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2009年10月の16件の記事

2009年10月29日 (木)

山にこもるよりも、「里の修行」が大切であり、そして難しい。

現代に生きる私たちにとって、日常の生活が、何よりの精神修行であり、霊的真理の「実践の場」となります。

例えば、滝行や断食なども、精神の鍛錬には、一定の効果があるかもしれませんが・・・、誰もが行う必要のあることではありませんし、形だけの行で、そこに精神が伴っていなければ、意味がありませんし、非日常を経験することで得られる一種の高揚感と、精神的な成長は、同じではありません。

私は、滝行や断食がよくないと言っているのではありません。どんなことも目的、動機次第だと思います。

ところが、昨今のスピリチュアルブームで、高度な精神修行であるはずの滝行が、まるで、「○○をすれば、霊的な能力や、精神レベルが上がる」かのように、インスタントにとらえられている風潮は、正しくない方向にヒートアップしすぎではないかと危惧しています。

山の中にこもる精神修行よりも、この現代においては、むしろ都会で生活していく方が何倍も体験で辛い「修行」になると思います。

都会で生活すると、家賃を払わなければならない、いやな上司とも毎日顔を合わせて、得意先に頭をさげて、ときに理不尽な仕打ちにも耐えなければなりません。これが修行ではなくて何なのか(笑)。

それらの「都会の修行」を成し遂げた方が、山にこもったり滝に打たれたりするのは、さならる向上のための修行となりえるかもしれませんが、都会の生活に嫌気がさしている人が山にこもることは、現実逃避だと思います。なぜなら、(そういう方にとっては)山のほうが楽だからです。この点を、取り違えないほうがいいと思います。

私たちは、自分の学び(カルマ)にふさわしい時代と環境を「選んで」生まれてきています。この21世紀の日本という都会にいる理由は、この様々に発達した時代と国という環境から、学ぶべきことがあるからです。

いろいろなパターンがありますから、「都会に生まれながらも、便利さを捨てて、山にこもる経験をしてみる」という学びを持った方も、いらっしゃるかもしれませんが・・・、そういう方は、本当にごくまれ、だと思います。

生まれた地域、家族、その他すべての状況を「選んで」生まれていて、それは、もれなく、自分のたましいのカリキュラムに「合っているはず」ということを、忘れないほうがいいと思います。

今のこの時代に生きている自分が学ぶべきことは何なのか、必要なのは「山の修行」か、「里の修行」か、という点を、よく考えてみてください。

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2009年10月28日 (水)

悩み事を増やしているのは、自分(という場合もある)。

答えの出ないことを、悩み続けると、考え方が、ひとつの方向に固定されてしまい、さまざまなケースに対する柔軟な考え方ができなくなることがあります。

例えば、仕事の人間関係で悩んでいるとします。「この問題は、どうやったら解決するのだろう」「いつになったら、状況は変わるだろう」「何が原因で、こうなったのだろう」と、考える時間が多くなります。

それらの疑問に対しての、自分なりの答えというのは、都度、頭に思い浮かんでいくと思うのですが、しかし、自分の気づきや納得には繋がるとしても、瞬時に現実に反映して、問題が消えてなくなるわけではない以上、また、同じような内容を、思い出しては、考え、悩む・・・ことを、繰り返してしまうものだと思います。

だからこその、「(すぐには解決しない)悩み」なわけで・・・、この部分を、割り切りなさいといっても、それはムリというもの。悩まないに越したことはないけれど、ある程度、しょうがないことだと思います。

ただ、このとき、注意していただきたいのは、上記のような状態が長く続くと、自分の中で、悩みの思考スタイルが習慣になってしまい、無意識のうちに、他の事柄にまで、その思考スタイルを適用し、ご自分が懸案事項を増やしてしまっていることもある;、という点です。

悩んでいること以外の、それほど重要ではない選択にも、上記の考え方を(ご本人は、無意識なのですが)当てはめるので、本来ならば容易なはずの決定事項にも、いつまでも答えが出ず、「やりかけ」「未決定」の事柄が、次々に増えてしまうのですね。

習い事のスクールが、「A」と「B」で迷っていて、Aが望ましいけれど場所が遠くて通い続ける自信がない、近くのBだとピンと来なくて・・・、などという内容で、いつまでも迷ってしまうのです。例えば、結婚とか、転勤とか、数年単位で関係してきそうな重要なことを、上記のように悩むなら、わかります。けれど、趣味のスクールならば、いやなら、いくらでも後で変えられますよね。Aに行ってみて、遠くて大変だと思ったら、Bに変えればいいだけのことです。

ところが、上記のような状態にあると、このような思考に至らないのですね。思考がとても狭い範囲で固定されてしまって、柔軟さを失い、あれもこれも、八方ふさがりのような気持ちになってしまいがちです。

時間が経って、冷静さを取り戻せば、その状態にあった自分が「視野が狭くなりすぎていた」と気づくでしょうが、渦中にいるときには、自分では気付きにくいものかもしれません。誰もが、そのような状態になってしまう可能性があります。悩まなくていもいいはずのことを、自分が「悩み事」にしてしまっていることも多いので、柔軟に考えるようにしましょう。

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2009年10月25日 (日)

一年前から予知?していた、あるCMの話。

少し前に、カップヌードルのCMで、セーラーファッションの木村拓哉さんが出ていらっしゃいました。今も放映しているかは、わかりませんが・・・。

私は、このCMの様子が、実は一年以上も前から、霊眼に映っていました。それが、CMだということまでは、まったくわかりません。・・・っていうか、それが未来のことだという点も、当時は分かっていませんでした。

もう数年前の話になると思いますが、作詞家の阿久悠さんが亡くなった時に、阿久さんの特集がテレビで放映されているのを、たまたま見まして。で、とても素敵な歌詞だと思うものがたくさんあり、その後、youtubeで、阿久さんのつくった歌を、よく聞いていた時期がありました。

その中に、沢田研二さんの歌で、セーラースタイルで、超美しく歌っているのがあったのですね。私は、それが気に入って、多分、何十回も見たと思います(笑)。私、マニアックな性格なので、そういうところがあります。

セーラーファッションの木村さんの映像が、見え始めた時(それは一年以上も前ですが)、私は、以前にyoutubeで見た、沢田さんの歌を、「思い出して、自分が映像のイメージを作り上げている」のだと思いました。沢田研二さんを、木村拓哉さんに置き換えて、自分が妄想(笑)しているのだろう、と。

それ以外に、理由が思い当たらなかったので。私は、別に、木村さんのファンではないですし・・・、それもなぜ、このファッションなのか?と考えると・・・、やはり、沢田さんの歌をイメージして、私が想像しているのだろう、と。

で、しばらくそのことを忘れているのですが、数か月おきくらいに、唐突に、その映像が(霊的な)視界に、カットインしてくるのですね(◎_◎)。

あまりに頻繁だから、これは何か意味があるのかなぁ・・・、何だろう・・・?と、その時は思うのですが、やはり、「これは、私が、思い出して、妄想?しているのだろう」と、自分なりの理由をつけては納得し、そのまま忘れる、ということを何度も繰り返していました。

それからしばらく経ち、今年になって、あのCMを見たとき、

( ̄∀ ̄)「あ!、これだったか!」

と、心のつかえが取れました(笑)。

これ、何が言いたいかというと、毎度おなじみですが(笑)、霊視なんて、こういう、どーでもいい内容;のものが多く・・・、自分の我欲に使ったりとか、そんなことってできない、という話です。

霊視って、どちらかというと受動的、なんですよね。見たいものを見るなんてできなくて、見えるものが勝手に見える、という;。能動的に霊視って、なかなかできないと思います。仕事のときは、別ですが。なので、仕事を離れると、超フツーです、私。

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2009年10月23日 (金)

未来のリーディング(私の把握方法)。

未来は、これから作り上げていくものであって、あらかじめ決まっているものではありません。リーディングでお伝えする未来とは、あくまで「現時点から見た、未来の可能性」に過ぎず、必ずそうなるという意味ではありません。

未来についてお答えする内容は、どんな場合でも、上記の点を踏まえて解釈していただけますようお願いいたします。

私が、未来のことを読み取る場合は、現実の様子そのものを透視しているのではなく、未来の「エネルギー透視」をして、お伝えしています。エネルギーの移り変わりを読み取って、だいたいの節目にあたる時期とか、変化の波のようなものを把握しています。

なので、あまり具体的な事象ではない伝え方になっていることが多いです。「だいたい、このくらいの時期に、転機があって・・・」とか、「流れが変わっていきますね」みたいな、感じで、ご本人の考え方しだいで、いかようにでもなる程度を、お伝えする形になることが多いです。はっきりとわかることについては、ズバリ言うこともありますが、そういうケースはまれですね。

私は、未来のことについては、あまり詳しくお伝えしないことにしています。なぜなら、未来は不確定な要素が多すぎて、見えたものをお伝えしたところで、ズバリ当たるわけがないと「知っている」からです(笑)。

見えるか見えないか、と言われれば・・・、多分、見ようとすれば、霊眼に「何か」は、映ることでしょう。けれど、それが、その通りになるとは限らず、・・・というよりも、ならない可能性もかなり高いと分かっていますから、私は、お客様の未来をありありと映像で見ようと、試みること自体を行いません。

近の未来はともかく、時期が先になればなるほど、精度は下がっていきます。そのように、「(必ず当たるとは限らない、と)分かりきっている」ことを、代金をいただいて、あえてお伝えすることに、あまり意義を感じない・・・どころか、かえってミスリードに繋がるのではないか、と思うのですよね、私は。

いろいろな認識方法がありますから、あくまで「私の場合は、そうしている」ということであり、把握の仕方は、エネルギー透視に限らないので、この記事は、タイトルのとおり、「私の、把握方法」ですので、その点は誤解なきよう、お願いいたします。

未来は、都度、変わります。未来は、自分で、「これから作り上げていくもの」、です。私がお伝えすることも、参考程度に受けとめて、そのことに、とらわれすぎないようにしてください。

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2009年10月22日 (木)

比較。

スピリチュアル系の本などで、「他人と比較してはいけない」「比較は無意味」などの記載をよく見かけますよね( ̄∀ ̄)。

私は、この世は「相対の世界」であって、比較することで、(例えば、自分と他人、などの差を)認識できる場所である、と、何度となく書いています。その点を、混同して解釈なさる方がいると困るので、説明をしておこうと思います。

「他人と比較しては、いけない」という言葉の受け止め方としては、それぞれ独自の資質があり、う人間であるのだから、他人と自分を比べて“優劣”をつけるような考え方は、やめましょうという解釈をなさっていくのがよいと思います。

相手の素晴らしいところを参考にするとか、自分の至らない部分を努力するとか、そのためのモノサシとして、比較をするならいいですが、相手があんなにすごくてズルい;とか、自分ばかり損をしている;とか、私はどうせダメだ;、とかですね、そういう比較はしないほうがいいし、しても意味がないと思います。

別の人間なのですから、「別の素材」を比較しても、評価は偏りますよね。例えば、日本とフランスはどちらが素晴らしいか、と言われても、「センス」とか「文化」とか「国民性」などは、数値化できませんので、その人の好みでしか答えがでません。それと同じで、人の資質を比較しても・・・、ということです。

一方、私がここでよく取り上げる「比較で認識する(ことのできる世界が、この世)」というのは、自分を計るための、目安として、周囲の要素を活用する、という意味合いです。どちらが上だとか、劣っているとかの優劣をつける目的ではありません。このような考え方は、必要だと思います。

以前よりも、こだわりが薄れた自分」というのは、過去との比較で感じることですし、「あの人の活動を目標にしよう」という意思も、相手と比較して、見習うべきところを見つけていますよね。

「比較」に限らないのですが、言葉にはいろいろな使い方も解釈もあるわけで、表面的な「言葉」が大事なのではなく、「解釈」が大事だと思います。感性を働かせれば、そのあたりは「分かる」はずです。

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2009年10月20日 (火)

オーラを明るく輝かせるには?

「オーラを輝かせるには、どうすればいいのか?」「波長を上げるには?」という質問が、かなり頻繁に寄せられますので、ここに記載をしておこうと思います。

オーラというのは、こころとからだとたましいの「映し出し」です。その人の資質や性格、心境、意思の強弱等、さまざまなことが現れています。波長の高低も、オーラの状態に反映します。ですから、オーラを輝かせるためには、自分自身を高めていけばいいのです。

日々明るく、前向きに、努力を続けていくことなどが、すべてオーラの輝きとして反映していきます。生き方そのものが、オーラに刻まれ、大きく輝いていくようになります。

逆に、他人を恨んだり、くよくよと後ろ向きな考え方で、努力を怠れば、オーラの輝きは失われていきます。

オーラが輝くことで素晴らしい人になれる、のではなく、「素晴らしい人のオーラは、輝いている」のです。ここでいう素晴らしいというのは便宜上の言い回し、ですが。

オーラを輝かせるための、例えば、「○○を食べれば、オーラが輝く!」とか、「○○の行動が、効く!」などの、お手軽なハウツーは、ありません。

上記のようなご質問をなさる方も、お手軽ハウツーが存在すると思っていらっしゃるわけでもないのでしょうが、そういう答えを期待しているのではないのだろうとは、分かっていますが、・・・それでも、私からすると、とても答えにくい質問なんですよね( ̄∀ ̄;)。

なぜなら、簡単に、ひと言ふた言で、いい表わせるようなことでは、ないからです。

まず、基礎的な知識、言葉の意味するところ、オーラとは、波長とは、何を反映してどのように作用しているのかを、理解していただいてこそ、「どうすればよいか」を説明することができます。

その下地作りのために、こうしてブログをUPして、さまざまな観点からお伝えすることを、くり返し行っているつもりです。

私のブログを全部読めとは言いませんので(笑)、基礎的なことをより詳しく知りたい方は、江原さんの本をお読みいただければ、とてもわかりやすく詳しく記載があると思いますので、オススメいたします。

オーラも波長も、その人の「たましいの映し出し」ですから、「あらゆる意味で、自分を向上させていく」ことを、心がけてみてください。

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2009年10月19日 (月)

髪の毛は、長くしすぎないほうがいい・・・ような気がします。

全員ではないのですが・・・、たまに、髪の毛の裾あたりに、もやーんとたエネルギー(つまり、明るくないエネルギー;)が、くっついている方がいます。

髪を長くしている人に多く、短い人には、あまり見られない現象です(と、私には、見えます)。

髪の毛全体にくっついているのではなく、だいたい裾のほうなので、そのような方には、「少しだけ、切ったほうがいいかも」と、お伝えしています。

髪の毛は、念がこもりやすいのでしょうかねぇ・・・。なぜ、髪がそのような状態になるのか、というのは、よくわかりませんが・・・。

まあ、悩んだり困ったりしているときに生み出される、くもったエネルギーは、主に頭の周りに多く生み出されるので、それらのエネルギーが、場所的に近い、髪の毛に、帯びてしまう・・・、ということなのかもしれません。

また、ロングヘアの全員がそうだというのでもないので、個人差があるようです。なので、あまり気にしなくてもいいことでしょうけれど、極端に長い状態は、ちょっと軽くしたほうが、エネルギー的観点からも、風通しが良くなりそうな気がしますね。

あとは、(自分の生み出した想念を帯びているのだとしたら)あまり悩まない、暗くならない、ことを心がけていけば、大丈夫だと思います( ̄∀ ̄)。気にしすぎず、参考程度にお考えくださいませ♪。

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2009年10月13日 (火)

リーディング力を磨くには。

昨日、「ヒーリングの技能を身につけるためには、まずは、「型」を習うことが有効である」という、私の考え方について書かせていただきました。

では、リーディングの場合は、どのように練習するかというと、「型」がないので・・・、リーディング力を磨くためには、特定の「○○の方法」という考え方から離れて、自分の感性を磨くための、基礎的なことを、ひたすら行っていくことが、一番の訓練になると思います。

「実際に、当たらなくてもいいからまずやってみる」、という実践方法もあるけれど、これは・・・「良し悪し」だというのが、私の考え方ですね。そういう方法で、読み取り能力が磨かれる部分も、あるけれど・・・、私は、そのような指導方法は、あまり賛成でないので、自分では取り入れていません。

なぜなら、自分がいやされていない人が、相手から読み取った情報(と、自分では思っていること)は、多大な自己投影が含まれているからです。相手のネガティブなことばっかり目について(それは、自分のことなのだけれど;、本人は気付かず;)、いくら練習とはいえ、言われた相手はボロボロになり・・・、言った本人は、(当たったつもりで)悦に入っている、という状況になりがちだからです。

こういうやり方をする場合、「相手のネガティブな部分は口にしない」とか「なるべくポジティブに言い換えて伝える」などのルールを一応決めて行うものなのですが、・・・言いたくなる人は守らないのですよね;。っていうか、自分がルール違反をしているツモリもないのです。本人は「正しいことを言っている」と思いこんでいるので;。

話すこと(本人が相手のこととして受け取っているツモリの内容)には、本人のオーラの状態が、見事に反映されています;。本当にもう、一目瞭然という感じです。

このような状況を、(自分の癒しに取り組まず)繰り返したところで、確かに、ある部分では、読み取る能力は高まっていくかもしれませんが、オーラは、明るくなりませんし、むしろ逆になります;。

基礎練習を繰り返していって、自分の癒しに取り組み、その上で、時期が来たら、実際に他者をリーディングするという実践に入っていくのが理想だと思っています。

この私の考えが、必ずしも正しいとは言いませんが、「何のために、行うのか」と考えれば、それは、自分の霊的な成長のため、のはずなのに、人を傷つける(可能性もある、という)リスクを負ってまで、「他者リーディング」という実践練習をするようなことだろうか?というのが、私の考えなんですよね;。

なので、私のところでは、全般的に感性を高める方法、ということで、ご希望者には、指導させていただいておりますが、「他者リーディングに特化した基礎練習方法」というものは、「ない」と、私は思っていますので、ご希望があっても、指導の対応はしていません。

私自身も、自分の師匠から、リーディングの方法とかを、指導してもらったことはありません。これは、最初から、自分の中にあったもので、それを掘り起こしていただいたとは思っていますが、「教えて身につくようなものとは違う」と、私も師匠も、お互いが「知っている」ことですから。

ということで、現時点での、「私の考え方」は、上記のとおり、全般的に感性を高める基礎的訓練をくり返すのが、一番の近道であり、安全な方法、だと思っています( ̄∀ ̄)。ご自分の癒しに、取り組むことも、大前提です。

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2009年10月12日 (月)

ヒーリングの基礎を身につけるには。

ヒーリングの技法を身につけるには、まずは、「力のある方に、基礎を習う」ことが、一番の近道だと思います。

独学でもやれないことはないでしょうが、私は、ヒーリングに関しては、「実力のある方に、指導してもらう」ことを、お勧めしています。ここでいうヒーリングとは、いわゆるハンドヒーリング、エネルギーヒーリングをさしての話です。

かなりの高いレベルになると、リーディングとヒーリングに明確な区分けはなくなり、高度のヒーリングができる人は(それだけ、霊媒力も高いわけですから)、リーディングもできるでしょうし、逆もまた同じです。

その前段階の(笑)、一般的な、「リーディング」と「ヒーリング」については、それぞれの特性はありますので、あえて分けて考えるならば、という意味で理解してください。

ヒーリングは、階段の、最初の一段か二段を、「まずは、型を習う」ことで、上れるものだと私は思っています。そして、三段目以降から、その人なりの資質が発揮されていくという形になっている気がします。つまり、指導されて習得しやすい部分は、「基礎」にあると感じるのです。

一方、リーディングは、ヒーリングを教えてくれる所はたくさんあるけれど、リーディングを教えている所はほとんどないことからも分かるように、「一定の型」が、通用しにくい分野です。リーディングの場合は、すでに資質を発揮していて、階段の五段目くらいにいる方が、さらなる「応用」として「型」を取り入れるような場合に、「人から、技法として習う」ことが、有効な気がします。

サイコメトリーとは、品物が帯びているエネルギーから、持ち主の情報などを読み取る技法です。この技法を練習すること自体は、初心者でも可能でしょうが、この技法を基礎として、リーディング方法を構築して積み上げていくというのは、・・・難しいと思うのですよね。

ヒーリングは、「型」を習うことで、自分の資質を発揮するための基礎を作る上で、スタート地点の底上げがなされる部分があり、リーディングは、「練習」としては、「型」もいいけど、実践で使うとしたら、ある程度の力を発揮している人の上乗せ要素かな、と。あくまで、私なりの感覚、ですが。

私はまだヒーリングをメニューに入れていないのですが、ヒーラーになりたい方は、まずは、力のある人を見つけて、技法を習っていくことが、一番の近道である、というのが私の考え方です( ̄∀ ̄)。

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2009年10月11日 (日)

「あの頃」に、戻りたい?

特に、恋愛や結婚のご相談で、皆さんが口にするのは、「昔に戻りたい」という言葉です。お仕事に一生懸命になって、仕事を中心に生活なさってきた女性が、今の時代はとても多いですから、結婚を望んでいながら、独身でいらっしゃる方は多いです。

「若いころに戻りたい」「10年前に戻りたい」、言葉だけきくと、もっともな感じがしてしまいます(‾_‾)。けれど・・・、良く考えてみていただきたいのですが、皆さんは、本当に、「もう一度、若いころの人生を、なぞって生きたい」でしょうか?

若いころというのは、誰でも等しく、「頭が悪い」ものです(笑)。誰もが、数々の失敗をして、未熟さを露呈した経験を、積み重ねて、今に至っているはず;。その人生を、もう一回、経験したいでしょうか?私なら、答えは「NO」ですね( ̄w ̄;)。

若いころに戻りたいという気持ちは、今の大人の感覚を持ったまま、時間だけ10年前に戻れたらなぁ・・・ということであって、もう一度、若いころの経験をしたい、ということではないはずです。「もしも、今の感覚で昔に戻ったとしたら、もっとうまく立ち回って、ああして・・・こうして・・・」と、という意味で、戻りたいのであり、「昔の経験を、昔の自分(の、頭の悪さ;)で、もう一回味わいたいか」と言われたら、・・・イエスと答える人は、ごく少数ではないでしょうか。

そのように、具体的に考えてみると、「戻りたい」気持ちは、薄れていくから不思議です(笑)。

時代が変わると、「便利さ」が手に入ります。過去にできなかったこと、やらずに後悔していることがあるなら、今から、やってみてはいかがでしょうか。

今のほうが、敷居が低くなって、取り掛かりやすいこともあることと思います。若いころにお金がなくてできなかったことも、今なら挑戦できるとすれば、取り掛かるべきタイミングは、「あの頃」ではなくて、「今」、だと考えることもできます。

恋愛についても、10年前なら、今のようにメールが老若男女問わずに普及している状態ではなかったはずで、今のほうが、気軽に連絡が取れたりもするわけで・・・、「今の時代、ならでは」の、メリットだって、ちゃんとあるのですよね。

人は、過去を美化してしまうものです。記憶は、薄れていくから、美しい場面だけが記憶に焼きつき、時に私たちを苦しませるけれど・・・、冷静に考えれば、過去の思い出とは、美しい場面だけではないはずで;・・・、それに、「今」だって、良く考えてみれば、それほど悪くはなかったりしてsun

未来は、これから、自分で作っていくことができます。後ろを振り返ることも、時には必要だと思うけれど、過ぎたことにとらわれていくと、「今」を、生きられなくなります。なるべく前を向いて、明るく元気に、進んでいきましょう!

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2009年10月10日 (土)

手のオーラが、一番見やすい理由。

体の周りをとりまくオーラのうちで、一番視覚にとらえやすいのは、「手」だと思います。あとは「頭の周り」も、見やすい部分です。

「あなたのオーラの色は赤いので、情熱的な性格ですよ」などの、性格や資質を表わす部分、「精神のオーラ」(という言い方を、江原さんはしています)は、肉眼で見るものではないので、どなたでも見えるというわけには、いきません。

しかし、「体の周りのオーラ」は、肉体に近い部分の層は、コツさえつかめば、ほとんどの方が、視覚にとらえることが可能だと思っています。目の使い方、焦点の合わせ方しだい、なんですよね。今まで、セミナーや個人レッスンで、たくさんの方に指導させていただきましたが、まったく何もとらえられないとい方は、過去におひとりだけ、でした。

なぜ、手のオーラが一番見やすいかといえば、それは、手はよく使う部分ですから、エネルギーが活性しているため、だと思われます。勢いが強いほうが、感じ取りやすいものです。頭の周りも、よくエネルギーが動く部分です。

逆に考えれば、オーラを活性させるためには、「使う」ことですね。使うというのは、オーラを動かす、という意味で。

オーラは、とどまっているものではありませんから、何も障害物がなければ、動いていきます。悩んだり困ったり、疲れたり・・・と、何かのネガティブな要素が、オーラの中にくもりとなって生じることで、通常の流れが滞り、元気がない(活性していない)オーラの状態、になるのです。

オーラを視覚でとらえたい方は、まずは、手のひらで練習をしましょう。他者を見て練習する場合は、肩から上のあたり、頭の周囲が、一番分かりやすいと思います。

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2009年10月 9日 (金)

「変わりたくない」方へ。

変化することを、恐れている方は、多いものです。なぜなら、今の環境というのは、(それが望ましいものではないとしても)、現時点の自分にとって、「一番馴染んでいる場所」だから、です。

けれど、この世に「変化しないもの」なんて、あるでしょうか。すべての物は、同じに見えても、少しずつ変わっていると思うのです。品物も、年月がたてば劣化したり風化したりします。私たち人間も、年齢を重ねていきます。

そう考えれば、すべては「変化ありき」なわけで・・・、「変わる」ことは決して難しいことではなく、人生という仕組みに沿った動きであって、逆に、「変わらない」ことのほうが難しく、人生の流れに逆行するようなもの、ではないでしょうか。

何もしなくても、物事は自然に変化していく部分はあります。けれど、意識的に変化させようとする意思の力は、「大きな動き」を呼び込みます。

すべては自分の判断であり、「自己責任」ですから・・・、他人が口出しできることではないので、変わる意思を持つも、持たないも、決めるのは自分です。

自分の人生を変えられるのは、自分だけです。自分が変われば、「波長の法則」により、自分の周りの出来事も、人間関係も移り変わっていきます。同じものが、引きあうからです。

今の自分の周りにあるものは、過去から今までの、自分の波長が呼び寄せたものであり、自分が変わりなくないならば、付随する要素も受け入れるしかなくなります。

私も、日々、自分を省みて思うのですが、波長の法則とは、本当に耳の痛い法則です(汗)。けれど、この法則があるおかげで、私たちは、努力の余地がある、ともいえます。自分が努力したことが反映しないならば、悩んでも、考えても、まったく意味をなさなくなりますが、この法則があるおかげで、自分を省みることができます。

周りを見渡して、(以前と比較しての、変化等で)自分の成長を、他人を通して感じることもできます。良い出会いが増えてきたなら、波長が変わった証拠ですからね。出会いも、波長の法則、ですから。

成長するということは、変化していくことでもあります。私たちのたましいは、「成長」をのぞんでいます。「変わりたくない」は、「成長したくない」のと、同義語になってしまいます;。「変化」と考えると、不安感が出てくる場合は、「成長の機会」という言葉に置き換えて考えてみてはいかがでしょうか。

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2009年10月 8日 (木)

更年期。

更年期の不安定な心の状態について、ご相談いただくこともあります。

以前に、「思春期(~青年期の入り口まで)は、感受性が高まりすぎて、心身のバランスが難しくなってしまう方もいる」ということを書きました。更年期も、似たような感じの症状が出る方もいます。ホルモンのバランスが、変化することと、無関係ではないと思われます。

以前に聞いた話なのですが、更年期になると、「聞こえないはずの声が、聞こえる」ようになる方などもいて・・・、で、病院に行くと、「更年期の症状ですね」ということで済まされて、薬を出されて終わる、と。

この話を聞いた当時は、もうかなり昔なので、私もその因果関係をひもとく知識もなく、「えっ・・・、そんな理由アリ?」と思ったのですが、今は、そういう症状も、一時的にあってもおかしくない、十分にありうる、ことがわかります。

思春期と同じように、変化したバランスに、自分が慣れていけば、だんだん症状も薄れていく場合が多いと思いますが、更年期は思春期の場合と、何が違うかといえば、子供は、知識もなく、現実の事柄と結び付けて深く考えることができないので(感性は発達段階、ですからね)、何がなんだか、よくわからないのです。苦しいけれど・・・、ただ苦しい、だけで、何がどうなっているのか、あまり分かりませんし、考えてみようという段階に至らないと思われます。

ところが、大人の場合は、いろいろな人生経験も積み重ねてきて、考え出せばきりがないくらい、あれもこれもと「原因(らしきもの)」が思い当たるため、逆に、深読みしすぎになって、思考の渦から抜け出せなくなるのです。

「更年期だから、しょうがない。こういうこともある」と、知識として知っていても、頭の中ので、今に至る原因を、殊更に追及したくなり、納得できる原因がほしくなるのだと思います。経験と知識があるゆえに、思考が複雑になってしまうのですね。

で、実際に、感応力も一時的に(アンバランスになることで)鋭くなっているものだから、ネガティブな想念に影響されたりもして、二重に落ち込んでしまうのです。(落ち込んでいるときは、「波長の法則」で、低いものをキャッチしてしまいます)。

そのような状態にある方に言えるのは「今の状態が、ずっと続くわけではない。いつか、光のある場所へと抜け出せる」ということです。

更年期で気持ちが沈んでいる人に「元気をだせ!」ということは、それは、今まさに溺れている人に、「溺れるな!」というのと同じで、難しいことだと思うのです・・・。励ましたい気持ちはわかるけれど、本人だって、(子供の思春期の場合とは違って)分かっているのですから。

ご家族に、更年期の症状で苦しんでいる方がいたら、落ち込みの状態に同調しすぎることなく、なるべく明るく接して、あなたのパワーでお母さんのオーラを包んで差し上げてください

まさにご自分が更年期にある、という方は、ネガティブな考えが内側からわきあがってきたら、意識的に、その思考をストップし、「自分を緩める」ことを心がけてください。人生は、更年期で終わるわけじゃない。更年期は途中経過です。まだまだ、これからやることがあるのに、ここで過去ばかり振り返っていられるか!と、自分に言い聞かせて、反省モードに傾く自分を、切り替えていきましょう。

この時期は、周りの方たちの愛情に甘えても、いいのではないでしょうか。強くて頑張りすぎの性格の方ほど、症状が長くなっているようにも感じます。少し自分に甘くなって、緩めていくこともよいと思います。

この時期が過ぎて、気分が安定していったら、また、自分のいつものペースに戻れるのですから、フレキシブルに、考えていくことも大切だと思います。

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2009年10月 6日 (火)

布につく、オーラ。

天然の布(綿など)と、化学繊維とは、柔らかさというか、風合いというか、言葉で表現するのは難しいのですが、「あたたかみ」が、違うように感じます。それは、布のエネルギーによるもの、だと、私は考えています。

以前にも書きましたが、物のオーラとは、素材がもつオーラや、製作者や関係者のオーラ、所有者のオーラなどが、作用しあっています。

なので、布のエネルギーとは、布の素材が発しているものと、その持ち主などの人のオーラを帯びているものとの、両方だと思います。

私が思うに、天然の物というのは、合成したものに比べて、エネルギーを帯びやすいと感じます。水などもそうですし、天然の素材は、エネルギーとの親和性が高いのでしょうね。

エネルギーヒーリングをなさる方で、「施術時は、なるべく天然素材の衣服で・・・」などという方もいますが、そういう意味では、一理あると思います。

科学的なものがあるとエネルギーが通らないということではなくて、通しやすいか、そうでないか、という意味で、ありうることだな、と。

もともとの素材が備えているオーラのキメが細かいと、より多くの外的なエネルギーをも媒介しやすいという点は、品物も、人間も、同じ仕組みのようです。

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2009年10月 5日 (月)

思春期は、感受性が高まって過敏になる方もいます。

誰もが、感じ取る力を、備えています。強弱の差はありますが、まったくゼロの方はいません。

そして、一生のうちで、「感受性が高まりやすい時期」というのがあります。それは、心身の成長が著しい「思春期」と呼ばれる時期です。

思春期から青年期の始めくらいは、精神の成長のペース以上に、感応力の伸び率のほうが(一時的に)高くなってしまうケースがあります。受け皿の成長が追い付かない、というか。

全員ではないのですが、繊細な性質をもつ一部の方は、思春期前後に、(一時的に)バランスが崩れて、パニック症状が出たりする方もいらっしゃいます。

一般に、子供のうちは、女の子のほうが、男の子よりも、大人だと言われますが、それは、この症状が現れる方の傾向を見てもそう感じます。女の子だと、小学校の高学年くらいから、中学校くらいまでに、過敏になる方が多いように感じます。一方男の子は、少し遅くて、高校生くらいから二十歳前後までに、過敏になる方も多いと感じます。

そのような症状が出る場合は、感受性だけが理由でありません。何かの心配事などがあって、そのエネルギーの作用が大きく反応として現れやすい、と考えてください。別の要因も、複合的に関係している場合がほとんどですから、そのストレスを除いていくことも大切です。

今は、子供たちも、大人とかわらないストレスがある世の中になっていますし、過敏になっているときは、小さいことにも反応が出てしまいがちです。そのような場合、私は、「改善を心がけるのは大切だけれども、今を乗り切る、という考え方も持ってください」と、お母さんにお伝えしています。大学生でしたら、ご本人にそう伝えます。

先にも書きました通り、もともと繊細な性質を持っているとはいえ、思春期特有の過敏さで苦しくなっている部分もありますから、その時期をすぎれば、完全ではないにしろ、かなりマシになるものだからです。

更年期も、これと似たような症状になりやすいのですが、ホルモンのバランスが影響しているためだと考えられます。霊感とホルモンの関係は、いろいろ言われていて、霊能者の体型が、太っているか痩せているかの両極端なのも、そのためではないかという説もありますね。

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2009年10月 1日 (木)

不調のときは、オーラがズレる。

オーラは、通常、体を覆っている状態ですが、調子が悪いときには、体の後ろ側に、位置がずれて見えます。歩いている様子だと、「肉体の動きに、オーラが後からついていっている」かのように感じます。

最近、インフルエンザが流行っている影響で、街中をマスクで歩いている人の姿をよく見かけます。予防のために、マスクをなさっている方がほとんどだと思います。

先日、小学生くらいのマスクを着用した男の子と、お母さんらしき人が、一緒に歩いているのを見かけました。男の子のオーラは、後ろ側に少しずれていましたので、「あの子のマスクは、予防のためではなく、風邪かインフルエンザにかかっていて、・・・今は多分、病院に行った帰りなのかな」と思いました。

「病院に行った帰り」というのは、勝手な妄想ですが(笑)。なんとなく、雰囲気がそんな感じでした。

私は、全体的なオーラを把握するのは、それほど得意ではないのですが、不調時のオーラは、質感が重くて、陰っていたりしますので、通常の状態よりも認識しやすいように感じます。

このようなズレの距離は、「不調和の要因が、肉体とオーラとの間にはさまっている」ようなもの、なのでしょうね。体の疲れだったり、過剰な悩み事だったり・・・。

不調和の要因が除かれ、心身の調子がよい状態に戻れば、オーラの位置も、戻っていきます。今回取り上げた、オーラが後ろ側へずれた状態とは別に、「上部に若干浮き上がった状態」になっている方もいます。そのことについては、また別の機会に書こうと思います。

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