« 引っ越し先の物件探しは、自分の波長が高いときに。 | トップページ | 霊的影響を受けやすい体質の人は、飲みたくなったり、食べたくなったりする? »

2010年2月 9日 (火)

前世の影響で、この世が「生きにくい」と感じる人もいるけれど・・・。

前世で、精神的活動や宗教的行為に身をささげていたような方、例えば、僧侶だったり、修道士だったりの経験がある方は、今の人生を、とても生きにくいと感じてしまう方も多いものです。

物資至上主義が蔓延し、いかにして自分だけが得をするか、たくさんの物を得るかに血眼になっている人があふれている世の中に、うんざりなさるのでしょう。そんな世の中に存在している今の自分に、大きな違和感を覚え、「ここは、自分がいるところではない」「本当の自分ではない、仮の人生を生きている気がする」などと、感じたりします。

(前世での経験があるため)もともと、精神的なことを理解できる素地を、たましいが備えているので、スピリチュアルなことに関心が高くなり、どうかすれば、大きく傾きすぎて流されてしまう方もいます。「ここにいるべきではない、自分」が、本来いるべき世界を、そちらの方向に見出そうとします。

スピリチュアリズムも、過剰にのめりこむと、生きるための力とならずに、ますます気持ちが「現実」から離れていきます(私は、基本的に前世はこだわらないほうがいい、という考え方をもっていますが、それは、このような短絡的理解を危惧するためです)。

前世の流れを引き継いで今回の人生があるのは確かですが、私たちは、「自分で望んで(今回も)生まれてきている」ことを、忘れてはいけないと思います。

つまり、この物質至上主義の時代と、文明国である日本という国を、「たましいの学びの観点から、選んで」生まれてきているのですから、「馴染めない、合わない」「私は、前世が僧侶だから、物質社会を捨てて、精神世界に生きていたい」というのは、たましいのカリキュラムの放棄ではないでしょうか。

「合わない」「生きにくい」のは、分かります。それは確かにその通りだろうと思いますが、だからこそ、合わないものにも立ち向かい、生きにくい中で生きていくという、経験をするために、今回の人生を選んでいるとも言えます。

精神的な世界のみに生きているのが、たましいの望みならば、そのことが可能となる時代を選んで生まれてきていたはず。今の時代に生まれているのは、そうすべき課題があるからです。前世で、僧侶等の人生を経験し、それなりに得るものがあったして、また次も、同じような人生を経験しようと思うとは限りません(資質を活かそうとする場合も、もちろんありますが)。

逆に、その世界特有の窮屈さを感じた経験から、次の人生では、のびのびと自由な選択ができる時代と国で過ごそう、と計画することもあるでしょう。そのあたりは、ケースバイケースですから、一概には言えませんが、必ずしも前世と似たような経験をすることが、たましいの望みとは限らないのです。

ひとつ確実なのは、「今回の人生の状況は、他でもない自分自身が決めてきたこと」であり、「生きにくい感覚」や「今回の人生への違和感」すらも、経験すべき学びのひとつである(かもしれない)、という点です。

そのことを踏まえた上で、それでも精神世界の方向に、大きく人生の舵を取りたい、と思うなら、・・・それでもいいでしょう。人生に、明確な正しさも間違いもありません。それぞれの後ろの方達が、導いていきますから、学びとなる道ならば開かれ、そうでない道は閉ざされる、という軌道修正は、なされていくはずです。

あまり精神世界に傾倒しすぎても、学びは進まず、むしろ遅れてしまうのでは・・・と、私などは思ってしまうのですが・・・、それもまた、その人の人生における学びのプロセスなのかもしれず、すべては「自分次第」でしかないのだな、と思っています。

|

« 引っ越し先の物件探しは、自分の波長が高いときに。 | トップページ | 霊的影響を受けやすい体質の人は、飲みたくなったり、食べたくなったりする? »

07.前世・守護霊」カテゴリの記事