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2010年7月 1日 (木)

自分なりの基準が定まっていないと、比較はできない。

比較とは、言葉にすれば簡単ですが、実際に、「比較して、答えを出す」のは、とても難しいことです。

比べるには、「基準」が必要です。この基準の認識は、意外と難しい・・・というか、基準がないままに比較して、いつまでも答えが出せないまま迷い続けている人が多いと感じます。

選べない理由は、「基準が定まっていない(から、比較が難しい)」ためなのですが、そうと気づかず、まったく別の方向に「決め手」を探してしまって、ますます迷路に入ってしまっている方が多いのですよね。

判断の材料が増えれば、答えが出るのではないかと思って、さらに選択肢を見つけてきても、自分が何を基準にして選ぶのか、という部分があいまいなままでは、考えることが増えてしまうだけけで、何を選んだらいいのかは余計に分からなくなりがちです;。

選べないのは、「決め手となる情報が十分に揃っていないため」だと思って、たくさん情報を集めても、本当の原因は「自分の選定基準が明確になっていない」ことならば、解決に繋がっていきにくいです。

どこに行くかが決まっていない状態で地図を手に入れようとしても、世界地図がいいのか、近所の地図がいいのか、分からないのと同じです。大は小を兼ねるといっても、・・・大きすぎても意味をなしません(笑)。

その状態で、「選べないのは情報が足りないからに違いない」と思って、それぞれの地図の使い勝手や、材質や価格を検討しても・・・、選べませんよね( ̄∀ ̄;)。

パリに行くのか、隣町にいくのか(笑)、目指すところが決まっている上で、地図が必要なのであり、「パリにいくか、隣町にするかは、これから買う地図を検討してから決めるわ」なんて、おかしいです。

この例のように、「パリ」と「隣町」くらいの、あきらかな違いがあれば、そういう考え方はおかしいし、ありえないと、誰もがわかるのですが、「地元の銀行」と「隣町の銀行」くらいのわずかな差になると、自分の焦点の当て方が違うことに、なかなか気づけないものなのです。

「自分なりの、基準」があってこそ、比較もできるし、見当もつきます。そこが定まっていないままの決断には、自信が持てないので・・・、仮になんとか選択したとしても、その後もいつまでも迷ったり後悔したりを繰り返して、本来注ぐべきところに力を注ぐことができなくなります。

それでますます不安になって・・・、さらに情報を集めても、その状態を変えない限り、同じことを繰り返してしまいます。

決められない理由は、情報の少なさでなく、「自分(の、基準がない)」だからです。そのことに、早く気づくことが大切だと思います。自分の人生を、創造的で充実したものにするために。

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