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2010年11月10日 (水)

何が正しいのか、は、自分の解釈の深まりによって変化する。

すべての出来事には、それぞれ意味があり、原因が作られて結果に至っているわけで、とても複雑なものなのです。そう簡単に、「正しいか、正しくないか」「白か、黒か」のような、単純な定義付けはできません。

「これは、正しいのでしょうか?」「これは、許されますか?」「これは、依存になりますか?」と、ご質問をいただくことも多いのですが、複雑な要素が絡み合って展開している事柄に対し(そうなるに至った経過の分析をすることなく)、たったひとつの単語に当てはめると、理解が狭くなってしまうと思います。

多くの出来事は、単純な二分化は、出来ないことがほとんどです。白か、黒か、という区分けの、どちらにも含まれるし、どちらとも言い切れない、灰色にあたる出来事のほうが多いのではないでしょうか。

たとえば、「他人の物を、奪い取る」ことは、一般に考えれば、良くないこと、正しくないことだと分類されます。けれど、どこまでが「他人のもの」なのか、という定義だって、一定ではありません。

世の中を見渡せば、複数国にまたがる領土問題や、企業間の権利での争いなどもあります。それぞれの主張があり、白黒つけられないからこそ、問題が持ち上がるのだと思います。「とる」という行為も同じで、どんな状況の、どんな動機によるかで、評価や解釈は変わってくるでしょう。

「灰色」の受け止め方にしても、人により解釈は違います。黒からみた灰色は、「白っぽい色」になりますし、白からみた灰色は、「黒っぽい色」に感じられると思います。

つまり、物事に対する、正しい、正しくない、という認識の基準は、「その人の、精神の成熟度によって、変化するもの」なのです。

黒い状態を未熟で、白い状態を成熟だと仮定して話を進めますが、黒い状態からみた「灰色の出来事」は、許容範囲に感じるでしょう。しかし、成長していき、白い状態へと近づいたときには、「灰色の出来事」に対する認識は、変化すると思います。

以前は、許容範囲だと思ったものが、不要なものが除かれて、全容が見えてくれば、「改善点」として受け止めるようになるかもしれません。

灰色の出来事を、無理に白か黒かにあてはめて、評価を固定してしまうこともまた、自身の成長を妨げてしまうことにもなりますので、注意が必要なのです。

しかしそれは、あいまいを認める、という意味では(必ずしも)ありません。あいまいなままにしておくのが良い、という解釈と、定義をつけられないものを二分化しようとしても難しい(ので、その中間も踏まえて考えるほうがいい)、というのは、同じではありません。

白か黒か、○か×か、のような、単純な判断をつけようとすると、物事の表面ばかりが見えて、裏側にある見えにくい部分が、置き去りにされてしまうこともあります。しかし、見えにくい部分にこそ、気づかなければならない要素があります。

とはいうものの、「正しいか、正しくないか」と思考することが悪いというのではありません。むしろ、そのような思考は、成長のために欠かせない大切な要素です( ̄∀ ̄)。

ただ、認識は移り変わる(可能性がある)、ということなのです。その点を踏まえたうえで、現時点での自分の解釈を明確にしていく、という姿勢は、大事だと思います。

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