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2009年10月29日 (木)

山にこもるよりも、「里の修行」が大切であり、そして難しい。

現代に生きる私たちにとって、日常の生活が、何よりの精神修行であり、霊的真理の「実践の場」となります。

例えば、滝行や断食なども、精神の鍛錬には、一定の効果があるかもしれませんが・・・、誰もが行う必要のあることではありませんし、形だけの行で、そこに精神が伴っていなければ、意味がありませんし、非日常を経験することで得られる一種の高揚感と、精神的な成長は、同じではありません。

私は、滝行や断食がよくないと言っているのではありません。どんなことも目的、動機次第だと思います。

ところが、昨今のスピリチュアルブームで、高度な精神修行であるはずの滝行が、まるで、「○○をすれば、霊的な能力や、精神レベルが上がる」かのように、インスタントにとらえられている風潮は、正しくない方向にヒートアップしすぎではないかと危惧しています。

山の中にこもる精神修行よりも、この現代においては、むしろ都会で生活していく方が何倍も体験で辛い「修行」になると思います。

都会で生活すると、家賃を払わなければならない、いやな上司とも毎日顔を合わせて、得意先に頭をさげて、ときに理不尽な仕打ちにも耐えなければなりません。これが修行ではなくて何なのか(笑)。

それらの「都会の修行」を成し遂げた方が、山にこもったり滝に打たれたりするのは、さならる向上のための修行となりえるかもしれませんが、都会の生活に嫌気がさしている人が山にこもることは、現実逃避だと思います。なぜなら、(そういう方にとっては)山のほうが楽だからです。この点を、取り違えないほうがいいと思います。

私たちは、自分の学び(カルマ)にふさわしい時代と環境を「選んで」生まれてきています。この21世紀の日本という都会にいる理由は、この様々に発達した時代と国という環境から、学ぶべきことがあるからです。

いろいろなパターンがありますから、「都会に生まれながらも、便利さを捨てて、山にこもる経験をしてみる」という学びを持った方も、いらっしゃるかもしれませんが・・・、そういう方は、本当にごくまれ、だと思います。

生まれた地域、家族、その他すべての状況を「選んで」生まれていて、それは、もれなく、自分のたましいのカリキュラムに「合っているはず」ということを、忘れないほうがいいと思います。

今のこの時代に生きている自分が学ぶべきことは何なのか、必要なのは「山の修行」か、「里の修行」か、という点を、よく考えてみてください。

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