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2010年3月14日 (日)

見たくないのは、「光」か、「闇」か。

誰の中にも、肯定と否定、善と悪、ポジティブとネガティブなどの、逆の要素が両立されています。それらをひっくるめて、あるべき状態、望ましい状態に近い要素を「光」、逆にあるべき状態から遠ざかる要素を「闇」と称して、以下を書き進めます。

自分の中の、光を認めるのが苦手な人と、闇を認めるのが苦手な人がいます。

光を認めるのが苦手な人の特徴は、

・自分を過小評価する・褒められたり、持ち上げられたりすると居心地の悪さを感じる・(褒められると居心地が悪いので)人からの称賛を受け入れず否定する

・(自分が褒められる場面を避けるために)他者を褒めたたえる傾向がある・自分の至らない点ばかりを数え上げる

このように、「自分の中に、悪い要素があるので、望まない事態になる」という考え方をしますし、実際、そう納得することが、本人的に落ち着くのです。(世間一般に解釈されている意味での)原罪意識のようなものが強いのも、このタイプです。

すべての物事を、悲観的、自虐的とらえる傾向があります。自分の中にある、改善すべき要素を見ることは(認識が少々過剰気味ではありますが)得意ですが、良い部分や秀でている部分を認めていくことが苦手です。

闇を認めるのが苦手な人の特徴は、

・自分は他者からの評価が低いと感じている

・否定されたり批判されたりすると、絶対に許せない気持ちになる

・(批判されると許せないので)批判されたら受け入れず反論する

・(自分が批判される場面を避けるために)他者に対して批判的である

・他者の欠点が目につきやすい

このタイプの人は、不愉快なことが起こると、その原因をすべて他人のせいにする傾向があります。「自分の中の、素晴らしい要素を、他人が認めないから、望ましくない事態になる」と考え、自分に悪い原因があるとは考えません。

自分の中の、素晴らしい部分を認識するのは得意ですが、改善すべき要素が自分の中にあるとは考えたくないので、そのマイナス分を、(自己認識による素晴らしい部分の上乗せとして)他者からの評価を得ることで埋めようとします。

光を見るのが苦手な人も、闇を見るのが苦手な人も、どちらも、自分から「逃避」しているという点では同じです。しかし、「何から、逃避しているのか」が違えば、解決のための手法も違ってきます。

どちらのタイプも、表れ方が極端になれば、人付き合いの上でのトラブルや悩みを抱えてしまうことなになります。

その場合の解決のための考え方として、他人を変えることはできないので、まずは自分を見つめていくことが大切となりますが、「何を、見つめていけばよいのか」、つまり「何から目をそらしているのか」を、正しく認識していく必要があります。

広いとらえ方である「自分を見つめていく」という枠組みから、もう一歩踏み込んで、「何を」という点を、考えてみるのですね。その点が、人づき合いの改善のため、もしくは自己の向上のための、はじまりのはじまり、になると思います。

その点を、あいまいな、「自分を見つめて・・・」という広いとらえ方にしてしまうと、認識として間違ってはないけれど、ピンポイントではないので、実践につなげていきにくいケースも出てくると思われます。

ちょっと話題がずれますが・・・、上記の項目、「光を見たくない人」と、「闇を見たくない人」の内容をみると、ある点に気づく方もいると思います。・・・そう、この両極端のタイプは、お互いがお互いのニーズを満たしあって、「よいコンビ」になってしまうことがあります。共依存、というのでしょうか、そういうパターンも結構見られます。

誰の中にも、両方の要素があるものだと思います。よりどちらが強いか、という区分けに過ぎませんが、自己分析のために、このような考え方も行ってみてください。

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