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2010年10月の20件の記事

2010年10月30日 (土)

規模が小さく、すぐに取り掛かれるものから、行動してみる。

やりたいことや、目指す目標があっても、行動を起こすことができない人は多いと思います。その理由として、「本人の意欲や、自立心、行動力そのものが十分ではない」場合と、「とても壮大な目標を抱きすぎているため、行動しにくい」場合があります。

いずれにしても、「今の自分を取り巻く環境や、自分の実力」と、「目指していること」に、開きがありすぎて、糸口がつかめないためです。

壮大な目標を掲げるよりも、まず、基本的な目の前にある物事に取り組んでいくことが大切なのですが、それができる人とは、自立心があって、行動力もあるので、「行動できない、変われない」という悩み方をしないものです。

悩んでしまうタイプの人には、どこか「非日常的な要素が含まれる行動」のほうが、意欲がかきたてられて、取り組みやすい場合があります。

理想を高くしすることもまた、(その人にとっては)非現実的ともなりうるわけで・・・、自分のペースで、できることから取り掛かるという順番で、十分だと思いますので、そういう観点からの参考意見となります。

まずは、自分が目指している大きな目標の、「縮小版」から、取りかかってみるのが良いと思います。要素や目的が似ていて、規模が小さく、リスクも小さいことを探してみましょう。

たとえば、お店を開いて、商売をしたい、というのが夢だけれど、経験も資金もないので動けないと感じているならば、「ネットオークションに、不用品を出品して売る」とか「フリーマーケットに参加する」とか、「古書店に読み終わった本を持ち込み、換金する」とか。

それなら、似た要素がありますし、やろうと思えばすぐに行動できるものばかりです。

そのように、「やりたいことの、縮小版となる選択肢を、いくつか探してみる」ことを、糸口としてみてはどうでしょう。

とにかく、まずやってみることで、「次」が見えてくるものです。

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2010年10月27日 (水)

「自信がない」という言葉に隠されているのは、人の目を気にする気持ち。

「自信がないので、○○ができない」というご相談は多いです。○○には、実にいろいろな単語が入ります。恋愛ができない、とか、意見を主張できない、などの具体的な要素の場合もあれば、前に進めない、変わることができないなど、自分の生き方や考え方そのものにかかわる場合もあります。

「自信がない」、というのは、本来は、自分の考えや行動その他を、信頼することができない、という意味だと思われます。けれど、この言葉を使って「できない」としている要素は、本当に、自分を信頼していないことが、「できない」原因でしょうか。

多くの場合は、その裏側に、「(失敗して)人から低く見られたくない」とか「バカにされたら辛い」などの、自分ではなく「相手を基準とした」気持ちがあるように思います。

もちろん、人の目が気になる気持ちはわかります。それは誰の中にもある感情で・・・、それらが正しくない、という意味ではありません。

ただ、この場合で考えなければならないのは、自分が「○○できない」理由には、人の目が気になる気持ちも含まれており、自分を信頼できないためではない、という事実を、認識することなのです。

やりたいことに対して、自分の実力が足りないように思うから、どうしようか、と迷っている場合には、「自信がない」と考えられます。ならば、その後に取れる行動として、実力を磨くとか、または諦めて別の道を探すとか、もっと別の選択肢もあるかもしれませんが、とにかく、何らかの「次にするべきこと」「解決に繋がりそうな行動」は、見えてくるものです。

けれど、人の目が気になって行動ができないことを、「私は、自信がないので行動できない。どうすればいいのか」と考えても、答えは出にくいでしょう。理由を「置き換えて」しまっているからです。

この場合なら、「人の目を、過剰に気にしてしまう気持ち」に焦点を当てて取り組む必要があるところを、「自信がないので出来ない」と思いこんでしまえば、「では、どうすれば自信がつくのか」という方向に解決策を探してしまいます。

けれど、右に存在しないものを、右に探しに行っても見つかりません。「だから」思考が堂々巡りになって、いつまでも同じことで悩んでしまうのではないでしょうか。

人の目を気にする気持ちが、過剰になったら自分が苦しむとはいえ、その気持ち自体が悪いものだ、ということではありません。問題なのは、その気持ちを認めず、「自信がないから」という、一見もっともらしい言葉に置き換えてしまうことです。

何が問題なのかといえば、「(認識が違えば)解決策が見つかりにくい」という点です。

また、このことを正しく認識したからと言って、人の目を気にする気持ちが、即座に解消されるわけではありません。それは、また別の話です。けれど、まずは、問題点を置き換えずに、正しく認識することが、解決への一歩目となることは確かです。

さまざまなケースがありますから、すべてが上記に該当するとは限りませんが、・・・しかし、本当に多くの方が、「人の目」を気にしていることと、「自分を信頼できない」ことを、イコールのように考えて、自分で出口を見えにくくしているような気がするのです。

思い当たる方は、じっくりと自分との対話をしてみてください。自分の、未来のために。

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2010年10月25日 (月)

いつか、「許せるときがきたら、許せばいい」と考える。

相手を憎んで、許せない感情が、何十年も根深く残ってしまうことがあります。

許すことは、自分自身のためにも必要だ、と、理屈では分かっていても、感情がついていかないことがあります。 自分にも見つめなおす要素があるかもしれない、とわかっていてもなお、相手からの仕打ちが、あまりに大きな傷となって心に残っている場合は、冷静に考えることはできにくいでしょうから。

許せない、という現状にあるのに、その強い感情を何とかしようとしても、ほとんどのケースはうまくいかず・・・、納得がいかない不満な気持ちが、ますます強くなる場合もあります。

そういうときは、無理に許そうとせず、そのまま保留にしておくこともいいと思うのです。けれど、ネガティブな感情を持ち続けても、良いことはないもの確かなので・・・、「今は、出来ないが、いつか、許せると思える時期がきたら、そのときは許そう」と決めて、「時期のみを先送りにする」という考え方です。

このようなケースで葛藤が起こるのは、「許せない!」と思いながらも、「許すべきだ」とも思うからで・・・、そもそも許そうという気持ちが全くなく、怒りでいっぱいになっている人は、迷いや葛藤は生まれません。怒りにとらわれながらも、しかし次に進まなければ、と考えることのできる段階にある人のみが、迷い、葛藤し、苦しむのです(この場合は、怒り100%になっている苦しさとは別の話です)。

怒りだけになりきれない故の苦しみは、一段目の階段にいる人が、二段目に足をかけている状態で、次のステップに進む意欲と、今いる場所に引き戻される習慣との、「段差」でもあると思います。この段階にある人にとっては、せっかく二段目にかけた足を下ろす、という選択もまた難しいものです。

ですから、まず、「許す」ことは、自分の中で、決めるのです。しかし、その実行の時期は、今ではなく、もう少し自分が成長するなり、感情が落ち着くなりしたのちに、というふうに、考えるとよいと思います。

どんなに強い感情も、時間が風化させてくれるものです。許す、許さない、と葛藤して、そのことに思考というエネルギーを注ぎ続けるよりは、一度、棚上げにして時間をおくほうが、解決に近付いていくこともありますので、「許せる時期を待つ」、という考え方も、取り入れてみてはどうでしょうか。

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2010年10月23日 (土)

仕事に対する適性(の高さ)とは、「資質を活かしやすい分野」という意味。

ご相談をお引き受けできるテーマの中に、「お仕事の適性について」という項目があります。HPに記載しているとおり、「ご依頼者様のほうから、提示していただいた、いくつかの選択肢に対する(適性の」回答)とさせていただいています。

たまに、「私に合う仕事を教えてほしい」という内容でのご依頼をいただきますが、こちらから一方的にお伝えすることは難しいです。

なぜなら、ある資質に関連する職業は無数にあるでしょうし、仮に「これはどうですか」と、提示したところで、求人がなければ応募もできません。

たとえば、「あなたは賢くて正義感があるので、弁護士はどうですか」なんて言っても、難関の試験がある場合には、そう簡単にはいきませんし( ̄m ̄;)、ご本人の意向もありますから、こちらから職業名を特定することは不可能です。

それに、正義感があるから弁護士、人付き合いが上手だから接客業、などという区分けは、あまりに単純すぎて役立ちません;。こちらから一方的に、選択肢の提示がないところからお伝えするとなると、そのくらい具体性を欠いた回答になってしまうと思います。

また、ご理解いただきたいのは、「適性がある(向いている)」ことと、実際にその仕事について自分が満足するか、という点、または経済的に成り立っていくか、という点は、同じではないということです。

適性というのは、その仕事への馴染みやすさや、資質の発揮のしやすさであり、努力が要らないわけでもないし、ストレスを感じないとか、楽しんで仕事ができる、という意味でも(必ずしも)ありません。

適性が薄くても努力をすれば成功するかもしれませんし、逆に、適性が高くても、その仕事について自分自身が満足するとは限らず、それらは、前もって把握することは不可能、実際の体験から身につけていくものであり、「仕事に求めるものが、どんな点なのか」によっても、それぞれ違いがあります。

つまり、「適性(の高さ、低さ)」というのは、参考資料にはなりますが、その資料を、どう活かして使いこなすか(または、使わないか)は、すべて自分が決めることだと思います。少なくとも私は、そういうスタンスでお答えさせていただいています。

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2010年10月22日 (金)

気難しい相手には、「ほんのちょっと気を利かせる」のが有効になる。

会社でも、近所づきあいでも、細かくて気難しく、不満が多いタイプの人はいるものです。そういう人と、うまく付き合っていくのは、多くの人が悩んでしまうところでもあると思います。特に、会社の上司や取引先だと、苦手だからと距離を置くこともできません。

気難しいタイプの人に、全面的に気に入られようとするのは、かなりハードルが高いです。けれど、多くの人は、とにかく相手のカンにさわらないように・・・と、全許容的な対応を取っては、自分が消耗してしまい、かつ、相手にはあまり効果がない;、と悩んでしまいます。

このようなタイプは、むしろ、「ほんのちょっと、気を利かせる」ことが有効になります。相手が求めていることを、ピンポイントで満たせばよく、全面的に気を使うより、そのほうが効果的な場合が多いのです。

以前、会社員だったころの話です。本社から、かなりうるさ型の部長が出張でやってきました。私は、下っ端なので、あいさつくらいしか関わりはないですが、私の上司たちは、かなり大変そうでした。

朝から晩まで会議、会議の連続で・・・とにかく、気難しいので;、何をしても満足することがない、必ず、ひとこと、反対意見を言わないと気が済まないタイプでもあります。

そんな中、私は、彼に気に入られました(たぶん)。その後、「先日はありがとう」と、わざわざ電話がかかってきて、「今度いくときには、地元の名産のお菓子をお土産に買っていくから」みたいな話をされたりして。

私の上司たちからは、「きみは、一体、どんな魔法を使って、部長に気に入られたんだ?」と、不思議がられました。

しかし、私は、何も特別なことはしていません。思い当たる出来事は一つです。

あるとき、部長が、どこかに電話をかけて、相手に「隆」の漢字を説明しようとしていました。彼は、「サイゴウタカモリの、タカ」と、何度も伝えているのだけれど、相手はわからなかったようで、かなりイライラしていました。

そこに、私は、横から「法隆寺の、リュウ」と、一言、声をかけました。たぶん、それで相手に伝わったのでしょう。私が、部長から気に入られた理由として、思い当たることは、「これだけ」なのです。

ほんのちょっと、気が利いた発言や、行動をすることで、相手から評価されることはあります。特に、こだわりが強い相手ほど、そういうピンポイントな対応を好む傾向もあります。

そのためには、相手の求めていることを見抜く感覚も大切ですが、自分の中に、「相手の求めている知識」が備わっていることが必要だと思います。

私の場合は、以前、電報を頼んだときに、受付のオペさんが、「隆」を言い表して、「法隆寺のリュウ、ですね」と、確認したのを覚えていたのです。「そういう説明が、一般的なのだなぁ・・・」と、覚えていたので、ちょうど部長のイライラの場面を、助けることができました。

日常の、ほんのちょっとの知識や経験も、活用する場面はたくさんあります。自分のなかに、たくさんの引き出しを持って、中身を満たしておくことも大切です。

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2010年10月21日 (木)

「本質」は受け入れ、「状態」は必要があれば改善する、という考え方で。

成長のためには、自分を深く省みて、分析し、必要があれば改善していく、という繰り返しが大切です。

悩み事の解決のためにも、そうなるに至った原因について分析することは有効です。そのほうが、解決のための具体策が見つけやすいからです。

けれど、すべての物事に対して、そのような視点が望ましいとは限りません。

あまり原因にこだわらないほうが、望ましい場合もあります。それは、「備わっている、個性や本質そのもの」に近い事柄の場合です。

具体的には、性質や性格などですね。それらは、この世に生まれてゼロからスタートして作られるのではなく、過去の人生(前世)から持ち越し、育てられてきたものです。なので、(今回の人生を基点とするなら)生まれつきの部分がありますから、「なぜ、私はこんな性格なのだろう・・・?」と、などと考えすぎても、改善どころか、逆に迷路にはまりこんでしまいます。

思考により原因を分析するのが有効となるのは、「状態」である事柄です。

たとえば、「人づきあいが苦痛であり、苦手な性格」というのは、改善することもありますから、流動性はあるにしろ、どちらかといえば、備わっている「本質に近い要素」といえるのではないでしょうか。

そして、「(人づきあいが苦手なので)現在、社内の人間関係に問題を抱えている」というのは、「(移り変わりのある)状態」です。この場合は、分析が有効に働きやすいでしょう。

もうひとつ例をあげると、私は、霊感がありますが、これは(今回の人生を基点とするなら)生まれつき備わっているものであり、特定の出来事が原因となって、作られたものではありません。

私が、(今回の人生を基点とする感覚で)「なぜ?」「どうして?」「どうすればいい?」と考えても、答えは見つからないでしょう。それは、私自身の本質だからです。

しかし、「霊感が強くて、影響を受けやすい」という悩みなら、分析により改善方法を見出すことはできます。「影響を受ける」というのは、状態ですから変えられます。霊感が強いだけでは、影響は受けず、自分の波長が下がっているから、(霊感の強さと相乗効果が発揮されてしまい)、影響を受けてしまう;わけですから。波長を上げればいいんですよね。

霊感そのものは、分析しても変わりませんが、影響は状態ですから分析すれば改善方法は見つかります。・・・実行できるかどうかはともかく;、方法は見つかります。

本質に近い事柄は、(自分自身なのだから)受け入れて、その上で、本質から派生する「状態についての改善点」を考えていくことが大切ではないかと思います。

よく言われる「ありのままを、受け入れる」というのは、「そういうこと」ではないでしょうか。改善の余地のある「状態を、ありのまま受け入れよう、という意味ではない」と思います。自分の成長のために、改めるべき要素があれば、そうするのが成長ですから、この区分けは大切だと思います。

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2010年10月19日 (火)

過去から積み重ねたカルマは、自分を改めたときに消滅するか?

「カルマの法則」とは、自分がしたことは、必ず自分に返ってくる、という真理の法則です。カルマとは、自分が思ったこと行動したことの「すべて」が該当するのであり、特定の行為のみを表した言葉ではありません。

一般に、過去の行いを含め、自分のたましいが学ばなければいけないことが降りかかったときに、カルマ、という表現を使うことが多いです。今回の記事で言うカルマも、そういう解釈に基づいての説明になります。

私たち人間は、誰もが未熟な存在ですから、周りのことを考慮せず、自分だけの都合で勝手な言動をとってしまうこともあります。何が正解か、という明確な基準は存在しないけれど、「普遍的な理想像」と比較して、取るべきではない言動をしてしまうことってありますよね。

悪いとわかっていながらも、つい弱さが出てしまうこともありますし、未熟さや無知で、知らずにそうしてしまうこともあるでしょう。 しかし、誰もが、自分のペースで成長していますから、いつかは目が覚めます。過去の行為についても、反省し、改善し、これからは、今までとは違う価値観で生きていかなければ、と、気づかされていくでしょう。

そのとき、スピリチュアリズムを知っている人なら、気になるのは、「過去から積み重ねたカルマは、自分を改めたときに、消滅するのか?」という点だと思います。

まず理解していただきたいのは、今まで続けてきた行為をやめたからといって、その瞬間に積み重ねたカルマがリセットされることはない、という点です。

たとえば、ダイエットを考えればわかります。毎日食べ続けたお菓子をやめることにしても、その瞬間に、過去の積み重ねで増えた体重が、すべて消えさるわけではありませんよね;。それと同じです。

しかし、ずっとそのまま・・・というわけではなく、お菓子を「食べ続けるのをやめれば」自然に体重は落ちていくでしょう。カルマの考え方も同じで、まずは、続けてきた行為をやめることで、エネルギーの供給をストップするのですね、そうすると、効力は弱くなっていきます。

しかし、ここでも、正しく理解していただきたいのですが、続けてきた行為をやめることで、効力は弱くなっていくけれど、一度生み出されたカルマが、消滅するわけではない、という点です。

この部分は、本当に理解が難しいのですが・・・、エネルギーを注ぎ続けるのをやめることで、「活性されていない状態(眠っている状態)」にすることはできても、カルマそのものが消えてなくなるわけではありません。

どんなものでも、想念でもなんでも、一度生み出されたものは、消えません。霊能者が過去を言い当てたりできるのは、過ぎ去った出来事でも、エネルギーとして残存しているため、その部分に波長を合わせることができれば、把握できるという仕組みです。私たちが、日常、過去を思い浮かべたりできるのも、それらがエネルギー的な実態があるため、ともいえます。

では、自分がやったこととはいえ、過去の未熟な自分がしでかしたカルマに、いつまでも苦しみつづけるのか、といえば、そうではありません( ̄∀ ̄)。

マイナスのカルマを作ってしまっても、プラスのカルマを積んでいけば、帳尻はあっていきます(理解しやすさのために、便宜上、プラス/マイナス という表現をつかますが、カルマに区分けがあるという意味ではありません)。

ただ、その場合でも、相殺されてゼロになる、という意味ではないです。

ここでも分かりやすく、例えを出します。野球の試合で、7-0のところ、相手チームが追いついて、7-7になったとします。そのとき「○○チームが追いつき、7-7、試合は振り出しに戻りました」などという表現を使いますよね。

でも、同じ点数になって、勝負はこれから先のことが重要になってくるとはいえ、両チームの点数が、リセットされてゼロになったわけではありません。点数はそのまま7点です。活躍したバッターの成績にも当然加算されます。

バランスがとられていくことと、消滅することは別です。

自分が努力をして、プラスのカルマを積むことで、バランスがとられるようになったとしても、または、マイナスのカルマが降りかかって、苦難を経験させられ、そのことを乗り越えたとしても、それは、バッターの成績に加算されるように、自分の成長として刻まれていき、身になっていきますが、それで、ゼロになる、という解釈では、ちょっと実情に当てはまらないですね。説明も難しいのですけれど・・・。

「過去から積み重ねたカルマは、自分を改めたときに、消滅するのか?」

この答としては、消滅はしないが・・・、自分が成長していけば、ほかの作用が生まれることにより、影響の度合いや、表れ方は変化していき、自分にとって「望ましい方向」に展開していくことは確かである、という感じでしょうか。

カルマの法則は、スピリチュアリズムの大原則、基礎であり応用でもあり、スピリチュアリズムそのもの、といってもいいくらいの、とても大切な部分です。文章化するのも、取っても難しいのですが、理解の一助となりましたら幸いです。

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2010年10月18日 (月)

自分磨き「だけ」に偏らず、外に向かう行動も。

恋愛や結婚に結びつく出会いのために、自分を高めていくことは、とても大切です。なぜなら、人とのご縁もまた、「波長の法則」により作られていくので、その時の自分の波長が、出会う人を引き寄せていくからです。

けれど、あまりに意識が「自分」に向かうことも、考えものです。恋愛も出会いも、「他人」とするものである以上、バランスを考えなければなりません。

「目的」と「手段」を、混同しないように、注意してください。この場合に限っていえば、出会いを引き寄せる自分でありたい(目的)、というところから、自分磨き(手段)につながるわけで、夢中になりすぎると、手段が目的になって、自分ための自分磨き、になってしまうことがあります。

自分を高めることは素晴らしく、大切な要素であるとはいえ、出会いやご縁の発展のためには、自分の内側ばかりに目を向けるよりも、外にも世界を広げていく行動のほうがダイレクトに作用し、有意義となる場合もあります。

たとえば、目につきにくい住宅街に、喫茶店があって、立地条件が不利なので、あまりお客さんが入っていないとします。マスターは、とても悩んで・・・、「この状況を何とかしなければ。たくさんのお客さんがくる店にしたい」と考えて、これから行動をおこします。

喫茶店を自分自身、お客さんを異性との恋愛の縁、だと置き換えて考えてみてください。

マスターは、喫茶店を居心地の良い場所にするために、店内の掃除に励み、インテリアを工夫し、そしておいしいコーヒーを入れるための技術にも磨きをかけます。営業時間も延長し、メニューも増やします。

このマスターの行動は、お客様をお店に呼ぶために、有効だと言えるでしょうか?

確かに、マスターの行動は、どれも大切です。長い目で見れば、効果はあるでしょう。努力がお客様を引き寄せて、来店者が増えてくれる可能性も、ゼロとはいえません。

しかし、基本的に、すべてお店のドアの内側でなされていることであり、外にいる人は、その改善ぶりを知ることはできません。そもそも、目につにくい場所にある喫茶店です。

ならば、道路沿いに看板を出すとか、チラシを配るとか、近所の商店にあいさつにいくとか、そういう行動のほうが、ずっと早く結果につながりそうだと思いませんか。

それらは、表面的な結果であり、長く続く常連さんになってくれるとは限りません。一回限りのお客さんかもしれません。常連になってもらうには、お店の雰囲気やコーヒーの味なども大切になってくるでしょう。

けれど、どちらにしても、「まずは、一回目の来店がないと、二回目以降に続かない」以上、一回目の来店を目的とするには、内側の充実だけに全力を使うよりは、バランスよく外に目を向けて、まずは来店を促す行動することも加えたほうが、絶対に効果があると思います。

恋愛につながるご縁を求める場合も同じで、自分という内側も大切だけれど、出会いは「他人」とするものなのだから、外に向かう思考や行動も不可欠です。

自分自身の充実や手ごたえと、他人に向けた働きかけとは、別ですから、そのあたりを考えながら配分をしていかなければなりません。

また、外に出ていく必然性を避けるかのように、自分磨きに一生懸命になってしまうこともあります。人間関係が苦手な人にとっては、外に出て行くのは勇気がいることで・・・、そう考えたくなる気持ちもわかります。

けれど、どちらにしても、恋愛も結婚も「自分だけではできない、他人とするもの」なのです。苦手、というハードルを越えて、その先にいかなければ、深いご縁に発展していきません。

自分を高めることも、外に向かって現実的な行動をとることも、どちらも欠かせない、車の両輪のようなものですね。バランスを考えましょう。

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2010年10月16日 (土)

愛情深く、感性豊かな紫のオーラ。

その人の性格や資質、霊性などを表すオーラは、頭の上のほうに現れます。

紫のオーラは、やさしくて、愛情深く、広い心と包容力を備えている人の色です。思いやりがあり、他人を慈しむ気持ちを持っています。そのため、周囲に自然に人が集まってきて、慕われることも多いでしょう。

たくさんの人生経験や感情の積み重ねより、備わっていく色です。困難を乗り越えるたびに、深まっていく色、ともいえるでしょう。

精神的、霊的なことに対する理解に優れ、崇高なものを好みます。

やさしさゆえに、受身になりやすく、自己主張をすることに罪悪感を持ったり、他の人の苦労までも自分が背負ってしまったり、一見「損な役回り」になってしまうことも多いかもしれません。(霊的な観点からみれば、それらもすべて自分の徳であって、必ずしも損にはなりませんが)。あまり何でも抱え込んでしまわないよう、心がけることが大切です。

相手を思いやる気持ちが、過剰な同情心になって、騙されてしまうことのないよう、注意が必要です。また、半分くらいは騙されていると「分かっていながら」も、相手に言い出しにくく、その役割を演じてしまうような人の好さもあります。そのやさしさが、良い形に発揮される分にはいいのですが、利用されたり騙されたりすることのないよう、気をつけましょう。

この色のオーラを持つ人は、バランスのとれた落ち着きがあります。大人の感性を備えている人、とも言えるでしょう。

誰もが、複数の色を持っていて、単色のオーラの人はいません。一般に「紫のオーラの人」という場合は、「紫の比率が高い」という意味でつかわれます。

グループをまとめる役割や、指導する立場にも向いています。

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2010年10月15日 (金)

選べないのは、選択肢の基準がずれているのと、分析不足が原因。

問題点の解決や改善のためには、現状分析をきちんとしていくことが大切です。

現状の把握が本質をとらえていればいるほど、そのための解決方法や原因も、見えてくるものです。時間をかけて考えても、どうすればいいのかが何も思い浮かばない場合は、分析が十分でない可能性も、考えてみたほうがいいでしょう。

たとえば、本人は「選べなくて、悩んでいる」と思っていても、客観的にみれば、「その前に、考えるポイントがずれている」という場合があります。

たとえば、仕事を探している人がいるとします。希望職種は事務だけれど、募集しているのが、販売職と、営業職だとします。

この場合は、まず、最初の問題点として「希望している事務職は、求人がない」ことがあげられますよね。

そして、それでも(条件に合わなくても)働くという前提があってはじめて、では、「販売か、営業職か」という選択になるわけです。迷うとか、決められない、というのは、自分の希望通りではないからこそ、選びにくいのですから。

この状況にある人の、悩みの根本は「希望の求人がない」ことです。ここが大切です。「販売か、営業か、選べないから動き出せない」と、選べないことが原因のようにとらえてしまうと、思考が飛躍しすぎです。1から、いきなり3、に進んでいるようなものです。

まず、「事務職の求人がない」ここが1です。「では、事務はあきらめよう」とか「働かないわけにはいかないから、希望職でもなくてもいい」とか、まず根本の問題に、気持ちの上で区切りをつけて、2に進み、そして、その次の3の段階で、「販売職か、営業職を検討しようか」、となるわけです。

「選べないから、困っている」「選べないから、動き出せない」と思っている人の多くは、「選ぶ前にまず、悩みの出発点である希望通りにならない点に、折り合いをつけていく」という過程をとばしています。

事務職の求人はないのだから、そこは考えてもしょうがないですよね。なのに、「事務職の求人がない、では、販売か、営業か」と、2択しかないはずのところを、事務職も含めて3択にしているから、選べなくなるのですね。あきらめて選択肢から外す、ということをしてないのです。

そうすると、(実際にはどうやっても、事務職は選べないけれど)第一希望なので、やはり気になって、その他に本気で目を向けていくことができません。

だから、延々と考えても、結論に至らず、「でも、事務は求人がないし」という、最初からわかりきったところにたどりつき、ゴールに向かったつもりが、スタート地点に戻っている;ことになるのです。思考にあいまいな部分を残してしまうと、そういうことが起こります。

「選べなくて動けないので、選ばなくては!」と思っていても、選べない原因が明確にあるならば、そちらをまずは除くことが大切です。多くのケースは、選択肢があいまいすぎたり、選択肢を掲げる前段階の分析が十分でないことが原因です。

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2010年10月14日 (木)

知的でクール、青いオーラ。

その人の性格や資質、霊性などを表すオーラは、頭の上のほうに現れます。

青いオーラは、冷静さや知性、真面目さなどを表します。クールでさわやか、さっぱりとしていて、判断力や分析力に優れています。真面目に物事に取り組み、正確に物事を成し遂げることも得意です。

分析力が高いので、前もって準備をしたり予測を立てたりして動くため「大失敗」は、少ないタイプだと言えるでしょう。しかし、真面目さゆえに、柔軟性に欠けた考え方になり、融通がきかなくなってしまう点は、気をつけて行く必要があります。

爽やかなクールさとして発揮される知的な部分が、落ち込むなどして波長が下がったときには、「どうせ、頑張ってもダメに決まっている」などと、悲観的な方向に結びついてしまうこともあります。落ち込んでしまうと、とてもネガティブな思考をしてしまうのも、このオーラの色の特徴です。

分析力や計算力が高いため、「まあいいか」のように楽観的になれず、どこかに「理屈で説明できる原因をさがしてしまう」傾向もあります。そうして、どこにも原因が見当たらない場合、自分の中に、原因を「作り出して」悲観的になってしまうこともあります。

真面目さも冷静さも、とても素晴らしい資質ではありますが、いい意味での楽観さも、意識的に取り入れていくようにすると、よりバランスよく、知性を発揮して輝いていけるでしょう。

誰もが、複数の色を持っていて、単色のオーラの人はいません。一般に「青いオーラの人」という場合は、「青色の比率が高い人」を指します。

正確で的確な判断力が求められる仕事などにも、適性が高いと言えるでしょう。

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2010年10月13日 (水)

自分に合う、リーダーシップの形。

オーラが大きいということは、影響力を持っている、人に働きかける力を備えている、ということでもあるので、何らかの形で、リーダー的役割を担っていく学びが与えられる場合が多いものです。

本人がそのつもりがなくても、・・・自然にそうなっていくのですが(笑)、しかし、自分から意図的に動いていくほうが、どうせそうなるなら( ̄m ̄*)動きやすい、ということもあり、私は、オーラの大きな方には、できれば、自主的に動くほうがいいですよ、とお話させていただきます。

そのようにお伝えすると、過去の自分を振り返って、「(リーダーシップを発揮していく役割があることが)思い当たる」と、苦笑いな方もいれば、「そうしたいと意欲はあるが、自分には力量がないと思っていた」と、おっしゃる方もいます。だいたい、この2パターンが多いです。

前者の方は、すでに自覚済みなので、引き続き頑張っていただくとして(笑)、後者の方には、ちょっと意識の変化、視点の変化を試みていただきたいと思います。

たぶん、そういう考え方をする人は、人を率いる立場というのは、とても強烈なカリスマ性のある人のこと「だけ」を、イメージしているのではないでしょうか。

一般に、リーダータイプ、というと、黙っていても人がついていくような力強いタイプを想像するものかもしれません。けれど、実際のリーダー、たとえば、会社の経営者や上司の全員が、カリスマタイプではありません。人をまとめて調整力を発揮して、率いていくタイプもいます。そのような、広い解釈の仕方をすることが、まずは大切だと思います。

どんなことも、「自分の資質に合っている行動」が大切です。自分の調整タイプの人が、カリスマタイプの真似をしてもうまくはいかないでしょう。なぜなら、カリスマタイプの人のそばには、だいたい、補佐する役目の「参謀タイプ」がいるものです。調整力を発揮してリーダーになる人は、自身が参謀役をも兼ねていくようなところがあります。

タイプが違えば、方式も違ってくるのですから、「自分に合った、リーダーシップの発揮の仕方」を、考えていくことも大切だと思います。そのような自己分析もまた、学びの一環ですね。

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2010年10月12日 (火)

相手の立場に立った考え方で、アドバイスを。

相手の言動の改善を望むときには、相手が理解し納得しやすいような、説明や手本となる行動を示すことが大切だと思います。そのためには「相手の立場も考えながら」伝えていく必要があります。

小さな子供ならともかく、大人を相手に、意見をストレートに伝えても、相手にもプライドがあるでしょうし、上手く伝わらずに反感を買うだけになるケースもあります。

その際、注意する必要があるのは、「私だったら、こうするのに・・・」という考え方からのアドバイスです。

相手の立場に立った上で、もしも自分が同じ立場ならば、という考え方ならよいのですが、ときに、ただ自分の意見を言っているだけ、ならば、相手にとって、有益なアドバイスにならないこともあります。

とても一般的で常識的なアドバイスを、頭ごなしに大人に伝えるのも難しいので、そういうときに、「もしも私なら、○○○とするけれど」という、表現の一つとして、自分のことのように(一般常識等を)伝えるのは、相手にとって納得しやすいですし、わかりやすい方法です。

けれど、実際に自分がそう思うから、という観点からのアドバイスは、単に自分の「個人的な感情を述べているだけ」になっていないか、注意が必要です。

相手のために、アドバイスするなら、に基づいたものですが、自分の都合のために、相手の言動を自分の思い通りに変えてほしい、というのは傲慢です。

「自分が、相手を見る目」も、そして「自分が、自分の発言を省みる目」も、感情との距離を取ることを、心がけて行くことが大切だと思います。

相手が、「相手の世界観」に入りすぎて、客観的視点を失っているときにこそ、「そういうときは、もしも私だったら、こんな行動をします」という他人の意見が有効なのであって、そのためのアドバイスのはずが、自分の感情そのままを発してしまえば、客観的視点を失っているのはどちらも同じで、相手には伝わらなくなってしまいますよね。

「相手のため」のはずが、「自分のため」になっていないか、良く考えることが大切だと思います。

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2010年10月11日 (月)

相手のオーラ(が帯びている想念)に、影響されて起こる現象。

感受性の高いオーラの人は、キメが細かいので、いろいろなものをキャッチしやすく、良くも悪くも、影響を受けやすいところがあります。

そのような性質をお持ちの方から、「その日に会った人のことが頭から離れなくなったり、まるでその人と「会話をしているかのように」頭の中にイメージされる(けれど、音声が聞こえているわけではない)。これはどういう現象なのだろうか?」、というご相談をたびたびいただきます。

人と出会うと、オーラも重なり合うので、影響し合うことになります。相手のオーラを、たくさん引き受けてしまうと、そのような現象が起こることもあるのです。

思考などの想念も、エネルギーとして実体をもっています。そして、発生した想念エネルギーは、「作り出した本人の性質を帯びている」ので、感受性の高い人だと、そういう部分を感じ取ってしまうので、頭から離れなくなって、何度も何度も思い出してしまうようなことが起こります。

そして、中には、「会話しているような」気分になる、という方もいますが、それは相手のエネルギーは、相手の性質を帯びているゆえの現象です。

しかし、このとき注意しておく必要があるのは、自分の頭の中で、まるで会話のようにイメージがつくられたとしても、それが相手の思考をそのままキャッチしているとは限らない、という点です。限らない・・・というか、多分、ほとんどのケースは、そのままではありません。一部は、当たっているかもしれませんが・・・。

すこし話は変わりますが、体の周りのオーラは、目の使い方のコツを覚えれば、一部を視野に入れることは難しくありません。ほとんどの方が出来ると思います。

しかし、普段は、ほとんどの方は「見えない」か「意識しない」わけで・・・、それは、体の周りには、何もないはず、という認識があるので、視野に入ってはいても、目の機能だったり意識だったりが、「そういうふうに、補正」をかけて見てしまうため、だと思われます

同じように、上記のような現象も、相手のことが頭から離れず、相手と会話しているかのようにイメージが思い浮かぶ際に、「自分の知っている相手の性格や考え方等を当てはめて、補足してしまう」ことが多いのです。

一部は、実際の相手の思考を感じてはいるのでしょうけれど(だからこそ、思いだすので)、全部となると、自分の想像力で補足して、イメージのつじつまを合わせてしまう可能性があるので、その点は、割り引いて考えていく必要があると思います。

それらの現象は、本人のオーラが繊細で、受信力が高いからこそ起こるのですが、自分が疲れているなどして、一時的に波長が下がっているときなどにも、なりやすい傾向があります。

適切な例えではないかもしれませんが・・・、排水溝のアミを考えていただくとわかりやすいのですが、きれいな状態になっていれば、少しくらい不純物の混じった水でも、流れていきますよね。しかし、ちょっと周りに汚れなどがついていると、アミの目がつまって、水が流れにくくなり、いろんなものが引っかかってしまいます。

オーラもそれと似ていて、自分のコンディションがよくないときは、人からの想念なども、なかなか離れていかない、という状態になりやすいのです。

オーラが繊細な方は、普段から、いろんなものをキャッチしやすい傾向は確かにあるので、必ずしも、自分の波長の問題だとは言い切れないのですが・・・、心がけて自分を高く保っていくようにすれば、相手のことが頭から離れなくなるような現象は、(まったくゼロにすることは難しいですが)最小限にはなるでしょう。

あとは、あまり気にしないことも大切ですね( ̄∀ ̄)。

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2010年10月10日 (日)

「使命」とは、ひとことで言い表せるようなものではない。

最近、またとーっても増えてきたご依頼事項のひとつなのですが、「自分の使命について知りたい」方が多いです。

過去にも書いたのですが、記事が埋まってきたので、再度書かせていただきます。

※過去記事:「今生での使命についての考え方(こちらもご覧ください)

私たちは、誰もが「目的」を持って、この世に学びに来ています。偶然や気まぐれで物事が展開することはなく、個人的な自分の学びや、広く世の中に貢献する役割を備えて、この世にやってきています。それは、確かです。

けれど、その学びや役割は、たったひとつかふたつの、限定されたものではありませんし、「あなたの人生の使命は、○○ですよ」のように、簡単に表現できるようなものではありません。

(たましいの存在である)私たち人間とは、とても複雑なものであり・・・、カルマの法則を始めとする、とても複雑な仕組みのもとに、今回の人生を含めた「たましいの歴史」というものがあるわけで、一つの使命のみのために、数十年の時間を与えられてるわけではありません。

複雑で多面性を持った私たちは、常に成長していきます。価値観も、立場も、年齢や経験とともに変化するものです。人生を通して、ずっと同じ、たったひとつかふつたつの目的のためにだけ、生きているわけではないという理解は、それほど難しいことではないはずです。

もしも、定められたたった一つの使命があるのなら・・・、複数の霊能者やスピリチュアルカウンセラーの見立ては、共通しているはずです。また、いつの時点での霊査でも、同じ事柄が出てくることになるはずですが、しかし実際には、(実力の差、感性の差があるとはいえ)複数の人の見立てが、まったく同じにはならないと思いますし、また、人は成長するものですから、いつまでも同じ使命に向かっているとしたら、「何も変わってない」「成長していない」ことにもなり、辻褄があいません。

スピリチュアリズムとは「不変の真理」ですが、そのことに対する理解の仕方や深さは、人により違いがあります。「あなたの前世は○○で、使命は××ですよ」と告げられることで、生きる意欲を持てるというのなら、それは、どんな解釈をしようと、ご本人様の自由です。

けれど、霊的な観点からみたスピリチュアリズムとは、○か×か、テストの穴埋め問題のような、限定された答えを見つけるようなものではありません。

使命についての解釈は、過去記事の繰り返しになってしまいますので、今回は記載を省きますが、私は、「使命を知りたい」というご質問には、今からしばらくの間に表面化してくる課題のうちの、ひとつかふたつをお答えするという形で、理解していただいています。

たとえば、「彼という人は、こういう人だ」なんて、一言では言い表せませんよね。「彼は、こういう性格」という表現ならできるけれど、それは彼という存在のうちの、性格の一部分を述べたに過ぎず、彼のすべてを表しているわけではありません。

それと同じように、使命もまた、一部分のみを語っても、(それがすべてだという解釈をしてしまうのならば)曲解につながるだけです。

使命の軌跡が、「人生そのもの」であり・・・、私たちを取り巻く状況や出来事が、それらを間接的に見せてくれているはずです。

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2010年10月 9日 (土)

情熱と行動力を備える、赤いオーラ。

その人の性格や資質、霊性などを表すオーラは、頭の上のほうに現れます。

赤いオーラの人は、情熱があり、行動力を備えています。活力が高く、有言実行ができるタイプの積極性があります。

好きなことに対する情熱は大きく、そのための努力も厭わないのですが、どちらかといえば「短期集中」になりやすく、熱がすぐさめ、飽きっぽいところもあります。

自分の想定していた期間内で、反応がなければ、あっさりと興味をうしなって、別のものに夢中になることもあるでしょう。「想定していた期間」というのは、かなり短期間です(笑)。長期にわたる忍耐力の発揮は、あまり得意とはいえないでしょう。よほど好きなことで、自分自身の興味が持続していないと、忍耐力も発揮しにくいところがあります。

正義感と勇気に満ちた、熱血漢です。そのため、思ったことを、深く考えずに、ストレートに口にしてしまい、トラブルになることもあります。

情熱と活力に満ちている人なので、思ったことを「言わないと気が済まない」という気持ちになりやすいところもあります。裏表のない、まっすぐな気持ちがそうさせている一面はあるとはいえ、あまりにストレートな物言いは、場合によっては相手を不愉快にさせてしまうこともあるので、注意していくことが大切です。

曲がったことが嫌いで、まっすぐな性格なので、他人の優柔不断な言動などに、イライラしてしまうことも多いでしょう。気持に緩みを持たせていくこと、相手を許す気持をもつことは、自分の心の平安を保つためにも必要だと思います。

他人をあてにせず、自分から動いていく積極性を備えています。自分の掲げる目標のためなら、多少の苦労は平気なタイプでもあります。

誰もが、複数の色を持っていて、単色のオーラの人はいません。一般に「赤いオーラの人」という場合は、「赤色の比率が高い人」を指します。

スポーツ選手や政治家など、自分自身を前面に出していく必要のある職業の人は、赤いオーラの人も多いです。

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2010年10月 8日 (金)

タイミングも、気づきも、「与えられている」。

私は、たまに整体に行くのですが、ちょっと場所が遠いところにあります。当日に電話をして空きを確認してから出かけます。

いつも、ちょうど、私の電話する時間から2時間後くらいが空いていて、予約が取れてから出かける用意をして、予約の1時間前に家を出るというタイムスケジュールです。

先日も、いつものように電話をしたところ、空いているのは、3時間後でした。予定よりちょっと時間があまって?しまいましたが、予約の1時間前に家を出て、地下鉄の駅に向かいました。

そうすると、構内にお知らせのパネルが出されていて「停電のため、○○時頃、電車が止まっていました。現在は復旧しています」とのこと。

私はいつも、地下鉄は遅れることがないと思いこんでいて、到着から逆算して、ほぼぴったりの時間に家を出ています。もしも、電話から2時間後の予約だったとしたら、ちょうど停電にぶつかっていて、私は予約時間に遅れていたと思います。3時間後で、よかったのです。ちょうどいいタイミングで予約させてもらって、ありがたいなーと思いました。

整体のサロンについて、その話をすると、私の前に来たお客様は、バスでお越しになった方だそうで「今日はちゃんと、そういうタイミングになっているんですねー?」「これも、・・・偶然ではない、ってことなんですよね?」などと、聞かれたりもしまして。

また、私が予約の電話をしたすぐ後に、また別の予約がタイミングよく入ったそうで、ちょうどよく、パズルのようにスケジュールが組み合わさっていくなーと、感じた、ともおっしゃっていました。

施術後、家に戻ってきましたら、私のクライアントさんからメールがきていて、「先日紹介してもらった整体の予約が、電話したらすぐ取れたので行きます」と。私の後の予約は、どうやらその方だったようです。これも、タイミングだな、と思いました。

最後の件は、私自身にはあまり関係がないけれど・・・、整体サロンの方にとってみたら、「タイミングは、与えられている」ことが、よりインパクトを伴って実感できると思うのですよね、私とそういう話をした後に、私からの紹介者がくることによって。

ひとつの出来事から、関係者が「それぞれに」に気づきや学びを与えられるものだと思います。私には私の気づきがあって、あの方たちにはあの方たちの気づきがあって・・・。

私は、日常、すべての出来事を、「そういう視点で見ることが、すでに習慣になっている」ので、このようなタイミングがあっても、とりたてて感動もなく・・・、ありがたいとは思うけれど、どこか「普通」に考えてしまうことが多くなっていたかもしれません。

そのことを、改めて気づかせてもらった出来事でした。自分では、普通になってしまって、馴染んで忘れているようなことを、整体スタッフさんたちの反応が、私に新鮮な気持ちを、思い出させてくれました。

自分が得意なことや、よく知っていることは、当たり前に思ってしまうのだけれど・・・、すべて「与えられている」のであり「経験させていただいている」のだという感覚を、忘れないようにしなければいけない、と、そう感じた一日でした。

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2010年10月 5日 (火)

施術者の体感した強さで、相手に作用がなされているとは限らない。

霊感が強いことと、体感度が強いことは、必ずしも同じではありません。

霊感が強くても、ほとんど自覚していない方が多いのは、「霊感の強さが、馴染みやすさにつながり、体感しにくいため」でもあります。

そのため、霊感が強くても、何も感じない人も多いのですよね。なので、体感があるかないかで、霊感の強弱を決めることはできません。

というより、現れ方には個人差がありますので、たったひとつか二つの要素で比較すること自体が、意味が薄いのですけれど・・・、しかし、この手のご質問はとても多いので、こちらにも書いておきます。

「とてもエネルギーの体感が鋭いと自覚のある、A子さん」と、「まったく自覚ができなく、鈍いと思っているB子さん」を比較して、A子さんのほうが、霊感や強いとは言い切れないのですね。

自覚できる体感度と、実際の媒介力は、イコールではないからです。何も感じないB子さんのほうが、霊感が強いケースもあります。

また、ヒーリングなどを行うときにも、上記の仕組みで認識しておく必要があるのは、「施術者(ヒーラー)が、エネルギーを体感している強さと、実際にヒーリングがなされている効果とは、比例しないこともある、という点です。

上記の例なら、とてもエネルギーを感じやすいA子さんより、何も感じないB子さんのほうが、より大きな媒介力を持って、ヒーリングをしていることだって、可能性としてはあるのです。

施術者が、特に何も感じないから、エネルギーの作用がなされていないとは限らないですし、同じ理屈で、施術者がとても強い体感を得たとしても、その強さと同じ比率で、相手に作用がなされているとも限らないのです。

このあたりが、目に見えない世界の難しいところなのですが・・・、ヒーリングを行う場合は、自分の体感だけに頼らず、「相手の状態を把握できる」ことも、ある程度は、必要になっていくと思います。それは、相手への作用を、把握する必要がある場合の話なので、ご家族等で、お互いの信頼関係の中で気軽に行う場合は、相手への「愛」があれば、それでいいのだろうとも思います。

ここで言いたいのは、自分の体感とは、主観的なものなので・・・、相手への作用度は、エネルギーを感じたかどうか、だけに頼らないことも大切ではないか、という話。

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2010年10月 2日 (土)

あちらの世界からは、お見通し?

この仕事をしていると、実にさまざまな場面で、「あちらの世界からは、こちらの事情がお見通し」なのだなぁーと、思わされる機会に遭遇します。

たとえば、セッションの前に、すでにあちらの方が、「お越しになっている;」ことがあります。

私は、サロンは自宅とは別の場所を借りているので、都度、出かけていくのですが、お部屋の入り口に、ご依頼者様のご先祖だと思われる方が、先に来て待っている?ことがたまにあるのです。私の視界に入るのは、ほんの一瞬で、すぐに消えてしまわれるのですが・・・。

ぼーっとしているときなどは、一瞬、びっくりしますよね、いるはずのない人がそこにいるので( ̄∀ ̄;)。あ、でも、霊さんにびっくりするのではないです。オートロックなので、誰もいないと思いこんでいると場所に、誰かがいた、という意味で。

初めてのご依頼さまをお迎えするときに、そういうことがたまにあります。・・・ということは、ご依頼者さまも、まだ見ていないサロンの場所を、「先に、知っている」ことになりますよね。

では、なぜ、セッションの「前に」来ているのかというと・・・、ここからはあくまで私の想像に過ぎませんが・・・、

私は、セッション中に、意図的に、霊の意向をくもうと意識を合わせることをまずしません。働きかけというのは、「あちらから」なされるものなので、受動的です。なので、セッション中は、常に・・・とはいいませんが、大部分、守護霊のほうに波長を合わせている受身状態、になっています。

その状態で、ご先祖霊の方が、私に何かを伝えようとしても、私は、気づかなくてキャッチできない可能性もあります(私の実力不足も、関係していると思います)。

また、分かっていたとしても、その場の相談事項にあまり関係がないと思えば、受け流してしまうことも、あるかもしれません。

セッション中は、目の前のご本人様の波長と、後ろの方の波長とに、大集中( ̄_ ̄)しているので・・・。

つまり、先にきて、私に姿を一瞬見せるというアピールは、そんな私の仕事上のスタイルをも、「先に、知っている」ためではないか、と思うのですよね。そして、「合わせてくれている」のだろうな、と。

さまざまな出来事を通して、間接的に、私もたくさん気づかされ、教えられていることがあると感じます。

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2010年10月 1日 (金)

憑依現象が起こると、眠くなることもある。

人生の節目、転機のときには、とにかく眠くなる、という現象が起こると、江原さんの本に書いてあります。

眠っている時間に、たましいがあちらの世界に里帰りするのですが、転機には、あちらの世界でいろいろ準備することがあるため、眠っている時間がいつもよりたくさん必要になる、という仕組みだそうです。

疲労以外での、過剰に眠くなる現象は、上記のような転機の時期にも起こりますが、「霊の憑依現象によって、眠くなる」場合もあります。エネルギーを取られるので・・・、活力が失われて、疲れてしまうのですね、それで眠くなる、と。

睡眠というのは、ある意味スピリチュアルな現象でもあるので、そうして、活力を回復させることで、波長を上げて、憑依を除こうという自浄作用が働いている、ともいえるでしょう。

スピリチュアルな意味があって眠くなるケースは、この二つに限らず、他にもありますが・・・、上記の二つのケースだけを考えるならば、前者では、とても疲れて眠くなっていても、意欲がみなぎる感覚があると思いますし、後者の場合は、活力が下がって調子が悪くなったり、意欲も下がっていくなどの、違いがあると思います。眠さ以外にも、何かしら、自覚できる部分があるはずです。

どちらにしても、眠いときには、無理をせず十分な睡眠をとるようにして、活力の回復、または充実をはかっていくことは大切です。

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