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2010年12月 6日 (月)

生まれる前に、「今回の人生の青写真」を、どこまで描いているか(1)。

基本、「未来とは、これから作るものであり、最初から筋書きがきまっているわけではない」のですが、生まれてくる前に、大筋を決めている部分もあります。

生まれた時点で、生涯変えることのできない要素が、いろいろあります。たとえば、○○年の時代に生まれたことや、日本という国に、男性として、太郎さんと花子さんという両親のもとに生まれたことなどは、変えようがありません。時代、地域、性別、家族、容姿などは、あきらかに「事前に決めてきた」要素だと言えるでしょう。

一方、自分次第で変えられる要素もあります。たとえば、私たちは、いつでも、自分がその気になれば転職することもできるし、結婚したり離婚したりも(望むならば)できます。血縁の家族関係と違って、友人知人の人間関係は、都度、変わっていくこともあります。

江原さんの本では、前者を「宿命」、後者を「運命」と定義しているので、分かりやすさのために、ここでもその表現を使って説明していきます。

「宿命」については、自分の学びに相応しい環境や要素を選んで生まれてきますが、「運命」については、一から十までの筋書きを、あらかじめ決めているわけではありません

未来とは、これから自分が作り上げていくものであり、その時の波長や、積み重ねたカルマのよって、いかようにでも変化していきます。

だからこそ、努力の大切さや、忍耐の必要性を学ぶことができ、物事を成し遂げた際には、生きる喜びを感じられます。

流動性のある運命の中で、私たちは、責任と自由のバランスを学んでいる、とも言えるのです。あらかじめ決まった筋書き通りに生きるのならば、そこには何の自由もなく、責任も感じようもなく、感動を覚えることもありません。

しかし、「運命」についても、宿命ほどの縛りはないけれど、まったくの無限の可能性があるというわけでもなくて、ある程度の枠組みのようなものは、存在します。

「どのくらい」というのを、定義するのは難しく、言葉での表現も困難なのですが・・・、 そんなに細かくは決めてはいないけれども、まったく何も決めていないわけではなく、事前に決めている部分も存在します。・・・という、回りくどい表現になります(笑)。

職業や生き方の方向性をかなり絞って想定してきているたましいもあれば、自由な余地を大きくして生まれてきているたましいもあります。個人差があります。

かなり絞って想定してきているたましいであることを、把握する基準としては、あくまで「ひとつの目安」に過ぎませんが、「専門的な道を歩む人が多い」という点です。

専門職につく、ということではなくて、関わりができる物事などに一貫性がある、とでも言えばいいのでしょうか。本人の(表面的な)意向にかかわらず、自分のたましいが決めてきた道に、導かれて進むようになっていく、というか・・・、ある程度の年齢になれば、だいたい、「道」がはっきりしてきます。

そういう人は、「私は、何をすべきなのだろう?」みたいな悩み方をすることは少ないでしょう。「私は、これでいいのだろうか?」という悩み方をすることはあるかもしれませんが。

逆に言うと「何をすべきなのだろう?」「私は、何をするために生まれてきたのだろう?」と、気になってしまう方は、「生まれる前に、そこまで細かくは設定していない可能性が高い」ので、あまり考えすぎるよりも、「現実的な行動」を優先していくほうがいいと思います。

事前にあまり細かく決めていない、ということはつまり、今回の人生での行動が影響する余地が多いにある、ということですから、生まれる前の過去?を考えるよりは、今とこの先を考えていくほうが、たましいの青写真のとおりに進むことにつながるでしょう。

>(2)に続きます。

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