« 相手が、「はっきりしてくれない」場合の考え方。 | トップページ | カルマの法則とは、幾つもの人生(転生)を通して作用する法則。 »

2010年6月 1日 (火)

「過去の感情」を、演じ続ける苦しさ。

子供のころは、親の保護下にあり、何でも自分の自由にできるわけではありません。行動は大いに制限されるのが普通です。

けれど、大人になって自分で働くようになれば、自分の意思で、何でも行うことができます。大人になってまで、「誰かのせいで、私は○○ができない」なんてことは、ないはずです。

たとえば、若いころに、留学したい夢がありながら親の反対で実らなかった人がいるとします。そのころは、いろんな事情があって果たせなかったという事実があるとしても、大人になった今でも夢が大きいなら、働いてお金をためて、外国に行くこともできますよね。

いつまでも、「あのとき、親が行かせてくれなかった」なんて、親を責めていないで、行きたいなら自力で行くことはできるのに、なぜそうしないのか、と深く考えてみれば、心の底にある本心は、「動かない自分」を正当化するため、人のせいにして自分を被害者という安全圏に置いておきたいから、ではないのでしょうか。

「昔、やらせてもらえなかった」のは、親にも原因があるとしても、「大人になった今でも、やらない」のは、親のせいではなく、自分の意思のはずです。そこから目をそらすと、本当に見つめるべき本心に、焦点が当たらなくなり、自分で自分が分からなくなります。

このようなケースの、最も大きな弊害というのは、「本当は、もうすでに、外国行きの夢など持っていないのに、被害者を演じ続けて」しまうことです。

今の自分の(望まない)状態は、自分以外の誰かせいであり、自分は悪くない、被害者であるという立場をとるために、すでに色褪せて遠い過去となった理由を、いつまでも握りしめていて・・・、「(今回の例だと、親のせいで)過去にとらわれて、前に進めない自分」を、いつまでも演じ続けるハメになるのです。

自分が作り出した、虚構の世界で、いつまでも演じていなければいけない状態は、それはもう苦しみの極致でしょう。きっと、本人も、その状態をリセットしたい、「被害者を演じること」から降りて、楽になりたいと望んでいるのではないでしょうか。

しかし、その状態を「もう、こんなことは止めよう」と、決める権利があるのは自分であり、他の誰かに宣言してもらうことを期待していては、いつまでも虚構から抜けることはできないとも思います。

どう生きるのも、誰かのせいにして被害者で居続けるのも、すべて(自己責任において)自由です。ただ、私は、そういう生き方をしている人は、とても苦しそうに見えるのです。「もう、その生き方を演じるのは、ゲームオーバーでは?」と口にしたくなります。

けれど、自分で納得して決めないことには、またどこかで、形を変えて同じことの繰り返しになりますから、私はあまり強くは言いません。自分で意思を強くもって、変えようと思わないことには、行動に移すことは難しいと思います。

自分以外の誰かの意見に従うのみでは、「誰かのせい」にしていることと、五十歩百歩です。自分で自分の人生を、切り拓いていくという意思が大切なのです。そこから、新しいサイクルが、スタートしていきます。

親のせいでやれなかった、という感情のしこりは、本当に「今でも」あなたに深く関連しているでしょうか。その夢を、今でも本心から望んでいますか?演じているうちに、後に引けなくなっている部分はないでしょうか?

よく、考えてみてください。そして、自分の人生を、大事に生きてください。そしてできるなら・・・、もう、親御さんを、過去のあなたに対する加害者という立場から、解放してさしあげてはいかがでしょうか。

|

« 相手が、「はっきりしてくれない」場合の考え方。 | トップページ | カルマの法則とは、幾つもの人生(転生)を通して作用する法則。 »

10.考え方、感情」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 相手が、「はっきりしてくれない」場合の考え方。 | トップページ | カルマの法則とは、幾つもの人生(転生)を通して作用する法則。 »