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2010年8月16日 (月)

カルマの法則は、同じ対象を通して作用するとは限らない。

「カルマの法則」とは、自分のしたことは、良くも悪くも、すべて自分に返ってくる、という、真理の法則です。

善意には善意が返ってきて、悪意には悪意が、もれなく返ってくる仕組みになっています。・・・と書くと、怖いことのように思えるかもしれませんが、自分が気をつければいいだけなのですから、むしろありがたい仕組みです。他人の悪意が、ランダムに自分に降りかかる方が、よっぽど怖いし(笑)、理不尽です( ̄m ̄)。

このカルマの返り方は、同じ相手からもたらされるとは限りません。同じ相手から返ってくることもあるけれど、違う相手を通して返ってくることもあります。

A子さんにした親切が、A子さん本人から返ってくる場合もあれば、まったく別のB子さんから返ってくることもあるのです。どちらにしても、必ず、どこかで プラス/マイナス の帳尻が合うようになっています。

たとえばA子さんに親切にしたのに、A子さんがまったく感謝のそぶりも見せず、お礼も言われず、何もお返しがない場合には、「私が、あんなにしてあげたのに・・・。なんて常識のない人だろう」と、A子さんに対して悪感情を持つと思います。

しかし、「同じ相手から、返ってくるとは限らないが、必ずどこかから返ってきて、帳尻はあう」のだから、こだわり過ぎないことが大切です。

相手から何かをしてもらっても、感謝もせず、それが当然だと思っているような人には、いつか「傲慢さというカルマ」がA子さんに返ってきて、学ばされることになります。それは、相手の領域であり、自分が気にすることではないわけです。

それよりも、「私が、あんなにしてあげたのに・・・」と、相手がお返しをしてくれないことに不満を抱いて、相手を恨むというカルマを作り出してしまうことの方が問題です。その悪意も、いつか自分に返ってきます。A子さんにしてあげたことのよいカルマとは別口で、A子さんを恨んだカルマも返ってきてしまいます;。

ひとつひとつの出来事「だけ」を、単体で考えるから、「私がしたのに、相手がしてくれない」という、不満が生じます。けれど、長いスパンで考えれば、自分がしたことは、いつか誰かが返してくれるし、また、A子さんの取った行動は、自分が大昔に、まったく別のD子さんにした行為のカルマが返ってきているのかもしれません。

人は、自分が善意でしてあげたことは大きくとらえ、他人が自分にしてくれた善意は忘れがちになるものですから、実は自分も過去にしたことを忘れていたり、もしくはあまり「してもらった感覚がない」状態になっていたりで、結局、自分が誰かにしたことが、このたびA子さんを通して、返ってきて、「学ばされた」だけかもしれません。

なので、あまり、他人の言動のひとつひとつをとらえて、怒ったり、文句を言ったりしないほうがいいですよね。自分が過去にしたことが返ってきているのだとしたら、他人に怒っているのは恥ずかしいですし、自分が怒りを持つことで、また、自分が引き受けなければならない学びを増やすようなものでもあるからです。

一番いいのは、「親切にするのは、それが人として当然のことだから。お互い様だから」という意識で生きていくことです。「してあげたのに、してくれない」のが不満というのは、見返りを期待しているからこそ起こる不満です。見返りがくるとかこないとかを超越して、「親切さが自然」になっていけたら最高だと思います。

そうは言っても、私たち人間は未熟な存在ですから、その場の感情が優先して、親切を無視されたら不愉快な気持ちになってしまうものです。そんなときにこそ、スピリチュアリズム、カルマの法則という真理が、私たちを感情の渦にとらわれることから救ってくれます。「これも学びだ」「必ず、別のところから返ってくるはずだ」と思うことから、心の平安を取り戻すことができます。

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