられたひらめきを、解釈することができないので)直感を活かしていくことができにくくなるでしょう。

上記のような、間違った解釈をしている人の多くは、「思考から生まれているものは、直感ではない」と思いこんでいて・・・、何もないところから理屈抜きで降ってくるものこそが、直感である、という独自の解釈にこだわりすぎになっているのです。

思考と直感が、決して遠いものではないことを、理解する必要があります。・・・というより、私たち人間の感覚では、この二つを明確に区別することはできません。

つまり、私たちが、「思考しているつもり」になっているものの中にも、直感が含まれている、ということなのです。逆の言い方をすれば、直感は、思考したかのように(私たちに人間に)認識されてしまうこともある、となります。唐突な思いつきだけが、直感ではないのです。

この二つ、思考と直感との区分けがつきにくいのは、実は直感力が高い人ほど、顕著です。その仕組みについては、過去記事でも書きましたので、そちらをご覧いただきたいのですが、(過去記事は、こちら:直感が鋭い人ほど、スピリチュアルを信じない人が多い理由

瞬間的な思考と、直感とに区分けはありません。(自分で作り上げたものだとしても)その思考に、瞬時に辿りつくことができる、という点が、すでに直感力の域だからです。それこそ、理屈で説明できません。

このことを正しく理解していくことで、直感力が高まっていき、オーラが明るくなっていきます。なぜなら、理屈で理解するという知識は思考を助けますし、正しい思考は、直感力につながっていくからです。

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2011年1月20日 (木)

グループソウルの解釈=生まれ変わりの仕組み

私たちは、あちらの世界の「グループソウル」と呼ばれる「たましいの家族」から分かれて、この世に肉体をもって生まれてきており、「私」という個別の感覚を持ちながら、今回の人生という経験を積んでいます。

グループソウルと私たち人間は、常にたましいの絆で繋がっており、それらが切り離されることはありません。私たちは、肉体を伴って、今回の人生を経験して学び・・・、そしてたましいを向上させていきます。

私たちは、常にグループソウルと繋がっていますので、私たちの向上は、イコール、グループ全体の向上へと、繋がっていく仕組みです

つまり、あちらの世界の叡智だったり、守護霊だったりが、私たちという「個別の存在だけ」を、助けているのではなくて、私たち(の経験)を通して、グループソウル全体の向上を願っていることからの、サポートである、という解釈もできるわけです。

江原さんの書籍では、「コップの水」で、それらをたとえています。

要約すると、グループソウルは、コップに入った水で、私たちは、そこから一滴の水として分かれて、この世に生まれてきた。そして、その一滴は現世で過ごす経験をして、たましいを向上させ、また、いずれ、コップ全体の中に戻っていく。そして、また、一滴が生まれて・・・という、繰り返しで、コップ全体の水の純度が向上していく、と。

私は、これらの説明をするときには、「会社の本支店」にたとえて伝えています。

あちらの世界にある、たましいのふるさとは「会社の本店」で、そこから分かれて今回の人生を生きている私たち人間は「現世に出された支店」です。

そして、本店では、支店の指導やバックアップを含めた全体業務を統括していて、生産性を伴う営業活動は、支店のみで行っているようなものです。

支店での売上は、グループ全体の業績に貢献します。支店での売上というのは、この世で私たちが経験するさまざまな事象を通して、たましいを向上させることが該当します。

本店は、支店の活動をバックアップします。常に見守っていて、軌道修正をしてくれたり、必要なサポートを与えてくれたりしますが、同時に、支店の自主性も尊重しているので、やたらに口出しはしてきません。なぜなら、支店の自力を鍛えることが、そのままグループの底上げにつながるからです。

私たちの今の人生は、グループソウルという本店から、数十年の期間を設定した、日本への出店です。

そして、いつか、日本での営業活動を終えたら、たましいの部分は、本店へと吸収されていきます。支店での業績が消えてなくなるわけではありません。本店に融合していき、ひとつになっていきます。

そして、またいつかの時期に、今度はフランスに出店しよう、と決めるとします。それが、来世です。

そのときは、日本支店で培ったものを含んでいますので、前回の出店時よりも、ある部分においては楽に営業活動が送れるでしょう。

しかし、文化の違いその他で、日本の出店時には経験しなかった、新たな困難にもあうでしょう。そのすべてが学びであり、グループ全体の向上に繋がっていくのです。

ときに、グループの向上を考えたときに、日本とフランスに同時に出店して、それぞれ営業活動を行うことがベターだ、たくさんの経験が積める、と判断されることもあるでしょう。それが、いわゆる「ツインソウル」です。

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2011年1月18日 (火)

霊感が強い人の特徴、「感情の起伏が激しい」。

私たち人間は、肉体をもった霊的存在なので、実は誰にでも霊感があります。強い人もいれば、そうでもない人もいるという差はありますが、霊感がまったくゼロの人はいません。

霊感は、見えないものが見える、聞こえる、という現れ方をするとは限らないので、強くても自覚がない人はたくさんいます。霊感には様々な現れ方があり、私たちは、日常、無意識にそれらを活用しながら生きているものなのです。

霊感が強い人の特徴のひとつに「感情の起伏が激しく、上下の幅が大きい」というものがあります。

霊感が強い人というのは、色々なエネルギーを受信する周波帯が広い、ということです。スピリチュアルな仕組みに、同じレベルのものがお互いに引き合うという、「波長の法則」があります。 周波帯の幅が広い、ということは、その帯のうちの一番下と一番上とに、大きな差がついていることになります。

気分や感情というのは、都度移り変わる要素ですので、その人の持ち合わせている幅の範囲で上がったり下がったりします。 持ち合わせている幅が広い人ほど、落差が大きいので、=感情の起伏が激しくなりやすいのです。

なので、霊感が強い人ほど、自分の感情をコントロールしていき、それらに左右されない強い自分になっていくことを、心がけていく必要があります。それが学びのひとつとして、備わっている(から、霊感も強い)という場合も多いのです。

けれど、感情に左右されてしまうことが、霊感が強い人に必ず起こるわけではありません。そういう傾向を備えている、というだけであって、実際に左右されるかどうかは、その人のたまいしの成熟度によって違ってきます。

感情というのは、「状態」です。状態は変化します。たましいの成熟度というのは、本質です。霊感も、本質です。本質は、成長により深まっていく(という変化を見せる)ことはあるけれど、状態のように、都度、コロコロ変わっていくものではありません。

強い感情に左右されてしまっている・・・ということは、本質よりも状態のほうが優勢になっているわけです。そこに、改善と成長の余地が存在しているのですね。

霊感や直感を活かしていけるようなるためには、自分の癒しが必要である、などと、よく言われますが、それは、「状態」が優先してしまうと「本質」の要素を、それなりのレベルで安定して発揮することが難しくなるためです。

私は、よく、オーラのくもりを改善していく、というような表現を使いますが、オーラは本来輝いているもののはずで、くもっているのは「状態」です。こちらの意味するところも、同じになります。

すべての事柄に対して、移り変わりのある状態の部分を向上させたり、改善させたりしていき、より、本質が発揮されやすくなっていくことが、霊的な成長のひとつの形である、といえるでしょう。

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2011年1月17日 (月)

変えられる人間関係と、変えられない人間関係からの学び。

気が合う人だけに囲まれて生きることは難しく、家族、友人知人、仕事関係、親戚などの、多くの人の中には、まったく気が合わなくて、付き合いが大変だと感じる人もいるでしょう。

人間関係の苦労もまた、大切な学びの一つだと言えます。ときに、思い通りにならない関係から、自分が何に気づいて成長していけばよいのかを、示してくれる目安になっていきます。

自分が相手に合わせることを学ぶ場合もあれば、相手にはっきりと意見を言うことが学びとなる場合もあります。ときには、相手との付き合いをやめるという選択が、自分にとって最善となる場合もあります。

自分が今、直面している人間関係の問題点について、どのように対応していけばいいのかを考える場合に、「簡単に変えられる関係」か「簡単には変えられない関係」かを、基準に考えてみることも有効だと思います。

友人や恋愛の相手は、自分がその気になれば、変えることができる相手です。ならば、ときには、相手との付き合いをやめることで、悩みが解決する場合もあるでしょう。気が合わないと分かっていながら、我慢して耐えているだけが良いとは限りません。

一方、家族や仕事の付き合いというのは、そう簡単には変えることができません。そのような相手とは、長い付き合いから学ぶ要素がある(から、そのような出会い方をする)ことになります。

これらの関係は、この世の中が、すべて、「自分に必要なことしか起こらない」というカルマの法則と、「同じ要素を持つ人同士が引き寄せあう」という波長の法則により、成り立っていることから、逆算的に把握できるのです。

友人との関係も、場合によっては、付き合いを絶ちにくいこともあると思います。たとえば、人口の少ない場所に住んでいて、ほとんどが知り合いという環境で生活している場合です。そういうときは、「友人でさえも、距離を置きにくいという環境で、生活している」こともまた必然なのです。

この世は、自分に必要なことしか起こりませんから、気が合わない人とでも、関係を絶たずにうまくやっていくことが、自分に必要な学びなのかもしれません。それで、人口の少ない地域に生まれてきた、という可能性もあるでしょう。

または、環境を変える(引っ越し等)ことを、促されている場合もあるかもしれませんね。その場にとどまらずに、別の生き方を模索したほうが自分のためになる場合に、周囲の環境におけるトラブル等を利用して、変化や決断に至るように仕向けられることもあります。

そこまでの気付きに至るには、深い洞察と分析が必要になりますが、まず、初歩的な区分けの方法として、問題を抱えている人間関係は、自分がその気になれば、関係を変えることができるか、それとも簡単には解消できない関係なのか、という点から、分析してみるのもいいと思います。

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2011年1月16日 (日)

霊感が強い人の特徴、「恋愛関係において、気が多くなりやすい」。

私たち人間は、肉体をもった霊的存在なので、実は誰にでも霊感があります。強い人もいれば、そうでもない人もいるという差はありますが、霊感がまったくゼロの人はいません。

霊感は、見えないものが見える、聞こえる、という現れ方をするとは限らないので、強くても自覚がない人はたくさんいます。霊感には様々な現れ方があり、私たちは、日常、無意識にそれらを活用しながら生きているものなのです。

霊感が強い人の特徴のひとつに、「恋愛関係において、気が多くなりやすい」というものがあります。

霊感が強い、ということは、つまり、感受性が高い、感応力が高い、ということでもあります。人との交流というのは、お互いのオーラの交流でもありますので、霊感が強い人は、「相手のオーラの影響を、受けやすい」体質である、と言えます。

たとえば、「あの人とは気が合いそうだ」とか、「あの雰囲気には、私は合わない」などと、いろんなことを想像したり感じとったりすることは、誰もが日常行っていると思いますが、それらの判断は、自分のオーラを受信機として、相手の発するオーラを感じ取ることで、なされています。

霊感が強い方は、オーラが平均よりも大きく、感応力もいいので、感じ取る作用も大きくなります。

人と交流するたびに、相手のオーラを、「より、自分の中に取り込み、感じ取る」ことになり、そうすると、(影響されるので)なんとなく相手のことが、気になってしまう、という仕組みです。

その影響による感覚や感情は、本来は、恋愛感情とは別物なのかもしれませんが、「相手のことが、好き・・・なような、気持ち」になってしまう、のでしょうね。相手のエネルギーが、とても大きく自分に作用すれば、そういう気持ちになっても不思議ではありません。

それが、特定の人にだけに起こるのではなく、多くの人に対して起こるので、結果として、気が多くなってしまう、という現象になります。

そういうことが繰り返されれば、なかなか安定した人間関係が作られず、常に落ち着かない状況になったり、お付き合いの相手からも、良くも悪くも誤解されることもあるかもしれません。

霊感が強い自覚がある方は、流されやすい部分もあると自覚して、自分の恋愛感情に対して、冷静になってみることも大切だと思います。

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2011年1月15日 (土)

霊感が強い人の特徴、「人から、頼られやすい」。

私たち人間は、肉体をもった霊的存在なので、実は誰にでも霊感があります。個人差がありますので、強い人もいれば、そうでもない人もいるという差はありますが、霊感がゼロの人はいません。

霊感は、見えないものが見える、聞こえるという現れ方をするとは限らないので、強くても自覚がない人はたくさんいます。何かが見える聞こえる場合は、自覚しやすいですが、そうでなければ、考えてもみないことがほとんどでしょう。

霊感が強い人の特徴のひとつに、「人から、頼られやすい」というものがあります。

霊感の強い人は、平均よりも大きなオーラをしている人が多く、人に対する影響力(の大きさ)や、存在感として発揮されますので、相手の印象に残りやすいのだと思います。

人との交流というのは、オーラの交流でもあるので・・・、目に見えないエネルギーレベルでの働きかけが、無意識なものも含めて、大きく作用していくことが影響しているのでしょう。

霊感が強い人の中には、奉仕的な気持ちを備えている人も多いので、「そういう雰囲気」をまとっているため、それを感じ取った人から、期待されたり、頼りにされたりしてしまう、ということも関係しているのかもしれません。

また、大きなオーラの人は、それだけのバイタリティーを備えている人、ということでもあるので、持っている資質を活用するような場面が、自然に(と見えて、それは必然ですが)めぐってきやすいところもあると思います。

私は、道や場所を聞かれることがとても多いです。本当に多いです;。地下鉄で隣り合った、楽器ケースを抱えたお姉さんから、楽器店だったかCDショップだったかの場所を、突然聞かれたこともありました( ̄∀ ̄;)。

この傾向には、実はちょっと困っています( ̄w ̄)。私は、ものすごーーーい方向オンチだからです;。教えてあげることはやぶさかではないけれど・・・、自分の今いる位置すら把握できていないことが多いので(笑)。

知らない人に頼みごとをするのって、結構勇気がいると思うのですが、その勇気を出してもらった結果、答えが(私から)得られない、というのは、とても申し訳ないので、分からないと告げるときには、とてもにこやかに、かつ申し訳なさ感満載で(笑)、そう言うようにしています。「私は、あなたの質問が面倒だから断っているのではありませんよ」というアピールのためです。

あと、よく聞かれる場所については、説明の定型文を作って暗記し、いつでも答えられる準備もしています(爆)。

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2011年1月14日 (金)

たましいには性別はないが、肉体に入ったときには、男性女性という性質の差があらわれていく。

本来、たましいには、男性・女性というような性別の差はありません。私たちは、前世で男性だったときもあれば、女性だったときもあり、さまざまなケースを経験して学んでいます。

おおもとである「たましい」には、性別による差はなくても、今回の人生で、たとえば女性として生きる場合には、たましいの備えているうちの「女性的な性格」が、表面化していきます。そのため、「女性的」「男性的」という傾向が、みられるのでしょう。

この仕組みを、分かりやすさのために、色で説明します。

たとえば、おおもとの「たましい」は、紫色だとします。「女性的な性質」が青で、「男性的な性質」が赤で、それらが混じり合った色の紫がたましいの色だと仮定します。

紫色のたましいが、青い肉体に入ると、青い部分は馴染んで、赤い部分が表面化します。赤い肉体に入れば、紫に含まれる赤い部分は馴染んでいき、青い部分が目だっていきますよね。

これらの、馴染みやすさだったり、逆に、違和感のある部分だったりの統計的なものが、いわゆる「女性は、○○だ」とか「男性は、××だ」と言われるような、性差だと思います。

女性は地図が読めない、とか、男性は浮気性だとか、いろんなことが言われます。もちろん、個人差があり、全員がズバリ当てはまるわけではないけれど・・・、やはり、男性的、女性的、という傾向は、存在すると思います。

この肉体が、今回の人生だけの着ぐるみのようなものであっても、それをまとった瞬間に、もともとのたましいが備えている両方の(というより、区分けのない)性質のうち、一方が強く表面化しやすくなっているのですね。

誤解のないようにお願いしたいのですが上記の色は、例えていえば、という意味であって、たましいに色があるという意味ではないですし、また、オーラの色とも関係ありません。説明のための、便宜上の条件付けだとご理解ください。

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2011年1月13日 (木)

想像力を磨き、行間を読み取る感性を培う。

行間を読む、という表現があります。文章として明確には描写されていない部分を、前後の文脈等から読み取って、深い解釈をすることです。

これらの感覚は、たくさんの文章を実際に読むことや、人と接する機会をたくさん経験することで、培われていきます。

最近は、本を読む人が少なくなった、と聞きます。そのためでしょうか、はっきり書いていないと分からない、自分で「たぶん、(明確には書いていないけれど)こういうことだろうな」という想像力による判断を苦手とする人が増えているように感じます。

行間を読む、というのは、想像力でもあり、機転を利かすことのできる感性ともイコールだと思います。この感覚が磨かれていなければ、文章の読解力だけではなく、実際の人間関係における会話も、きっとうまくいかないのではないか、と思うのです

何か特定の新しいことを説明するのでもない限り、会話は、一部説明を省略して行われるのが普通です。毎回、一から十まで詳しく説明していたら、(感性が発達している人からすれば)そのほうが、気が利かないとか、説明が下手だと思われてしまいます。

たとえば、地下鉄に乗っていると「次の○○駅では、右のドアが開きます」と、アナウンスが入りますが、これも、よくよく考えると、省略されている部分があります。横向きに座っている電車内で、「右」とはどちら側をさすのか?という点です。

このような場合は、「進行方向に向かって、右側」ですよね。多くの人はそれをわかっているので、アナウンスが不親切だとは、考えません。

このように、多くの人が当然と受け止めている部分は、省略されても当然と受け取られます。そして、多くの人に認識されていない部分を省略してしまうと、それは不親切だと言われたり、説明不足だと思われたりします。

このあたりの区分けを、「ちょうどよいところ」で使い分けていくことができると、話が分かりやすくて説明が上手な人だとか、空気を読める人だとかの評価に繋がっていくものです。

さまざまな経験を通して、想像力を磨いていくと、行間を読める人になれます。そして、それは、人間関係において、空気の読める人という評価にも繋がっていき、あらゆる場面で自分を助けることになるでしょう。

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2011年1月12日 (水)

結婚はゴールではなく、新たなスタート。

大人の男女間に、数か月から数年のお付き合いがあり、お互いに、相手に対する信頼が深まっている関係があれば、ごく自然に、結婚という形に結びついていくケースが多いと思います。

恋愛関係から、自然に結婚に向かうとしても、結婚は、恋愛のゴールではありません。結婚は一つの節目には違いありませんが、そこからまた新たな関係がスタートしていく「はじまり」なのです。

女性は、「結婚」というものに、ときに現実的ではない大きな夢を抱いてしまう傾向があります。結婚さえすれば無条件に幸せになれて、彼との関係も安泰で、恋愛時代の悩みや苦しみからすべて解放された世界があるかのように考えてしまう方もいますが、現実は、なかなかそのようにはいかないものだと思います。

結婚という、今までにない経験、非日常の刺激で、リフレッシュした気持ちになり、テンションが高くなるのは、半年か一年。その後は、お互いに協力しあいながら現実を生きていくという、新しい学びをしていくことになります。

男女間の強い恋愛感情も、持続するのは数年で・・・、その後は、ゆるやかに、「家族愛」に変化していくのが普通です。

それを不満に思ってしまう人も少なくありませんが、得るものがあれば失うものがあるのが世の常で、安定があれば、刺激が薄れてしまいますし、緊張感もなくなってしまうでしょう。そこは、受け入れながら、新たな、夫婦ならではの価値観を創り上げていくのだという、気持ちの切り換えが大切です。

すべての事柄は、変化していきます。小学校、中学校、高校、大学・・・と、成長していくに従って、教科書の内容も難しくなり、科目も増えていくのと同じで、恋愛関係と夫婦では、この世を生きる上での学びも、違ったものへ移り変わっていきます。

結婚に対して、夢見るような気持ちも、非日常に舞い上がる気持ちも、あっていいと思います。それもまた、必要な経験のひとつだと思います。けれど、いずれは、どこかの時点で、意識を「現実モード」に切り換えていく必要も出てくるでしょう。

そこからが、本当の「スタート」になっていくのだと思います。

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2011年1月10日 (月)

霊のせいではなく、自分が原因を作っていた話。

以前にも何度か書いているとおり、霊的なエネルギーは、電気や磁気と似ているところがあるので、霊感や念の力が強くて、バランスがとれていない状態の人は、電化製品が壊れやすいと思います。通帳や電車の切符などの磁気にも影響が出て、使えなくなったりすることもあります。

エネルギーがうまく流れず、自分の中に帯電したような状態になっていたり、感情が乱れてイライラ&カッカしているときなどに、そのような現象が起こりやすいと思います。ですから、必ずしも、「霊感が強いことが原因」とは言い切れないのです。自分の感情や波長の乱れが、その状況を引き寄せているわけですから。

私が、スピリチュアルな学びをスタートさせた、5年くらい前の話ですが、頻繁に電化製品が壊れる時期がありました。朝起きると、順番に、何かが故障していくような状態でした。

当時の私は、この現象は、未浄化の霊が引き起こしていると思っていました。私が寝ている間に、いろんな霊がやってきて、大暴れされていて・・・、そのため、私の部屋の電化製品が、反応して壊れているのだろう、と、そう思い込んでいました。

当時は、夜ごとに、いろんなおかしな霊がやってきては、私に、「君はすごいね~」「君は、(霊的な)才能があるよ」などと、なんちゃって霊言を聞かされていた時期です。私は、こんなのは、未浄化霊のいたずらだと分かっていたので、聞く耳を持ちませんでしたが。

このような状況が、私が睡眠中で気がつかないものも含めてたくさんあり、その霊のせいで、電化製品が故障しているのだと、私は思っていたのです。

ある日の夜中に、ふと目が覚めました。目を閉じていたままだったか、それとも目は開けたのだったか・・・、(どちらにしても、見える映像は変わりません)、部屋の中に、「薄っぺらい龍」の姿がありました。

まるで、鉛筆でいたずら書きをしたかのようなsweat02龍の姿です。私は、頭にきました。 目を覚まさせられたためではありません。こんな、手抜きの(笑)龍の姿を見せれば、私が信じるとでも思っているのか、と、ずいぶんと私を低く見ているのだな、ということに、怒り心頭になったわけです。

力いっぱい、「うるさ~~~~い!!!」と、言いました。もちろん、心の中で、ですが。

その瞬間、家中の電化製品が共鳴して、まるで雷でもなったかのような音が響きました。

私は、はっとして、そこで完全に目が覚めました。 ・・・そして、同時に気付きました。

夜中に、電化製品を壊していたのは、私だった、と。私が、自分の念力で壊していたのです(たぶん)。きっと、無意識下で、今回と似たようなことが起こって、・・・つまり、私は寝ながら、同様のことをして、そのたびに、想念が強く放たれ、電化製品や時計にアタックしていたのだと思います。

自分がびっくりして完全に目が覚めてしまうくらいの音でしたから・・・。それは、壊れても不思議ではない、というか;。

けれど、そんなこととは知らずに、私は、霊のせいだと、思いこんでいた、という。

なんてカッコ悪い話でしょうか( ̄w ̄;)。

原因は、自分なのに・・・。

何でも霊のせいにしてはいけません。すべての原因は、自分自身にあります。ということを、学ばされましたsweat02

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2011年1月 8日 (土)

○スカイプの使い方。

※スカイプは、インターネットの無料通話です。パソコンとネットに接続できる環境があれば、スカイプ同士の無料通話が行えます。

必要なものは、ネットに接続できる環境と、ヘッドセット(2000円前後で買えると思います)のみです。以下の画像のような、ヘッドホンとマイクがセットになっているものをPCに接続して通話します。

Re02

スカイプの使い方は、とても簡単です。

まずは、「スカイプを、ダウンロード~インストールをする」、そして「スカイプのアカウント(電話番号のようなもの)を設定する」

http://www.skype.com/intl/ja/get-skype/

基本、これだけです。数分で完了します。

そして、お互いに、スカイプにログインしている状態で、どちらかが、相手のアカウントへ発信することで、通話ができます。

スカイプ同士の通話は無料ですし、また音質もとてもよく、携帯電話よりもクリアです。

使い方は、以下のサイトの説明もわかりやすいです。

http://www.skype-j.com/

こちらをご覧になっても、よくわからない方や、初めての方には、使い方を簡単にですが指導させていただくことはできますので、ご希望の方はお問い合わせくださいませ。

まずは、ダウンロードをして、スカイプのアカウント作成(たとえば、yamada-hanako88 など)をしていただくところまでは、自力で行ってみてください。その後、ご不明点があれば、お問い合わせくださいませ( ̄∀ ̄)。

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離婚を考えるとき。

お付き合いが深まっていき、この人と人生を歩んでいこうという気持ちになり、結婚に至ったはずも、いつの間にか心が離れてしまい、離婚してしまう場合もあります。

一般に、結婚よりも離婚のほうが大変だ、などと言われますが、これから新たに作り上げるよりも、既に出来上がっているものを壊すほうが、精神的な面も含めて負荷大きいということなのでしょう。

そのため、離婚というものに、大きな拒否反応を示してしまったり、「我慢しきれなかった自分が悪いのではないか」と、深刻に悩んでしまう方も多いものです。

一度心に決めた相手と、添い遂げられたら理想的ではありますが、しかし、離婚という選択があってもいいと思います。わがままで投げ出したような離婚はいざ知らず・・・、努力をしたけれども、どうしても無理だと思う場合は、お互いに、別れという選択をとったほうが、今後の人生を有意義に生きることを考えて、ベストとなることもあるでしょう。

家を建てる際には、三軒目で理想通りの家になる、などとよく言われます。いろんな夢を抱いて設計しても、いざ住んでみると、現実的に使いにくさが出てしまったりして、改善点が見えてくるものだと思います。

日常生活でも、「○○と思っていたけれど・・・、やってみたら、どうも違ったようだ」と感じる事例は、いくらでもあります。

人間関係にだって、そういう可能性はあるわけで・・・、離婚だけを、とても悪いもののようにとらえてしまわないほうがいいでしょう。実際に、結婚という形態をとってみなければ、相手や自分のことが、見えにくい場合もあるからです。

実際に、そのような状況にある方は、「私たちは、離婚する運命だったのだろうか」と、あらかじめ、結婚して離婚する、という決まった筋書きがあったかのように、考えてしまうかもしれませんが、そういうことではありません。

未来は、その時々の積み重ねにより、自分たちで作り上げていくものですから、離婚も、お互いが引き寄せた結果だと言えます(重ねて申し上げますが、離婚が悪いわけでも、失敗というわけでもありません。)。自分を被害者のように考えるのは、やめたほうがいいと思います。そのような甘さを持っていると、また、この先も同じような現象を引き寄せてしまうからです。

また、今、とてもうまくいっているご夫婦間でも、「離婚しない」という確約があるわけではないのです。どうなるかは、その過程における、自分(と、相手)しだいで変わってくることです。

お互いのために、離婚という選択が最善だ、と思うのならば、前向きにその選択肢をとる行動があってもいいのです。すべての経験を糧として、この先に活かしていく意欲が大切です。

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2011年1月 7日 (金)

「何もしない」という選択が、最善であるケースもある。

活力にあふれているタイプの方は、困難に直面したときに、「何かの行動を、意欲的かつ集中的に行うことで、現状を打開したい」と考えます。

そのため、「何か」にあたる方法を探すことに一生懸命になる傾向があります。自分が頑張って動いていくことで、不足している要素を穴埋めして、解決しようと考えます。

けれど、どんなに素晴らしいことでも、適度であることが大切で、過剰になったらバランスが悪くなります。

自分が「頑張りすぎ」「やりすぎ」になっていることで、その困難が展開しているのであれば、困難の解決方法として、「頑張ること」は、相応しくありません。

走りすぎて疲弊しているのに、その状態の改善方法として、「あと、どのくらい走れば解決するか?」という考え方は、当てはまりませんよね。

ときに、「何もしない」ことが、最善の解決策に繋がることもあります。少し、力を抜いて、気持ちやスケジュールの余裕を持つことで、事態が改善することもあるのです。

気持ちや波長がネガティブに傾くと、「その人の持っている性質が、よくない方向に過剰に現れる」ようになります。ネガティブになると、やる気が出なくなる・・・とは限らず、「やりすぎになってしまう」という表れ方をすることもあるので、受け止め方に注意が必要です。

頑張っていて、やる気があるのだから、自分は前向きでポジティブだと思っていても、「やりすぎ」になってもまた、バランスが悪いのです(ネガティブになってやる気が薄れるのは、もともと行動的ではない性格の人が多いです)。

活力にあふれるタイプ人は、「やりすぎもよくない」とか「少しは緩むべき」とアドバイスされても、なかなか、そのように気持ちを切り替えることができず、「今とは違う、別の方法を探せば、うまくいくのではないか」と、やはり、自分が動くことで何とかしようとしてしまいます。

一時的に特定の方法により、スムーズになったとしても、考え方を切り替えない限り、また、いつかの未来で、同様のことが起こって学ばされるようになるでしょう。同じ思考からは、同じ結論にしか、辿りつかないからです。

それでも、動かずにいられない人は、試しに、本当に、「自分が、何かをしなければ、打開されない」のか、検証してみてはどうでしょう。

そうすれば、それほど力を入れなくても、状況はそれなりに動いていくものであって、むしろ、無駄な力をかけていたために、歯車がかみ合わなくなっていたのだと、困難な状況を呼び込んでいたのは、自分だったかもしれないと、気付くことができるのではないでしょうか。

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2011年1月 6日 (木)

自分をごまかしているうちは、変わることはできない。

自分の本心から目をそらしているうちは、・・・「変わる」ことは難しいでしょう。

多くの方が、自分の本心を見ないようにして、上辺の感情を何とかすることに終始しているように思われます。しかし、それでは、「今の状態」から抜け出すことは難しいのです。

人には、本音と建前というものがあります。何でも本音全開で生きていくのが素晴らしいわけでもなく、世の中を渡っていくための大人の知恵として、建前は有効であり、必要なものでもあると思います。

しかし、それは「他人に対して」「表向きに取るべき態度として」有効な場合もあるという意味であり、自分が自分に建前を演じるのは、…誰に向けてのアピールなのかと考えると、意味がないと思いませんか。本当に見るべき部分から、目をそらし続けていては、苦しむのはほかでもない「自分自身」です。

文字や言葉にも、固有のエネルギーがあります。それは、「ことだま」と呼ばれるものと同義なのかもしれません。その、言葉の発するエネルギーと、本人の発するエネルギー(オーラ)が、明らかに別方向を指している場合は、「本心ではない発言」「たましいが望んでいるものとは別の、一時的な感情論」になっていると分かります。

それでも、わざわざ「建前」を口にしたくなるのは、人という存在は、弱いものだから・・・、「見せかけの納得」を得たいと思っているからです。それで、とにかく今だけでも安心したい、という。

そのお気持ちはよくわかりますが・・・、どこかの時点で、今までの自分に区切りをつけて、本音と向き合う作業をしていくべきではないでしょうか。

この先の未来が、自分が望むとおりに、本心のとおりに展開していくとは限りません。それは、当たり前だと分かると思います(だからこそ、建前で自分を納得させたい気持ちになるのですから)。

しかし、本心のとおりに、現実の事象が「なるか、ならないか」が大切なのではなく、まずは、自分の本心がどこにあるかをしっかりと認識して、その上で、すり合わせの作業をしていくという「順番」を経ていく過程が大切なのです。

そうすると、望みがどうあれ、とにかく、納得ずくで前に進めるようになります。それをしないと、「無理なことを諦める」ことすら、難しいものです。

この過程は苦しいので・・・、ここを避けようとして、「見せかけの納得」を手に入れたくなるのですが、それは「寄り道」「回り道」であり、前に進んでいるつもりになっているだけで、実際は停滞しているか後退している状態です。前に進まないならば、「出来る可能性のあることすら、出来なくなってしまう」のではないでしょうか。

そして、その状態をつくているのは、「自分自身」です。自分が自分に、今の状態を強要しているのと同じです。自分が自分を苦しくしています。ほかの誰かのせいや、環境のせいではないのです。自分以外の状況という、「そちらが、見せかけの理由」であって、本当の理由は「自分」にしかないのです。

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2011年1月 5日 (水)

慎重になりすぎると、行動できなくなってしまう。

行動をする際、慎重に取り組む姿勢は大切ですが、なんでもバランスが大切で、行き過ぎると、行動そのものができなくなってしまいます。

もしも、うまくいかなかったら・・・と、先回りしてリスク回避を考えすぎると、思考に時間が掛かって行動の時間がなくなります。

心配が足かせになって、最初の一歩を踏み出すことができない状態で、時間だけが過ぎていくのは、「横断歩道の前で、何時間も信号待ちをしている」ようなものです。信号は常に移り変わっているのに、「その先」を考えすぎて、動くタイミングが分からない状態です。

たとえば、すでに信号が青に変わっているのに、「でも、まもなく赤になるかもしれない」「横断途中に、赤になったら戻らなければならない」と考えてしまうと、・・・動き出せませんよね。

赤になったり青になったりを繰り返していくこと自体は、どうやっても変えられず、固定することはできません。横断途中で赤になったら、急いで渡りきるか、もしくは途中で引き返せば済む話です。

常に前に進み続ける人生なんてありませんから、ときに引き返すことも「あり得ること」だと考えておけばいいのではないでしょうか。出戻りの時間のロスを、「無駄」と考えてしまうから、動けなくなると思います。

人生に無駄はありません。遠回りに思える出来事にも、たくさんの経験という財産がついてきて、自分の人としての器を大きく育ててくれます。

逆に言えば、その器が育っていないために余力が生まれず、慎重にならざるをえない・・・という、消極的な姿勢に繋がってしまうのでしょう。

行動するのが怖い気持ちは分かりますが、けれど、怖さの解消には、実際の行動によって、学んでいくことが、一番効果があります。

失敗という経験も、実際に自分がそうなってみなければ分からないものです。失敗をしたこともないのに、「事前に、失敗を避けるために計画的に動く」ことは、不可能です。

誤解のないよう書き添えますが、慎重になるのが悪いのではありません。行動する前提での慎重さは、持っていたほうがいいでしょう。けれど、過剰に考えすぎて、動けなくなるなら、「行動のため」ではなく、「行動しないための理由」になってしまうので、リスクを恐れず未知に向かっていく勇気も大切だと思います。

実際に、行動してみると、「思ったほど、難しいものではなかった」というケースも多いものです。

この、「思ったほどでは、なかった」という、安心感も、行動してみて、初めて得られる感覚です。(不安感を払拭するために、効果的な)安心感の積み重ねのためにも、まずは、できるところから、行動していく習慣をつけていきましょう。

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2011年1月 3日 (月)

シンプルに考えれば、すべて自分に原因があり、自分の手で未来を作っていける、と分かる。

物事が作られていく過程は、いくつもの原因があって、そして必要なタイミングで展開していくという、とても複雑で精密なものです。

けれど、「原因があって、結果に至る」「自分のしたことが、自分に返ってくる」というカルマの法則や、「同じ要素のある物事が、引き寄せられてくる」という波長の法則の、作用そのものは、とてもシンプルです。

「原因があっても、結果に至らない」とか、「ときに、原因のないことが展開する」とか、「他人のしたことが、無作為に自分に降りかかる」などの(笑)、自分ではどうすることもできない変則的なものではないわけで、私たち人間の感覚で理解するのは複雑ですが、仕組み自体はとてもシンプルなものだと言えます。

何らかの「結果」となった出来事が、(私たちの感覚で)望ましくないと感じる問題でも、その出来事が派生した原因は、必ず自分の中に存在するわけで、解決の方法も、自分の中を見つめていけば、ヒントが見えてくるはずです。

けれど、私たち人間は、「自分は悪くはないはず、環境や他人が悪いために、私が被害をこうむった」と、思ってしまうものなので、原因を外側に探すことで、事態を複雑にしてしまいます。

原因が存在しないところに、原因を見つけようとすれば、「こじつけの理屈」が必要になります。とても言い訳めいた、分かりにくい理由を作り上げるしかなくなります。

すべての原因は、自分の中にあるという前提ならば、「この出来事も、自分の未熟な部分が引き起こしたのだろうな。自分の考え方の、どこにその種となった部分があるのだろう」と、とてもシンプルに自己分析につなげていくことができます。

しかし、他人の中に、自分が被害をこうむった原因があると思い「私が、これほどに尽くしているのに、あの人が全く感謝をしなくて、勝手な行動ばかりするものだから、私のしたことは感謝もされず認められず、こんな理不尽なことがあるのかとイライラしていたために、注意不足になり、転んでしまったのも、すべて元はと言えば、あの人が私を認めないせいである」・・・と、考えているうちは、なかなか、自己分析の入り口に立つことはできないでしょう。

原因を自分以外のところに求めるのは、その問題を解決するための道のりを、わざわざ遠回りして、分かりにくくしているようなもの。

複雑にしてしまうと、解決は困難になります。なぜなら、自分のことは変えられるけれども、他人のことは、そう簡単にはかえられないからです。

一見、とても複雑に思える困難も、それを複雑に「してしまっている」のは、自分の考え方というケースは多いです。

改善しようと、手を尽くすことも、ポイントを外していれば、やればやるほど根本からどんどん遠ざかることになり、解決が遠のいていきます。

シンプルに立ち返ることが、一番の解決方法です。

その出来事が起こった原因が、自分の中にもある、と認めることは、一時的には苦しいけれど・・・、しかし、たましいに大きな成長をもたらし、そうすることで助かるのは、他でもない自分自身です。

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