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2010年3月 8日 (月)

試されているのは、柔軟な対応ができるか否か。

自分が、楽しいときや幸せなときに、人に親切にすることは、さほど難しくはありません。心に余裕があれば、人を思いやることができます。

そうではないときにも、やさしく接することができるか、そこに「たましいの成熟度」があらわれると思います。

普段は親切な方でも、自分に余裕がないときには、「私だって、困っているのに」「こっちが助けてほしいくらいだ」「なぜ、私が、あなたの面倒まで見なければいけないのか」と、思ってしまうのは仕方ありません。

しかし、そんなときに限って、頼まれたり、依存されたり・・・、神経を逆なでされるような出来事が、起こるわけですよね、まるで、「試されている」かのように。・・・っていうか、実際、試されてる(から、そういうことが起こる)のでしょうけれど。

他人のために尽くすのは、すばらしいことですが、自分のことを後回しにしてまで、他人を優先すべきか、というのは一概には判断できません。お互いが抱えている問題の、重要度や、緊急性によりますし、その価値観は一定ではありません。誰でも、「自分の苦労は大きくて、相手の苦労は小さい」と思うものです。

どうしても相手の希望の添えない状態のときに、「私だって、こんなに大変なのにっ!」と感情的になってしまうか、それとも「ごめんなさい、今はどうしても、手を貸すことができない状況にある」と、やわらかく断ることができるか、そのあたりが「試されている」のだと思います。決して、「自分を犠牲にして、相手を全面的に優先させることができるか、という試練」ではないと思います。

もし、相手が、あなたが手を貸してくれないことに怒ったとしても、そんなに気にすることはありません。その人も、「自分のことばかりではなく、相手の都合も考える」ことを、学ばなければなりません。

一時的に感情の行き違いがあったとしても、相手が本当にあなたのことを信頼しているのならば、いつかきっと分かってくれます。そのまま、あなたを逆恨みして疎遠になってしまうような人とは、最初からその程度の関係でしかなったのです。

何でも手を貸してあげることが、相手のためになるとも限りませんし、相手の依存心にノーをいうことのほうが、結果として相手のためになることもあります。…一時的に、恨まれるとしても、です(笑)。

ですから、そういう場面に遭遇したとき、学ばなければならないのは、手を貸すか否か、という点だけではない、その裏側にある動機、相手によく思われたいとかの損得勘定とか、私だって大変だという、少々自己中な気持ちなども含めて、だと思うのです。

自相手の言動に感情的になりすぎず、柔軟さと落ち着きをもって考えていけば、その場面にふさわしい、自分の取るべき行動がわかるのではないでしょうか。

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