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2010年6月 8日 (火)

ひとつひとつの出来事にたいする、○×の定義付けに留まらず、「仕組み」を理解する意欲を。

この世のすべては、「原因があって、結果に至る」という、「カルマの法則」が関係します。スピリチュアルな理解のためには欠かせない、基本中の基本、大原則ともいえる仕組みです。

この絶対的な真理である、カルマの法則を、日常の出来事に当てはめ、内観・内省することで、私たちは成長することができます。

しかし、スピリチュアルに興味を持っている人の大多数が、「この、(原因があって、結果に至るという)仕組みを理解する」ことよりも、「原因そのものが、具体的に何であったか」を認識することに、一生懸命になりすぎているように感じます。

例えば、困難な出来事が起こったとして、「これにも何かの原因があるはずで、意味なく起こることはない」と考えることは大切です。けれど、そのことと、「具体的な原因は一体何だろう?Aだろうか、Bだろうか、それとも・・・?」と、考えすぎることは、イコールではないのです。

深く内観することで、自分なりの答えが導き出せるなら、それはいいでしょう。けれど、多くの物事は、少し後になって、振り返ったときに、その意味するところが見えてくるものではないでしょうか。

その時は分からなくても、少し時間が経って、成長した自分になったときに、その成長の度合いが「底上げ」となり、以前よりも高い位置から、過去の自分を見ることができて、やっと、「何故、そうなったか」が、理解できるものです。すぐに答えが出ないからこそ、悩み苦しむその過程で、人間力が深みを増して行くのだともいます。

逆に言えば、深みを増した自分になったとき(つまり、少しの時間が経過したのちに)意味がわかるのだから、そうなるために、日々の生活に前向きに取り組み、成長していく意欲と行動が何よりも大切で、そして「分かる」ための一番の近道です。

何故、苦難があるかといえば、誰もが、何らかの学びの要素は持っているけれど、実際に(現実の事象を通して)直面してみなければ、問題点が浮き彫りにならないからです。そうしないと、私たちは、気づくことができません。

スピリチュアルな感覚をもって、物事の意味するところや、原因を分析してみようという姿勢は素晴らしいけれど、何でもインスタントに定義さえつければいいとういものではありません。

何かあるとすぐに、「この出来事の意味するところは、何か?」と、○か×か、白か黒かの「明確な答え」を出そうとするのは、とても現世でインスタントな考え方であり、精神的な理解とは言わないのです。目には見えない「出来事の意味」を求めるのだから、それは霊的だと思っている人が多いけれど、そういう意味ではありません。要は、受け止め方次第、です。

スピリチュアルな理解というのは、時間をかけて自分が成長することで、深くなり、認識が変化し、「その時の自分に合わせた理解」へと、常に置き換わっていくものです。同じ出来事に対する分析も、移り変わっていくものであり、その過程が「成長」なのです。

成長に終わりがないように、スピリチュアルの理解(の深まり)にも、終わりはありません。どんなにもっともらしい答えも、「その時の理解における暫定」でしかありません。

スピリチュアリズムという霊的思想すらも、本来言葉ではとても表しきれない摂理を、なんとか置き換えて説明しているに過ぎず、全部を語りつくすことも、そして理解しきることもないものだと思います。

出来事に対する、感情的な区分け、良いか悪いか、○か×か、という理解の仕方にとどまらず、「仕組みそのもの」を理解していくことが大切です。

ひとつひとつの出来事に対する○×の定義は、その出来事だけにしか当てはまりません。しかし、カルマの法則という仕組みは、すべての事象に当てはまります。

自分がいかに物質的に得をするか、という、我欲から離れなければ、そのような理解の境地にはたどり着くことは難しいと思います。一時の快楽ではなく、永遠に続く成長そのものに手ごたえや楽しみを感じていけるようになると、「仕組みの理解」こそが、自分で自分を導いていくための、何よりの指針となっていくでしょう。

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