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2010年11月 7日 (日)

スピリチュアルな理解の「深まり」に、終わりはない。

スピリチュアリズムに対する理解とは、ただ一つの答えを見つけるようなものではありません。しかしそれは、真理が複数ある、という意味でもありません。

スピリチュアリズム、霊的真理への理解というのは、終わりなき旅、「理解を深める、永遠の探求」です。人生という経験により、深まっていくものともいえるでしょう。

それは、たとえば「円周率」のように、最初は、「3」だと思っていたら、実は「3、14」だったと知り、そして、実はさらに「3,1416・・・」と、どこまでも続いていくのだと、わかっていく過程のようなものです。

日常の出来事に対しても、「3」だと思い込んで眺めるのと、「3、14」だと思うのと、「まだ、さらに奥が深いはず」と思って眺めるのとでは、受け止め方も違ってきますよね。まだその先の深い理解が存在する、と知っていれば、「自分は、実際のところ、まだ何も見えていないかもしれない」と、謙虚になることができます。

注意する必要があるのは、真理への理解を深めるとは、必ずしも、「3、14」の後に続く桁を、どこまでも追い続けることではない、という点です。

ここで、道をそれてしまう人は、奇跡的で神秘的な事柄や、知識だけにとらわれ、技法に走り・・・、最も大切である「真理の仕組みを理解し、日常の生活の中で自分が実践していく」ことを置き去りにします。

それはまるで、円周率の桁をたくさん丸暗記していても、円周を使った計算式が解けないようなものです。

「3」よりも、「3、14」で計算したほうが、より、正確さが増します。「3、1416」にすれば、さらに増します。けれど、複雑な解釈をあてはめれば、計算も複雑になるでしょうから、ミスが生じるリスクもあります。

単純な解釈でいいものと、複雑な解釈を要するものは、使い分けていくべきなのですが、知識だけを優先して、実践をしない人は、(理解する感性がないので)それらの判断基準が身につきません。そういう人は、重要ではない些細な出来事に、やれシンクロだ、導きだと、拡大解釈をあてはめる傾向があります。

「3」で計算しても、かまわないのです。それが唯一無二の正解だと思いこんで計算するのと、さらに続く数字があると知っているけれど、とりあえず「3」の計算でおおよその答えが出れば十分だ、という考え方は、同じではありませんよね。後者の考え方、認識で、あとは自分が実践していくのみ、という生き方でも十分なのです。

どこまでも数字を追って深めていくのが正しいとは、言いきれません。それは、人により違います。なので、間違いとも言い切れません。どちらにしても、実践を前提とした理解であることは不可欠ですが、そのために数字(=たくさんの深い知識)が重要な人もいれば、そうでない人もいます。

私は、円周率の終わりを知りませんし(笑)、そしてスピリチュアリズムの「深まりの終わり」も、知りません。けれど「この世を生きている限り、深まりの終わりを知ることはできない」ということを、知っています。

もしも、私が、みなさんよりも、深い解釈ができる部分があるとすれば、この点だけです。「まだ、自分は何もわかってはいないだろうことを、わかっている」という点です。

霊的な知識は、理解のための大きな助けになります。けれど、実践を差し置き、そこだけに傾倒してしまうと、アンバランスになります。

スピリチュアリズムとのかかわり方、勉強の仕方について、自分の理解力や実践力とのバランスがとれているか、という点から、よく考えてみることも大切だと思います。

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