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2009年8月16日 (日)

「絶対」という表現の、解釈について。

私は、この言葉を、ブログ内でしばしば使います。特に、カルマの法則を語る場合に、「絶対の法則」という表現をすることが多いです。

。けれど、この場合の「絶対」とは、たとえば日常会話で、「絶対に認めない!」とか「絶対にありあない!」などと、物事を強調するための意味合いではありません。

絶対的の反対語は、相対的です。相対的とは、比較によって成り立つ関係性です。AとBを比較すると、Bのほうが古いとか、Aのほうが軽いとかの考え方ですね。

私たちの生きる、現世、この物質界というのは、相対の世界です

「わたしとあなた」「過去と今」などの、比較という感覚によって、さまざまなことを学ぶ経験をしています。ということは、絶対とはその反対語なのですから、比較によって認識する関係性ではないのが、絶対、ということになります。他からの制限や影響を受けないのが、絶対です。

私たちは、相対(比較)の世界に生きていますから、つい、すべてをその感覚で解釈してしまいがちになりますが、あちらの世界とは、比較の概念を伴わない世界です。

絶対とは、比較の概念を伴わない、他に影響をされない、不変のものです。

つまり、「カルマの法則とは絶対(の法則)」という記載は、感情的な「カルマの法則が、一番すごくてエライ法則っ!」…とかの意味ではないのです;。

一番か、二番か、と比較している時点で、それは「相対」です。

絶対の法則、絶対の真理、とは、「そのもの」である、「不変」である、終わりも始まりもない、基礎も応用もない、それらを含んで「すべて」、という意味合いで使っている言葉です。本来言葉では表現しきれないものを、言葉に置き換えているので、くどい言いまわしになりますが・・・。しかし、これは、とても大切なことなのです。

たまに、「絶対の法則」という言い方に、拒否反応を示す人がいます。「絶対」という表現が、「例外を、認めない!」とかの、石頭な意見に思えてのことなのでしょうが・・・、例外があるか、ないか、という概念自体が、相対(比較)ですから;、この場合においては論点がずれていることになります;。

「この法則は、リンゴである」という意見に対して、「青リンゴだって、あるじゃないか!」と反論しても、・・・噛み合ってませんよね。詭弁に思えるかもしれませんが(笑)、でも、それが実際のところですから・・・、このような説明の仕方以外に、どうにも述べようがありません。

私たち人間にとって、相対(比較)で、表現することはさほど難しくありません。「これは、Aでもなく、Bでもない」「そして、Cより小さく、Dよりは軽い」と、他のものと比較して表現できますし、そもそも私たちは、この物質界という比較(相対)の世界に生きていますから、他と比較して知る、という方法がなじみやすくできています。

一方、絶対を、言い表すのは・・・大変に困難です。絶対の真理である、カルマの法則は、文章にするととてもシンプルで簡素な内容です。けれど、現実の生活に応用していくのは、とても難かしいと、スピリチュアルに興味を持つ誰もが感じることと思います。

なぜなら、私たち人間にとって、比較を理解するのはたやすいけれど、絶対という概念は難しいものだからです。スピリチュアリズムに関する理解も実践も、難しいと感じても、ある意味、当然ともいえます。

しかし、私たちは、「肉体をもった霊」なのですから、「霊的な感性」を駆使すれば、霊的な真理を理解することはできるはず。

肉体をまとっている以上、どれほどに霊的に進んでいる人であっても、相対の概念とは切り離されないので、(絶対を理解するには)理屈というサポートアイテムを使いながら、理解していくことが必要です。そのために、「スピリチュアリズム」があるのだと、私は思っています。

今回の記事の内容は、難しいと感じる方も多いかもしれません。

でも、そう感じるのも当然で、その理由は上記で述べました(笑)。これは、難しいのです。さまざまな経験を重ねていくことで、感性が研ぎ澄まされていけば、いずれ理解できるようになります。その時を楽しみに、じっくり身につけていきましょう( ̄∀ ̄)ノ。

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