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2009年5月の9件の記事

2009年5月25日 (月)

「すべて」は、手に入らない。

人生、山あり谷あり。楽あれば苦あり。何かを得れば、何かを失う。人生のしくみとは、そのようになっています。

お部屋をものすごーーくキレイに片付けようとすれば、体力と時間が消費されます。欲しいものを購入すれば、お金が減ります。かならず、バランスがとられるようになっているものです。このような例は、スケールが小さすぎて、わかりにくいでしょうか(笑)。では、もうちょっと広げて職業を例にとって、考えてみます。

芸能人は、才能があって、人気があって・・・と、華やかな面ばかりがクローズアップされますが、実際には、かなり窮屈な思いもしなければならないでしょう。どこに行っても、人の目を意識しなければならず、一般の人なら何のことはない小さなトラブルでも、問題視されてしまう、やれ誰と誰が付き合っているだの別れただの、プライベートまでが、ニュースとして扱われます。

プロのスポーツ選手も、成功すれば大金が得られますが、選手として活躍できる期間は、人生のうちのほんの一時期です。コンディション維持のために、きっと、私たちが思いもよらない努力をしているものと思います。

多くの方が憧れる立場にいる方たちは、その分、費やす時間や努力も、並大抵ではなく、得ているものの変わりに、失っているものも、相当にあるはずなのです。

そのすべてを、部外者が知ることはできないけれど・・・、「想像する」ことは可能です。感性の問題ですよね。感性が豊かならば、相手の身になって考えることができます。

この仕組みを理解すると、あまり他人を羨ましいと思わなくなります。「いいなぁ~」と思うことは、同時に「・・・大変だなぁ~」という何かが、裏にあることで、成り立っているはずですから。

山あり、谷あり。楽あれば、苦あり。困難の後には、成長があるはず。物事がうまくいかないとき、苦難に遭遇しているとき、何かを失ったときには、必ずそのあとにチャンスが来ることを信じて、日々前向きに頑張り続けることが大切です。

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2009年5月22日 (金)

初めて、霊を見た時;のこと。

私は、幼少期には、霊を把握することができていたかどうか、覚えていないのでわかりません。これは、「大人になってから、初めて見た(と、思う)記憶」です。

20歳前後だったと思います。あるとき、地下鉄の駅から、家にむかって歩いていましたら、どうやらいつもと違う道を通っていたようで、小さい木造の家(もしくは、小屋)の前にさしかかりました。

私は、ものすごい方向オンチで、油断すると、わけのわからない道を無意識に歩いています。でも、札幌は、道路が碁盤の目になっているので、ちょっとくらい違う道に入っても、戻るのは簡単です。なので、そのときも、別段気にせず、歩きながら、その木造の小屋を眺めていたと思います。

ちょうど、夕日がさしてくる時間帯でした。小屋の窓を通して、夕日の光が、私のいる場所まで、差し込んでいました。窓を通して道路に放射された光の中に、作業服をきた男性の首から下の様子が、映し出されていました。

私は、その様子を、ぼんやり眺めて、「これは、建物の中の、何が反射して、ここに見えているのだろう?」なんて、考えていました。

でも・・・よく考えたら、あり得ません(笑)。私の立っている場所に、鏡やガラスがあるならともかく、ガラス窓を通った光の中に、人の姿らしきものが映っているのです。

( ̄∀ ̄)・・・。

( ̄∀ ̄)・・・。

(; ̄∀ ̄)・・・。

とりあえず、頭の中を「無」にして、その場から、ゆっくりと歩き始めました。何も考えず、ひたすら「無」にして。

きっと、その建物にゆかりのある方が、眺めていたのだと思いますね。その様子を、私が見てしまった、と。首から下の様子だったのは、ちょうど窓から道路にさしている夕日が、首くらいの高さまでしかなかったので、もっと上まで幅があれば、全身が見えていたのかもしれません。

光の中に映っていた男性の姿は、虹色っぽい「光の状態」で・・・、今にして思えば、それは、オーラの色彩に近い感覚だったような・・・。

しかし、この経験の後の、かなり長い期間、私は、スピリチュアルとは無縁の生活を送りつづけるのでした;。

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2009年5月20日 (水)

既婚者との恋愛。

好きになった方に、すでに配偶者がいた。それであきらめられたら話は簡単ですが、・・・なかなか、そうならないのが人間の「感情」というものです。

「感情」というのは、ただでさえコントロールが難しいものなのに、それが「恋愛感情」となると、相手への執着を伴うので、さらにコントロールが難しくなります。好意を抱くことは、良いと思うのです。素敵な人がいれば、相手が既婚者だろうと、好意的な感情がするのは普通です。

けれど、その好意が、恋愛感情になり、執着をともなって、いわゆる「不倫」に及んでしまうと、そこから抜け出すのは、大変になります。

私は、不倫がいけないとは、一概に言えないと思っています。自分の責任の範囲で、付随するトラブルをすべて引き受けるという気持ちがあるなら、その人の判断にゆだねるしかないことです。人の数だけ、独自の価値観があり、それぞれの人生がありますから。

ただ、お付き合いの末に、お互いの幸せがあるか、というと・・・、ごく一部のケースを除いて、答えは「ノー」となるでしょう。最初は、楽しくてバラ色になって、秘密の関係という状況もスリリングで盛り上がりますが、だんだん、執着や嫉妬の感情が絡んでくると、波長が低くなって、低いものが低いものを呼び寄せて・・・、ますます悪循環になっていくものです。

しかし、不思議なもので、本人達の感情とは無関係の理由で、付き合いが断たれるケースもよくあります。突然、相手が異動になるなどして、(恋愛感情以外の問題で)会えなくなる、とか。

それは偶然ではなく必然で・・・、後ろの方たちからの、計らいである可能性もあります。「目を覚ませ」という、メッセージです。後ろの方たちは、私たちのたましいの成長のために、見守っています。そして、脇道にそれてしまいそうになると、いろんな形で「気づかせてくれる」のですね。

その一方で、とても長く、関係を続けていらっしゃる方たちもいます。ご本人が、その状況に納得しているのならば、それでも(自己責任ですから)よいのかもしれませんが、「いつか、配偶者と別れて、君と結婚するから」という言葉を信じてのことなら、今一度、冷静に考えて、見極めをしたほうがいいような気がします。

人との出会いは、とてもすばらしく、人を愛する経験もまた、すばらしいものですが、・・・切り替えて、前を向いていく決断が、必要なケースもありますよね。どうすべきかは、ご自分の心と対話することで、答えが見えてくると思います。

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2009年5月18日 (月)

得意なことが、「適職」。

江原さんの本では、生活する手段としての仕事「適職」と、自分が好きなことや、あるいは、人に喜ばれることなど、たましいが求める仕事「天職」とがある、と説明されています。

天職は、収益にはつながらないことがほとんどなので、「天職」と「適職」は、バランスよく並び立たせていく必要がある(天職だけで、食べていけるケースはほとんどない)、とも。

誰でもたくさんの資質や特性を持ち合わせていますから、自分にとっての「天職」「適職」とは、何だろう?というのが、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

今までにかかわったこと、興味をもったこと、習ったことがたくさんあって、何が当てはまるのか、わからない場合は、こんな区分けの仕方で考えるとよいと思います。

・天職=好きなこと ・適職=得意なこと

はっきりと二分されるとは、限りません。必ず、どこかは被るでしょう。でも、とりあえずの目安として、考えてみると、「より、どちらに属するか」で、分けることはできるはずです。

私の場合でいうと、私は、子供のころから作文が大得意でした。そしていまでも、文章を書くのが「得意」ですから、メールでのリーディングは、毎回、すごい長文(笑)でお届けしています。また、このブログも、定期的に更新していますから、「書く」ことは、私にとって「得意なこと」に分類されます。

しかし、私は、「書くことが好きか?」と聞かれたら、決して嫌いではないけれど、書くよりも、「読む」ほうが好きです。趣味を聞かれたら、読書と答えます

私にとっての得意な分野である「書くこと」は、適職(の、一部)として、活かされています。そして、私の好きなことである「読書」は、私のライフワークである「スピリチュアリズムの探究」などに、大いに活かされますが、読むだけでは、生活の手段にはなりません。

好きなことで生活できたら、自分的には幸せですが、この世での学びとして「授かった資質を、世の中に活かしていく経験」を積むことも、大切です。両方に、バランスよく取り組むことで、大きく成長していけるからです。

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2009年5月13日 (水)

お部屋の浄化など。

この世は、周囲のすべてが、自分の内面の映し出しです。

まるで、「360度の鏡」という空間で、生きているようなものです。ということは、散らかっている部屋も;、すべて、自分の中にあるものが現象として表れていることになります。散らかっていて、まとまっていない、内面の表れ、なのでしょう。

ですから・・・、できれば、きちんと片付いた空間で暮らすほうがいいですよね。自分の心の中を整えるつもりで、お部屋のお掃除に取り組む、と。私も、大雑把なので、人のことはあまり言えないのですが(笑)。

とはいっても、小さいお子さんがいたり、奥様もお仕事をなさっている場合には、雑然としてしまうのは、しょうがないことです。完璧に整えよう考えずに、まず、「不用品を処分する」「物を集め過ぎない」ことから、はじめてみましょう。

私が、お勧めする本は、こちらです。

イギリス人女性が書いた、風水の本ですが、この方は、「気」を感じ分ける能力が高い方のようで、かなりスピリチュアルな内容です。

お部屋の気を整える作業をしていると、ペットたちが(彼らは気の動く様子が見えるので)、寄ってくるとか、NASAで実験した空間浄化によい観葉植物の種類だとか、スピリチュアルで面白いお話なども載っているので、楽しく読めます。

ここに書いてあることが絶対ではないし、いろいろな取り組み方があると思いますが、ひとつの方法として、参考になる本だと思います

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2009年5月11日 (月)

全部、自分の波長が引き寄せている。

人のご縁も、出来事も、すべては「波長の法則」により、自分の波長に含まれているものと同じレベルの事象が展開していくものです。

人の波長には、「幅」があります。誰もが、高い部分も低い部分も、持ち合わせています。その「幅」の、ほんの一部分が共通すれば、波長の法則が働いてしまう可能性もあります。

ですから、「絶対に、あんなひどい人と、この私が同じ波長だなんてありえない!と思う人とのご縁でも、ほんの少しだけでも、共通する部分が自分の中にあれば、それは、・・・ありえるのですよね;。

波長の法則というのは、何もかも、丸ごと同じ」であるとは限らず、一部分のみでも成り立つためです。必ず何かしら共通する要素があるのです。

ということはつまり、「幸せになれるというフレコミで、高額のツボを買わされた」場合でも、お互い様ということになります。もちろん、騙す人が一番悪いことには変わりありませんが、騙される側にも、同じ波長があったからこそ、ご縁ができてしまったことになります。物を手に入れることで、簡単に幸せになろうとした甘さがあるから、騙されてしまうわけです。

ある場所に出かけていったら、たまたま、担当者がとても感じのよい人だったという場合も、それは、たまたま・・・ではなく、「自分の波長」が高かったから、その人が担当になるというタイミングが巡ってきたと、考えることもできます。

では逆に、ひどく感じの悪い担当者;に当たってしまったときには、自分の波長が低いからなのか?、というと、先にも書きましたように、波長というのは「幅」がありますから、自分の持ち合わせている波長のうちの低い部分が、他人を通して表面化したのだと考えて、自分を顧みるための材料としていけばよいのだと思います。

この法則は、自分を成長させるためのものなのですから、受け取り方、解釈の仕方も、過度にネガティブになりすぎないように、バランスよく考えていくことが大切です。

また、泣きっ面に蜂とか、踏んだり蹴ったりなんて言葉があるように、・・・悪いことって、同時期に重なるものですが、それも波長の法則のなせる技で、波長が下がっているときには、低いものを呼び寄せてしまうため、あれもこれもと一時期に降りかかってくるのでしょう。

けれど、それは決して「罰」ではなく、「今の自分の波長(の低さ)に、気づいてください。そして、立て直してください」という、ありがたい導き、サインだと思うのです。

こうやって、現実の出来事が教えてくれないことには、改めて自分の波長を考えてみる機会は少ないので、自分を高めていくため、たましいの成長のためには、本当にわかりやすく、ありがたいルールです。

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2009年5月 8日 (金)

実はよくある、「憑依」現象。

霊に取りつかれることを、「憑依」といいます。なんだかとっても、恐ろしい言葉に思えますが、実は・・・結構、よくあることだったりします;。

ひとつ断っておきますが、憑依という現象に対して、「よく、あること」という方と、「めったに、ない」という方がいるとしたら、それ、どちらも正解なのです。

憑依にも、いろいろあります。深刻な、重度の憑依現象というのは、そう多くはありません。「私には、何か憑いているのではないでしょうか?」と、言ってくる人たちのうちの、数十人にひとりくらいではないでしょうか。(なので、ほとんどの場合、気のせいというか・・・、気にしすぎ。または、霊のせいにしすぎ(笑))。

一方、軽い憑依というのは、日常、誰にでもあることなのです。わざわざ言いたてるまでもないくらいに、普通に起こっていることです。もちろん、私にもありますし、このブログをご覧になっているあなたにも、あります。

軽いものを含めると、誰にでも、もれなく当てはまってしまうので、普通は、深刻な状態に対して、使う言葉だと思いますが、そんなケースは少ないので、あまり惑わされないほうがいいと思います。

決して好ましいことではないにしろ(笑)、日常、普通によくあることだという「知識」を持っていれば、いわゆる霊感商法や、除霊をするといって高額な金銭を要求するような人と、係り合いにならずに済みます。

憑依現象も、(軽いものも、深刻なものも)、「波長の法則」により、引き合って起こる現象なので、悩んで暗くなっていたり、他人を妬んだり恨んだり、怒ったりしていると、その状態とおなじ波長をもった未浄化な霊が寄ってきて、憑依という現象が起こるのです。

自分が高い波長を保っていれば、影響されないし、また、仮に一時的に影響を受けても、波長を持ち上げて、ご自分が明るくなっていけば、それだけで、憑依した霊は離れていくものです。

霊的な影響が強すぎて、波長が下がりきってしまうと、そこから自力でもち上がってくるのはなかなか難しい場合もありますので、そこまでになると、プロの霊能者に力を借りたほうがいい場合もあります。

でも、先にも書きましたとおり、そんなケースは、まずめったにありません。ほとんどは、自分でなんとかできる範囲の影響です。

日々、明るく、前向きに、たましいの成長を心掛けていれば、ネガティブな影響を受けることはありませんし、仮にあったとしても、一時のことで、すぐに回復するでしょう。

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2009年5月 6日 (水)

守護霊は、あなたのすべてを知っています。

守護霊とは、あなたそのものである、と、言い換えることができます。

あなたのすべてを知っているので、あなたを見放すこともなければ、あなたを誤解することも、ありません。(私たち人間からは、守護霊を把握することは困難ですが、あちらでは、私たちのすべてを把握し、導いています。)

また、守護霊とは、私たちが「感謝することで、さらによく守ってくれる」ような存在でもありません。感謝の気持ちを持つことで、自分の波長が高まり、結果として導きがスムーズに得られることはありますが、・・・守護霊が感謝されたことで張り切ってよく働く、という意味ではないです。

もちろん、感謝されたら嬉しいだろうとは、思います。でも、そのことで気をよくしてがんばってくださるような、俗っぽい存在ではないというか・・・。霊的に進化・向上している方たちなので、人間的な感情とは別次元の視点で、見守っていらっしゃるのだと思います。

ですから、「守護霊に対して、はっきりと意思表示をしないと、守護霊もあなたの気持ちがわからない」などという解釈は、はっきりと間違いだと言えます。

このブログを読んでくださっている方たちは、多分、江原さんの本の読者が多いと思うので、仏壇やお墓に先祖霊はいないことも、供養は気持ちの問題であり、お墓がないとできないわけではないことも、ご存じだと思います。

では、それらの形に意味がないかといえばそうではなく、私たち人間からすると、目で見える対象物があったほうが、気持ちを集中させやすいので、何もないところよりも、仏壇やお墓があったほうが、念が高まりやすいものです。

意思表示をすることや、誓いを立てることについても、それと同じようなものだと考えてください。例えば「声に出して、思いを述べる」とか、「何をどうしたいのか、具体的に考えをまとめて、願う」などの行動をしたほうが、自分自身の念が高まっていき、結果として、何らかの導きを得られたりヒントがしめされたりの、サポートにつながっていきやすいことは確かです。

ただ、声に出して伝えたことで、守護霊が、「えっ、そうだったの!?知らなかったよ、ごめん!」とかで(笑)、前よりよく働いてくれるようになったのではありません( ̄∀ ̄;)。最初から、すべて知っています。(そもそも、守護霊とは、願いをかなえてくれるための存在ではありません)。

すべての物事は、波長の法則で成り立っている以上、強い意志をもって臨む姿勢によって、ふさわしい状況やサポートを引き寄せやすくなっていきますし、そこに守護霊の働きかけがあることも確かですが、それはすべて、たましいの成長の観点から、必要なサポートを必要なタイミングで与えている、ということなのです。

すべて知っていて、すべて見ていますから、守護霊の働きかけに値する自分であるように、日々、精進していくことが大切です。

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2009年5月 1日 (金)

不況と雇用形態の変化。

ここ数年で、雇用形態が多様化し、10年前が文字通り「一昔前」になったように感じます。正社員で働く人の数は格段に減り・・・、また、世の中全体の景気の落ち込みから、正社員といえども、長期にわたった安定が、必ずしも保障されない時代になったとも思います。

10年前でも、女性は、(今ほどではないにしろ)派遣などで、一定期間内だけ労働力を提供する形態は、一般的だったと思うのですが、今のように男性にも、派遣という働き方が一般的になっている時代がくるとは想像できませんでした。

お仕事に関するご相談は、日々、いろいろいただくのですが、今は、世の中全体が不景気です。考え方が甘いとか、やる気が薄いとかの個人的な問題だけで、お仕事が安定しないとは限らず、意欲があっても、仕事に就くことに苦労なさる方も多いです。

それは、この国とこの時代に生きる誰もが、等しく負うことになる、「個人の枠を超えた、(時代や国の)カルマ」なのだと思います。ですから、そこは、「学び」なのだととらえて、乗り越えていく、立ち向かっていくことが大切です。

けれど、ピンチというのは、実はチャンスでもあります。若い起業家の方たちの中には、「不況のときこそ、(アイデア次第で)ビジネスチャンスが見つかる」と、おっしゃる方たちもいます。発想の転換をしてみることもいいと思うのです。

一昔前は、「正社員」と、「非正規雇用」との、仕事の区分けが、今よりも明確にあったように思います。しかし、時代の移り変わりで、区分けもなくなってきました。今は、航空会社の客室乗務員も、最初の雇用形態は、正社員ではない(のちに、昇格)という会社もあるようですね。

日本の社会的構造として、(このことが、良いのか、悪いのか、わかりませんが)、なかなか、転職をすることでキャリアアップ・・・とはみなされない傾向が強く、最初になるべく大手の会社や安定が見込める会社に入ることが、その後のお仕事の方向性を、ほぼ決めてしまう、という傾向があります。

以前はもっと、その傾向が強かったと思うのですが、今は雇用形態が多様化して、ある意味においては、ボーダーレスになってきたようにも思います。

以前なら、新卒で入社しなければ、経験できなかったような職種にも、今は、派遣や中途の契約社員などの形態で、チャレンジできるかもしれない状況である、とも言えます。「正社員」という入口は、狭くなったかもしれませんが、「専門職に中途で携わる」という間口は、(雇用の形態を選ばなければ)広くなったという考え方もできます。

どんな物事にも、表と裏の両面があります。自分の思い通りにならない状況では、つい、悪い面にばかり目がいきますが、その中でも、良い面、自分のためになっている部分も必ずあるはず。すべては、考え方ひとつで、受け止め方が違っていきます。いいところを見つけていく、という視点を持つことも、大切だと思うのです。

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