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2009年9月11日 (金)

希望を知るために、苦難の経験がある。

人は、順調に物事が進んでいるときに、殊更に「希望」なんて、考えたりしないと思います。苦しい出来事に直面したときに、私たちは、未来に「希望」を見出そうとするのではないでしょうか。

本来は、いつでも未来の予想図を描きながら、創造的な人生を過ごしていくのが理想ですが、なかなか、その気持ちを持ち続けることができません。希望という言葉を、改めて考えてみる機会も、大人になるほど、減少するものと思います。

「あちらの世界」とは、比較の概念がない「絶対の世界」です。そして、こちらの世界は、比較がある、分離の世界、相対の世界、です。

闇があるからこそ、光を知ることができる、これは、比較という概念がある「相対の世界」特有の経験です。

「希望」から遠のいていくと、そのことを思い出させてくれる出来事が起こって、(つまり、困難に直面して;)、私たちは、再び、忘れていたものを、心に抱くことができるのだと思います。

先のことを見据える感覚が薄れると、「希望」も持ちにくくなりますよね。「今」を考えることも大切だけれど、今というのは、目に見える現実と直結しているから、「希望」という、形のないものとは、結びつけてとらえにくいものです。

そういうときに、今がとても苦しいような出来事が起こって・・・、私たちの視点が、未来に向くように、未来に希望をいだくようになっていて・・・、つまり、希望を忘れてしまうと、「視点が固定されてしまっていませんか?」という問いかけのような出来事が、降りかかってくる仕組みになっていると感じます。

「パンドラの箱」には、最後に「希望」がありました。素晴らしいものの象徴として、「美」や「光」でもよいと思うのですが、「希望」という言葉には、創造的というか、意思が反映していく余地がある・・・というような、ニュアンスを感じさせてくれる気がして(私の勝手な解釈ですが)、この現実界に、わかりやすい教訓になっているように思います。

完全に満たされていくと、もしかすると「希望」という言葉は、必要なくなるのかもしれません。完全ではない私たちの、成長の過程にこそ、この言葉が必要なのでしょう。

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