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2010年5月の17件の記事

2010年5月30日 (日)

相手が、「はっきりしてくれない」場合の考え方。

主に恋愛の場面において、「相手が、はっきしない」ために、自分もその場から動けない、行くも引くも出来なくなって膠着状態である・・・と、わりを食ったような気持ちになることがあります。

相手がはっきりしてくれないから・・・と、相手のせいにしたくなりますが(‾m‾;)、どちらが悪いのかは、一概には言えないと思います。もしかすると、相手は遠まわしに態度を表明しているのに、自分が把握できていないだけ、相手の気持ちを察することができていないだけ、かもしれないからです。

また、はっきりしなければいけない、という、ルールはないのです。自分側からすれば、はっきりしてもらった方がありがたいとしても、はっきりするかどうかは、相手の自由であり、絶対のルールではありません。

いくら、イライラが募っても、態度を鮮明にするよう、強要はできません・・・。自分には自分の、「こうしてほしい」という意向があるように、相手にも相手の都合があります。

一見、あいまいで優柔不断に見える態度も、相手のやさしさ(はっきり、ノーと言いたくない)である場合もあります。そのあたりを「察する」という、大人の感性も、ときに大切ではないでしょうか。

また、多くの場合、「相手がはっきりしないために、決められない」という人の多くは、・・・実ははっきりさせたくない、という心理が隠されている場合もあります。あいまいなままでいるほうが、明らかにノーを言われてゲームオーバーになることもなく・・・、不満はありながらも、「グレーゾーンでいること」を、心の底では望んでいることもあるのです。

相手の態度のせいにしすぎず、自分の内面を見つめて、自分は本当はどうしたいのを、改めて考えてみてください。

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2010年5月29日 (土)

「一方的な依存的付き合い」は長続きしないが、「共依存」は長続きしてしまう;。

どちらかが依存している人間関係というのは、あまり長続きしないものです。それは、誰もが、「自分と同じレベルの人と、付き合うことを望んでいる」ものだからです。

自立している人は、同じように自立している相手と、親しくなりたいと望みます。いくら人の好い性格だとしても、そうそういつも他人の世話ばかりしてはいられないと考えるでしょう。自分が一方的に奉仕をするような人間関係は、とても疲れます。やはり、自分の心が安らぐ人間関係を作りたいと思えば、依存心の高い人とは距離を置き、自立している人と付き合いたいと思うものです。

「一方的な依存関係」は、依存する側がどれほどに望んでも、依存される側がイヤになるので、長続きはしにくいですが、お互いに依存している「共依存」の場合は、とてもいいコンビになって;、関係が続いてしまうことがあります。

例えば「支配的な性格の人」と、「自主性がない人」は、それぞれの求めている「相手役」を、満たしてくれるパートナーになりうるので、関係が成立します。

支配したい人からみれば、自主性が薄いタイプは、自分の思い通りに振る舞うことのできる相手となりますし、自主性がない人からみれば、支配的なタイプは行動的で頼りになる相手と認識するでしょう。お互いに、凸凹が、需要と供給がかみ合ってしまうのです。

けれど、本来の成熟した人間関係というのは、「自分で自分を満たせる人同士」の間で、成立するものです。「お互いに満たしあう人同士」とは、似ているけれども違いがあります。供依存的な関係は、プラス/マイナスが合っているとはいえ、・・・それはとても危うさを伴ったバランスであり、どちらかが精神的な成長を遂げた(つまり、どちらかが自立心を持ち、共依存関係が成立しなくなった)場合には、騙しただの、裏切られただのという、修羅場になるケースもあります。

そういう経験も、広い意味では、学びの一環ではあるかもしれませんが、あまりに深い共依存関係になると、抜け出すのが大変になりますので、自分を省みる視点が大切だと思います。

一方的な依存関係は、通常、長続きはしませんので、どこかの時点で自覚できやすいものですが、共依存になると修羅場になるまで、自覚しにくいものだったりします。

「自立した人同士の、関係」が、理想的であり、お互いに良い影響をうけて高め合える関係です。人間関係も、「波長の法則」ですから、自分が自立していることで、同じような自立している相手と知り合うことができるようになります。「相手との、人間関係」も、すべて自分がどうあるか、ということの映し出しなのですね。

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2010年5月24日 (月)

「今の仕事が、自分に合わない」と感じる悩み。

悩みや迷いというのは、ただそのことについて考えているだけでは、なかなか解決に至りません。問題となっている部分を見つけるために、分析していくことで、改善のための具体策や対処法の糸口が見えてくるものだと思います。

「今の仕事が、合わない」と思うなら、では、「自分に合う仕事」とは、どんなものをさすのでしょうか。その点を考えてみないことには、どれだけ思考を重ねても、自分の中で答えは明確になりにくいでしょう。

「自分に合う仕事」、・・・解釈の仕方はいろいろだと思いますが、少なくとも「自分が楽しみを感じる仕事=合う仕事」、には、ならないと思います。楽しみを感じるものというのは、むしろ自分がお金をかけて行うものであり、仕事としてお金を頂きながら楽しみも得たい、というのは、少々、わがままのようにも思えてしまいます。

でも、好きなことや、楽しいことを仕事にしている人はいるよ、と、いう人がいるかもしれません。趣味や特技を活用して、好きなことを職業にしている人は、確かいにいると思います。

けれど、そういう人達も、好きなこと「だけ」を仕事にしているわけではありません。芸術家やスポーツ選手などの、特殊技能を使った職業でも、「それだけ」が仕事ではありません。スポーツ選手なら、地道な毎日の基礎トレーニングや、故障のリスクがあります。芸術家も、作品を作るだけでは生活できません。作品に買い手がつくことで成り立つのですから、「売る」ことをしなければなりません。故障して結果が出なくても、作品の出来が悪くて売れなくても、すべて自分の責任という、厳しい世界に身を置いて仕事をしています。

仕事の中で、「好き」とか「楽しい」の比重が多くなればなるほど、自分が担うべき責任も比例して大きくなるものだと考えるほうがいいでしょう。雇われて働くのが楽しくないと感じても、仕事上の責任を個人ですべて負うわけではなし、保障もあるわけで、恵まれている部分は大きいものです。

やりたいことを仕事にするのが悪い、というのではないです。どんな考え方も、自己責任において、それぞれに自由があります。

ただ、「やりたい仕事があるのに、今は別の仕事に就いている(から、不満がある)」のと、「今の仕事が、合わない(という不満がある)」と受け止めるのとでは、かなり違いがあります。自己分析がきちんとできていて、将来に明確な目標がある人は前者のとらえ方になるでしょうし、漠然と今の仕事に不満があるだけでは、後者のようなとらえ方になるでしょう。

後者のケース、「今の仕事が、合わない」と考える方に、では合う仕事とはたとえばどんなもの?と聞いても、多分、答えられないと思います。そういうことが自分の中できちんと分析できていれば、「合わない」などという漠然とした解釈にはならないはずで、もう少し建設的な意見や表現の仕方が出てくるはずだからです。

「合わない」という悩みから、もう一歩踏み込んで、自分は「今の仕事の、何が不満なのか」を、深く考えてみることが大切だと思います。きっと、その思考の先に、少なくとも今よりは明確な「合わないと感じてしまう理由」が見えてきて、改善への手掛かりになっていくはずです。

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2010年5月22日 (土)

「今のままでも、かまわない」のか、「今のままでは、いたくない」のか。

自分が何をしたいのか、これから何をしていくべきなのかが分からない、というご相談はかなり多いです。ここをご覧になっている方の中にも、そんな感情をお持ちの方がいるのではないかと思います。

このような場合、これから何をどうするかという詳細を考える前に、まずは、タイトルにあるとおり、「今のままでも、かまわない」のか、「今のままでは、いたくない」のかを、よく考えてみてください。

現状に、耐えきれないほどの不満がある人は、「どうしたらいいのか、わからない」などという考えを持たず、「何とかしたい」と、思うものではないでしょうか。

つまり、「わからない」という人は、そこまで追い詰められているわけではない、今のままでも、十分な満足はしていないにしろ、そこそこ満たされている部分もあるからこそ、あいまいな受け止め方になってしまうのだと思います。

その状態が、悪いわけではないので、あまり深刻にならずに考えていただきたいのですが、誰の中のにも、「変わりたい(新たなものを得たい)」気持ちと、「変わりたくない(現状を手放したくない)」気持ちの、両方が存在するものです。

新しい道に踏み出すことで、何かを獲得できる可能性が広がる代わりに、リスクを負う部分もあるかもしれません。今のままでいれば、不満足な部分は解消されない代わりに、一定の安定はあるでしょう。どちらの選択肢をとっても、それぞれのメリット・デメリットはあります。

「今のままでも、かまわない」のか、「今のままでは、いたくない」のか、少なくとも、この段階の答えが、ご自分の中で明確になっている人なら、上記のような、それぞれのリスクなどを比較検討して、詳細を詰めていく考え方は有効だと思います。

けれど、その段階を考えないまま、詳細を詰めようとすると、ますます「わからなく」なってしまうでしょう。二つの器のうち、どちらを選ぶかが決まっていない状態にありながら、器の中に入れる品物が、どんどん集まっているようなものだからです。集めれば集めるほど、精神的な余裕がなくなっていくだけ、にならないでしょうか。

「今のままでも、かまわない」のか、「今のままでは、いたくない」のか。

まずは、ここから、変わりたくない気持ちと、変わりたい気持ちの、どちらが強いのかを、考えてみてください。そして、現時点での答えを出すことです(もちろん、人の考えは移り変わっていくものですから、あくまでこの時点での暫定です)。

そして、具体的な対処法は、その後で考えていけばいいと思います。変わりたいなら、リスクをなるべく分散していくための方法を考えたり、未知を恐れる自分に立ち向かう気持ちを高めるとか、明確な目的を定めていくことなどが必要となるでしょう。

変わりたくない気持ちが強いなら、今のままの安定を大事にしながら、自分の意識の持ち方や視点を変えて、不満な部分をいかに解消していくか、という考え方をしてみるのもいいでしょう。

何でも新しいことに取り組めばいいというものではありません。性格の違いによる向き不向きもありますし、タイミングもあります。成長の度合いもそれぞれ違うのですから、自分なりの、(あくまで、現時点での)正解の答えを、見つけていけばいいと思います

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2010年5月21日 (金)

年齢とともに、求められる役割も変化していく。

子供のころから優秀で、手がかからず、大人の言うことをよく聞く「いい子」だった人が、ある一定の年齢を過ぎると、人間関係や物事が停滞しだして上手くいかなくなってしまうことがあります。

何も悪いことはしていないし、大きなミスがあったわけでもないのに、周囲からの評価が著しく下がりだし、相手のニーズを満たすことができなくなります。

本人は、「なぜ、上手くいかなくなったのだろう。今まではこれでよかったのに・・・。」と考えます。自分は何も変わっていないのだし、以前はとても評価されていた、ならば、この停滞は、知人の性格が以前と変わってしまったのだろうか、新しく請け負った業務内容が合っていないためだろうか、それとも、新しく変わった上司が自分を気に入らないのだろうか・・・、と、原因を、自分の外に求めようとします。

けれど、どんなことでも、カルマの法則で「自分がまいた種が、自分のゆく道に実る」のですから、原因は自分の中にあるはずです。

この場合は、年齢により、自分が担う(相手から求められる)労力や立場の変化を、考慮出来ていないことから起こっている、需要と供給のミスマッチなのです。

目上の人が指示するとおりにこなす資質が、どれほどに高くても、いつまでも「目下」でいるわけにはいきません。年齢が上がれば、立場も変わり、求められる役割が、変わっていくのは当然です。

そういう視点で、改めて、「今の自分に、求められている要素は何か」を、考えてみると、見えてくるものがあると思います。

誰もが等しく、年齢を重ねます。そうなれば、求められる役割は、「指示された通りに動く」ことから、「自分が、指示を出す」ことへ、移り変わっていくものではないでしょうか。社会に出れば、学校時代のように、「さあ、今日からキミの立場は、○○だからね。ここからはキミが主導権をとってね~」なんて、教えてもらうことを期待してはいけません。それは、自分で、身につけていくものだからです。

子供の頃やフレッシュマンの頃に、目上の人の言うとおりにして評価されてきたタイプは、この切り替えが出来ずに、苦しくなっているケースも多いと感じます。「年齢とともに、担う役割は、移り変わっていくもの」という視点から、今のご自分の立ち位置を、再確認してみることをお勧めします。

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2010年5月20日 (木)

過去の行為の積み重ね(カルマ)により、選択肢や可能性が増えていく。

私たちの人生は、「自分のまいた種が、自分のゆく道に実る」という、カルマの法則の下で展開していきます。前世も含めた過去の行いの蓄積により、「今」と「これから」が、作られていきます。

しかし、私たちは、自分の意思で人生の選択をしていく権利、自由意思があり、あらかじめ決まりきった筋書きを、台本どおりに演じていくわけではありません。この時点からでも、未来は未知数であり、可能性はたくさんあります。

では、どうやって、過去の行為の蓄積が、私たちの人生に反映していくのかといえば、「可能性」と「選択肢」のバリエーションとして、手持ちのカードが増えていくようなものです。

たましいの中に行為の蓄積がたくさんある人が、分岐点に立った時に、「右の道」「真ん中の道」「左の道」と、いくつもの選択肢が用意されていて、どれでも選べるようになっている、という形で反映していきます。

どの道を選んでも、それぞれの学びがあり、たとえば「右の道」を選べば、右の道なりの経験をするようになっている、ということです。経験値が少ない人は、分岐点に立った時に、「右の道」と「左の道」の、二つがあり、「真ん中」には、道筋がついていません。真ん中の道に至るまでの、必要な経験をしてこなければ、先に繋がるものがないのは、当然のことです。

そして、その選択肢から「実際に、どれを選んでいくか」は、私たちの自由意思に任されています。

では、「右」「真ん中」「左」の3つ道から、「右」を選択したとして、残りの「真ん中」と「左」を選んでいた場合に予定されていた、こなすべき課題は、どうなるのでしょうか。

それは、次の人生(来世)で、行うことになるかもしれません。もしくは、右も左も、入口が違うだけで、経験する構成要素は、ほとんど同じである場合もあります。さらには、右の道を進む際に、大きな努力をして、密度の濃い生き方をすれば、ひとつの道を進みながら、同時に「真ん中」と「左」の学びも、経験してしまう人も、中にはいるでしょう。

充実度、密度も含めて、先の可能性は未知数であり、すべては「自分の生き方しだい」となります。どれだけ積み重ねた要素が豊富で、選択肢がたくさなっても、その中から「選ぶのは、自分」であることを、忘れないようにしてください。

よく聞かれるのが、「私の人生には、この先、結婚の可能性がありますか?」などの質問です。「ある」か「ない」かでは、この先の未来は決まりません。自分がカードを切って、展開させていってこそ、この先の未来に、大輪の花が咲く仕組みになっているのです。

カードを持っていても、使うことなく今回の人生が終了・・・ということだって、可能性としてはあるわけです。受身にならずに、自分で自分の人生をクリエイトする、という意識を持ってください。そして、私たちの人生というのは、いついかなる時点からでも、自分次第で「取り返すことができる」と、認識してください。

「ここまでの人生、受身になるばかりで、自分の意思を活用しなかったな・・・」と思っている人でも、大丈夫です。先に書いたとおり、ひとつの道を進みながら、密度の濃い生き方をして、3つの道の学びを同時進行することだって、可能性は、あるからです( ̄∀ ̄)!十分に取り返して、お釣りがくる人生にすることも可能なのです。

自分から展開させていく、という意欲があってこそ、「手持ちのカード」も存分に活かされていきます。この先の人生が、実り多きものになりますように・・・。

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2010年5月18日 (火)

他者との距離感をはかるのが苦手な人のオーラ。

その人の性質や精神性があらわれる部分のオーラは、頭の上部付近です。

オーラという言葉を使うときに、「オーラの色」をイメージすることが多いと思いますが、色は、いくつもある要素の一つに過ぎず、明るさや質感などいくつもの要素があり、詳しく語ろうとすればきりがないほどです。

オーラを把握できる能力のある人でも、把握している要素は、(オーラ全体からみれば)ごく一部に過ぎず、その全容をとらえているわけではありません。

「他者との距離感をはかるのが苦手」な人は、オーラの質感や、色が濃く表れているか(自分というものをしっかり持っているか、自信があるか、などがわかります)、など、色が何色であるか以外の要素から、読み取ることができます。

つまり、距離感をはかるのが苦手である、という傾向は、オーラの色には限定されない、ということです。しかし、オーラの色による傾向で、「何が、苦手なのか」という部分は、おおよそ把握することができます。

以下は、「他者との距離感をはかるのが苦手」である、という(色にはとらわれない)前提があって、その上での、色別の(つまり、もともとの気質による)傾向、だと思ってください。

赤、赤紫、オレンジなどの、暖色系のオーラの人は、相手の領域にどこまでも踏み込んでしまったり、相手を差し置き、自分を押し出し過ぎて、うまくいかない傾向があります。

赤いオーラの方は、勇気と信念に満ちたパワフルな方なのですが、それ故に、自分の価値観を中心に物事を考えてしまう傾向があります。はっきり言えば、自己中な人も多いのです。リーダー的資質を持っているため、「私が、私が」になりやすいところがあります。

オレンジの人は、朗らかで社交的、明るく陽気な性格なので、楽観的になりがちです。自分のことはどう解釈するのもいいですが、その調子で他人のことまで楽観的になって、深く考えることをしない場合があるのです。

つまり、暖色系のオーラの人は、本人はよかれと思って善意でしていることが、過剰になりすぎて、相手にひかれてしまう・・・、というパターンになりがちです。

青や青緑など、寒色系のオーラの人は、距離感が取れない状況そのものをさけようとして、「まったく踏み込まない」「消極的になりすぎる」ために、人間関係の構築自体が難しくなってしまうパターンが多いです。

分析力があるので、何かがうまくいかない状態であることは「分かっている」のです。しかし、結局、自分自身をしっかり持っていないと、相対的に相手のことが把握できない、というのは、どんなオーラの色であろうと同じなので、「人間関係のすべてから、距離を置く」ことで、解決をはかろうとしてしまいます。

すべての性質・気質は、良い方向に適度に発揮される分には、素晴らしいものですが、過剰になりすぎると、短所になることもあります。

重ねて申し上げますが、上記は、「人との距離感を把握できない」という前提での、色別傾向であり、「このオーラの色は、人間関係が苦手」という分類ではありませんので、誤解なきようお願いします。たとえば、オレンジの人は本来社交的で、人付き合いを苦にしない方が多いのですから、すべてに当てはまる話ではありません。

オーラの色というのは、要素の一つに過ぎないのですが、誰にでもイメージしやすい共通認識でいうと、色を前面に出して説明することになるため、回りくどい説明になるのですが・・・、「色は、構成要素のひとつに過ぎない」という認識を持っていただけると幸いです

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2010年5月17日 (月)

不満が生まれるのは、「定義付け」しすぎるため。

私たち人間には、「失うことへの恐れ」があり、それは言い換えれば「所有することへの欲求」がある、ことになります。そのため、あれが欲しい、これが足りない、と、常に不満の感情が生まれてしまいます。

誰にもある本能的な感情とはいえ、所有欲が過剰になりすぎると、足りない部分が目につき、満たされなさがクローズアップされてしまいます。

「希望」という言葉があります。この言葉は、今現在、苦しい状況に直面している人が、未来に見出そうとするものであり、現在、十分に満たされている人は、その状況がいつまでも続くような気持ちになりますから、殊更に「希望」というものを考えてみたりは、しないものだと思います。

苦しい中にあれば、光り輝いて見えるものも、いざ手に入ってそれが普通になれば、あまり意識はしないわけで・・・、「悪いもの」「満たされないもの」のほうが、意識しやすい、目につきやすいものです。

嫌な部分は、「○○という理由があるから、嫌だ」と、容易に理由が思い浮かびます。しかし、好きな部分は、「○○だから、好きだ」とは、あまり意識しないものですよね。不足感や欠乏感がない状態を、「なぜ」とは、あまり考えません。

結局、理由を求めすぎ、定義をつけすぎると、(定義のつけやすい)不満な部分ばかりが目立ってしまって、満たされている部分には目が向かなくなってしまうのです。

たとえば、お茶をこぼしたら、すぐにティッシュをとって拭く、というのは、実はぜいたくな環境です。消耗品がたくさん使えるこんな便利な時代は、幸せです。でも、そういうことは、普通はあまり考えません。けれど、使いたいときに、ティッシュが切れていたら、「なぜ、こんなときに限って無くなるのだろう・・・」と、途端に不満が生まれます(笑)。

すべての不足感とは、そういうものだと思うのです。満たされている部分もあるはずなのに、そちらは、意識していかないと分かりにくく、不足な部分はいとも簡単に認識してしまうために、「目立ってしまうだけ」ではないでしょうか。

何かちょっとしたことがあるたびに、「ほら、また。私は不幸だ」と、考えてしまうから、不満がどんどん大きくなります。わざわざ不足感をクローズアップさせるために、定義付けをしているのは、自分で自分を苦しくしているのと同じ。

苦しい理由は、状況そのものではなく、自分が定義にしばられているため、ではないでしょうか。ほんの少し、視点を変えるだけで、不足感が薄れていきます。そのためには、「自分が作り出したもので、自分を縛って苦しんでいる」現状に、気づくことが大切です。

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2010年5月15日 (土)

霊的な資質が、どんな方向に発達するかは、未知数。

私たち人間は、「肉体をもった、霊(的存在)」なので、実は、誰にでも霊感があります。強い、弱い、の差はありますが、ゼロの人はいません。自覚のない人でも、誰もが備えている資質のひとつです。

ただ、霊感というのは、幅広いものなので、誰もが、(一般にイメージされるところの霊感である)霊視力を備えている、という意味ではありません。表れ方は、人によりさまざまであり、クリエイティブなセンスとして発揮される人もいれば、感応力に優れている人もいるでしょう。

(一般にイメージされる意味での)霊感・霊能は、見える(霊視、透視力)、聞こえる(霊聴力)、感じる(霊感覚)、などが代表的ですよね。今はやりの、天使がなんたら・・・系の書籍でも、そういう区分けの仕方がなされているようです。

その影響のためか、「私が備えている霊的資質で、優れているものを教えてください。霊視力でしょうか?それとも霊聴力でしょうか?」というようなご質問をいただく機会がしばしばあります。

けれど、霊感というとても幅広いものについて、画一的で明確な区分けはできないものと考えるべきで、・・・書籍などの商業的な部分に流されないように注意したほうがいいと思います;。

実際、霊感は誰にでもあることは事実です。それは、誰もが呼吸ができることや、思考をする力があること同じです。

しかし、誰でもできる呼吸を「超呼吸」「透呼吸」とは言いませんよね;。誰にでもできることに、わざわざ「透」とか「超」とかの呼称をつける場合は、一定レベル以上に発達している状態に対しての呼び名だと思うのです。

既に一定レベルを超えて発達しているなら、「私は、何が優れているか?」と聞かなくても、自分でわかるものだと思います。つまり、自覚できないなら、その時点では一定レベル以上にない、という可能性が高くなりますよね。・・・だからこそ、その先発達していきそうなのは・・・?という意味で、知りたいのかもしれませんが。

備えている霊感的な要素の大小というのは、ある程度は把握できるものです。精神的、資質的なものは、頭の付近に現れますので、そのあたりのオーラの大きさや形状などを見れば、大まかなところは分かると言えます。

しかし、それが、今後どのような方向に伸びていくか(それとも、伸びていかないのか)を、明確に把握することは難しいです。可能性としては、予想がつく部分はゼロではないけれど・・・、伸び率や可否までは、明確にはわからないものです。

霊的真理については、解釈は人によりさまざまであり、何が正しくて何がそうでないのかは、それぞれが「自分の責任で」判断するべきものです。誰の言うことを信じるのも、その人の自由、私自身も、自分の意見だけが正しいと主張するつもりはありません。

しかし、明確な根拠もないのに、自分の頭の中にひらめいたことは高次からのお告げだという強引な解釈;で、・・・いとも簡単に、無責任な発言をする人も中にはいるわけです。

ですから、見極める目をもたなければいけないし、そもそも、「自分の霊感のタイプは、どれになりますか?」のような、インスタントでマニュアル的な解釈をしたくなること自体も、霊的真理を好奇心でとらえている証拠だと思います。

霊的な感性というのは、もっと大きなくくりで、包括的にとらえていくべきものだと思います。そして、霊的な成熟度と、霊感・霊能の発達度は、必ずしも比例しないという事実も、忘れないようにしてください。

霊感・霊能への興味そのものが、悪いとは言いません。誰でも最初は、そこからスタートするものだと思います。しかし、いつかは好奇心から抜け出して、本当の意味での霊的、精神的な成長につなげていくことが大切ではないでしょうか。

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2010年5月13日 (木)

自営は、自分から動かないとスタート(開業)できません。

多くの方から、いつか自営をしたいとか、趣味を仕事につなげたい夢がある、と相談をいただきます。しかし、ほとんどの方が、なんとなく漠然とそう思っているだけで、具体的にいつから何をどうスタートさせていくか、という細部までは考えていません。

遠い将来の夢だとしても、自営というのは、「自分から、動き出さないことにには、いつまでも、何も始まらない」ものであることを、認識なさっておくことが大切です。

恋愛ならば、必ずしも、自分から行動的にならなくても、たまたま落としたハンカチを拾ってくださった方に気に入られてアプローチされるとか(笑)、自分には全くその気がない状態でも、ふとした出来事から、相手主導で付き合いに発展することもあると思います。

仕事も、雇われて働く場合なら、ちょっとした出会いや付き合いから、「よかったら、うちの会社で働きませんか?」という話になることも、あるでしょう。

しかし、自営で仕事を始める場合は、自分から意識的に動いていかないことには、スタートしません。何もしていないのに、自動的に物事が展開してくれて、いつの間にか自営を始めていた・・・、なんてことは、まずありません。誰かの言動が、後押しになってスタートの決意に繋がることはあるかもしれませんが、決意することと、実際に活動していくことは別ですからね。

仕事というのは、誰かの需要を満たして、対価をいただくことです。もしくは、自分が供給したいものの、需要を見つけるか作り上げるかして、買っていただくことで成り立ちます。

これから始めたい仕事というのは、誰に何を売る仕事にするのか、どんな形態で行うのか、どうやって自分の活動を(買い手に)知ってもらうのか、そういうビジネスプランを作り上げることなら、費用も掛からず、誰にも負担をかけることなく、自分の頭の中で構築していくことができます。

「具体的に考えること」も、大切です。準備というのは、物理的な行動だけとは限りません。思考的なプランニングも含まれます。

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2010年5月12日 (水)

楽しい会話のための、話題を仕入れる。

人生には、インプットに向いている周期と、アプトプットに向いている周期があります。出会いのための努力を続けていても、なかなか、うまくタイミングが合わなかったり機会がめぐってこない時期も、あるかもしれません。

そんなときは、「出会いのために、準備をしておこう」と、切り替えていくのもよいでしょう。インプットをして、先に備えておくという考え方です。もちろん、出会いのための努力は、引き続き行いながら、です。

お付き合いに至るには、「出会う」「知り合う」だけではダメです。その先の発展があってこそ、です。たとえば男性と親しくなるには、男性の好む話題についての会話ができて、「この女性と話していると、楽しいな」と思ってもらえると、好意に繋がります。

もしも、今、男性とデートする機会があったら、何を話題にしますか?

その話題は、(一般的に)男性が好むタイプの話題ですか?

なかなか、こういうことを、改めて考えてみる機会はないと思うのですが、あえて考えてみてください。何も思いつかない、男性が好むタイプの話題かなんて、どうやって判断するの、と思ってしまうとしたら、・・・実際にデートにこぎつけても、会話が盛り上がらずに終わってしまう可能性も高い、かもしれません;。

出会いのための行動もしながらも、出会ったときのための「話題を、たくさんに仕入れておく」ことも、心がけていきましょう。

実際には、考えておいたとおりの会話になるとは限らず、相手のほうから話題を振ってきて、相手のペースで話が進んでいくとしても、「話題が切れたら、この話をすればいい」と、思えるので、気持ちに余裕が出て、リラックスして話ができるので、好印象に繋がりやすくなります。

では、実際に男性がどういう話題が好きかというのは、・・・ここに回答を書いてしまうと、学びになりませんので(笑)、自力でつかみ取ってくださいませ( ̄ー ̄)。

お兄さんや弟さんが、どんな趣味があってどんな話題で盛り上がっているか、同僚や上司との世間話などから、情報収集をしてみてください。

そうやって、自分で作り上げた情報の蓄積は、人付き合いにおいて、大きなアドバンテージとなり、自分自身を助けてくれます。男女関係に限りませんが、「話題をたくさん持っている」というのは、「強み」です。

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2010年5月11日 (火)

前世が影響している、恐怖心?

私たち人間は、肉体をもった霊的存在であり、今回の人生だけにとどまることのない、永遠の存在です。

スピリチュアリズムの広まりにつれ、「前世」という言葉も一般的になりましたが、誤解も多くなっているのを感じます。自己流の解釈なのか、それとも誰かに指摘されたことなのか分かりませんが、実際には存在しない前世のトラウマ?を、抱えているツモリになっている人が多いことに驚いてしまいます・・・。

「私には、前世からくる○○○という感情のブロックがあるのですが、どうすればいいでしょうか」とか、「私の前世で、○○○という契約があるため、今回の人生が思い通りになりません」のような、・・・なんだか前世にかこつけて、不調和の原因を外側に求めているような解釈のご相談が、あまりに多いと感じます。

私たちは、永遠の存在であり、前世の影響とは切り離されませんから、どんなこともすべて、何らかの意味では、前世と今世は関連していると言えますが、あまりに狭い解釈で前世をとらえてしまうと、逆に曲解に繋がってしまうこともあります。

今回の人生では、原因が思い当たらない特定の感情が、前世の体験からくる恐れであるケースは確かにあります。けれど、私の知る限りでは、そういうケースは、特定の改善方法等をとらなくても、原因が遠い過去の人生のことだったと分かっただけで、ゆっくりとですが緩和されていくと感じます。あくまで、前世を知る意味(必要性)があれば、の話ですけどね。

私の知っているケースでは、以下のようなものがありました。

「痛み」が恐怖で、ほんの少しの痛みでも不安になり、頻繁に病院に行ってしまう。医師にも、「子供ではないのだから、それくらいで来なくても・・・」と言われてしまうが、それでも気になって恐怖を感じる、という方がいました。

その方は、前世で被災した経験があることが影響していました。そうなると、痛み=生死に直結する事柄・・・ですから、その記憶が干渉して、この安全な「現在」に生きていながらも、少しの痛みも、本人的には大げさにとらえてしまう、という現象に繋がっていたようです。

で、「どうしたら、痛みへの恐怖感は改善するか?」と聞かれたのですが、「・・・何もしなくても、理由が分かれば、感情は薄れていきますよ」とお答えしました。

実際、そういうものなのです。すべてがそうスムーズにいくとは限りませんので、参考程度にとらえていただきたいのですが、前世とのかかわりというものを、考えすぎないほうがいいように思うのですよね・・・。

何に興味を持つのも自由ですが、無理な解釈の「こじつけ」に、こだわり過ぎている方が多すぎると感じます。そして、もうひとつ大切なことは、前世から引き継いだ感情や思考の習慣、トラウマが仮にあったとしても(・・・っていうか、誰にでもありますが;)、必ずしも、前世を認識しないと解消されないわけではない、という事実です

普通、大部分の人は、自分の前世なんて知る機会もないのですから、前世を知らないと癒されない、なんてことはありません。

私たちは、自分がしたことはすべて自分に返ってくるという「カルマの法則」により、経験すべきことを経験するようになっていますから、前世を掘り起こしてまで原因にフォーカスしすぎなくても、この現実の、目の前の出来事に立ち向かい乗り越えていくことで、精神的に成長していく「仕組み」になっているのです。

しかし、前世を知ることで解消される(もしくは、解消が早くなる)感情も確かにあるので、前世を知ることそのものを全否定するわけでは、ありませんが・・・。

認識を間違ってしまうと、前世からの恐れの感情を解消しようとしたはずが、逆に、自分が作り出した恐れにとらわれてしまうことになります。目に見えないことへの解釈は、いとも簡単に曲解に繋がってしまいますので、ご自分の癒しや成長に取り組むことは素晴らしいけれど、冷静になっていただきたいな、という意味から、書かせていただきました。

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2010年5月10日 (月)

過剰な不安や心配から、自分を解放しましょう。

人は、未知のものへの恐れがあります。「もしも、この先、○○になったらどうしよう」、「××にならなかったら、どうしよう」と、まだ見ぬ未来への不安を、誰もが少なからず抱えているものです。

未知への恐れがあることで、行動が慎重になり、失敗が少なくなったり、何かあったときの対処法を準備しておくことで、結果として助かったりもするので、不安や恐れも、決して悪いものではありません。

けれど、そうめったに起こらない事柄を、「もしも、そうなったら・・・」と、不安になるのは、気にしすぎで、あまり有意義なものではありません。

外出するたびに、「もしも、外に出た瞬間に大雨が降って、雷が自分に落ちたらどうしよう・・・」と、そこまで考える人はまずいません;。なぜかと言えば、「そんなケースは、めったに起こるものではない」と、分かっているからですよね。

あなたが、「今、心配なこと」を、ここで改めて考えてみてください。それは、明日にでも起こりそうなことでしょうか?明日とは言わなくても、少なくとも半月以内には、まず間違いなく起こることでしょうか?

それなら、心配になるのもわかります。けれど、そうではないなら・・・、「可能性はゼロではないが、そんなに確率の高いことではないかも・・・」と思うようなことならば、その不安は、「本当に、悩む必要のある事柄」なのかを、改めてよく考えてみてください。

実は、それほど心配しなくてもいいこと(実際には、起こりそうもない事柄)を、過剰に不安視している自分が、見えてくるかもしれません。

未知への漠然とした不安感は、誰もが持っている本能的な感情ですから、すべてを取り除くことはできません。そして、上記の仕組みを理解しても、それでも、「○○になったら、どうしよう」の不安な気持ちが出てくることは、止められないとも思います。

しかし、その気持ちが出てきたときに、「でも・・・、こんな考えが、現実になることなんて、めったにないよね」とか、「必ず、そうなるとは決まっていないのだから、悩み過ぎてもしょうがない」などと、「考え直して、上書きすること」は、可能だと思います。それだけでも、ずいぶん違ってくるものです。

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2010年5月 9日 (日)

霊感の発達は、知識や経験により底上げされることもある。

霊感や直感というものは、「それだけ」では、ほとんど役に立ちません。現実的な知識や経験がたくさんあってこそ、組み合わせの妙として直感が作用し、現象を解釈できる知恵があればこそ、霊感が活かされていくのだと思います。

たとえて言えば、それは、ハンバーガーにおける、(上に乗っている)「ゴマ」のようなもの、おにぎりの外側を包む「海苔」のようなもので、彩を豊かにして深みを与えてくれる、ほんの少しのエッセンスであり、パンやコメの代わりまでは果たしません。

たくさんの知識や経験は、霊感や直感を「底上げ」してくれます。パンやコメがしっかり備わっていてこそ、その上にあるゴマや海苔が活かされるように、多くの現実的な要素が、霊感や直感を、「形あるもの」「活用できるもの」に、してくれるのですね。

私自身も、この仕事は、霊感だけでやっているわけではありません。膨大な知識と理性により、ほんの一部、霊感が活かされいるに過ぎません。

また、霊感や直感も、さまざまな知識がつくことに比例して、開けていくこともあります。

私は、この仕事を始める前に、病気が発覚し、腹腔鏡という開腹しない形式の手術を受けています。命には別状がない、緊急性もない状態で、・・・とても迷いました。しかし、これといって対処法がなく・・・、痛みどめ以外の薬もなく、その時点で手術の必要性は高くはないけれど、手術以外に(医学的な)改善方法はない、という状態でした。

私は、手術に踏み切るか否かを、迷いに迷って・・・、当時興味を持っていた、「ケイシー療法」を調べだしました。ケイシーの語る食事療法は、最近流行りの、ローフード、ナチュラルハイジーンと共通点が多いので、そちらの本を併用しながら、かなりの時間と労力をかけて調べ、出来る範囲で実践するようにしました。

なぜ、ローフードがいいのかという部分から、酵素についても知識を得て、さらにその過程で、食品添加物の影響や、化粧品などから経皮吸収してしまうと言われる化学物質の知識、さらには・・・と、どこまでも調べました。化粧品や洗剤などは、経皮吸収しにくいタイプに替えることは容易ですが、食事は、知識を得ることも、実践することも、とても大変でした( ̄_ ̄;)。あのときは、自分が病気であるという切羽詰まった状況だからこそ、やれたと思っています。今なら、とてもあそこまでの情熱は注げそうにありません(笑;)。

数か月、そんな食生活を続けていると・・・、体調がとてもよくなりました。体重も減り、低体温も改善、便秘もまったくしませんし、睡眠時間も短くて平気になり、朝も爽快な気分で目が覚めます。加工品などの消化しにくい食べ物を摂取することで、どれほどに体に負荷が掛かるのかというのが、とてもよく実感できました。

これらの知識や実際の体験が、今の仕事に活用できる副産物をもたらしてくれました。食生活が、極端にジャンクフードや加工食品ばかりになっている人をリーディングすると、「茶色のものを、たくさん食べ過ぎている」ような印象が、炭水化物や砂糖をとりすぎている人は、「白いものを、食べ過ぎている」と、伝わるケースが出てきました。

以前は、私は、そんなことを把握することはできませんでした。

知識が把握力を底上げしてくれた、と言うべきか、それとも、現実的な知識が(備わっていながら、活用できていなかった)把握力に追い付いたのか・・・、とにかく、そういうことが、以前よりも顕著に分かるようになりました。

「引き出し」を開け閉めする力(=霊感や直感)が高まっても、そこに中身(=知識や経験)が入っていなければ、意味をなさないのです。この両方の要素が掛け合わされて、知恵や応用力となっていきます。

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2010年5月 8日 (土)

「オーラのある人」と言われるような、存在感のある人になろう。

「あの人は、オーラあるよね」という言い方をすることがありますよね。

実際、オーラは誰にでもあるのですが( ̄∀ ̄)、大きな存在感があるとか、独特の雰囲気やカリスマ性を感じる人に対して、「オーラがある」と、表現するのだと思います。

霊感も、強弱の差こそあれ、誰にでも備わっていますが、霊感の強い人のことを「霊感がある」といういい方もしますし、それと似たようなものでしょうね。

人には、誰にでも、「感じ取る力」「雰囲気を把握する能力」がありますから、大きくて、勢いがあるオーラの人を、なんとなく、感じ分けるのだと思います。

受け取り方はいろいろですし、自分の感じやすい領域があり、バイアスもかかるものなので、「オーラがあると感じた」感覚が、必ずしも、実情に当てはまっているとは言い切れませんが・・・、でも、だいたい当たっているものではないかな、とも思います。

はっきりと感じ取れなくても、知識がついてくれば、「知識に感覚が底上げされてきます」から、多分こうだろう、という想像がつくようになってきますし、精度も上がってくるものです。

「あの人は、オーラがある」とは、普通とはちょっと違った何か、キラリと光るものを感じさせる人に対しての褒め言葉でもあると思います。

大きくて輝いている、勢いのあるオーラになって、「オーラ、あるよね」と、言われるような人を、目指していきましょう!。

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2010年5月 6日 (木)

霊的感覚の強さは、「呼吸」と密接な関係がある。

霊的な把握の方法には、代表的なものに、「見える(霊視力)」「聞こえる(霊聴力)」「感じる(霊感覚力)」などがあります。

霊能力全般のコントロールには、呼吸が関わってくるのですが、中でも、「感覚」は、より密接な関係があります。前回の記事の続きになりますが、私は、霊媒体質過ぎて( ̄w ̄;)、限度越えで馴染みやすいため;、「感覚」が鈍いところがあります。

しかし、霊媒体質であっても、感覚が冴えている人もいます。その差の一つに、(要因はたくさんあり、必ずしもこのことが当てはまるわけではありません)、「呼吸」がキチンと出来ているか否か、という要素があります。

世の中には、霊能者でありながら、歌手でもある方がたくさんいますが(笑)、あの方たちは、歌の発声で鍛えられているので、呼吸がきちんと出来ていると考えられます。

江原さんの「人はなぜ生まれ いかに生きるのか(ハート出版)」の、P46に、このような記載があります。

・・・昌清霊(江原さんのガイドスピリット)が現れ、私にこう告げました。「霊能開発のためにまず身体を鍛えよ。そして力を養い、知能も人格も霊能者たる高尚なる発達に向かうべし」、と。(中略)・・・私が美術の道を志していたのは、昌清霊も絵が好きだったほかに、美術は感性を磨き、集中力を身につける精神統一の修行ともなったからだそうです。

私は声楽が好きで、高校時代は先生について習っていました。しかし、それも、昌清霊が呼吸法を身につけさせ、霊能開発をさせようとしたものだったのです。

私も、かなりひどい霊媒体質で、その点だけは江原さんと共通していますが・・・、ここに、大きな溝がありました(笑)。私のガイドスピリットは・・・、私に呼吸法を身につけさせようとはしなかったようです;。

私は、この仕事をする前、病気になって腹腔鏡手術をしています。これがきっかけで、仕事を辞めてしまったので、否応なしに、今の道に進んでしまったのですが・・・、術前検査で、肺活量があまりに低く;、「呼吸が、まったくダメ( ̄w ̄;)」であることを思い知りました(笑)。その他の検査は超優良、まったく問題がなく、肺活量だけが赤点でした;。

そして、数年経つ今も、呼吸がヘタなので、感覚は鈍いままです。・・・鋭くしたいとも、思わないですけど;。

本当に霊感が強い人というのは、高めようなどとはあまり思わず、何とか焦点をぼやかして生きようとするものです。感覚が高まるというのは、私たちにとって諸刃の剣で、そのことによりある種の防御もできますが、苦しみもあまりに大きくなります。

男性と女性のオーラを比較した場合、一般的には、女性のほうがオーラの質感が細かい人が多く、エネルギーに馴染みやすい傾向があります(もちろん、個人差がありますので、全員が当てはまるわけではありません)。

自分のエネルギー以外の何かを感じ取る、というのは、言うなれば、「違和感」ですから、感受性の網目が細かい人よりも、そうでない人のほうが、馴染みにくいために、違和感を認識しやすい場合もあります。網目が細かいほうが、「キャッチ」しやすいですが、キャッチしやすいのと、キャッチしたものを体感しやすいのとは、比例しないこともあります。

そういう意味では、「感覚」は、男性のほうが感じやすい方が多いかもしれないです。もちろん、人によりますけれど・・・。オーラの質感もそうですが、男性のほうが、肺活量もありますし、呼吸がしっかりできる方が多いことも関係している気がします。

ヨガをやっていたり、整体などのボディーケア的な仕事をしている男性は、仕事を通して、「感覚」「気感」が平均よりもかなり発達している方も多いです。

逆に、女性は、ヒーリングなどを志している方が、結構霊感もありそうなタイプなのに、「出来ているのか、分からない。自信がない」というご相談があると、詳細をお聞きする前に、「気感がないのだろうな・・・」、というのが、だいたい想像がついてしまいます(笑)。

男性よりも、エネルギー全般に馴染みやすい質感をしている傾向がありますし、あとは呼吸がやはりきちんとできていない場合も多いです。単に、感性そのものが未発達のため、感じ取れないケースもありますから、すべてが当てはまるわけではないですが。

そして、霊感が強い人は、全般的に、実は呼吸がきちんとできない傾向がある・・・のです。霊的な事柄と、呼吸が密接に関連するため、呼吸でコントロールができる部分が発生するわけですが、逆に干渉もされる部分があるのです。

江原さんは、歌で鍛えているし、もちろん努力もなさっているからなですが、「霊媒体質の強さゆえに、呼吸が干渉される」点を、克服なさっていると感じます。私は、霊媒体質ゆえに呼吸が干渉されたまま、になっています;。長くなったので、この点の説明は、また別の機会に・・・。

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2010年5月 2日 (日)

霊感の強さと、「体感度(の強さ)」は、比例しないこともある。

霊感がかなり強くても、自覚がない方が多いのは、霊感は必ずしも、見える(霊視力)・聞こえる(霊聴力)の方向に発揮されるとは限らないから分かりにくい、という理由もありますが、同時に、「霊感が強すぎて、体感しにくい」ケースもあるからです。

このケースに当てはまるのは、私のような、「強度の霊媒体質」の、一部の人です。

何度か過去の記事でも書いていますが、私は、平均からすれば感度は高いですが、この仕事をしている人たちと比較すれば、「感じ取る力」に関しては、鈍いほうだと思います。

霊媒体質というのは、文字通り、霊を媒介しやすい体質です。つまり、そもそも、「霊が、とっても入りやすく、馴染みやすい構造」になっています。

自分以外のエネルギーを感じ取るというのは、言い換えれば「違和感」のようなものです。しかし、強度の霊媒体質の人は、強度の馴染みやすさを備えた体質ですから・・・、違和感が薄いものです。あっという間に馴染んでしまいますから、分かりにくい場合もあるのです(あくまで、「感覚」を使う場合、です)。

何かを「キャッチすること」と、「キャッチしたものを認識する(体感する)こと」は、同じではないというか・・・、「キャッチが頻繁すぎる;」と、それが日常ですから・・・、違和感を認識しにくくなります。

分かりやすい話を、ひとつ。

スピリチュアリズムを勉強しだすと、必ず行きつくと思われる有名な霊訓に、「シルバーバーチの霊訓」がありますが、これは、イギリス人青年のモーリス・バーバネルの口を借りて、語られたものです。

完全に入神状態になり、肉体を霊に明け渡すような形式です。トランスチャネルとか、トランス霊媒、などと呼ぶこともあります。大変な危険と背中合わせであり、そして難しい行為です。少しくらいの霊媒力ではできません。桁違いに規模の大きな霊媒力が必要となります。

つまり、バーバネル青年は、それだけの霊媒力を備えていたわけですが、彼がシルバーバーチを媒介するようになったのは、ある日、付き合い上参加することになった交霊会で、退屈からちょっと居眠りをしまい・・・、目を覚まして、あわてて詫びると、なんと、寝ている間に、「自分自身が霊媒になって語っていた(◎_◎)」ことを、知らされるのです。

以後、数十年にわたり、シルバーバーチ霊とのコンタクトをとり続けるのですが・・・、それほどまでの大きな霊媒力があるなら、その「居眠り」の出来事がある前に、自覚できそうなものですが・・・、彼は、ある不愉快な思いをした出来事から、どちらかといえばスピリチュアリズムに反感を持っていたそうですし、既存の伝統宗教にも否定的だったそうで、「そちら系の世界」には関心がなかったようですから、・・・ということは、自覚がなかったのでしょう。

これほどまでに大きな霊媒力があっても、・・・というか、霊媒力がありすぎる故に、なのですが、馴染みがよすぎると、(自分以外のエネルギーとの)違和感がないので、本人は分からないのです。

頭の中で、「そういう仕組みだ」と、理屈を知ってしまえば、また違ってくるのですが、まったく何も知らないうちは、気付かないものなんですよね・・・。

いろいろなタイプがいますから、霊媒力と感覚力の強さが比例して発達している人も、もちろんたくさんいます。知識を得ることと、自分が浄化されて向上していくことで感覚も発達しますから、私のような鈍い人( ̄w ̄)でも、以前から比較すれば、感じやすくなっています。

次回に続きます・・・。

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