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2010年2月の10件の記事

2010年2月26日 (金)

霊感は、うつる(伝染する)もの?

霊感というのは、もともとの個人的資質であって、後付けする要素ではありません。

しかし、「霊感の強い人と親しくなると、いつの間にか霊感が高まった」という話は、真偽はともかく(笑)よく聞くことだったりします。

うつる、伝染する・・・という表現は、適切ではないような気もしますが( ̄∀ ̄;)、霊感の強い人の影響で、周囲の人たちに波及していく可能性はありえます。

人との交流というのは、オーラの交流でもあります。お互いに、影響しあい、作用しあっていきます。以前にも書きましたが、オーラの大きい人は、他者へ働きかける影響度も強くなります。霊感の強い人は、平均よりも大きなオーラをしていることが多く、「相互作用」している中でも、働きかける比率は高くなる可能性はあります。

霊感が強い人のオーラに触れることで、自分の中に備わっている霊感(大小の差はありますが、霊感は誰にでもあります)が、刺激を受けて、揺り動かされ、今まで使われずに眠っていたものが、活性化していくことは考えられますよね。

そういう意味で、「うつった」ような感じに思えるのでしょうが、相手の資質を取り込んで自分に固定させているのではなく、自分以外のエネルギーという刺激があって、自分の中のものが高まった、ということだと思われます。

その高まった感覚の持続も、一時的な場合もあれば、長く続く場合もあり、一律ではありません。その時々で違うと思いますし、個人差もあるでしょうけれど、「霊感が強い人と一緒にいると、自分も感覚が鋭くなる」ことは、あり得る現象ですね。

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2010年2月25日 (木)

スペシャリストタイプが、自分の道を見つけるまでの考え方。

以前に、タワー型と、ピラミット型の人がいて、それぞれ、道のりに特徴がある、と書きました。

タワー型とは、その道一筋の専門的な生き方をするタイプ

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ピラミッド型は、幅広くいろいろなことにかかわって、要素を統合していくタイプです。

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タワー型タイプは、自分が情熱を注ぐことのできる「その道」を、見つけられると強いのですが、「その道」をなかなか見つけられず、苦労しているケースも多いです。

今の世の中は、便利で、素人が自力で何とかやれてしまうことも増えてきたため、専門職的な仕事自体も減りましたし、それに、タワー型タイプの方が、必ずしも「仕事上」で資質を活かす形になるとは限りません。

金銭をえる目的の仕事(適職)にはあまり向いていない分野の資質として備えている方もいますので・・・、その場合は、天職として関わっていくことで、バランスが取れていくこともあるでしょう。

ピラミット型は、新しいことに次々関わることに躊躇がないのですが、タワー型はそういうノリがもともと好きではないので、「その道」を見つけるまでの、「模索期間」に苦しむ人もいます。自分探し中である自分自身が許せなくなったり、悲観的になったりします。ブロックを上に積み上げず、横に並べていくような生き方には、自分的に馴染みにくく、違和感が大きく感じられたりします。

ピラミッド型からみれば、なぜそんなことで?と思うかもしれないけれど、そこが性格、性質の違いであって、どちらがいい悪いという話ではないのですね。なので、タワー型で自分のめざす道を未だ見つけられない方は、上記の点を「分かった上で」、自分の現時点での立ち位置を納得し、チャレンジしていくことが望ましいです。それが一番、本人の納得にもつながります。

このタイプの方で、「その道」模索中の方に、例えば「いろいろなことに、幅広くチャレンジしてみたら?」などのアドバイスは、あまり有効にならない場合も多いのです。

次々興味が移り変わったりしない性質をもっていますので・・・、視野を広げることは大切ですが、浅く広くという興味の持ち方をしませんし好みませんので、満足感に繋がりにくいのですよね。

ある問題や心配事があって、決をするためには、「その問題に、ふさわしいアプローチ」が必要です。上記の例でいえば、「スペシャリストタイプが、自分の道が見つけられていない状態での停滞感や閉そく感を解決するためには、どうやって自分の道を見つけていくか、を考えていくほうが効果的であり、幅広く関わって視野を広げることでは、必ずしも解決に繋がらない」と思われます。

これらの仕組みを念頭に置くだけでも、かなり違ってきます。ご自分が当てはまると思われる方で、人生の目的や意義を感じられず苦しい方は、アプローチの方法がずれていないか(ピラミット型の解決方法を、無理に当てはめようとしていないか)を、考えてみてください。

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2010年2月22日 (月)

霊的エネルギーを感じやすいのは、目覚める直前と眠りに入った直後。

私たちは、「睡眠中に幽体離脱をして、あちらの世界に意識が戻っている」ことをご存知の方も多いと思います。

そのため、睡眠中は、霊的感覚が大きく開き、実は霊的な現象が(気づかないところで)起こっているものだったります。その代表的なものが、「夢を見る」ことですね。改めて考えてみると、肉眼で見ていない映像をありありとみている「夢」というのは、結構すごいことのように思います。

日常、私たち人間の意識は、「肉体を伴った意識」が勝っていて、「霊的な意識」の比率は低いものですが、睡眠中は「霊的な意識」の比率が高まります。

日中 : (肉体を伴った意識)■■■■■■■ / ■■■(霊的な意識)

睡眠中: (肉体を伴った意識)■■ / ■■■■■■■■(霊的な意識)

瞑想の習慣がある方は分かると思いますが、霊的な意識が広がっていくと、少々ぼーっ( ̄_ ̄)とした感覚になって、記憶が(日常ほどには)はっきりしなくなることがありますよね。

また、睡眠中に見る夢も、目が覚めた瞬間から、びっくりするくらいのスピードで忘却が始まるものです(笑)。霊的な意識が広がった状態というのは、理性的な記憶に残りにくいというか、記憶的に感知しにくいものなのです。

肉体を伴った意識の比率が高いとき(つまり、日中の普通のとき)は、霊的なものを感じにくく、睡眠中で霊的な意識が広がっているときには、霊的なものを感じる力が高まっているけれども、同時に私たち人間が一般に解釈する意味での「記憶」が残りにくいために、あまり意識することができません。

そして、「眠りについた直後」と、「目覚めの直前」は、霊的な意識が広がったまま、肉体を伴った意識も通常に戻りつつあり、両方の条件が重なり合うために、私たちの意識で認識しやすい形で、気配などを感じたり、不思議な感覚を体感したりしやすい、ということなのです。

この二つの時間帯に、「気配を感じたような気がするけれど・・・」もしくは「○○な現象があたけれども、どんな意味が?」というご質問については、上記のとおり、誰もがいろいろ体感しやすい状態になっていると言えるので、特に気にしなくてもいいのでは、とお答えしています。

もちろん、メッセージ的現象も含まれているかもしれませんが、ほとんどは、「夜寝たら、夢をみた」ことと同じくらいに、普通にありうること、というくらいの認識でいて問題ありません。

本当にどうしても伝えたいことなら、何度もわかるまで伝えられると思いますので、思い当たらないなら、気にしすぎないほうがいいと思います。

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2010年2月16日 (火)

タワー型と、ピラミッド型。

私たちは、それぞれ独自の可能性と資質を、たくさん備えており、それらを仕事や趣味、全般的な生き方において、活用しています。資質そのものは、それぞれ独自性、個性がありますが、「活かし方(活かされ方)」においては、大枠ではありますが、「傾向」があると感じます。

それは、「この道一筋」的なスペシャリストタイプと、「数多くのことに、広く関わっていく」オールラウンダーなタイプです。私は、そのタイプを、前者を「タワー型」、後者を「ピラミッド型」と称しています。

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タワー型の人は、ある一定の目的に沿った学びや活動を、積み上げていく生き方をしていきます。興味を覚えることや、実際に取り掛かっていく事柄にも、共通性、一貫性があり、流行や他人の意見などにもあまり流されません。

経験や知識などを、ひたすら積み重ねて、実際に活用していけるので、このタイプの方は自分の生きがいとなる、コレ!という道や、やりがいを見つけ出していければ、かなり早い時期から頭角を現していくケースも多いです。

プロのスポーツ選手や、芸術家などには、このタイプも多いかもしれませんね。プロ野球で活躍なさる方は、小学校からリトルリーグに入って、甲子園にでて、ドラフトにかかって、入団して・・・と、趣味も、学生生活も、職業も、ひとつの要素(この場合だと野球)に関連して展開していますから。

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一方、ピラミッド型の人は、いろんなものに幅広く興味を持ち、「コレ!」というものが、定まりにくい、見つかりにくいこともあります。何にでも興味はあるし、実際に手がけてみれば、それなりにやれてしまうために、自分の中で、「何が得意で(好きで)、何がそうではないのか」の、区分けができにくいのです。

子供の頃からの、好きだったもの、得意だったこと、仕事で経験してきたこと、それらの経験を並べてみても、共通性があまり見出せず、一貫性がないように感じられるかもしれません。その代わり、どんなことでも、一定のレベル以上にやりこなす力はあります。性格的に器用なタイプが多いです。

タワー型の人は、自分の生きる道、ライフワーク的なものを、早いうちから確立させていきます。どんどん、ひとつのことを積み重ねていければ、上記の図のように「高さ」が生まれますよね。ただ、このタイプの方は、後で方向転換をしようとしたときに、選択肢が狭くなったり、経験を一から積み重ねていかなければならないので、その点では、少々苦労するところもあるかもしれません。

ピラミッド型の人は、幅広い経験をして、それらを統合し、さらに上に「統合したもの」を積み上げていくというプロセスを経るので、「コレ!」というものを見つけるまでに、時間がかかることが多く、どちらかといえば、晩年型、大器晩成型、となります。

そのため、「私の生き方は、これでいいのか」「今までの経験は、無駄だったのでは」という類の悩みも、多くなりますが、上記の図からわかるように、ピラミッドは、積み上げて高さを出すためには労力と時間がかかるけれども、土台がしっかりしていて、安定感があり、少々のことでは崩れません。そのかわり、少々のことでは、「高さ」も、出にくいですが・・・。

このふたつに、優劣はありません。個性に合った生き方が、一番いいのです。自分の個性とあまりにかけ離れた生き方をしようとしても、それも順調に進まないと思います。タワーにはタワーの良さが、ピラミッドにはピラミッドだからこその良さがあります。

タワーの方は、ひたすら積み重ねて高さを出すと、安定感がなくなっていくこともありますから、途中で、そのことに気づいたならば、今後は幅を出していくことを心がけながら、自分の道を突き進めば良いと思います。

ピラミッドの方は、過去に積み重ねた(一見ばらばらで、統一性のない)経験を、「意識的に組み合わせて、使っていく、活かしていく」という視点を持つことです。そうすれば、さらに上に、組み合わせたものが積まれていき、だんだんと高さが出てきます。

隣の芝生は青く見えるものですが・・・、どちらの生き方にも、それぞれの良さがあります。大切なのは、自分に合った生き方、自分らしさをいかした、経験の積み重ね方だと思います。

他人をうらやましがることなく、自分の個性に自信をもつことです。無意識であれ、私たちは、自分のたましいにあった経験をしていくものではありますが、上記のような視点を持つことにより、今までの道のりへの意義が見出せ、未来の計画図が描きやすくなることもありますので、参考になれば幸いです。

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2010年2月12日 (金)

可能性は、有限か無限か。

誰にも、多くの可能性があります。その可能性の大きさについて、「有限」という言い方も、「無限」という言い方も、どちらも当てはまります。

霊的真理からみた「事実」は、明確に存在するのですが・・・、そのことを言葉で表現して伝える際には、どちらの言い方も、間違ってはいないのです。

私たちは、(肉体をもって、この世を生きていますが、本来は)たましいの存在であり、たましいは永遠です。今回の人生だけで、終わるわけではありません。けれど、「今回の人生に限って言えば」、肉体の終わりはあります。今回の人生は、有限ですよね。

同じ理屈で、「今回の人生に限って言えば」、やはり、可能性にも限界はあります。その人独自の、備えている資質・個性により、向き不向きは存在します。

また、それぞれの「カルマ」が、あります。私たちに、どれほどの大きな未知の可能性があるとしても、「カルマの枠」を超えることはないのです。どんなことも、一つ残らず、その方なりのカルマの中で、展開していくものだからです。

※カルマとは、本来、サンスクリット語で、「行為・行い」という意味です。その人が(前世等も含めて)培った「全ての行為」の蓄積、こなすべき課題という広い意味で、「カルマ」という表現を使っています。カルマ=罰、では、ありません。

ですから、可能性には限界がある、という言い方は正しいです。けれど、(ここからが重要、かつ、ちょっぴり複雑;)、その限界の「枠」は、すっごく広い枠で・・・、私たち人間の感覚からすれば、無限に思えるくらい広いものです。

この、あまりに広すぎる有限ぶり(笑)を、「無限」と表現することも、アリだと思うのです。そのほうが、理解しやすいこともあるでしょうから。

で、まとめると、

それぞれに、独自の「カルマ」がある以上、可能性にも限界はあり、「有限」である。が、その有限の枠は、とっても広いため、私たち人間の感覚からすれば「無限」と表現しても、あながち間違いではない。

という、感じでしょうか。

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2010年2月10日 (水)

霊的影響を受けやすい体質の人は、飲みたくなったり、食べたくなったりする?

霊的な影響を受けやすいタイプを、「憑依体質」と表現することがあります。

私たち人間は、「肉体をもった霊(的存在)」ですから、誰もが日常、少なからず霊的な影響は受けているものです。なので、憑依という言葉を、特別なことのようにとらえないでいただきたいのですが、もともとの性質により、その影響が強く出やすい方がいることは確かです。

憑依体質の人は、太りやすい、とよく言われていますが、確かにそういう傾向はあると思います。

霊的な意識に感応しやすいので、自分以外の想念やエネルギーの影響が、食欲のほうに繋がっていけば、食べたい気分が強くなりやすいこともあると思います。

また、「過剰に、水が飲みたくなる」という現象も多いです。人が亡くなるときは、だいたい病院などで食事を制限されているケースが多いためか、浄化途中の霊的存在は水分への執着があることも多いのです。

もう、肉体を維持する必要がないのだから、水分は必要ではないのですが、本人はまだ肉体をもっているときの意識で、「のどが渇いている気分、のまま」で、人に憑依してしまうと、憑かれたほうは、その意識を受けて、自分が「飲みたい気分」になってしまうのです。

私も、子供のころから今に至るまで、水分摂取量は異常に多いです(笑)。ごはんのときには、味噌汁があっても、必ずコップに水が用意されていないと、食べられませんでした。子供の頃の話ではないですよ、大人になっても、です(笑)。

無意識に、ものすごく飲んでしまうのです。お腹がガボガボになるまで。それでも、飲んでしまう・・・。ぼーっとしていると、つい飲み続けてしまうので、お茶とか水は出しっぱなしにしないで、必要な分だけテーブルにおいて、必ず冷蔵庫にしまいますね;。

この現象は、「食べたい霊、飲みたい霊が、寄ってくる」・・・という解釈よりも、誰でも、いろいろな個別の感情や執着がある中で、食欲などの本能的な欲求は多かれ少なかれ全員にありますから、人と霊の意識が重なり合いやすい要素のため、実際の現象に現れやすい、ということではないかと思われます。

しかし、いくら霊的な影響を受けてしまう体質・・・とはいっても、意識のすべてを支配されているわけでもないのですから、あまりに過剰にならないように自分が気をつけることは可能ですし、また知識として、それらの仕組みを理解していくだけでも、自分の発信する波長が変わっていき、状態もゆるやかに変化していくこともあります。

憑依に限らず、どんなことでも同じですが、あまりに気にしすぎたり恐れたりする必要はなありません。

けれど、ちょっと気をつけたり意識したりで、改善に繋がることもありますし、知ることで不安な気持ちがなくなって、波長が切り替わっていくこともありますので、(気になることがあるならば)知識は、ないよりは、あったほうがいいと私は思っています。自覚がある方は、少し気をつけていくとよいでしょう。

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2010年2月 9日 (火)

前世の影響で、この世が「生きにくい」と感じる人もいるけれど・・・。

前世で、精神的活動や宗教的行為に身をささげていたような方、例えば、僧侶だったり、修道士だったりの経験がある方は、今の人生を、とても生きにくいと感じてしまう方も多いものです。

物資至上主義が蔓延し、いかにして自分だけが得をするか、たくさんの物を得るかに血眼になっている人があふれている世の中に、うんざりなさるのでしょう。そんな世の中に存在している今の自分に、大きな違和感を覚え、「ここは、自分がいるところではない」「本当の自分ではない、仮の人生を生きている気がする」などと、感じたりします。

(前世での経験があるため)もともと、精神的なことを理解できる素地を、たましいが備えているので、スピリチュアルなことに関心が高くなり、どうかすれば、大きく傾きすぎて流されてしまう方もいます。「ここにいるべきではない、自分」が、本来いるべき世界を、そちらの方向に見出そうとします。

スピリチュアリズムも、過剰にのめりこむと、生きるための力とならずに、ますます気持ちが「現実」から離れていきます(私は、基本的に前世はこだわらないほうがいい、という考え方をもっていますが、それは、このような短絡的理解を危惧するためです)。

前世の流れを引き継いで今回の人生があるのは確かですが、私たちは、「自分で望んで(今回も)生まれてきている」ことを、忘れてはいけないと思います。

つまり、この物質至上主義の時代と、文明国である日本という国を、「たましいの学びの観点から、選んで」生まれてきているのですから、「馴染めない、合わない」「私は、前世が僧侶だから、物質社会を捨てて、精神世界に生きていたい」というのは、たましいのカリキュラムの放棄ではないでしょうか。

「合わない」「生きにくい」のは、分かります。それは確かにその通りだろうと思いますが、だからこそ、合わないものにも立ち向かい、生きにくい中で生きていくという、経験をするために、今回の人生を選んでいるとも言えます。

精神的な世界のみに生きているのが、たましいの望みならば、そのことが可能となる時代を選んで生まれてきていたはず。今の時代に生まれているのは、そうすべき課題があるからです。前世で、僧侶等の人生を経験し、それなりに得るものがあったして、また次も、同じような人生を経験しようと思うとは限りません(資質を活かそうとする場合も、もちろんありますが)。

逆に、その世界特有の窮屈さを感じた経験から、次の人生では、のびのびと自由な選択ができる時代と国で過ごそう、と計画することもあるでしょう。そのあたりは、ケースバイケースですから、一概には言えませんが、必ずしも前世と似たような経験をすることが、たましいの望みとは限らないのです。

ひとつ確実なのは、「今回の人生の状況は、他でもない自分自身が決めてきたこと」であり、「生きにくい感覚」や「今回の人生への違和感」すらも、経験すべき学びのひとつである(かもしれない)、という点です。

そのことを踏まえた上で、それでも精神世界の方向に、大きく人生の舵を取りたい、と思うなら、・・・それでもいいでしょう。人生に、明確な正しさも間違いもありません。それぞれの後ろの方達が、導いていきますから、学びとなる道ならば開かれ、そうでない道は閉ざされる、という軌道修正は、なされていくはずです。

あまり精神世界に傾倒しすぎても、学びは進まず、むしろ遅れてしまうのでは・・・と、私などは思ってしまうのですが・・・、それもまた、その人の人生における学びのプロセスなのかもしれず、すべては「自分次第」でしかないのだな、と思っています。

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2010年2月 8日 (月)

引っ越し先の物件探しは、自分の波長が高いときに。

すべての物事は、「波長の法則」により、展開していきます。あまり、日常生活で「波長が・・・」なんて、そればかり考え過ぎることには賛成しませんが、引っ越しなどは、大きなお金が動く事柄ですから、自分の波長が高いときに、探すほうがいいと思います。

自分の波長と同じ、不動産会社、担当者、お部屋、貸主さん(大家さん)が、関わってくるため、いい出会いのためには、やはり自分の波長が整っている時が、物件探しにも望ましいのです。

そうはいっても、自分の都合だけでは決められず、仕事の異動などで、どうしても特定の時期に、引っ越しをしなければならないこともありますよね。

普段から、自分の心境が良い状態に保たれていれば、問題はないのですが、そういうときは、出来るだけ気持ちを明るくして、要らないものを片づけたり、ちょっと近所の神社に出かけてみるとか、部屋の掃除をするとか、リフレッシュに繋がりそうな行為をしてみるのもよいでしょう。

そして、実際にお部屋を見て選ぶときには、ご自分の直感を大切になさって、「何か、いやな感じがする」ところは、避けた方が無難です。そういうカンは、だいたい当たるものです。

いつも自分が住んでいる部屋は、自分のエネルギーが馴染んでいるので分かりにくいですが、初めての場所で、低い波長の「いやな雰囲気」を感じることは、それほど難しくないからです。

「お部屋に、霊がいるか?」と、気にする方は多いのですが、「霊は、どこにでもいる」ので(笑)、そういうことを過剰に気にしても意味がありません。何しろ、私たち人間も、肉体をもった霊(的存在)ですし、引っ越した時点で何もいなくても、ずっとその状態とは限りませんしね。霊がすべて、とんでもない悪さをする存在とは限らず、本当に、「ただ、いるだけ」ということもありますし、過剰に恐れるのは無意味です。

それに、何より強力なのは、人の発する想念です。霊も自分の波長が引き寄せているともいえるわけで、仮に、そのお部屋が、いろいろ・・・な状態;だとしても、自分の良い波長をなじませて、上書きしていくことはできるわけで、「外れクジを引いたら、オワリ」では、ありませんから( ̄∀ ̄)。

風水、方位などが気になる方もいらっしゃると思いますが、これは、自分の嗜好の問題ですから・・・、気にする方も、そうでない方も、ご自分の思う通りにするのが一番だと思います。

もしも、霊能力のある方に、部屋のオーラを見てもらって決めたい場合は、「感覚で把握する能力が高い方」が最適です。土地や建物など、「場所のオーラ」は、感覚で把握するほうが適していると思われます。視覚も感覚もどちらも鋭い方ならよいですが、私のように感覚が鈍い人( ̄w ̄)は、あまり適任ではありません(笑)。実際に、そのようなご依頼は、お引き受けしていません。

以前にも書きましたが、霊能的な感覚力というのは、「なんとなく、そんな気がする」などの感覚とは、同じではありません。「はっきり、そうと体感する」レベルものです。

感覚力が本当に優れている方は、実際に現地に行かなくても、遠隔でもわかります。図面も何もなくても、把握することができるタイプの方もいます。

ただ、どちらにしても、先に書いたように、あまりよくない状態のお部屋であっても、変えることはできるので「ハズレくじをひいたら、終わり」ではないのと同じように、入居当初にどれほどすばらしい環境であっても、自分の波長が下がれば、何でも引き寄せられてくるわけで・・・;、「当たりくじをひけば、その先もずっと安泰」ではないので、その点は理解しておく方がよいと思います。

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2010年2月 7日 (日)

相手を許すことで、自分が楽になれる。

憎んでいる「相手を許す」ことは、そう簡単にはできません。

それは、許してしまうと、相手が得をして、自分が損をしたような気持ちになるからです。相手は、自分から恨まれれるという負荷を当然背負うべきだ、という考えが、言い換えると「許せない」感情なのですから、憎んでいる相手の負荷を自分が軽減させることを、何故しなければならないのかと、思ってしまうことでしょう。

けれど、許さないことによって、一番大きな被害をこうむるのは、・・・実は、相手よりも、自分自身なのです。恨まれる相手よりも、恨みを抱いている自分自身が、一番消耗するのです。

憎しみは、自分の中に、負の要素を作り出す行為です;。想念も実体をもちますから、エネルギーとして作用します。そして、自分の作り出した負が、新たな負を呼び寄せ(波長の法則)、憎めば憎むほど、そのことにとらわれる(エネルギー的)状況を強固にしていることになります。

許すと、「相手が得をして、自分が損をする」という誤った解釈を、正しい認識と入れ替えてください。「相手を許すことで、自分が楽になれる」「憎み続けても、相手が困るのではなく、自分が困る;」という事実を、しっかりと認識していくと、自分の幸せのために相手を許すことがだんだんとできるようになります。

もちろん、すぐには納得出来ないでしょう。本当にそう思えるまでには、かなりの時間がかかります。大きく育てた、憎しみの感情に、自分自身がとらわれていますから、考え方もそちらの方向に傾いていくのは仕方がありません。

しかし、少しずつ、時間をかけて、憎しみを手放していくと・・・、本当に心が軽くなり、それはまるで、自分が誰かに「許された」かのような、そんな心地よさを味わうものです。

この世で起こることは、「自分が上に投げた石が、自分の頭に落る」という、カルマの法則によっておこります。相手が100%悪いように思えることでも、スピリチュアルな観点(ということはつまり、その場だけではない、包括した観点)からすれば、必ず自分にも原因があり、100%の加害者・被害者という対立軸は存在しません。

このことも、「人を許す」という、難しい学びを乗り越えるにあたり、助けとなるでしょう。この仕組みのもとで考えると、(相手だけが悪いのではない以上)、苦しいけれど、被害者的感情や憎しみから解放されます。

許す、許さないという次元を超えた理解に手が届いていきます。相手を許すのは、相手のためではなく、自分のため。そう言い聞かせて、心の重しを、手放してみてください。きっと、思わぬ爽快感があるという事実に、自分自身が驚くことでしょう。

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2010年2月 4日 (木)

備えている資質を、十分に活用していない方のオーラ。

資質や才能の大きさや、実際の活用度なども、オーラから読み取ることができます。

備えている資質を使っていない方は、エネルギーの集まり具合が、ぼんやりしている・・・というか、勢いが感じられない状態になっています。私はその状態を、「大きな部屋を与えられていながら、わざわざ、狭く暮らしている」ように感じてしまいます。10畳の広さがありながら、気づかずに6畳分だけを使っているようなもので、とてももったいないなぁ・・・、と。

持っていないものを「身につける」のは、大きな労力と時間が必要で、とても大変なことだと思います。そこから考えれば、すでに「ある」というのに、「使われていない」ままになっているのは、もったいないです。

そういうオーラの状態になっている方は、(10畳を、6畳にしか使っていないので)勢いが外側に向かわず、他人との交流もあまりうまくいかなかったりします。他人に気を使うとか、他人を考慮する気持ちに「ならない」のです。ならないというか、なれない、というか。相互交流的な概念が薄れてしまう傾向があります。

といっても、内側に向かっているわけでもないので、自分を責めて内向的になっている方とも、違うのです。そして、エネルギーが変に外に向かって、不満なことを他人のせいにしている状態とも違って、・・・ひとことで言えば、「無気力」なようにも感じられます。

現状に満足しているわけじゃない、けれど、その原因をどこにも(自分が悪いとも、他人が悪いとも)求めない・・・のか、感じないのか、「どうにかしよう」「改善しよう」という、バイタリティーに繋がっていかないようなのです。

逆に言えば、その状態、資質を活用しなくても、今までの人生が「何とかなってきた」わけで、だからこそ、使われていないまま・・・なのだろうな、と。人生がアップダウンが激しく、「(; ̄A ̄)うぉぁーーー!」 「(; ̄A ̄)ぎょえぁぁ~~!」という経験をたくさんしていれば、強制的に使われているでしょうから。

今の時代は、何でも便利なものがあって、すべてマニュアル化、ボタンひとつでOK、親が何でも仕切ってやってくれる、そんな状況にいるためか、活用されるべき時期に活用されないまま、習慣化されている状態に思えます。

本人的には、いろいろ焦ったり、将来が不安になったりしているけれども、その困り具合も、傍からみれば、気力不足に思えて、「・・・本当に、考えてる?」と、言われてしまような状態でもあるかもしれません。もちろん、本人は手を抜いているわけでもないし、サボっているわけでもないのですが。この状態は、ある意味、「現代人の特徴」なのかもしれません。こういう方は、かなり多いです。

本来、もっと独創的で創造的な思考や行動ができる資質があり、充実した生き方ができるものをえているのに、使わないので、「使い方が身につかない」のですね。応用力とか想像力が、箱の中に入って、包装紙がかかったまま、になっているようなものです。

これはもう、実際に使っていく、もしくは使うための練習をしていくことが一番です。そして、本来のあるべき自分になるというか、備えている資質を活用できるようになっていけば、具体的に、何をどのようにして自分の人生をクリエイトしていけばよいのか、自分で考えられるようになります。

そうすると、今までとは違った世界が広がっていくことを感じられるでしょう。(実際に、資質を表わす部分のオーラも、外側に広がっていきます)。

資質は、活用するためにあります。才能は、世の中に活かされる目的で「あなたが、授かったもの」であり、「あなたの、私物」ではありません。本来の目的のために、使っていくことで、エネルギー的な他者との相互交流もよりスムーズとなっていくことでしょう。

私たちは、人間関係を通して多くの学びをするようになっていますから、ここがスムーズにいかないと、人との関わりが十分でなくなるため、日常生活を通した気づきも少なく、感動も半減、ふさわしい経験も積み重ねられない・・・というループになってしまうのです。

自分のためと、そして人のため世の中のためにも、備えている資質は、活用していくように心がけていき、「ぼんやりオーラ」から卒業していきましょう!

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