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2010年4月の18件の記事

2010年4月30日 (金)

オーラの色別、短所になりやすい部分。

オーラの色は、その人の性格や精神性を表わしますが、どの色が優れていて、どの色が劣っているというような区分はありません。

元気で活動的な人と、クールで爽やかな人の、どちらが優れているか、なんて比較しようがないのと同じです。

大切なのは、オーラが何色か、ではなく、「その色が、明るく輝いているか、くすんで暗い色になっているか」の違いです。

たとえば、同じ「クールで知的な青」でも、明るい状態ならば、「分析力と判断力が冴えていて、真面目」という、長所になりますが、くすんだ状態になると、クールさがネガティブな方向に発揮されてしまって、「何でも悲観的にとらえ過ぎ」「真面目すぎて融通がきかない」「分析力が極端になり、批判的」という、短所にもなり得るのです。

オーラを抜きにして、「性格」というものを考えてみてもわかりますよね。短所と長所は表裏一体で、優しい人は優柔不断になることもあるし、元気な人は独断的だったり、お金持ちはケチだったり(笑)・・・。それと同じです。どんな素晴らしい部分も、過剰になれば短所になってしまうので、気をつけなければなりません。

オーラの代表的な色のいくつかを取り上げて、「この色がもつ性質上、気をつけていく方がいい点」というのを、以下に書いておきます。ほんの一例にすぎませんので、参考程度にとらえてください。

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赤・・・集中力があるが、短期集中になりやすく、持続力に欠けがち。集中するときと、そうでないときの波があるので、飽きっぽい。愛と勇気に満ちた人であるが、信念がありすぎて、空回りしがち。白か黒か、○か×か、の考え方になりやすく、現世的・物質的な考え方になりやすい。せっかちで、待たされる状態が苦手。

青・・・喜怒哀楽が少なく、冷たい印象をもたれやすい。人は人と割り切っているので、深い人間関係を好まず、いつも孤独。知的ゆえに、完璧主義になりがちで、ミスをする自分も、他人も許せなくなってしまう。ストレスを内側にため込む傾向がある。

緑・・・平和主義ゆえに、冒険を嫌う。現状維持を好み、無難な選択になりがち。アップダウンの少ない平坦な道のりに、安心感を覚えるので、新しいチャレンジをしたくない。他人から利用されてしまうこともある。

オレンジ・・・明るく陽気で楽天的な性格のため、プライベートでは人気者になれるが、仕事面では、緻密さに欠ける言動をしてしまうこともある。細かいことを気にしないので、真面目で神経質な人との間には溝ができやすい。子供っぽいところがある。

紫・・・優しくて、人に寄り添うことができるため、同情心も厚く、頼まれると嫌と言えない。「(利用されていると)分かっているのに、言いなりになる」ことが多い。相手を尊重しすぎて、自己主張ができにくい。

黄色・・・楽しいことが大好きで、知的好奇心もあるため、後先考えずに、軽率な行動をしてしまうこともある。人に影響されやすく、流されてしまう。流行ものに弱い。優柔不断になりやすい。

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2010年4月29日 (木)

社内で出会いがなければ、社外で探すと割り切る。

お仕事を通しての出会いを望む方は多く、実際に、会社内でお付き合いに発展するケースも多いものです。

仕事に取り組む姿勢や、実力などが見えますし、人柄も把握できますので、「仕事を通しての出会い」を求める方が多いのも、実際に付き合いに発展する方が多いのも、納得できるものがあります。

しかし、

「仕事を通して出会いたいが、会社には男性が少ない。どうしたらいいか?」

といっても、それは、物理的な事情ですから・・・、変えようがありませんよね。転職する意思があるなら、話は別ですが・・・。

男性がいない職場を、男性がいるように変えること出来ない以上、そういう人は、もう「会社以外の場所で出会うしかない」、のだから、とにかく、「仕事以外の場面で、男性と出会う機会」を、見つけるか、自分で作るかして、どんどん動いていくことが必要です。

「仕事を通して出会いたいが、会社には男性が少ない。どうしたらいいか?」

から、

「職場以外で出会うことが必要だ。そのためには、どうすれば・・・?」

と、意識をまず、一段階切り替えていくことです。

現状を変えるために、どうすればいいか、という部分は同じでも、このふたつでは、意識の向け方が違うので、後者だと思考も具体的になりやすく、「自分なりの結論」が、導き出しやすいです。

恋愛対象になる男性に限らず、同性でもいいので、「仕事以外の場面で、人と交流をもつ」機会を見つけていくのがよいと思います。ダイレクトに男性と知り合えなくても、その女性の知り合いの、そのまた知り合いの・・・と、なるかもしれないですから。

会社以外の場所で、人の輪を自分が作っていくこと、もしくはすでに存在する輪に、自分が参加していくことです。そのための方法を考えて、そして実行していきましょう。

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2010年4月28日 (水)

洋服の色も、オーラに影響する。

人は、それぞれ異なるオーラを持っています。一般に、たとえば、「赤いオーラの人は、活動的で元気なタイプ」などという表現をすることが多いため、「オーラの色が、性格を構成している」ように、とらえてしまいがちです。

その解釈でも、間違ってはいませんが、「オーラが赤いから、活動的になっている」・・・のではなく、「その人の持っている元気さや行動力という性質が、オーラには、赤色として映っている」のです。

たとえば、「私は、元気さがありません。元気な赤いオーラになりたいのですが・・・、どうすればなれるのでしょうか?」、のような質問を、よくいただくのですが、その「元気さがない性格や考え方」が、オーラの色に現れているわけですから、その部分を変えないことには、赤くはならないのです。

オーラに赤色が加わることで元気さが身につくのではなく、考え方や行動パターンを変えて、元気な人になっていくことで、オーラにも(元気さという性質が)赤い色として現れてくる、ということです。

あら・・・?とても単純な話なのに、文字で説明すると、くどくて分かりにくいかも(笑)。

基本は、このように、「自分自身の内的な要素の反映」なのですが、オーラというのは、受信機でもあるので、「外的要因をキャッチする」働きもあります。朱に交われば赤くなる、という諺がありますが、人との交流から影響を受けて、相手のオーラを帯びていくこともあります。元気で明るい人と、いつも一緒にいると、自分も元気になってきます。

そしてもうひとつ、外的要素の影響として、洋服などの色も、若干ですが、オーラに反映していくものです。内面の変化からくるオーラの色ほどには反映度が強くありませんが、身の回りのものの色に、自分のオーラに取り入れたい要素(の色)を取り入れていくのも、有効な方法のひとつです。

オーラには、そのときの(移り変わりの多い)「状態」を表わす部分もあります。元気さというのは、もともとも性格的な要素もありますが、気分や感情などの「状態」とも関連します。おとなしい性格の人でも、やる気がみなぎってパワフルになっているときってありますよね。そちらの「状態」のほうは、周囲の要素からの影響も受けやすいので、そちらを活用するという考え方です。

内面の成長や変化も心がけながら(そちらが、大事です)、サポート的に、洋服の色などで、補っていくつもりで意識してみるとよいでしょう。

冷静さを取り入れたいときは、ブルー系の洋服や下着を身につける、元気さや集中力をつけたい場合には、赤を服装の一部に取り入れる、などです。よく身につけている色は、オーラにも反映しやすくなります。

内側からの成長や変化が一番大切ですが、同時に外側からの影響も考慮していくと、効果的です。反映の度合いはそれほど大きくはないけれど、手軽に取り入れることができますので、洋服の色を意識するのはオススメの方法です。

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2010年4月27日 (火)

少しずつ変化していけばいい。

髪型や洋服の好み、考え方や行動を変えて、新しい自分の人生を作っていきたいと思いながらも、他人の目が気になって、行動に移せない場合があります。

それぞれ、性格が違いますから、「他人の目が、とても気になる」方に、「気にするな!」といっても、そう簡単には割り切れないものです。

実際には、自分が思っているほどには、周りの人は自分のことを気にしていないものですが、中には本当に口うるさい人もいますし、あまり指摘されたくないとわかっていながら、わざと「あら?○○さん、珍しいわね。変えたの?」と、お昼のメロドラマのような意地悪をする人なども、いると思います。

そういう場合には、一気に180度の転換をしようと思わず、周りに指摘されない程度に、「計画的に」スローペースで、変わっていけばいいと思います。

いつもと違うテイストの洋服を、週に一回だけ着るようにして、しばらくしたら、ペースを上げて・・・とか、持ち物や化粧品も、少しずつ変えていくようにすると、「いかにも、変わりました」感が薄れ、自然に馴染んでいくことができます。

本来は、そこまで、他人の目を気にせず、今の自分に合う服装や行動をしていけばいいのですが、「気にしすぎる自分を直してから、変えよう」などと思っていると、結局いつまでも行動に取り掛かることができないまま、時間が過ぎていき・・・、自分自身のモチベーションも、保てなくなり・・・、元の「変わらなくてもいいや」という状態に、戻ってしまうものです。

それなら、少しずつでも、計画的に、目立たないように、行動につなげていった方がいいと思います。

そして、実際に変化のための行動をしてみると、自分が思うほどには、人からいろいろ言われたりはしないものだと分かり、「他人の目が怖い気持ち」も、いつの間にか、過去のものとなっていくでしょう。

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2010年4月26日 (月)

需要を満たす立場になれれば、仕事は成り立つ。

仕事とは、誰かのニーズを満たすことで成り立ちます。誰かが、「何かを、頼みたい」と思ったときに、自分がご指名にあずかる立場を確立する。そうすれば、成り立っていきます。この考え方は、会社で雇われて働く場合でも、自営する場合でも同じです。

たとえば、「今日は、家以外で食事をとりたいな。どこかに、食べに行こうか」と思ったときに、「そうだ、○○町のレストランがいい。あそこはおいしいから」と、思い出してもらうことができれば、お店が成り立ちます。

相談業についている方ならば、困ったことが起こったときに、「○○さんに相談してみよう」と思ってもらえる立場になれば、依頼がくるでしょう。

会社内なら、上司が、仕事を頼みたいと思ったときに、「この作業なら、○○君が適任だ」と思ってもらえる立場になることです。領収書の処理について不明点があれば、経理担当者に聞きますよね。同じように、パソコンの調子がおかしければ、システム担当者が呼ばれます。しかし、隣の席に、パソコンに詳しい人がいれば、専門家を呼ぶ前に、その人に声をかけて、直してもらうこともあるでしょう。

「パソコンの調子を、得意な人に直してもらおう」というニーズが生まれたときに、頭の中に思い浮かぶのが、システム担当者、という選択肢であれば、そちらに依頼するでしょうし、隣の席の○○君が思い浮かべば、その人に頼むことになります。

一般的に、自分以外の人に何かを頼むときは、「より自分に近い、内輪の範囲で、(それが可能ならば)済ませたい」と考えるものです。シス担を読んで、状況を説明する手間をかけるより、隣の席の○○君に直してもらえるならば、そうしたいと考えます。

とても広い範囲で、一番にならなくても、「相手に需要が生まれたときに、自分を思い出してもらえれば、ご指名が掛かる」ので、仕事は成り立っていきます。

誰かが、「何かを、頼みたい」と思ったときに、自分にご指名にあずかる立場を確立する。そして、その指名者は、なるべく内輪で済ませたいと思っているから、飛びぬけて一番の資質を発揮しなくても、そこそこで満足する場合も多いもの、と認識しておく(余計なプレッシャーを抱え込まなくてもいい)。

ポイントは、そこなのです。自分が(相手の需要に対して)提供できるものをアピールできれば、「指名される人」になれますから、仕事は成り立っていくのです。

自分が提供できる要素は、何と何があるのか、その相手は誰なのか、その人に「自分が指名される」には、どうすればいいのかを、考えてみるとよいでしょう。

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2010年4月25日 (日)

新たに何かを得るよりも、今ある不要なものを除くことが先。

自分を高める要素のあることすべてに共通して言えるのですが、「何かを新たに得る、身につける」ことも、もちろん大切なのですが、それと同じくらいか、もしくはそれ以上に、「今ある、不要なものを取り除く」ことも大切です。

新しい何かを得ることで、新しい自分になれる・・・と、考える方は多いですが、(その考えが、間違っているとは言いませんが)、自分が抱えられる量には限りがあることも理解しておくことが大切です。

「外的要因によって、自分が変わるはず」=「外的要因がなければ、変わることができない(変われないのは、自分のせいではない)」という、認識の仕方そのものを、取り除くほうが近道だったりもします。

たとえば、とても散らかっているお部屋の中に、新しい収納家具を増やしても、整理整頓するための器は増えますが、そのことと、実際にお部屋の中が片付いてキレイになることは、別問題ですよね;。

片付け作業も、外的要因をあてにして、プロの業者さんに頼んだとしても、その時だけは片付くでしょうが、自分の「散らかしグセ」を変えないことには、いずれまた同じになります;。外から何かを得ることのみで、改善を図ろうとするのは、それと似ています。

まずは、今ある不要な要素を除くこと、上記の例で言えば片付けの習慣をつけることのほうが、よほど効果が見られると思います。

先に新しいものを得て、それから不要なものを除くという順序でも、もちろんOKです。しかし、狭い部屋(しかも、散らかっている状態)に、大きな収納家具が搬入されても、置き場所が定まりません。古い家具を外に出すにも、入口に陣取っている新しい家具を、もう一度外に出さなければならなかったりして・・・、効率が悪いことこのうえなし、です;。

ご自分の資質を向上させたい場合も同じで、何かを外から得ることよりも、まずは、「遮っているものを取り除くこと」が先決です。ネガティブな感情や思考、過剰な自意識なども、オーラをくすませます。それらの要素が除かれれば、下から備えている資質は、大いに発揮されやすくなります。

今は、物も情報も、たくさん手に入りますから、多くの方が「抱え過ぎ」になっています。それに気づかず、「まだ不足している。なぜなら、幸せではないから。思い通りになっていないから」と思って、新たに得るもので満たされようとしています。

しかし、何でも雑多にたくさんあればいい、というものでもないのです。必要なものはいいですが、不要なものは、抱えれば抱えるだけ、思い通りにならない状況を上塗りしているだけではないでしょうか。

(不要なものを除くより)先に新しいものを得る形式が有効になるのは、上級者のみです。先ほどの家具の搬入の例ではないですが、「器が大きい」人は、作業スペースが確保できるため、入れ替えは容易だからです。

小さな器の中では、新しいものを入れたことにより窮屈になり、身動きが取れにくくなります。まず、「今ある、不要なものを除く」ことです。どれが不要なのか判断がつかない人は、同じように、どんな新しいものを得たらよいかの判断もつかないと思いますので、その状態で、仮に新しいものに手を伸ばしても・・・、「活用できないアイテム」が増えるだけで、「抱え過ぎ」を増長させるだけとなります。

思考や感情の領域も、お部屋の整理整頓と同じように、定期的に、不要なものを除くことが有効です。新しいものを得るのは、その後でも十分ですし、スッキリした状態で思考すれば、今の自分にぴったりのものを選ぶことができますし、何をするにも効率がよくなります。

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2010年4月24日 (土)

大人っぽい感性の子が、親に求めている「ひと言」。

私たちは、肉体をもった霊的な存在であり、過去から続くたましいの歴史というものがありますから、この世に生まれた瞬間に、知性や感性がゼロからスタートするわけではありません。

今回の人生の、人としての経験はゼロから始まりますが、性質や性格、カルマなどの要素は、すでに備えている部分があります。そのため、肉体の年齢は子供でありながらも、大人っぽい感性を持っている子も大勢います。

そうはいっても、肉体の年齢を重ねないうちは、「今回の人生の経験値」が不足しているので、その感性を大人レベルに発揮することは、普通はできないものですが・・・。

ご両親がとても忙しくて、お子さんに手をかけて差し上げる時間が少ない場合、もしくは、他にご兄弟がいて、そちらを優先する時間が多く、「大人っぽくて、物分かりのいい子」が、我慢をしているような状態のとき、心がけてほしい「ひと言」があります。

それは、「我慢してくれて、ありがとう」という言葉、もしくは、「お母さんは、あなたが我慢していることを、知っていますよ」という、態度です。

大人の顔色を見ているような子は、親の負担にならないように、とか、手間をかけさせると悪い、お母さんもつかれているはずだから・・・とか、人を思いやる気持ちがあるため、「自分が耐える」ことを、選んでしまいがちです。

しかし、いくら大人っぽいといっても、「まだ、子供」なのです。本当は、いろんな欲求もあれば、甘えたい気持ちも、わがままを通したいことも、あります。その気持ちを我慢して、物分かりのいい子になり、親の負担を軽くしようと思っているところを、親が、「この子は、おとなしいから」「弟に手が掛かるから、しょうがない」のような態度をしたら、まず間違いなく、その子は、トラウマを抱えます。

そういうタイプの子は、必ずしも、手のかかる弟と同じ扱いをしてほしい、と思っているわけではないのです。親の負担になりたくない気持ちはありますし、弟に手が掛かることも、しょうがない、という気持ちも持っています。求めているのは、「我慢している自分を、分かって」もらうことです。お母さんのために、我慢してるのですから・・・。弟のために我慢しているのではないです、お母さんのためです。

こういう子は、たったひと言で救われます。お母さんが、「自分が、お母さんのために耐えている」ことを、知っていてくれたら、満足します。

大人になって、社会に出れば、頑張っても(表面的に見れば)報われない、と感じることは山ほどあります。けれど、小さな子供にとって、「耐えた自分が、報われなかった」という感情や記憶は、あまりに重いものとなります。

ましてや、それが、他人ではなく、愛する自分の母親ならば、なおのこと。こういうことから、人間不信感がつくられ、大人になった今も苦しんでいる人が大勢います。

人間関係でトラブルを抱えたり、大人になりきれない人というのは、性格が幼い人や、機能不全の家庭で育った人ばかりとは限らないのです。「物分かりのいい子」ゆえに、親が、かけかなったひと言を、いまだに求めて苦しんでいる・・・、そういう人もいるのです。今、子育て中の方は、是非とも考えてみてください。

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2010年4月22日 (木)

スピリチュアルな生き方が、窮屈に感じる時期もある。

スピリチュアルな生き方を実践して、一定期間が過ぎた皆様が、よくおっしゃるのですが、「スピリチュアルな知識によって自分は変わったとか成長した、と思う気持ちもあるが、反面、知らない方が楽だった・・・、と、思ってしまうこともある(笑)」、と。

その気持ちは、・・・大変よくわかります。私自身も、そういう時期がありました。

何をやるにしても、相手の気持ちを考えてしまったり、「あ、これは言わない方がいいかな・・・」とか、「自分も過去に同じようなことを、してしまったかも・・・」と考えすぎて、身動きが取れなくなり、スピリチュアルな法則に、納得がいくような、そうでないような(笑)、ビミョウな気持ちになってしまう時期があります。

そんなとき、スピリチュアルな法則によって、成長できた自分を感じながらも、一方で、何も気にせず、自己中な言動をしている人達が、(スピリチュアルな法則に従って生きていこうとしている)自分よりも、「自由」に思えてしまうことがあります。

なんか・・・、不公平さを感じてしまったり、しますよね;。それは、思い込みであり、勘違いなのですが・・・。

たとえば、恋愛に情熱的にのめりこみ、大きな情念と苦しみの中にあった時期と比較すると、「人間関係は、腹六分目がいい」とか「相手の欠点は、鏡」とかの、冷静な視点が加わると、ある部分においては楽になれるかわりに、100%夢中にはなりきれない、という、寂しさみたいなものを感じる方もいるでしょう。

いい意味で力が抜けるかわりに、何も知らない頃と同じではいられないという別の責任感が生まれますからね。

しかし、そのように感じる気持ちも、ほんの一時のこと。さらにその上の見地に立てるときが、いつかまたやってきて、今までのことすべてに意味があって、必要な経験をして成長することができた、と、納得できる日がやってきます。

転んで痛みがわかるように、失敗して成功を志す気持ちが強まるように、周りが見えない時期にも意味があり、そして、周りが見渡せるようになる時期にも、別の意味があります。それぞれ、ふさわしい時期に、新たなサイクルへと移り変わっていくようになっています。その日を楽しみに待ちながら、他人と比較しない「自分の学び」をしていくことが大切だと思います。

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2010年4月16日 (金)

決断は、「今」でなくても大丈夫。

迷いが大きく、すぐに決断することが難しい場合には、無理をする必要はありません。少し時間を置くほうがいいこともあります。

物事にはふさわしいタイミングがありますから、何でも早く取り掛かればいいというものでもないのです。無理をして決めると、後になって「こんなはずではなかった・・・」とか「別の選択肢を選んでいたら、どうなっていただろうか」という気持ちが出てきてしまうこともあります。

すぐには決められないならば、「今は、ベストのタイミングではないのだ」と思って、少し視点をずらして、他のことに取り掛かってみてはいかがでしょうか。

国語の宿題が難しくて、なかなか進まない場合、そこで頑張り続けるよりも、視点を変えて、英語から先に取り掛かったほうが、気分転換にもなり、効率よく進んでいく場合もあります。

意図的に、少し後回しにしてみるのですね。どうやっても決まらないことを、深刻に考え続けて、「決断のための思考」のはずが「思考のための思考」になり、気力が消耗してしまうよりは、そのほうが有意義になります。

しかし、決めなければならないことを、いつまでもダラダラと後回しにしてしまうのは、よくありません。その場合は、「期限を決めて」一時保留をするほうがいいでしょう。

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2010年4月15日 (木)

感応力が高すぎて、集中できにくい人もいる。

直感力が優れている方、気が利くタイプの方など、霊的な感応力が優れている人ほど、ひとつのことに集中しにくい傾向があります。

あれもこれも閃いてしまって、次々にアイデアが湧いたりしてくるので、傍から見れば、飽きっぽくて移り気な人のように思われてしまうこともあるでしょう。

受信機が発達しているので、ちょっとしたこと、たまたま目にした雑誌の文章や、テレビの一場面など、多くのものが、容易に琴線に触れてしまい、思考力も労力も分散します。エネルギーに感応しやすく、たまたま近くにいる人や、そこらを浮遊してるような無関係な想念など、何でも反応してしまい、すぐに気が散ります;。または、常に、何かを考えていて、「無」になる瞬間がほとんどありません。

感応力が優れているのは、素晴らしいことではありますが、いつも何かに反応していて、神経が休まることがありませんし、雑念だらけになってしまって、「本当に必要なこと」を考えるための気力がなくなってしまいます。

本当に必要なことのために、感応力という資質を活用するためには、物事の優先順位を決めて、高い順に取り組むという段取りを決めて実行していくなど、「思考や作業の流れ」を作り上げていくと、多少は集中しやすくなります。

また、意図的に、「雑念を排除するよう、セルフコントロールをしていく」ことも大切です。自分がまったく無関係の雑念的思考をしていることに気づいて、「あ、また考えている」と、どの都度リセットしてみます。

でもまた、1分もたたないうちに、別の雑念が浮かびますが(笑)、それでもかまいません。また浮かんだら、またリセット、とにかく「考え続けることを、やめる」ようにするだけでも、かなり違ってきます。

感応力がよいのは、全般的にはありがたい資質ですが、それ故に、集中力には欠けてしまうことが多いので注意しましょう。雑念をいつもあれこれ考えて気が散っている人は、それだけ、自分の気力や思考力を、建設的ではない方向に消費している、ともいえるのですから。

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2010年4月12日 (月)

その道の、第一人者になる。

今の時代は、世の中のニーズが、早いサイクルで移り変わっていきますので、次々に、「新しいもの」「新しいビジネス」が、生み出されています。

インターネットが一般家庭に普及するまでには、かなり長い期間がかかったと思います。その後に登場した、「ブログ」というシステムが一般的になるまでにも、やはり数年かかっています。

しかし、さらにその後の「ツイッター」になると、あっという間に広がりました。「新しいもの」が作られていき、それが広まっていくスピードは、どんどん加速していくものだと思います。

いろいろなお仕事のご相談をいただきますが、全体的に、今までの日本社会に多かったであろう「前例の踏襲形式」ビジネスが、あまり通用しなくなっていき、新しいものに対応するフレキシブルな機転や応用の力が求められている世の中になっているのかなぁ・・・と、そんな風に感じます。

モデルケースが少ない仕事は、苦労も多いことと思いますが、しかし、その分、「過去の実績と比較されない」ので、担当者の心理的負担の面で、取り組みやすい部分もあるかもしれませんし、そして何より、仕事がうまくいけば、その分野の「第一人者という立場になれる可能性」もあります。

社内で、もしくは業界内で、「○○分野といえば、あの人」といわれる立場になれると、その分野で活躍できることは当然として、さらに、その後、どんな仕事をやるにしても、一目置かれるので、有利になります。

そうなるためには、大きな努力は必要ではありますが、得られるリターンも大きいものがあります。新しい分野に携わる場合に、「その道の、第一人者を目指す」という、二次的な目的意識も持ってみるのもよいと思います。

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2010年4月 9日 (金)

理不尽を経験することにも学びがある。

世の中には、理不尽さを感じることがたくさんあります。真面目に頑張っている人が認めらないこともあれば、手を抜いている人が出世していくこともあるでしょうし、他人のせいで自分が怒られたり・・・と、そういう事象はいくらでもあります。

そんなとき、怒りがわいてきたり、相手を憎む気持ちになったり、いろいろな感情がわきおこってきて、自分だけが損をしているような気がして、不公平感にやりきれなさを感じることもあるでしょう。

けれど、「世の中とは、そういうもの」なのです。理不尽が横行しているのが、世の中であり、会社という営利目的の組織です。

世の中には大勢の人がいて、それぞれの独自性を発揮して生きているのですから、同じ考え方にならないのも、ときに意見の対立が生まれるのも、誤解や曲解も、「起こり得ること、あり得ること」という認識で考えておくことが大切です。それが、ある意味、人として成熟している感性、でもあると思います。

理不尽さを甘んじて受け入れろ、という意味では(必ずしも)ありません。しかし、同じことに対して、理不尽だと感じる人もいれば、何とも思わない人もいるわけで・・・、この「理不尽」という概念も統一された基準はない以上、どうやっても、多少のトラブルやいざこざは、発生してしまいます。大きなトラブルではないなら、許容範囲だと考えていかなければ、この世を渡っていくことが困難になるでしょう。

頑固に理屈やきれいごとだけを押し通そうとしては、「世間知らずで、空気の読めない人」という、ありがたくない評価をもらってしまいます;。「理想を言えば、○○であるのが望ましい」とは、誰もが分かっているのです。しかし、現実と理想は、同じにならないこともありますよね。だからこそ、そこに思考や感情が生まれて、私たちは成長することができるともいえます。

すべてが順調で、何の葛藤もなければ、深く考えることも自分を省みることもせず、惰性で過ごしてしまいます。いろいろな葛藤があるなかで、理解力や応用力が鍛えられ、人から理不尽な言動を受けてしまうという経験から、「自分は、他人にはそういうことはしない」という感性をも、身につけることができるのだと思います。

そこまでの境地に至ると、多少の葛藤があっても、いらだつことがなくなります。他人の言動に、(まったく何の影響も受けないことはムリですが)大きく感情を上下させられることがなくなり、いい意味でクールになれます。

いろいろな葛藤がある「この世の中」という場所で、私たちは、みずから「精神を鍛えられるために、学びに来ている」ことを、忘れないようにして、いろいろあっても、必要以上にこだわらず、受け流して前を向いていくようにしましょう。

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2010年4月 7日 (水)

会社という組織の一員である、という考え方。

「私がいなければ、あの会社は立ち行かない」「業績は、私の力によるところが大きい」などの気持ちは、ほとんどが本人の過剰な思い込みによるものです。

実際に、そういう傾向があるとしても(その人の活躍に負うところが大部分だとしても)、その人がいなければいないで、何とかなっていくのが世の中というものです。

とても優秀なビジネスマンで、「あの会社は、○○さんでもっているようなもの」と言われるような方でも、「××株式会社」というバックグラウンドがあってこその「××会社の(優秀な)○○さん」であり、本人の実力だけで名声を得ているわけではありません。

「あの会社は、○○さんでもっている」という話は耳にすることはあっても、「あの会社は、○○さんがいなくなってから傾いた」という話は、あまり聞いたことがありません;。

優秀な方ほど、ライバル会社からの引き抜きなどもあるでしょうけれど、それでも、いなくなったらなったで、代わりの方が出てきて、仕事は進んでいくのが組織というものです。

世の中の多くの仕事は、「代わりがいる」ものです。重要な仕事を担っていた人が会社を去っても、直後の多少の混乱はあるにしろ、それでも何とかなっていくのが世の中であり、組織(会社)なのです。そうでなければ、成り立っていきません。

仕事は、自負心をもって、「私がやらなくてどうする!」くらいの気持ちで、意欲的に取り組むことは、大切だと思います。しかし、「そのくらいの意気込みで取り組む」ことと、「本当にそうと思いこんで過信する;」ことは違いますので、その点は勘違いしないよう、会社や世の中という、組織の一員である自分、という視点も、忘れないようにしましょう。

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2010年4月 6日 (火)

出力よりも、入力を優先したほうが適している時期もある。

人生には、いくつかの「周期的な傾向」が見られます。そのうちのひとつに、「インプットの時期~アウトプットの時期」というサイクルがあります。

インプット(入力)は、取り入れる、蓄える、身につける、準備する、学ぶ、計画を立てる、集める、などの要素が挙げられます。

アウトプット(出力)は、実行する、活用する、発揮する、表現する、働きかける、作用させる、などですね。

この、二つのサイクルが、繰り返されるという流れがあって、その境目が色濃くはっきりと区分けされるかのような時期を、「転機」とか「節目」と呼んだりしています。

境目そのものが、イコール=転機、というわけではないのですが、通常、それらは同時期に起こり、お互い(転機と、境目)が、お互いの呼び水的要素となって連動しているようです。

このサイクルを把握し、意図的に活用していければ、物事を(ときに、人生そのものを)効率よくクリエイトしていくことができます( ̄∀ ̄)。

以前にも書きましたが、「インプットに向いている時期」と、「アウトプット」向いている時期」というサイクルがあり、それらに見合った行動や思考をしていくと、様々な出来事がスムーズに展開しやすくなっていきます。

それらの周期的な流れ、サイクルが根底にある以上、かみ合わない行動を無理に行っても・・・、空回りになりやすかったりします;。

人は、基本的に、「表現したい意思」を持っているので、ともすれば、アウトプットの方向にばかり、どんどんアクセルを踏み込んでしまう傾向があります。また、仕事というのは、「(需要に対して)供給するという作業」ですから、表現、供給、という要素に触れている比率が高いため、やはり、「常に、アウトプット」の方向にスイッチが入りやすいものです。

しかし、出力するものが備わっていてこそのアウトプットであり、何も新しいものを取り入れず、学ぶこともしなければ、いつか、出力はうまくいかなくなります。

「どうも、上手くいかない」「空回りしているような気がする」「以前は、(同じやり方でも)とても上手くいったのに、急にブレーキが掛かるように停滞しだした」と感じる場合には、「今は、出力よりも、入力の必要がある時期」なのかもしれない、と、考え方を変えてみることも有効だと思います。

そして、いろいろな知識を仕入れたり、新しい経験をしたり、自分自身を満たすなど、さまざまな取り入れをしていけば、また、ふさわしい時期に、「出力モード」のタイミングがやってきて、自然にスイッチが切り替わっていくことでしょう。

入力する装置の容量が大きい人は、ごく自然に、インプット~アウトプットのサイクルを切り替えていくことができ、その波もあまり極端な上下にならないものです。なぜなら、アウトプット(活用や実行)をしながら、インプット(新しい学び)を、同時に行っていけるから、枯渇することがないためです。最低限の微調整で、そのあたりを、うまく切り替えていけるので、傍目からは「いつも、順調」に見えたりします。

容量の大きさというのは、人間力の大きさで決まります。文字通り、「人としての器(うつわ)」です。

インプット~アウトプットというサイクルを意図的に活用してみてください。そうすると、流れに合わせている状態が自然になり、そうなると、上下の波が極端にならず、じっくり腰を据えて、活躍していくことができるでしょう。

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2010年4月 5日 (月)

オーラの明るさと、比率による性質の表れ方。

本質を表わすオーラの色は、その人の性格や性質などを表わします。色の違いに優劣はなく、大切なのは「明るさ」や「透明感(くすみのなさ)」です。同じ色でも、明るく輝いているか、暗く陰っているかで、そのときの言動や思考に違いが出てきます。

オーラの話から少々外れますが・・・、短所と長所は表裏一体、同じ事柄が良い方向に発揮されることもあれば、逆もあります。優しい人は押しが弱いものですし、お金もちな人はケチだったり(笑)・・・、同じ要素でも極端になれば、それを短所と呼ぶ、ということだと思います。

オーラも同じで、明るく輝いている分には、どの色も、「いい色」なのです。そして、どの色も、くすんでしまうと、同じ要素が短所になりうるのです。

例えば、青いオーラは、明るく透明感のある状態では、知的でさわやかで真面目な行動や思考に繋がっていきます。しかし、くすんだ色になると、悲観的になったり、妙に心配性になったりして、「どうせ、私なんてダメだわ・・・」という考え方になったりします。真面目さが、自己否定の方向に出てしまうのですね。

または、ひとつの色だけが、飛びぬけて比率が高くなってしまうと、その色の持つ傾向が極端に現れて、それもまた、バランスが悪い思考や言動に繋がることもあります。

例えば、緑のオーラは、明るい状態では、安定や平和を愛する人の色なのですが、くすんでしまったり、または、緑のオーラだけが比率が高くなりすぎると、平和主義ゆえに、冒険心が薄れて、刺激を遠ざけ、無難な選択ばかりしてしまうこともあります。

オーラの明るさを保って、持ち合わせている性質がよい方向に発揮されることと、たくさんの経験を重ねていき、いくつもの要素を兼ね備えた人になることが望ましいです。

その時々の状況に合った要素をフレキシブルに発揮できたら最高だと思います。

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2010年4月 4日 (日)

本質を表わすオーラと、状態を表わすオーラ。

オーラというのは、体の周りを覆っている(ように見える)スピリチュアルなエネルギーです。

詳しく語ると、どこまでも細分化出来るくらいに、複雑で精妙なエネルギーの表れなのですが、大きく二つに分けることができます。「本質を表わすオーラ」と、「状態を表わすオーラ」です。

本質を表わすオーラは、頭の上あたりに見えます。その人の精神性、性格や資質の傾向、思考の習慣、霊性などを表わします。

性格や資質などは、一生を通じて、それほど大きく変化しない部分です。もちろん、精神的な成長があれば、変化はなされていきますが、日ごとにコロコロ移り変わったししませんよね。今日、能天気な性格の人が、三日後に緻密な性格になったりすることは、まずありません;。

一般に、「あなたのオーラの色は、○○色」という場合は、こちらの、それほど大きく変化しない、本質を表わすオーラの色をさすことが多いと思われます。江原さんの本では、霊体のオーラ、という表現をされていますし、人によりいろいろな表現があると思います。

状態を表わすオーラは、体の周りを取り巻いているオーラで、体調や感情など、都度変化する要素が反映します。

性格は、そう大きく変化しませんが、感情は、瞬間ごとに移り変わりますよね。今落ち込んでいても、1時間後には忘れているかもしれませんし、今日怒っていても、明日は楽しい気持ちになっているかもしれません。体調も、今日は疲れていても、一晩寝て起きたら元気になっていることもありますし、その都度、変化していきますよね。

このうち、「感情」は、頭の近くにあらわれます。頭の近くにあらわれる・・・というか、頭の近くが(私が)見やすい、だけかもしれませんけど;。

そのときの気分によって、オーラの大きさが大きくなったり小さくなったりしますし、色も、暖色系になったり寒色系になったりします。

オーラの色を述べる場合、先にも書いたとおり、「本質を表わす色」を中心に、そのときの気分的な要素、感情の表わすオーラを(必要があれば)加えてお伝えするのが一般的だと思われます、多分。

例をあげると、「基本のオーラの色は、穏やかさを表わす緑色だが、その時は緊張して不安になっていたようで、感情を表わす部分が、全体的に青っぽい色になっていた」とか、そういうふうに表現することができます。

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2010年4月 2日 (金)

苦難を乗り越えた人が持つ、オーラの輝き。

苦難を乗り越えて、たましいが大きく成長した方のオーラというのは、素晴らしい「輝き」と「深み」が映し出されているものです。

苦労が人を育てるとよく言いますが、まさしくそのとおり、苦しみ、悩み、泣き、笑い、そして乗り越えていく経験のすべてが、もれなくオーラに刻み込まれます。

本質を表わす部分のオーラ(の色)は、それほど頻繁にコロコロ変わったりしませんが、人生の節目となるような印象的で影響の大きな出来事を経験して、意識が変わっていくと、色が変化し、深みが加わっていくものです。

つまり、たくさんの経験、影響の大きな出来事を経験すればするほど、オーラはより多色になっていき、オーラ全体の質感もキメ細かくなっていきます。

色は、その人の性格や傾向を表わすに過ぎず、優劣はありませんので、「この色こそが、苦難を乗り越えた状態」というものは、ありません。むしろ、色以外の要素、全体的な大きさ、質感、そして独特の輝き(明るさ)として現れます。たくさんの苦難を乗り越えることで、人としての深みが増していくとき、オーラの密度もより細かくなります。

以前にも何度も書いていますが、クヨクヨと考えすぎたり、感情的なしこりがあったり、人を恨んだり妬んだり、こだわりが強いなどのネガティブな要素は、オーラをくすませてしまうものです。

望ましいのは、いつも明るく前向きで、こだわりを捨てて、今の自分にできる最善を尽くしていくことであり、そうすると、オーラは明るくなります。

では、もともと楽天的な性格で、細かいことを気にしない代わりに、少々KY(空気が読めない)で、周囲から、もうちょっと何とかしたほうがいいかも・・・と、思われてしまうような方はというと、そういうタイプの方も、オーラはくもっていなくて明るいことは確かなのですが、・・・深みが備わっていない明るさ、なのですね。

難を経験した人の、「独特の輝き」とは、「いぶし銀のような重厚さ」です。その深みは、人生経験をたくさんして、泣いたり笑ったりして、人として成熟していかないことには、どうやっても出ない輝きです。

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2010年4月 1日 (木)

婚活パーティーなどの出会い方が苦手なら、別の方法を探すほうがいい。

恋愛や結婚に繋がる出会いを求めていながらも、合コン、出会いのパーティーなど、「いかにも、そのためだけの出会い方」が苦手だとおっしゃる方も多いです。

自分の性格的な理由で、初対面の人とうまく話せないとか、会話が弾むか心配だからとか、集団の中で、自分をアピールすることが苦手という方もいます。

または、「いかにもな、合コンや婚活の場に参加するような男性が好みのタイプではない」という場合もあります。

前者の場合は、自分の会話力、コミュニケーション力を磨いていけば対応できるようになりますが、後者の場合は、「合コン以外の場で出会う」ように、意識を切り替えていく必要があります。

そういう場に来るような男性が苦手でありながら、無理に参加を重ねても、あまり効果的ではありませんよね。魚を探すために、山に出かけているような、ミスマッチが生じてしまいます。

ならば、それ以外の出会い方を積極的に考えていくように気持ちを切り替えていくほうが得策であり、「私は、そういう出会い方は苦手なのだが、無理にでも参加したほうがいいのか・・・?」と、考え込んで時間を費やすことがもったいないと感じます。

異性間に限りませんが、人との出会いの場所はたくさんあり、親しくなれる機会も無数にあります。お仕事を通してのご縁や、友人知人から広がる輪、そのほかにもたくさんの出会い方ができますから、たったひとつの方法のみにこだわる必要はありません。

コミュニケーション力に自信がないため、初対面の方達との会話に緊張してしまうために、そういう場が苦手だと感じる場合には、むしろコミュニケーションの経験値を増やすために、参加していくのもいいと思います。

「苦手だ」「嫌だ」と思うことも、そのまま漠然と放置せず、ではなぜ嫌なのか、どの部分が苦手なのかを見つめていけば、そのことに対する対応策が見えてきます。

あいまいなままにしておくと、合わない選択肢を取り除くことすらも出来ないまま、時間だけが過ぎていきます。自分自身を見つめていくと、本当にたくさんのことが「分かる」ようになり、現実的な意味での可能性が広がっていくものです。幅広く考えてみてください。

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