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2010年4月22日 (木)

スピリチュアルな生き方が、窮屈に感じる時期もある。

スピリチュアルな生き方を実践して、一定期間が過ぎた皆様が、よくおっしゃるのですが、「スピリチュアルな知識によって自分は変わったとか成長した、と思う気持ちもあるが、反面、知らない方が楽だった・・・、と、思ってしまうこともある(笑)」、と。

その気持ちは、・・・大変よくわかります。私自身も、そういう時期がありました。

何をやるにしても、相手の気持ちを考えてしまったり、「あ、これは言わない方がいいかな・・・」とか、「自分も過去に同じようなことを、してしまったかも・・・」と考えすぎて、身動きが取れなくなり、スピリチュアルな法則に、納得がいくような、そうでないような(笑)、ビミョウな気持ちになってしまう時期があります。

そんなとき、スピリチュアルな法則によって、成長できた自分を感じながらも、一方で、何も気にせず、自己中な言動をしている人達が、(スピリチュアルな法則に従って生きていこうとしている)自分よりも、「自由」に思えてしまうことがあります。

なんか・・・、不公平さを感じてしまったり、しますよね;。それは、思い込みであり、勘違いなのですが・・・。

たとえば、恋愛に情熱的にのめりこみ、大きな情念と苦しみの中にあった時期と比較すると、「人間関係は、腹六分目がいい」とか「相手の欠点は、鏡」とかの、冷静な視点が加わると、ある部分においては楽になれるかわりに、100%夢中にはなりきれない、という、寂しさみたいなものを感じる方もいるでしょう。

いい意味で力が抜けるかわりに、何も知らない頃と同じではいられないという別の責任感が生まれますからね。

しかし、そのように感じる気持ちも、ほんの一時のこと。さらにその上の見地に立てるときが、いつかまたやってきて、今までのことすべてに意味があって、必要な経験をして成長することができた、と、納得できる日がやってきます。

転んで痛みがわかるように、失敗して成功を志す気持ちが強まるように、周りが見えない時期にも意味があり、そして、周りが見渡せるようになる時期にも、別の意味があります。それぞれ、ふさわしい時期に、新たなサイクルへと移り変わっていくようになっています。その日を楽しみに待ちながら、他人と比較しない「自分の学び」をしていくことが大切だと思います。

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