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2010年6月14日 (月)

「すべて自分しだい」とは、「すべて自己責任(において、自由)」という意味。

私たちには、それぞれ、自分の人生を、どのように生きているかを決める権利があります。自己責任の上で、何をどうするかは自由です。そういう意味を込めて、私は「自分しだい」という表現をよく使っています。

言葉というのは、とても曖昧で・・・、人により受け止め方が違うものですから、「自分しだい」という表現を、「気の持ちよう」と同じような解釈をしてしまう方もいるかもしれませんが、少なくとも私がここで言う「自分しだい」は、そういう意味で使っている言葉ではありません。

たしかに、想いもエネルギーとして作用しますから、考え方も大切ではありますが、私が思う「自分しだい」は、すべては自分のカルマ(行為の積み重ね)という枠内で物事が展開していく以上、どんなことも自分の責任であり、自分の行動しだいで未来も変わっていく、とかの、幅広い意味で使っているつもりです。

気の持ちようだけで何とでもなる、という受け止め方は、「気合いを入れれば、風邪をひかない」というような、(現実的ではない)根性論と同じになりますし・・・、それに、気の持ちようでいいなら、ストレートにそう書けばいいのであり、毎日くどくど書く必要もないわけで・・・。

言葉を尽くして書いているのは、本来言葉に置き換えるのは難しいことを、なんとか表現していこうとしているからであり、「○○さえすれば、××になる」「気の持ちようで、何とでもなる」というふうに、インスタントにはできるはずもないことを、ご理解いただければと思います。

同様に、「苦労すらも、楽しみ味わう」などの表現も、「苦労を、面白おかしく、笑い転げることができるようになる」という意味ではありません。そんな理解の仕方をする人がいるとは思えませんが(笑)、一応書いておくと、自分が意義を見いだして納得していければ、すべては成長のためなのだ、という手ごたえを感じることができ、そうすると、苦しみの中にも光を見いだすこともできる、ということを書いているつもりです。

それぞれ、自分というバイアスを掛けて受け止めますから、私が伝えたいとおりに伝わるとは思っていませんし、私の伝えたいとおりに受け取っていただきたい、とも、思っていません。

独自の感性を持っている大勢の人に、同じ理解をしていただくことなど、無理に決まっていますし、そんな必要もないからです。

理解というのは、それぞれのパーソナルな領域によってなされるものであり、個性や感性に違い(優劣という意味ではなく)がある以上、個性や感性のフィルターを通りぬけたその先は、それこそ「自分しだい」で、本人の独自の領域です。

「自分」や「自己」という概念の認識じたいも、とても難しいことなのですから、「自分しだい」も「自己責任」も、同じように難しいことです。理解の仕方はさまざまだと思いますが、少なくとも、「気の持ちよう」という限定された意味ではない、その先も含めての大きなくくりでの表現なので、そのように理解していただければ幸いです。

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10.考え方、感情」カテゴリの記事

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