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2010年9月23日 (木)

より霊的に進んでいる人が、大きな「比率」で責任を負う。

意図的に霊的な分野に関わろうとすれば、当然のことながら(霊的な分野において)相応の責任を負うことになります。

自分のまいた種が、自分のゆく道に実るという「カルマの法則」がある以上、必ず、その仕組みは作用していきます。

どんなことも、すべて自分に何らかの原因が合って起こるのであり、一見、理不尽に思えることも、100%の被害者ということはなく、自分にも相手にも、お互いに取り組むべき学びがあるからこそ、出来事が展開するわけです。

どちらにも責任はある、とは言っても、責任の比率が同じというわけではありません。より、霊的に進んでいる人が、大きな比率で責任を負うことになります。

カルマの法則というのは、「自分の作った原因が、自分に降りかかる」のですから、・・・実際、比率でいえば、100%なのです;。「自分が、自分に」という切り口で見れば。

しかし、「自分と、相手」という切り口で、責任の比率を考えたときには、必ずしも「50%-50%」には、なりません。霊的に進んでいる人は、その分守備範囲が広くなるようなもので、大きな責任を負うことになるのです。

よく、人格を表わす場合に「器が大きい」などと言いますが、まさしく、その言葉通り、「器が大きい」人と、「器が小さい人」が、同じだけの量を負担させられたら、・・・逆に不公平ではないでしょうか。器の大きさの比率で、負担率があるほうが、納得がいきます。

たとえば、私が自分の持っている100%の力で走った場合と、陸上選手が同様に100%の力で走った場合、タイムに差がつくのは当たり前であり、同じ基準で考えられても困ってしまいます;。自分比の100%の力で走ることについては、私も陸上選手も同じであっても、「現実的なタイム」は、私の比率を下げてもらわないと・・・、「備わっている力」が違うわけです。

同じように、「親子」の関係で考えた場合、親子間でいろんなトラブルがあるとしても、霊的な観点からみれば、親だけが一方的に悪いとも言い切れない、微妙な部分があります。

なぜなら、子は、自分の学び(カルマ)に合う状況と親を選んで生まれてくるわけで、自分がその状況を望んできた、とも言えるからです。そういう意味では、双方に、責任があります。

けれど、親と子の責任の度合いが、50/50だと考える人はいないと思います。普通は、親に大きな責任がある、と認識しますよね。なぜなら、親には大人の分別があるわけで、言葉もろくに話せないような小さい子供と、同じ基準で考えるのはおかしいからです。

このように、「本質的な、たましいの観点から解釈した場合」と、「現実的な事象を、スピリチュアルな感覚をもってとらえた場合」とでは、後者のほうに、現実という物質的な要素がからんでくるため、同列にはならない、という点をきちんと理解しておくことが大切です。

ここからやっと本題になりますが(笑)、霊的なことを指導する立場の人と、教えを受ける立場の人の関係も、自分比では「すべて自己責任の100%」という点は、双方とも変わりませんが、関係間においては、指導する立場の人が、より大きな責任を負うのは当然なのです。

・・・前置きが長くて、本題は、3行で終わってしまいました(笑)。

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