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2010年8月 1日 (日)

「普通」という言葉ですら、解釈は一律ではない。

人の数だけ、個性がありますから、自分と他人の考え方や感じ方が一致しないのは、当然のことです。けれど、この「当然のこと」を、ついつい忘れて、「なぜ、通じないのだろう?」「どうして分からないのだろう?」と、悩み事を作り上げてしまうことがあります。

多くの人は、自分の一般常識や道徳心に対する価値観が、世の中のすべてに共通しているもののように思ってしまうところがあります。趣味や好みは一致しないのが当然としても、「常識」(と、自分がに認識していること)くらいは一致するものと、心のどこかで思っていることが多いです。

たとえば、「普通は○○だよね」などというときの、普通という表現も、「広く一般的で、平均的なこと」という意味合いで使っている人もいれば、「そうするのが常識的であり、理想的」というニュアンスで、「大人として、そうあるべきだよね」などの意味で使う人もいるでしょう。

私の場合は、どちらの意味でも使いますが、あえてどちらかといえば、後者のほう、「理想的な、あるべき状態」を表わすときに、普通と用いることが多いです。仕事上のプロフィールなどで、「私は、普通である」と書くことがありますが、私が込めているニュアンスは、「・・・ちょっと社会的に認知されにくい仕事をしてはいるけれど;、私自身は常識的な人間(のツモリ)です」という意味です。

でも、世の中の全員が、そういう意味で「普通」と表現しないでしょうし、私の伝えたい通りに必ずしも伝わっているとも思っていません。理解や納得は、受け手側のパーソナルな領域で起こることだと思っていますから、私は「違って当然」だと、最初からそう思っているからです。

以前、会社員だったころ、とてもやさしい性格の上司が、いつもと違う髪型になっていたことがありました。初めて行った理容室で、ちょっと年配の理容師さんが出てきて、「カットは、普通でいい?」と聞かれたそうです。上司は、年配の方にあまり細かく希望を伝えるのも悪いと思って、「はい、普通でお願いします」と答えたところ、・・・その理容師さんとまったく同じ髪型にされたのだそうです(笑)。その人にとっての普通とは、ご自分の髪型だった、のでしょうね( ̄w ̄)

このように、一般的という意味を含む「普通」という言葉ですら、解釈の幅は大きいのです。ならば、細かいことになればなるほど、自分の考えや感じ方と、他人のそれとは、同じになるはずがありません。

違って当然だと考えておけば悩まなくてすむことを、悩みにしてしまっているのは自分です。自分の考えが、世の中のグローバルスタンダードのはすだと、心のどこかで思っているから、思うように理解してくれない相手に不満が出てきます。

それぞれ違って当然だと思えば、ストレスも減りますし、その上で、きちんと自分の考えをそのまま相手に分かってもらいたいと思うなら、言葉や態度で「伝わるように、伝えていく」努力がいるのです。

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