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2009年9月12日 (土)

たましいのルーツが別でも、親子が似ているのはなぜ?

親子といえども、たましいのルーツは別ですから、資質などが違っていてもおかしくないのに、実際には、よく似ているケースも多いものです。

私たちは、自分の学びにふさわしい状況(地域、性別、家族構成、その他)を選んで、生まれてきます。ですから、「あらゆる意味で、自分(の、学び)に、合った親を選んでくる」ので、似ているのも、当たり前かもしれません。

例えば、梨園に生まれてくる男子のたましいは、きっと、「家を継ぐことの学び(カルマ)を備えている」とか、「伝統芸能を職業にしたい」とか、そういう学びの要素を持った方が、「選んで」生まれてきていると思われます。なぜなら、そのお家に、男子が生まれた瞬間、職業は、「ほぼ決定」となるわけで・・・、そのことを、分かった上での、必然となっているはずだからです。

伝統芸能を経験したいと思って生まれてきたならば、資質に秀でているたましいが多いことは想像に難くなく、(もちろん、才能を開花させるには、相当の努力も必要ですが)、そうすると、「息子は、とても芸能のセンスがある」となって、当然「お父さんも、センスがある」わけで、・・・となると、「あの親子は、(備えているものが)似ている」という認識に繋がると思うのです。

親子というのは、少なからず、上記のような学びの関係上、「似ている」ものなのではないでしょうか。私は、そう思っています。

また、親子の資質が似ているかどうか、というのは、とても感覚的なものだから、実は難しいですよね。誰もが「親子だから、似ているのは、当然」という前提で考えますから・・・。

親子なのに、あまり似ていない場合には、「たましいの源が違うから(そうなっても、おかしくない)」という理屈は必要かもしれないけれど、似ていることに関して、理屈はいらないような気もしますが(笑)あえて説明するなら、上記のように、「学びの質に共通点があるから」という点は、関係するのではないかと思います。

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