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2010年8月29日 (日)

資質や個性も、長い目でみれば平等。

私たちに備わっている、独自の個性や資質、物事に対する得意・不得意という適性などは、今回の人生だけで培われたものではなく、過去の人生からも引き継いでいる部分があります。

この世に生まれた瞬間から、資質が作られるわけではない以上、複数の人が、同じような経験や練習をしたとしても、開花する才能には、ある種の差がついてしまうこともあります。

たとえば、A子さんとB子さんが、二人とも歌手を目指して、10年間のレッスンをして、A子さんは資質が大きく花開き、B子さんはそうではない場合、「同じレッスンを10年も続けたのに、こんな差がでるのは不公平」と思うかもしれません。

けれど、キャリアが10年というのは、あくまで「今回の人生」において、ですよね。もしかしたら、過去の人生(前世)でも、A子さんはプロの歌手で、たましいの歴史すべてを合わせれば、100年のキャリアがあるかもしれません。

だとしたら、A子さんの(累積)100年と、B子さんの10年、というふうに比較をすれば、今回の人生おいて、実力に差がでるのも、あり得ることだと納得できます。

そして、次の人生(来世)では、もしかしたら、もうA子さんは、歌の道から離れるかもしれません。今回の人生までで、音楽に生きる道をやりきって、次はまったく別の生き方をすることもあるでしょう。

そして、B子さんは、次の人生でも引き続き歌を志すなら、今度は、B子さんがかつてのA子さんのように、前世で培った経験を活かして、歌手として花開くこともあるでしょう。

そんなB子さんを見て、こんどはC子さんが、「B子さんは、練習もしていないのに、あんなに才能があってズルイわ」なんて、思うかもしれません。

結局、長い目でみれば、皆平等なのです。それぞれ、スタート地点が違うというのに、ある時点「だけ」を切り取って比較しても、たましいの観点からは優劣はつけられないのです。あくまで、「今回の人生においては」という、暫定の比較にしかなりません。

そういう仕組みを踏まえた上で、自分を分析する指針として、他の人との比較をするならいいけれど、たましいの経験というものを踏まえない比較は、自分に大きな苦しみを与える行為だと思います。

今の自分に備わっている、得意な分野をさらに伸ばす生き方もよし、苦手な分野に挑むのもよし、いずれにしても、「自分を成長させる生き方」をするのが大切です。

そのように考えていけば、いつでも、比較対象になるのは、過去と今の自分であり、まったく別のたましいの歴史をもつ他人ではないのだとわかります。

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10.考え方、感情」カテゴリの記事

コメント

生まれ変わりについては、個人的に記憶が継承していくものなのでしょうか?
個人の魂とは、大元の魂の分霊にすぎず、その分霊が幾つか集まって一つの集団をつくってそのなかのひとつの分霊が個人として生まれ変わってくるという説があります。
そのように考えれば、純粋に個人がそのときの記憶の続きを次の生にバトンタッチするのではないのかもしれません。
また、また、一人一人は、あくまで魂を得る存在可能性として現世を生きているのであって、私たちは、それ以前に記憶の塊としてしか存在しないのだとも言われます。
そうなると生まれ変わりとは何なのかますますわからなくなってきます。
リカコ先生のお考えをお聞かせいただければ幸いです。

投稿: さとし | 2010年9月 2日 (木) 13時04分

*さとしさま

>個人の魂とは、大元の魂の分霊にすぎず、

スピリチュアリズムでは、一般に、そのような解釈をとっていますね。


>その分霊が幾つか集まって一つの集団をつくって
>そのなかのひとつの分霊が
>個人として生まれ変わってくるという説があります。

大元のたましいから、私たちが分霊となって生まれてくるのは確かですが、大元のたましいは、たとえていえば「水」のように、ひとつ、ふたつ、と区分けをして数えれないものです。

大元は、いつでも「ひとつ」です。その大元の水から、一滴の水が分かれて、私たち人間が今回の人生を生きているのだと思います。


>そのように考えれば、純粋に個人がそのときの記憶の続きを
>次の生にバトンタッチするのではないのかもしれません。

続きというのは、いつでも、「大元」→「一滴の水」というつながりであり、「一滴」から「一滴」というつながりではないと思います。

しかし、大元のコップから、一滴こぼれおちてるとしても、大元がオレンジジュースなのに、そこから分かれた一滴がコーラになることはありませんよね。オレンジジュースの性質は、次の来世の一滴にも引き継がれますね。

投稿: リカコ | 2010年9月 2日 (木) 14時44分

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