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2009年11月の23件の記事

2009年11月30日 (月)

ハウツーが悪い、という意味ではないです;。

記事の中で、「お手軽なハウツーでは、人生は好転しない」などの表現を使って説明をすることがしばしばあります。けれど、私は、「ハウツーそのもの」を全否定しているわけではありません( ̄w ̄)。

「○○をすれば、××になる」のような、方程式めいたものは、江原さんの言うところの、「物質的な解釈」です。物質的というのは、霊的の逆です。

このブログは、スピリチュアル(霊的)のブログですから・・・、霊的なことを物質的に解釈しようとしても限界がありバイアスがかかるだけですから、そういう意味で、書いているのです。

つまり、スピリチュアルな生き方や思考をするには、やはりスピリチュアル(霊的)な解釈の仕方が必要で・・・、(霊的の逆である)物質的な考え方であるハウツー的な解釈を用いようとしないでください、という意味です。

ただし、この世とは、「物質界」です。

この世は、霊界ではありません(笑)。

ですから、この世の物質的な事柄については、むしろ積極的にハウツーを活用したほうが有意義なことも、たくさんあります。その点を、混同しないよう理解していただければと思います。

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2009年11月29日 (日)

体へのアプローチも、心に作用します。

「心」と「体」と「たましい」は繋がっています。精神の状態は、体調にも現れますよね。悩みすぎると、胃が痛くなったり、眠れなくなったりします。体調がととのっているときは、やる気がみなぎって気分も明るくなります。

精神や心という「目に見えない分野」に働きかけるには、見えない要素を使った手法、例えばカウンセリングやヒーリングでしかなされないかといえば、そんなことはありません。

心と体は繋がっていますから、「体」に働きかければ、「心」にも作用します。「心」←「心」が、直接的アプローチだとすれば、「心」←「体」は、間接的なアプローチ方法ですが、心と体は切り離されていませんから、作用することは間違いありません。

例えば、肩こりやむくみは、血行が悪くなり疲労物質が滞ることから起こるものですよね。「血行」と「疲労」は、どちらが先なのかは専門家でないので、よくわかりませんが(笑)。揉みほぐしたり、休ませたりして、原因を取り除けば解消されていきます。

エネルギーの状態も同じで、エネルギーの中に、何らかの「停滞する要素」があると、流れが悪くなり、活力を失い、勢いがなくなります。そうすると、ますます停滞しやすくなる・・・というのが、波長が下がっていくパターンです。

解消方法は、こちらも同様に「流れが悪くなっている原因を除く」ことです。

思考もエネルギーですから、ネガティブな感情や思考、恨みや妬みは、オーラの中に「くもり」「かげり」という形態をとって存在します。それらが多くなると、まるで血行不良による肩こりのようなことが、オーラレベルで起こるのです。そうすると、全体的な活力が落ちるので、だんだん気力もなくなっていくという仕組みです。

で、何が言いたいかというと(笑)、心の状態を整えるために、専門家によるボディーケアも、相当に有効である、という点です。

具体的にいえば、カイロプラクティックとか整体とか、アロマトリートメント等でもいいですし、何らかの方法で体に働きかけることで、(連動している)オーラをも動かす(整える)作用がある、と。

カウンセリング等でも、オーラの状態は整いますが、方法は多岐にたり、心へのアプローチには、肉体へのアプローチを経由させてもなされることを覚えておくとよいでしょう。

私は、特に憑依体質の方や、感受性が強く他人のエネルギーをもらってしまう方に、ボディーケアにかかることを勧めています。この件については、今後さらに詳しく、数回に分けて書いていこうと思います。

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2009年11月28日 (土)

必要な忍耐と、不要な忍耐がある。

物事を成し遂げるには、時間と労力、そのほかにも根気や忍耐など、いくつもの要素が必要となります。私たちは、国民性として忍耐を美徳とする考え方を持っているところがあり・・・、実際に、耐えることを苦にしない方も多いと感じます。

忍耐力とは、強さを構成する要素のひとつであり、とても素晴らしい資質だとは思うのですが、けれど、方向を間違えて限度を超えると、やはりそれもネガティブになります;。

必要性の高い忍耐ならばよいのですが、「耐えている自分」を美化し、正当化するための材料にしようとするなら、・・・それは問題だと思うのです。

過剰に我慢することで、周囲の人に「耐えている自分のアピール」をしていたり、または「自分をそのような状態にした相手(親など)を非難」していたりします。自分を被害者にすることで、相対で相手を加害者にしようとしてしまうのです。

意識的に(相手に思い知らせようとして)そうしている人は、少数です。ほとんどのケースは、表面的には無意識で、自分でも気付かないくらいの心の深いところが反応して、そのような行動に繋がっているものです。自分に向かい合い、意図して本心を見つめていかなければ、見えてこない領域です。

誰も、自分の辛い部分やネガティブな部分は認識したくありません( ̄_ ̄;)から、通常は見ないようにしているし、見えないようにも「している」のだと思います。とても複雑に何層もの「感情の目隠し」がなされていて・・・、自分すらも気づかないジャングルのような状態になっているのです。

自分の成長のための忍耐ならば(その解釈も幅広いですが)、ご自分の力となり、オーラも輝き、そして波長も高まっていくと思います。「忍耐している真っ最中」だけを個別に抜き出せば、苦労しているし疲れてもいるでしょうから、オーラも一時的に陰ることもあるでしょう。けれど、一時だけを抜き出して○か×かで考えるのは物質的解釈です。霊的とは包括して考えるのですから、人間のたましいとは磨かれて光るのですから、一時的な陰りは、輝きのための「研磨の最中」にすぎず、長い目でとらえるべきものです。

しかし、忍耐のための忍耐は・・・、自分のたましいにウソをつく行為です。本心の上に、さらなるジャングルを築き、ますます距離を遠くして・・・、結局、自分で自分を苦しめていることになります;。

多くの人は、例えば「会議のための会議」を非生産的だと思っています。ならば、忍耐のための忍耐も、同じように考えてみる必要があると思うのです。

会議のための会議も、会社としてのポーズという意味合いにおいては、意義がゼロだとは言えませんが、自分の忍耐というパーソナルな領域の意義において、それは誰のためにやっているのでしょうか。周囲へのアピールなのか、それとも自分自身に「頑張っている自分」を見出したいからなのか・・・。

我慢や怒りという感情も、独自のエネルギーを持っています。ときに、それらのエネルギーを、自分が立ち上がるためや前に進むための活力とする場合もあり、「そうでもしなければ、進めなかった」場合も、実際あると思うのです。

ですから、ある意味ネガティブなエネルギーをも立ち上がるための力としていくことも、一概に悪いとは言えません。過去に苦労を乗り越えてきた人は、誰もが経験していることだと思われます。

けれど、「そのときは、必要だった」としても、やはり、上記の仕組みに「気づいた」ならば、もうやめなければいけません。そういうエネルギーの使い方は、ショック療法的、カンフル剤として有効であっても、常用するものではありません。仕組みを納得できたときが、「卒業のとき」ではないでしょうか。

私自身も、過去の辛い時期に、誰かを恨んで自分を正当化することや、自分に負荷をかけることで相手を(相対的に)加害者にしたてようとする思考(通常、その企みは成功しませんが)を、たくさんしてきました。そして、その怒りや理不尽さを自分の力に変えて、都度乗り越えて生きてきました。

けれど、そのときだけよくても、ストレートではない力の使い方は、心の中に複雑なジャングルを作り上げることとなり・・・、後に、「自分の癒し」に取り組む過程で、その道のりを困難なものにしました。防御のために作りだしたジャングルを、自らが否定して取り払う作業は、本当に苦しいものでした。

今回は、忍耐を取り上げましたが、どんなことにも当てはまると思うのです。一見、美徳と思われることも、度が過ぎればネガティブになることもあり、また、表面的な行為だけではなく動機が大切だということは、すべてに言えることだと思います。

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2009年11月27日 (金)

成長のためには、地道な積み重ねが大切。

スピリチュアルに興味をお持ちの方は、個別の目的は様々あるにしろ、「霊的に成長なさること」を望んでいらっしゃるものと思います。

私も、スピリチュアリストとして、皆さまにできる限り、霊的成長に向けての参考資料を提供すべく、日々ブログを更新しています。

霊的真理は、一口に語れることではありませんから・・・、地道に発信し続けることが大切だと考え、各種活動を行っており、このブログもその一環です。

私も、「とても壮大で言葉では語りきれない霊的真理」を、何とか分かりやすくお伝えすべく、このブログを書いています。自分で言うのも何ですが・・・、多分、皆さんの想像以上の時間と労力をかけています。

だからというわけではないけれど(笑)、皆さんも、「スピリチュアリズムを理解するためには、相当の時間がかかるものである」、という認識を持っていただきたいのです。

簡単に悟る方法はありません。スピリチュアリズムが、簡単に理解できるものならば、私も、このように毎日長々くどくどと書き続ける必要はないのです。簡単にいかないからこそ、時間を費やして書き続けています。

霊的な成長のためには、地道な気づきの積み重ねをすることが大切です。私は、そのことをお伝えするのみです。

地道さに勝る、近道はない、と。

余談になりますが・・・、執筆内容をキャッチするのは、直観的なものなので、時間はそんなにかかりません。霊査と同じアンテナを使いますので消耗はあるけれど、時間にすればほんの一瞬です。実際に入力して文章を作り上げるのはもちろん時間はかかりますが、それは誰もが同じですよね。

では、何が大変なのかといえば、「裏付け」です。私は、自分の思ったことや見たものを、そのまま載せるのはあまり好きではありません。

このブログは、スピリチュアリズムの教えであり(私は、そのつもり( ̄m ̄*)、「私の霊視日記」にはしたくないので、古典的な霊訓や、私が信頼している霊能者の本などで、同様の記載等があるか等を、なるべく確かめて書きたいのです。

これが、ものすごーーーーーく時間がかかります。・・・ときに、職場放棄したくなります(笑)。でも、そうもいきませんので;、とにかく私も地道に積み重ねて、自分の役割を果たしていこうと思っています。この積み重ねの中に、私自身の成長があるはずですから。

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2009年11月25日 (水)

過去の思い出に、にとらわれすぎないようにしましょう。

以前の記事で、「悩みつづけることは、悩み事にエネルギーを注いで大きくするのと同じ」と書きました。同じように、エネルギー的観点からみれば、過去を思い悩むのも、「過去にエネルギーを注ぎ続ける」行為となります。

過去を思い悩むのは、だいたい「上手くいかなかった出来事を悔やむ」か、「上手くいった出来事を美化する」かのどちらかです。後悔にエネルギーを注ぎ込んで大きくしても辛くなるだけですし(ますます、後悔が激しくなりそうですよね;)、美化にエネルギーを注ぎ込んでも、それもまた、現状への不満を大きくしてしまうだけではないかと思うのです。

ときに、思い出にひたるのはよいでしょう。過去の思い出や記憶が、今の自分に力を与えてくれることは実際にありますから。過去の積み重ね、経験というのは、何にも代えがたい貴重な財産です。

けれど、その財産は、今と未来に活用してこそ、です。懐かしむのはよいけれど、思い出に逃避して「過去に生き続ける」のは、自分が苦しむだけだと思います。

一見、どんなにつらい記憶、苦い思い出となっていることも、確実に私たちが、時間と労力を傾けたという事実の積み重ねのはず。過去の出来事は、今の私たちを構成している一部となっています。そう考えたときに、「今を一生懸命生きることは、過去をも無駄にせず活用することにもなる」と分かると思います。

私たちが、「今」と思っているこの瞬間も、間もなく「過去」となります。特定の過去の出来事にとらわれている間にも、「今」というページは、次々にめくられていきます。

この世に「時間」という概念がある以上、過去はどうやっても過去であり・・・、どれほどに思考というエネルギーを注ぎ込んでも、過去を「今」にすることはできません。過去は大切にしつつも、やはり、今を生きる意思が大切なのです。

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2009年11月23日 (月)

人生は思い通りにならないことも、あって当然。

スピリチュアリズムとは、自分の欲をかなえるための便利な魔法ではないと、頭の中ではわかっていても、スピリチュアルに求めるものが、やはり魔法のようなこと…になってしまっている方も、たくさんいらっしゃるようだと感じます。

しかし、人生というのは、ある意味、思い通りにならないことの連続です。だからこそ、私たちは、考え、工夫し、向上しようとするのです。その経験から、たましいは磨かれ、成長していく仕組みになっています。

「私の現状は○○○なのですが、どうすれば解決しますか?」というご質問は、割と多くいただく内容ですが、「××をすれば、解決しますよ」というような、ズバリの方法というのは存在しないことがほとんどです。

もしも、人生というものが、本来は順調なものであって、そこに何かの悪い要因が存在するために不具合が起こり滞っている、という状況ならば、要因を特定して排除すれば、もとのスムーズな状態に戻ることができるでしょう。

けれど、先にも書きましたとおり、人生というのは、スムーズにはいかないようになっています。自分のカルマという学びを経験しなければなりませんし、それはときに苦難という形をとって与えられることもあるからです。

だから苦難を我慢しなさい、という意味ではありません。苦難が降りかかるとすれば、それはカルマの法則によりもたらされた、すべて自分が引き起こしたことである、という仕組みを、まずは知っていただきたいのです。その部分の理解をすっ飛ばして、要因だけを除こうとしても難しいと思います。

コピー機に、用紙が詰まって動かなくなったなら、場所を特定して、用紙を抜き出せば、またスムーズに稼働しますが、私たちの人生、私たちのカルマというものは、それほど単純な進行にはなっていません。○か×かのようには、計れるものではないからです。

上記の例でいえば、停滞している直接の原因である、詰まった用紙を取り除くことは、もちろん一番に行うべきですが、同時に、本体のメンテ、つまり私たちの「考え方や生き方そのもの」を見つめ直して「詰まる原因を作っている、本体」を改善・向上させていくことが求められるのです。

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2009年11月22日 (日)

霊感の強さは、どうやって把握しているか(私の場合)。

先日の記事で、「霊感の強い人の割合」について書きました。霊感の強弱について、いろいろな把握の方法があると思いますが、私がどうやって把握しているかの一部を、説明させていただきます。

私は、エネルギー透視、オーラ透視などといわれる、その方独自のエネルギーの状態を読み取る方法で解釈しています。細かく説明するとキリがないくらいにどこまでも細分化されるので、大雑把な説明になりますが、

1)全体的な大きさ 

2)キメ細やかさ 

3)形状

重要視しているのは、上記の3点です。

すべての要素で特徴的な方もいれば、一部の要素のみに表れている方もいればで、それぞれ違いがあります。

まず、全体的な大きさについては、大きいほうがいろいろな想念などをキャッチする面積が広いことになります。また、大きくて勢いがあると、パワーや影響力等にも関係してきます。

キメ細かさも、大きさと同じような解釈になりますが、キャッチし易さの違いです。「バックネット」と「洗濯ネット」の目の細かさを比較して、どちらがより微細なものに感応する性質か、というのがわかると思います。実際には網目というよりも「質感」なのですが、細かい方は感受性の高い敏感な方という解釈をします。

また、形状にも特徴的に表れる部分があります。

私は、上記のような要素から、オーラや波長などの総合的な状態を中心に把握しています。

色については、それほど大きな因果関係はないように思えます。もちろん色も構成要素のひとつではありますが、「○色があれば、霊感が強い」のように、色に左右されるものではありません。

精神性の高い色を備えている方(例えば紫系とか)に、霊感を発揮する方が多い傾向はあるのかもしれませんが、他の色でも霊感が強い人はいらっしゃいます。

私は、上記と波長を読み取る方法とを並行して解釈しています。オーラも波長も、すべての要素は連動していますから、総合的に把握して(私のわかる範囲で)お伝えしています。

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2009年11月21日 (土)

複雑に分析しすぎると、悩みが増えてしまうこともある;。

本来シンプルであることを、複雑に分析しすぎると、悩み事を増やしてしまう場合があります。

例えば、目の前に、「赤い靴」があったとします。そのまま、「ここにあるのは、赤い靴である」という認識で十分なところを、「この靴は、白い靴でもなければ、黒い靴でもない・・・」とか、「なぜ、ここにある靴の色は、青ではないのだろうか・・・」などと、差し迫って必要でもない思考、分析のための分析に、時間を費やしてしまうことが、誰にもあると思うのです。

そういう考え方が、必要なケースも、ときにはあるでしょう。けれど、すべてに必要な思考ではありません;。もっとはっきり言えば、「ほとんどのケースに必要のない思考」です(笑)。

シンプルな認識でいいはずなのです。赤い靴があるならば、では、この靴をどうやて履きこなしていこうか、とか、赤い靴がふさわしい場所はどこだろうかとか、「赤い靴があるという前提」で、その先の活用法を考えていくほうが建設的ですよね。

赤い靴に不満があって、悩むならば、まだわかります。けれど、不満もないのに、分析のための分析をして、「なぜ、青ではないのか・・・」と、考えて続けてしまうと、そのことにエネルギーを注ぎ続けるわけで・・・、

そうすると、いつの間にか自分の中で、分析が、悩み事へと“置き換えられてしまう”ことがあります。

これは、自分で気づいて、切り替えなければなりません。

 あ、またやってる。 

 また、必要のない分析をしては、悩み事に置き換わっている。

と、自分で気づいて、不要な思考をストップすること、ですね。

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2009年11月20日 (金)

霊感が強い人は、どれくらいいるか。

霊感は、大小の差こそありますが、誰にでも備わっている資質です。霊感がゼロの人はいませんし、100%全開の人もいません。

未知のものが見える・聞こえるだけが霊感ではありません。感じ方にはさまざまな形態がありますし、、霊感が強くても自覚がない方も多いです。

霊感の強弱を数値化することはできませんので、私は、「(霊感は誰にでもあるという前提で)平均よりも、強いかor弱いか」という表現の仕方で、ご希望者にはお伝えしています。

私のところにご依頼いただく方のうちでは

1)平均以下の方・・・ ご依頼者全体のうち 0%

2)平均的    ・・・ 10%くらい 

3)平均以上   ・・・ 90%くらい 

4)平均以上の中でさらに、かなり強い霊感体質 ・・・ 30%くらい 

5)職業レベルに発達している ・・・ ほぼ 0%

上記の数字は、私のところにご依頼いただいた方達の比率であり、世の中全体の平均ではありません。

数値を説明しますと、まず、霊的な感性が平均以上の方でないと、そもそもスピリチュアルなことに興味を持ちませんし、お金を払ってまで依頼をしようと考えません。そういう意味で、スピリチュアルなことに意識が向くという時点で「平均以上の霊感をお持ちのがほとんど」となります。多分、この点は、他の方のところにご依頼なさる方の統計も同じ傾向と思われます。

平均以上の方が90%を占める中で、さらに「かなり強い」に分類される方が30%程度いらっしゃいます。

最後の、「職業レベル」の方が、何故いないかといえば、飛びぬけて資質をお持ちの方というのは、「私は、霊感がありますか?」と、霊能者をたずねまわったりはしないものなので・・・。人に聞かなくても、そういう方達は、ご自分でわかりますから。なので、このカテゴリーは、比率がほぼゼロ、となります。

では、霊的な感性の強弱を、どのように見分けているのか・・・という点は、別の機会に書く予定です( ̄∀ ̄)。・・・忘れなければ、書く予定です;。

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2009年11月19日 (木)

両立できることを、無理に一つに絞らなくてもよい(と思う)。

広い部屋に住みながら、狭い部屋に住むことはできないように(笑)、同じ分野の相反することは、同時には行えません。

しかし、同じ分野に属さないことなら、いくつもの要素を並び立たせることは可能です。

上記の例でいえば「広い部屋に住み」ながら、「狭い部屋に住む」ことはできないけれど、「広い部屋に住む」ことと、「郊外に住む」ことは、同時に満たせる要素です。

人は、深刻に悩みすぎると、あれもこれもと、多くの要素を混同し・・・、「とても大きな、解決不可能の悩み」を、自分が作り上げてしまうことがあります。

広い部屋か、狭い部屋かの選択は避けられなくとも、どちらにしても郊外に住むことは可能な場合もあります。ならば、考えるべきことはひとつだけ、部屋の広さだけとなるはずです。

ところが、部屋の広さと住む場所とを、混ぜて考えてしまうと、例えば「郊外に行けば、家賃が安いから・・・」とか、思考が広く応用されすぎて(笑)、「広さ」と「場所」そして、「家賃」までもが加わって;、ますます複雑化していきます。

「広さの問題」と「場所の問題」を、個別に考える視点を持てば、それほど大きな悩みではないことも、「住居の問題」と、ひとまとめにしてしまうと思考の優先順位がぼやけてしまって決めにくくなります。

問題に対する、思考の距離感というのはとても大切で、遠すぎても近すぎても、見えにくくなることがあります。全体を考えることと、部分を考えること、どちらが適しているのかは、ケースバイケースです。

両立できる要素を、「どちらかを選ばなくてはいけない」という視野の狭い思い込みで、「悩み事」にしてしまっている方が、本当に多いです。

両立させるか、させないか、という二択で迷うならまだ分かります。けれど、まったく別分野の要素から、ひとつを選ぶのって判断の基準が難しいですよね;。

例えば、「メロンとイチゴ、どちらがいいですか?」って聞かれたら、「じゃあ、イチゴで」と答えられるけれど、「カレーライスと福神漬は、どちらが好きか」と言われても、分野が違いすぎて答えに困るし、・・・「いや、どちらがっていうか・・・、両方いただきますが」という答えが一番ふさわしいと思います(笑)。

どちらか一方を選ぶことは難しくても、両立させることは難しくないケースもあると思いますから、よく考えてみましょう。

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2009年11月18日 (水)

自営するなら、「何を提供するのか」を明確に。

「いつか自分で商売をしたい」とお考えの方が相当数いらっしゃいます。今回の記事は、「何かをやりたい」という漠然とした夢よりも、もうちょっと「具体的にアイデアがあって検討中」の方に向けた内容です。

それぞれ、独自の計画や展開のプランをお持ちのことと思います。このとき、さらに考えておいた方がいいと思うのは専門分野、独自性のアピールです。「誰に、何を売るのか」、という点を、分かりやすくお客様にアピールしていくことの大切さを認識しておくとよいと思います。

ターゲットを絞ると、入口を狭めるような気がするかもしれません。けれど、個人の仕事で総合商社をやろうとしても無理ですし、主に何を提供している仕事なのか、という点がわからないところには、なかなか新規のお客様はアプローチしてくださらないと思います。

例えば、「洋食屋」とか「カフェ」とかの看板が出ていれば、そのメニューを食べたい方がいらっしゃいますが、「何でもお出しします!」というお店は、入口で敬遠されてしまうと思います。何でも…と言われても、注文を出すほうも困るからです;。

個人客を対象とするなら、「提供する仕事の方向性」「看板商品」を明確にして、どんな仕事を行う人(もしくは会社)なのか、という部分の把握を容易にしておいたほうがいいでしょう。

例えば私が、「スピリチュアルな相談を受けていますが、フランス語のレッスンも承りますし、着物の仕立てもやります」とメニューを掲げても・・・・、皆さん私にフランス語も仕立ても依頼はなさらないと思うのです。それどころか、相談するのも敬遠してしまわないでしょうか(笑)。

仕事が軌道に乗ったら、さまざまな形で、別分野も事業展開させていくのはよいと思うのです。けれど、開始直後の段階で、お客様の需要をとりこぼすことを恐れて、あまりに間口を広げすぎても・・・お客様が、何を買ったらよいのかわからない状態になります。

「最初は選ばずに何でも請け負ったほうがいい」、と思うかもしれませんが、それはまず、お客様からのアクセスがあってのこと。アクセスしやすい工夫をしていくことが必要です。

自営を志す方というのは、アイデア豊富で器用なタイプの方が多いです。それゆえ、(何でも出来るので)方向性を絞れない、もしくは絞りたがらずにあれもこれもやりたくなるものですが、お客様の需要あってこその供給ですから、買い手側の目線にたった考え方も大切だと思います。

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2009年11月16日 (月)

霊視でわかるのは、ごく一部。

霊視ができたとしても、それで「すべてが把握できる」わけではありません。

肉眼で何かを見たとしても、「見た」のと、「詳細までも把握した」のとは違うように、何もかもすべてを把握できるわけではないのです。

霊的な視界が開けているということは、他の霊的な要素も平均以上に発達していることが多いので、テレパシー的に、いろいろなことが伝わってくるものではありますが、それでも、知識的な勉強は欠かせません。自分が見えたものが、何か、というのがわからなければ、解読できないからです。

とくに、大昔の映像は、歴史的な知識が薄いと、国も時代も、狭い範囲での特定は難しくなります。私も、「多分、日本以外の東アジアの国だと思う」とか、そんな感じでしか、分からないことも多いですね。

以前、依頼事項の詳細は覚えていないのですが、霊視したものをお伝えした中に、「昔の日本人女性で、仏教を信仰していた方」というものがありました。私が視覚にとらえたのは、「仏画」でした。特徴のある仏様を描いたものを拝んでいる日本人女性、だったのです。

しかし私はこのセリフをお伝えしながら、「でも、仏教を信仰していた女性って・・・、昔の日本なら大部分の人が当てまるけど?」と、自分ツッコミをしたくなりました(笑)。でも、お客様はそれで納得してくださったので、まあ、よかったのですけど。

もし、私に、仏教的な詳しい知識があれば、例えば「この仏画は、○○○が特徴的なので、多分、○○宗ですよ」とか、そういう伝え方ができたと思うのです。でも、残念ながら知識に乏しく;、そこまではわかりませんでした。見えなかったのではなく、見えても(私が、知識がないので)分からなかった、と。

霊能力に100%はない以上、私は「霊視とは、そういうもの」だと思っています。・・・私の力が大したことがないから、ということも関係しているとは思いますが;。

いずれにしても、「本来見えないものが、見える」ことと、「それですべてが分かる」ことを同列に考えてはいけませんね。霊視を受ける側も、提供する側も、この点をしっかり認識しておくことが大切だと思います。

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2009年11月15日 (日)

信用を得るには、「誠実」であることが大切。

相手からの信用を得るためには「誠実さ」が大切です。

業務上の技能や実力が、要求を満たしていることが前提ですが、さらに、誠実であることは大切な要素だと思います。仕事上で、トラブルになったり、行き違いが生じるのは、だいたい、自分か相手のどちらがか「誠実でない」という原因に行きつクケースが多いように感じます。

このことを考えるにあたり、間違わないよう注意したほうがよいのは、「誠実さ」とは、必ずしも「時間をかけること」や、「ゆっくり行うこと」とは限らない、という点です。

丁寧さをアピールしようとすると、どうしても「時間をかけること」と、混同してしまいがちになりますが、例えば「丁寧であること」と、「正確であること」は同じではないように、誠実さとは作業時間の長さだけでは、計れません。

必ずしも・・・という表現を用いたのは、相手のタイプにより、どう受け取られるかが変わってくるからです。せっかちで仕事が早いタイプの方は、作業に時間をかけることを嫌い、効率を優先すると思うので、時間をかけると「出来ない」とみなされることもあります。しかし、作業が早いだけで、完成度が十分でなければ、それもいい加減だと思われるでしょうし、バランスが大切です。

また、最終的に完成に至らなくても、時間をかけて検討し努力をしてくれたという過程に、誠実さを感じてくれる方もいることでしょう。

「誠実」という言葉も、改めて考えてみると、どういう行動が誠実なのか、という定義は難しいのですが、まずは「相手の求める誠実さ」は、どういうことなのかを考えて、そして、自分のできる最善を尽くしていくこと、だと思います。

仕事とは、「相手の需要を満たすものを提供する」ことで成り立つのですから、常に相手の要求するものを考えながら動いていくという、想像力が大切ですね。

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2009年11月14日 (土)

ぼやぼやしているヒマはない!

時間って、あっという間に過ぎていくものです。よく江原さんが、「十年先を思い描きながら、生きよう」みたいなことをおっしゃっていますよね。

「この先の、十年」を考えると、それはとてつもない壮大なことに思えて、現実味が薄く感じられるかもしれません。では、逆に、「過去から今までの、十年」を考えてみると、・・・結構、あっという間だと思いませんか;。

もちろん、それなりに、いろんな出来事があったでしょう。増えたものもあり失ったものもあり・・・で、さまざまな思い出もあるでしょうが、少なくとも「これから先の十年」を考えたときほどの「長さ」は、実際には「無い」とわかります(笑)。だから、これから先の十年も、多分、あっという間なんですよ。

例えば、5年前に思い描いた、「この先の十年」のうち、もう半分過ぎた状態が「今」ですから。のんびりしていたら、あっという間に人生も終わってしまいます(笑)。

焦る必要はないけれど・・・、だからといって、何も挑戦しなくていいいのでしょうか。今のような生き方で、・・・十年経ったときに、後悔はしませんか?

「十年先を見据えた生き方」というのは、遠い夢ではなく、むしろ、かなり現実的な考え方だと思うのです。未来の十年を考えると、漠然としていて、「永遠」のようなとらえ方になってしまうかもしれませんが、過去の十年を考えると、とんでもなく短い時間でしかないとわかります。

今、動き出しましょう。十年先を見据えて、行動開始するのは、「今」です。

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2009年11月13日 (金)

悩み続けることは、「悩み事にエネルギーを注ぎ続ける」ことになります;。

想念は、エネルギーとして実態を持ちます。 エネルギーですから、それは作用します。

心配事や悩み事が、いつまでも頭から離れないのはなぜかといえば・・・、考え続けることで、悩みという思考が、より増大していくからです。

同じことを悩み続ける行為は、その事柄に、いつまでもエネルギーを供給し続けるようなもの。

大きくなればなるほど、思考を占める比率が高まります。そして、ますますとらわれてしまう・・・というループになっているのです。つまり、考えれば考える程、「悩み事のエネルギー」が、ご自分の中で色濃くなり、存在感を増していくことになります。

nayami_2.jpg

   ↑ こんな感じに(笑)。

解決したい、苦しみから逃れたいと思って考えているはずが、・・・逆に、(自分の想念というエネルギーで)、自分の心を重くしていることになります;。そうなると、より、思考がネガティブな方向に偏っていくので、建設的な思考ができにくくなります。それで、ますます長時間考え続けてしまうのですが・・・(笑)、どこかで、そのループを断ち切らなくてはいけません。

まず大事なのは、「気づくこと」です。上記の仕組み、「想念はエネルギーとして(実態があるので)作用する」こと、「同じことを考え続けると、エネルギーをより増大させる」ことを、理屈で理解することです。

この点が理解できれば、では、実際にどうすればよいのかわかります。「まずは、エネルギーの供給をストップ」することです。

この仕組みを知るだけでは、悩みの解決には至りません。けれど、まずは、小さい問題も(考える続けることで)自分が大きな悩みにしてしまっているという事実;に、「気づいて、やめる」ことは、具体的な解決方法を模索する前段階として、必要なプロセスだと思います。

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2009年11月12日 (木)

義理のご両親との関係について。

特に、ご主人のお義母さまとの関係で、悩んでいる方は多いです。「努力しなければならないとは思っているけれど、現実的に、どういうことをすればよいのか・・・」と。

私は、このようなケースは、無理をする必要はないと思っています。実家の自分の親と同じ気持ちになんて、そう簡単になれるわけはないと思うからです( ̄∀ ̄;)。

義理でも、「親子」「家族」である以上、お互いの果たすべき役割や関係性は無視することはできませんから、努力していこうという意思は大切だと思います。しかし、本当の親と同じ気持ちになるなんて、とても難しく・・・、実際問題、無理に近いと感じます。

ですから、「実の親と同じ気持ちで親近感を持てないのはどうしてだろう」、とか、「どうやったら同じに思えるだろう」、と考えるのをまず止めてみてもいいと思うのです。

以前、実際に相手を見返すのは難しいが、「相手を見返すくらいの気持ち」で、自分の活力に繋げていくことはできる、という内容の記事を書いたことがあります。

この問題もそれと同じように、「実の親と同じくらいの気持ち、になることを目標として接していく」、程度の割り切った考え方でも十分だと思いますし、むしろそのほうが、力も抜けて、よい距離感が保てるような気がします。

「いつか、そう思えることが最終目標」くらいの気持ちになって、長い目で取り組むことでよいと思うのです。

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2009年11月11日 (水)

居心地の悪い環境から抜け出すのは、逃避か?

すべての出来事に「意味があって、起こる」以上、一見、困難や苦難に思えることにも、学ぶべき要素は含まれています。そのことは、霊的観点からみれば、確かな事実です。

そうはいっても、居心地の悪い環境に、居続けなければならない、ということはないのです。居続けることで学べる…こともまた確かだけれど、そうしないと学べないわけではないので・・・、他にもさまざまな方法も選択肢もあるはず。その場所で頑張るもよし、新天地を求めるもよし、どちらの選択も「自由」です。

「ここから去ることは、逃げではないか」と迷う気持ちは理解できますし、そのように「まず、考えてみる」ことは、とても大切です。

けれど、「逃げ出してはいけない」という気持ちに、過剰にこだわってしまうのであれば、それは「現状への執着」の場合もあります。

(不満があっても、それなりに)安定している「現状」から抜け出すのが怖い、という感情を、「苦難から逃げ出さない忍耐強い自分」に置き換えて、その状況に「酔っている」だけかもしれません。

その状況にある全員がそうだとはいいませんが、・・・少なからず、このケースが当てはまってしまう方はいると思います。自分の気持ちがどちらなのかを、よく考えてみることが大切です。

乗り越える、クリアすると一口にいっても、真正面から立ち向かうだけが、唯一の方法ではないと思います。今いる場所で耐えることも、改善の方法を模索することもいいでしょう。また、どうしてもこの場所では改善も、自分の成長もなされないと思うならば、新天地を目指すのもよいでしょう。

自分を鍛え向上させるための忍耐は、時に必要かもしれませんが、自分を被害者にするための忍耐は、不要な演出だと思います;。過剰な演出をしすぎると、(他人に向けたはずの演出により)自分自身も演じる役に取り込まれてしまい、本当の気持ちわからなくなってしまうこともあります。

「逃避」か、「卒業」か、と考えたときに、その場を去ることが「逃げ」のように思えるけれど、その場にとどまる選択も(新しい環境には行きたくない、などの)動機によっては同じように「逃げ」の選択となる場合もあります。その点は表面的な出来事では計れないのです。大切なのは、そこに至るまでの動機、意思ですから。

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2009年11月 8日 (日)

「相性」についての、スピリチュアル的解釈。

意中の方との「相性」を知りたいというご希望は、かなり多く寄せられる質問のひとつですが、これは、・・・実は、難しい質問です(笑)。

例えば「統計学を利用した、占い」などには、「統計学から導き出す相性(の良し悪し)」というものは、あるだろうと思います。その意味合いにおいての、「相性」という考え方そのものを否定はいたしません。

でも、私がお答えするのは、統計学からの傾向ではありませんし、私にご依頼なさる方も、そのような回答を、期待してのことではないと思います。

あくまで、私の解釈の仕方ですが・・・、一般にイメージされる相性というのは、気が合うとか、馴染みやすいとか、お互いの性質の、同調性、親和性のようなもの、でしょうか。

そういう意味においては、資質や性格等を読み取る力があれば、把握することは可能だと思います。私も、その点の把握はわりと得意な方だと思っています。

けれど、「気が合う」からといって、恋愛に発展することの確約にはなりませんし・・・、進展の可能性をはかる材料にはならないと思います。

自分と違うタイプの人に違和感を感じる人もいれば、自分と違うゆえに刺激を感じて憧れを持つ性格の方もいます。

その点が、一生を通じて固定されているなら、事前の「相性」というものを計る材料にできるかもしれませんが、自分の今までの恋愛遍歴を考えてみれば、(頭の中の理想像ではなくて、実際の)好きになる要素は、一定ではないとわかるでしょう。傾向とは、あくまで「そうなりやすいパターン」にすぎず、確定ではありません。

また、似た者同士でうまくいく人達もいれば、逆の性格でプラス/マイナスを補いあってうまくいくパターンもあれば・・・で、いろいろなのですから、皆さんがイメージするような「相性」って、実際は、気にするほどの問題ではないし、・・・というよりも、気にしてもしょうがないことでは?と、私は思います。

結論を言うと、気になる気持ちはわかりますが・・・、でも、気にしてもあまり大きな意味をなさないと思いますね。「一定の法則」がない以上、決まった答えなんてないのですから。

逆に、別れてしまった相手との、「(馴染みやすい部分が多いか、という意味での)相性が、あまり合わなかったかも・・・」みたいな解釈の場合には、結果論として分析できるけれど、これから始まることに対しては、「相性が合うか」なんて、あまり気に過ぎないで、自分の気持ちを大切になさっていったほうがいいと思います。

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2009年11月 7日 (土)

知識を活かすための、「応用力」が大切。

現代人は、便利な世の中に慣れすぎていて、想像力がなくなったなどと、よく言われます。私は、「応用力」という感性が、使われないまま眠った状態になっている方が多いと感じます。

自分で何とか工夫しようという応用力が使われていない・・・ということは、言いかえれば、誰かに何とかしてほしいという「依存心」が強いのです。

「○○をすれば、××になれる」ような、お手軽なハウツーを求める気持ちが大きく、また、ある選択肢をとることで、将来的・最終的にどうなるか、という「結果の確約」をとても簡単に得ようとします。

未来は、あらかじめ決まっているものではなく、これから作り上げていくものであるという、スピリチュアルな観点からの事実をご存じない方が、上記の考えをするならまだ分かりますが、ご存知の方までもがハウツーを求めます。いえ、むしろ、スピリチュアルに興味のある方ほどその傾向が強い、と言えるかもしれません;。

なぜそうなるかといえば、「未来は(これから作るものだから)決まっていない」ことと、ゆえに「結果の確約など、できるものではない」ことが、繋げて考えられないからだと思います。「○か、×か」「イエスか、ノーか」という思考に慣れてしまって、せっかくたくさんの知識を持っていても活用しきれない、応用ができないのですね。

答えのみを求める気持ちというのは、「物質的な考え方」です。たとえ、議題が目には見えないことであったとしても、です。「霊的(スピリチュアル)な考え方」というのは、総合的に考えることです。想像力、応用力が活かされてこそ、霊的に考えることができます。

霊感の大小ではないのです。皆、そっちにばかり一生懸命になる人が多いですが、霊的能力の大小と、人間力は無関係です。応用力というのは、実践していくことで深まるのです。知識のみを、いくら積み重ねても、実際に活用していかなければ、何も身につきませんし、本当の意味で「分かる」ことはないでしょう。

少し前に、あるテレビ番組に、作詞家の松本隆さんが出ていました。松田聖子さんの作詞などで超有名な方ですよね。「作詞家志望の方からよく質問されるのだけど・・・、知識は無いよりはあったほうがいいだろう。けれどそれだけでできるかと言ったらそうではない。ハウツーではないから。」というようなことを、お話なさっていました。松本さんのおっしゃっていることは、とてもよくわかりました。大切なのはハウツーではなく「感性」だという点は、どんな世界でも共通なのだと思いました。

人は、結局、どれほど多くの知識を得たとしても・・・、「自分が納得したこと」しか、やらないものです;。正しいとか、そうすべきとかの基準ではなく、実際は「自分がやりたいかどうか」、とい基準でしか、考えないのが一般的だと思われます。

すべては、自分自身というフィルターを通して行われることなので、自分を向上させていかなければ、どれだけ多くの情報や他者からのアドバイスを求めたところで、思考も行動も(自分なり、という方向に)偏る可能性もあります。

得た知識を正しく理解し、正しく活用するためには、自分の感性を磨くことが不可欠です。感性を磨くには、まずは実践してみることが大切です。実践抜きの、頭の中での分析では、「自分流」に偏っていくことでしょう。あまりに客観性を欠いた思考は、「思い込み」になってしまう可能性があります。

まず、実践。体感することです。そうして、自分が「納得できる範囲」が広がっていけば、以前には自分の意識の網にかからなったことが、「キャッチできる」ようになるのです。そうして実践したことから得られる有形無形のフィードバックの積み重ねが、「応用力」という感性を磨いてくれると思います。

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2009年11月 5日 (木)

過去の感情が癒されるための、プロセス。

感情というのは、目には見えないけれども、エネルギーとしての実体を持ちます(存在します)。

過去に作られた感情も、自分が手放さずに抱えこんでいれば、それは、いつまでも作用し続けることになります。記憶の底に封印しても・・・、また、形を変えた似たような状況に直面すれば、過去の(感情という)エネルギーが刺激され、落ち込んだり不快になったりします。

例えば、子供のころに、姉と弟がいて、両親は、弟が生まれてから、あまり姉を構わなくなったとします。姉は、心に傷を抱えて幼少期を過ごしたとします。子供の世界というのは、親がすべてなところがあります。しかし、成長するにつれ、学校が加わり友達が加わり・・・、親に占める割合は下がっていきます。幼少期の感情などは、心の奥深いにしまいこまれ、自分でも意識することがなくなっていきます。

そして、働き始めて、自分をとてもかわいがっていた上司が、新入社員に目をかけるようになると、昔の感情に火がつくのですね。自分がないがしろにされた気持ちになります。上司は、部下を指導することが仕事なのであり、新入社員に労力を傾けても、別におかしくはありませんし、当然のことです。

ところが、上記の例のように、両親が弟ばかりをかわいがった、という感情に苦しんだ過去があると、その傷が再び反応しだすのです。なぜなら、「自分よりも権力のある目上の人が、自分を差し置き、新入りに目をかけている」という点が同じだからです。

多分、その上司が、自分との約束よりも得意先との打合わせを優先させても、あまり気分を害したりしないのかもしれません。人は、自分がもともと持っている(感情的)傷にさわらないことには、(それがどんなに理不尽でも)あまり反応しないものだったりします。

このように、過去の感情が持ち上がってきて苦しくなるのは、誰にでもあることです。その繰り返しを、私たちは日々行っているとも言えます。なので、このような状態になることが悪いのではなく、むしろ当然である、ということをまずは認識してください。

そして、その上で、では、どうやって対処していったらよいのかを、現実的に考えて、必要があれば取り組んでいくことです。この前提がないと、自分がいやになる自己否定か、相手が悪い(この場合だと、自分を認めない上司を恨む、など)という責任転嫁になって、より感情が色濃く上塗りされてしまうので注意が必要です。

過去の感情が刺激されて苦しくなる機会を、「過去の感情を乗り越え、今ここで手放すためのチャンス」だと考え、ご自分の癒しに取り組んでみてください。

感情が癒される過程というのは、心の底にある、一度はふたをした感情が、後に起こったある出来事により刺激され、再び表面に浮上し・・・、そして自分が再び(自分の作り出した感情に)反応し・・・、その過程から気付きを得て納得することで、癒されていく(解放されていく)、という仕組みになっています。

ですから、表面に浮上した時点で、再びのみこまれてしまっては、また同じになります。そこで頑張って冷静に分析し、自分が何に対して怒っているのか、その怒りは正当なものなのか(っていうか、正当な怒りなんてありませんが;便宜上、そう考えてください)過去にも同様のパターンがなかったかと考えてみるのです。

そして、今感じている怒りや不愉快さは、過去の感情の「再現」だと気付くことができれば、ずっと持ち続けてきた感情(というエネルギー)は、薄らいでいきます。しかし、その時点できれいさっぱり消化されることは、まずありえません。そんなに簡単に、人間というのは変われるものではありません。多分またその後も、似たような状況がやってきたら、同様に不快な気分にはなると思います。

けれど、その反応は、以前のように大きなものではなくなります。その繰り返しで・・・、だんだんと、平気になっていき、その状態を「乗り越えた」と呼ぶのでしょう。

ここでいう「乗り越える」とは、我慢して耐えるという意味ではなくて、抱え込んでいた不要なエネルギーに、さようならができる、という意味です。

感情が揺れるのは、その時だけを抜き出して考えれば、辛いことではありますが、過去を乗り越えて成長するためのプロセスだと考えて、立ち向かっていきましょう。

また、感情というのは、どんな場合でも「自分のフィルター」を通して事実を認識したことから生まれる、とても個人的なものですから、客観的な事実は違っている可能性があります。

上記の例でいうと、本人(姉)が、「そう思い込んでいる」だけという可能性もあるのです。両親は、どちらにも同じように愛情を注いだかもしれません。あるいは、むしろ姉のほうをかわいがったかもしれません。

なのに、本人は、一人っ子だったころと比較すれば、両親が割いてくれる労力が減りますから、「構われなくなった」と、思い込んだ可能性もありえます。その点も、考慮するとなお良し、です。

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2009年11月 4日 (水)

適齢期。

お仕事を一生懸命頑張っていたら、適齢期を過ぎてしまった、というお考えをお持ちになっている女性がたくさんいらっしゃいます。結婚は、自分がしたいと思った時が「そのとき」ですから( ̄∀ ̄)、適齢期というまとめ方もどうなのかな・・・と、思いますが;、今回は、この件について書かせていただきます。

まず、ご自分で、「適齢期を過ぎてしまった」と思うのならば、今からすぐにでも、過ぎた時間の分まで取り返すくらいの勢いで、恋愛や結婚に向かって行動を起こしていくことが大切だと思います。

「仕事に情熱をかけていて、時間が過ぎてしまった」というのは、(今独身であるという)現状の説明にはなりますが、これから先のお付き合い等を目指すにあたり、あまり大きな意味を(自分が思うほどには)持たないので、そういうことを何度も繰り返して考える時間があったら、実際の行動をしていったほうがいいと思います。

例えば、仕事で得意先との待ち合わせに20分遅れたとします。そうしたら、最初のセリフは、「○○○という理由で遅くなりました!申し訳ございません!!」となるでしょうが、その後は、遅れた時間を取り戻すために、ペースを速めて仕事を進めていくなどの「実務的な工夫」をするものですよね。

「私は、会社を出ようとしたら、部長に呼びとめられて・・・、それでいつもの電車に取り遅れまして・・・、事務担当者が書類を準備するのが遅いものだから・・・」とか、遅れた理由を延々と語ったりはしませんよね;。それと同じで、「今から先が大切」なのです。

これから先に活かしていくために、過去を思い返すのはよいでしょうが、「私は、仕事をしていたばかりに・・・」という考えにとらわれて、前にすすめず、過去ばかり見つめているのは、上記の待ち合わせ話に例えれば、20分遅くなった理由を、延々と語っているのと同じことになります。

恋愛や結婚も、まずは、現実的な行動が大切です。目指す未来のために、今必要な行動を、頭の中の考えだけでなく、実際に起こしていきましょう。

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2009年11月 2日 (月)

不思議な写真と、霊的作用の考え方。

いわゆる心霊写真の類ではなく、空の雲が「天使の羽根」のような形状に写っていたとか、まるで龍が上っていくような形だったとか、虹色の光が写りこんだとか、そういう、素敵系の、不思議な写真がとれることがありますよね。

「この写真が、まるで○○○のように写ったのですが、何か(スピリチュアルな)意味がありますか?」なんて、聞かれることも多いです。私は、ごくアッサリと「あなたが○○○だと思うなら、それでいいのでは?」とお答えします。

あくまで私の解釈ですが・・・、例えば、「雲の形状が、羽根のように写った」写真があったとして、それが、霊的な作用があるかないか、あちらの世界の介入があるかないか、「明確な答え」を求める必要はない気がしますし、ご自分が思った通りに解釈なさることでいいと思うのです。

どちらにしても、「その写真を通して、気づきのきっかけを与えてもらった」と、自分が思えるなら、自分にとって価値があったことになります。怖いものなら気になるのもわかりますが・・・、キレイなのはそれでいいじゃない、と思うのです。

私の知人の話ですが、数年前に「家の中に、鳥が入ってきて、出ていかない;」ことがあり、その時に撮影したという写真を見せていただいたことがあります。その自慢の写真(笑)は、鳥の周りが光って、まるでオーラのように写っていました。

彼女がいうには、古いカメラで手ブレ補正機能もついていないので、鳥が羽ばたいて動いたブレが、光っているように撮影されたのだろう、と。そういう考え方で、十分ではないでしょうか。鳥の動きという、「物理的作用を利用して」不思議な写真をとらせてもらった、その機会を与えられたのだ、と。

家の中に鳥が入ってくるというだけでも、十分に意味あり気で・・・、さらに写真に対する霊的干渉の有無を問うのは、無粋な気がします。

下の写真は、私の師匠が撮った「クラーク博士像」です。

225.jpg

何の気なしに、シャッターをきっただけ、だそうです。逆行で、太陽を背にしているので、まるで頭の周りに後光が差しているかのよう、ですよね。私は、この写真がとても気に入っています。でも、(この太陽の配置になったのは)、霊的な意味があるのかななんて、考えたことはありませんし、そんな話をしたこともないです。

私は、この写真に結構感動して、「わぁー、オーラみたい!!」と、エキサイティングな状態だったのですが、先生は、確か「ふーん」程度の、とても薄い反応だったような(笑)。

人の感じ方、解釈の仕方、何に意味を見出すかはそれぞれ違いますから。私たちは、「この世に偶然はない」という前提で生きていますから、どんなことにも、「ま、何らかの意味はあんだろ」くらいの気持ちがあるので、あまり、一つ一つの現象にこだわってない、というのはあります。

でも、この写真は、私的には、とってもツボでしたので、・・・もうちょっと反応してほしかったような気持ちは正直ありましたが(笑)。

いずれにしても、不思議で素敵な写真がとれたら、うれしい気持ちになるものです。でも、あまりに拡大解釈しすぎたり、意味を求めすぎても、本当に目を向けなければいけないことから、視点が外れていく気がします。

ほどほどでいいと思うのです。こういう言い方は何ですが・・・、「たかが、写真」ですよね。私は、そう思います。

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2009年11月 1日 (日)

全体的な広い視野を持って、スピリチュアリズムをとらえていきましょう

私は、「どんな出来事にも、何らかの意味があることは確かだけれど、・・・すべてが「重要な意味」があるとは限らないので、ひとつひとつの出来事に、過剰な霊的解釈を求めすぎないほうがいい」という考え方を持っており、皆さまから寄せられる質問などにも、そのスタンスでお答えしています。

個人的かつ特定の出来事に対して、「どんな意味か?」もしくは、「このような意味に解釈してもよいのか?」というご質問には、私は、「そうかもしれませんね」くらいにしか、答えません。

明らかに間違った解釈だと思われるものは別ですが、だいたい「範囲内」と思われる解釈には、「それで正しいですよ」などと断言もしないし、特に否定もしない、という形の答え方にしています。

お聞きになる方からすると、物足りないかもしれませんが(笑)、物事というのは複数の要因が作用し合ってなされており、たったひとつの原因のみで成り立っているものではない以上、ある理由が「正しい要因」だったとしても、「そのことが、唯一無二の理由とは限らない」わけで・・・、その他にも重要な意味を含んでいるかもしれず・・・、軽々しく、断言できるものではないからです。

特に、スピリチュアルの知識が少ないと思われる初心者の方には、断言をしないように気をつけて話すようにしています。なぜなら、誤解が生じやすいからです。

自分の人生を自分で紐解いていくのが大切で・・・、そのための感性を磨いていくことが「精神的な成長」で・・・、今後同じケースがでてきたときに、自分で(スピリチュアルな法則に当てはめ)答えを出せるような「考え方」を身につけていくべきだと思うからです。

「考え方」を身につけようという意欲があれば、最初はわからなくても、だんだん自分で考えることができるようになります。上記は、スピリチュアリズムをあまり理解していない方に対しての話です。

では、上級者には、どんな対応をするかというと・・・。その答えは、ありません。

なぜなら、上級者は、「これには、どんな意味がありますか?」という質問をあまりしません。そういう疑問の抱き方をしないのですね。

すべてに(何らかの)意味がある以上、一つの出来事に過剰にこだわりすぎることは、砂利道の中で、たったひとつの石を取り上げ、「これは石ですか?」と、考えるようなものです。

確かに、そのひとつも石だけれど、・・・足元には無数の石があります。広い視野で、無数の石を認識すれば、目の前の一つの石にこだわりすぎることが、どれほどに「小さい」ことか、理解できるようになるでしょう。

包括的、全体的な考え方ができるようになると、個別の出来事よりも、全体をつかさどる「仕組み」を知ることに、意識が向かっていきます。全体をつかさどる仕組み、それこそ、スピリチュアリズムという思想そのものです。

カルマの法則、たましいの成り立ち・・・、私たちは何故生まれ、何を学ぶために生きているのか・・・、興味の対象が、そちらの方向に移り変わっていくのです。自分で自分を導いて、「探究」していけるようになるからです。

「疑問を抱くこと」や、「個別の出来事にとらわれること」が、悪いという意味ではないのです。最初は、そこからスタートするものであり、誰もが通る道だと思います。でも、いつかは、そういう考え方から抜け出して、広い視野を身につけていこうという意思を持って、自分の人生に挑んでいただきたい、そのためにスピリチュアリズムという思想を「活用」していただければと思います。

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