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2009年2月の6件の記事

2009年2月28日 (土)

幸せの定義は、人それぞれ。

リーディングセッションの詳細ページに、どちらの選択肢を選べば、私は幸せになれますか?」というご質問には、お答えできない、と記載しています。

「幸せ」の定義って、難しいですからね。平穏に過ごすことが幸せだと思う方もいれば、それでは刺激がなくて飽きてしまうと感じる方もいると思います。どちらのほうが、より適性を活かせそうか、もしくは、それぞれを選んだ場合の注意点や努力の方向など、わかる範囲でお答えすることはできますが、それでも「幸せ」かどうかという基準は、答えを出すのは難しいです。

究極をいえば、どのようなご依頼内容でも、スピリチュアリズムにのっとってお答えするとなると、

「すべて、学びですから」「すべては、自力、自分しだいです」

その一言で、終わってしまうからです。けれど、その一言で納得できるのなら、わざわざご相談にお越しにならないわけで・・・。それぞれの問題と現状にマッチするよう、なるべく具体的なアドバイスを伴う方向で、お話をするように、私なりに努力をしているツモリではいます。

それぞれ、人の数だけ、考え方があり、何をもって幸せと呼ぶのかも一定ではありません。また、人生は長いですから、一時の状態だけで、判断は出来ません。

最初は苦しくても、立ち向かって、苦難を乗り越えた先に、「幸せ」があるものです。そういうことも含めて考えると、「どちらが、幸せか?」という質問には、「自分しだいです( ̄∀ ̄)」という答えに、やはり、行き着いてしまう気がします。

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2009年2月24日 (火)

瞑想の練習について。

スピリチュアルに興味がある方なら、瞑想という言葉はご存知だと思います。

でも、なかなか、初心者がひとりで取り組むのは難しいですよね。私も最初はそうでした。コツがつかめないと、効果もわかりにくいので、続かないことも多いでしょう。コツがわかると、効果も自分でわかるので、やる気も持続するのですけどね。

瞑想は、すでにコツをつかんでいる方や、オーラが明るい方と一緒にやると、上手く出来るようになります。歌の上手い方と一緒に歌うと、音程が取りやすく、自分も上手に歌えるのと同じ理屈です。

最初は、BGMを流しながら、誘導されて行う瞑想が簡単です。雑念が浮かんできたら、音楽に意識を向けるようにするとよいと思います。慣れてくると、わざわざ「瞑想の時間」を意識してとらなくても、(誘導も音楽もなくても)自然に出来るようになっていきます。

自己流でやるのもよいですが、一度、「指導される」ことを経験してみると、コツがつかみやすいので、その後の実践がスムーズになるのは確かです。

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2009年2月16日 (月)

人の縁。

外に出ていき、人と関われば、そこそこの「縁」は自然と結ばれるものですが、「発展」とか、「維持」をさせていこうと考えると、相応の労力と努力が、必要となります。

譲らなければいけない場面もありますし、摩擦も起こると思います。人間関係のトラブルほどつらいものはありませんから、なるべくそのようなこととかかわりを持ちたくないと誰もが思うことでしょう。

しかし、そこを避けるということは、人間関係から得られる、有形無形のものすべてを避けることとなります。避けようという気持ちが大きいと、そちらにばかり意識が向き、得たいものを得る機会も(それは同じところにあるので)失ってしまうことに、なかなか、気づくことができません。

人から与えられる(自分にとって)よい影響と、そうではない影響は、表裏一体でセットになっているものなのです。どちらか一方だけを避けることはできません。

私はこのことに気付いてから、少しだけ人間関係が楽になりましたね。「そういうもの」だと思ったら、「な~んだ、そうか」と、つらいことをなんとか避けようとしても、それは無駄なあがきだと(笑)、割り切って考えられるようになりました。イヤなことも含めて、腹六分で、付き合えばいいのですよね。

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2009年2月10日 (火)

大切なのは、「カルマの仕組み」をしること。

スピリチュアリズムの、大原則ともいえる、「カルマの法則」とは、【物事にはすべて、そうなる原因があり、後に結果がでる。すべての現象は、自分が引き起こしたものであり、自分のしたことは、よくも悪くも、必ず自分に返る】 という意味の法則です。

スピリチュアリズムに興味を持ち、カルマの法則(原因と結果の法則)という言葉を知ると、物事が起こった原因を知ることに一生懸命になってしまうことがあります。

けれど、結果とは、複数の原因が作用しあって引き起こされるものであり、ひとつの原因から、ひとつの結果が生まれるわけではありません。原因のすべてを把握するなど、無理な話なのです。

また、仮に原因をすべて把握したからといって、そのことで、目の前の問題が瞬時に解決されるわけではありません。気持ちの上で、納得できるという利点はあるかもしれませんが、原因を把握したことに伴う「気づき」がなければ、たましいの成長はありませんし、また、原因を突き止めても、問題そのものが、消えてなくなるわけではありません。

大切なのは、原因を突き止めることではなくて、「しくみ」をしることです。

どのような結果もすべて、意味があって(原因があって)起こることで、それはすべて自分が蒔いた種である、というしくみを理解することなのです。スピリチュアルな学びとは、そういうことです。

この「しくみ」、つまりスピリチュアルな法則を知れば、どんなことも他人のせいではないとわかりますし、自分を信じて、力強く生きていくことができます。

しくみを知るとは、感性の学びです。感性を磨けば、何が大切で、何がそうではないかが、分かるのです。

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2009年2月 8日 (日)

誰もが、一生懸命に生きています。

自分だけが苦労をしていて、他人は楽に生きているように思えてしまうことがあります。人は誰でも自分を中心に考えてしまうものだからです。

しかし、実際には、誰でも、その人なりに、一生懸命に生きているものです。「私は、こんなにも○○○をしているというのに、他人は分かってくれない」と、つい思ってしまいがちですが、しかし、相手から見れば、同じように、「なぜ、私だけがこんなに我慢を・・・」と、思っていたりするものです。

ただ、耐性ができている人と、そうではない人がいて、精神の成熟度に差があるのは事実です。今までの人生経験、たましいの成熟度、その他いろいろな要素により、ちょっとのことでも立ち止まってしまう方もいますし、大変なことでも自力で立ち向かっていく方もいます。

人は、自分よりもほんの少し、たましいが幼い方を見ると、目に付いて、イライラして、ひと言、口にしたくなってしまうもののようです(たましいのレベルに、格段に差が付いている場合は、あまり気にならないようなのです)。

しかし、どんな人も、いつかは分かります。いえ、「分かるように、さられる」のです。その方に相応しい時期に、相応しい学びが配置されるからです。

あなたが、相手の幼さを、わざわざ、あげつらう必要はありません。こういう言い方は何ですが、指摘の内容をすぐに理解できるなら、最初から分かるはずで・・・、「そうではないから、(現状)出来ていない」のです。

また、大人になったら、そう簡単に、他人の意見に、はいそうですか、・・・とは、ならないものです。もし、自分が、言われる立場だったら・・・と考えれば、容易に想像がつくでしょう。自分が言われたら反発することに、他人は従うべきだ、という考え方は、自己中心的すぎますよね。

自分のできる範囲で、相手のためを思った一言ならば、大変に有益となる可能性もありますが、なかなか理想と現実には開きがあるものだと思います。

いろいろ言いたくなるのは、(相手の考え方が幼いからではなく)自分が精神的に未熟だから、かもしれません。スピリチュアリズムの観点から考えれば、そうなります。

スピリチュアルな感性が高まれば、批判や裁きの気持ちからは、自然に遠ざかるものだと、私は思っています。相手の幼さや甘さを指摘したくなったら、それは相手の問題ではなくて、「自分の問題」ではないのかと、胸に手を当てて、よく考えてみることだと思います。誰もが皆、一生懸命に、生きているのですから。

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2009年2月 6日 (金)

「他者に任せる」ことも、学び。

人を育てるためには、指導する・教えるという要素は不可欠ですが、それと同じくらいに大切なのは、「待つ」ことです。

育てる場面において、「あの人にまかせるよりも、自分がやったほうが、早い」という考えは、捨手なければならないこともあるでしょう。

子供にあれこれと手をかけ、世話を焼いて、何でも親が先回りしてしまっては、子供は、自分で考え、判断し、行動する、という経験ができません。子供を心配なさるお気持ちはわかりますが、だからといって何も出来ない子にしてしまって、いいのでしょうか。「(その子が)出来ないから、(親が)やる」つもりでいることも、よくよく考えてみると、「(親が)やらせないから、出来ない」ケースも、あるのではないでしょうか。

会社内でも同じです。部下に任せるよりも、自分でやったほうが早いのは、当たり前です。さらには、新人に担当させるよりも、責任ある立場の人が対応したほうが、取引先のウケもいいに決まっています。

けれど、「部下がやるより、自分でやるほうが、仕事がスムーズに進む」、「取引先に迷惑をかけてはいけないから、部下に任せず自分で」という気持ちの中に、「何かあったときの後始末など、したくないから」という、自分の保身を考える気持ちが、含まれていないでしょうか。

もちろん、現実的な考えとして、会社員として働いていく以上、「保身」の気持ちが微塵もない人など、誰もいません。しかし、「保身の気持ちだけ」では、部下はついてきませんし、何より、育っていきません。上司が何でもやってしまっては、いつまでたっても、部下は一人前になってくれず、結局は管理職としての自分の評価すら、下げてしまうことにもなりかねません。

人が育つには、時間がかかるということを、忘れてはいけません。自分もかつては「新人」だった時代もあるのです。育てる立場になる人は、「指導する」という学びとともに、「待つ」「任せる」という忍耐も学ばされるます。

苦労を味わうことで、自分の親にも、かつての上司にも、感謝することができるようになります。「自分も、育ててもらったのだ」「両親も、こんなに苦労をして、私を育ててくれたのだな」と、実感するからです。

人の痛みを知るとか、人の気持ちになって考えるという感性は、「育てる、育てられる」「教える、教わる」という、両方の立場を経験することからも、確実に培われていきます。

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