« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月の8件の記事

2009年1月30日 (金)

仕事は、我慢の学び、でもあります。

生活していくためには、お金が必要です。何かの経済活動をしていかないと、・・・お金が入ってきません。「がんばり過ぎなくてもいい」のも、「仕事がすべてではない」のも、そのとおりなのですが、それは、まったく努力をしなくてもいいという意味でもなければ、仕事をしなくてもいいという意味でもありません。

仕事をしていく以上、それなりの忍耐や努力が伴うのものです。辛いことも多いでしょうし、止めたくなることもあるかもしれません。けれど、「それが、仕事というもの」だと思うのです。

そうはいっても、ひどい待遇の職場で、ひたすら我慢をして働きなさいという意味ではありません。そういう場合は、話が別です。忍耐できる程度というものがあります。

けれど、どこの職場でも、多少の我慢はつきものだとも思います。必要以上の苦労を、抱え込むことはないと思いますが、けれど、仕事をしないと生活をしていけないのですから、割り切りを持つことも大切です。

ここが、夢の国で、仕事をしなくても生きていけるならば、仕事から逃れることも出来ますが、「今、私たちが生きている、この時代と、この国という環境では、経済活動をして金銭を得て、生活をしていくことが一般的」なのですから、現実を見なければなりません。

立場はそれぞれ違うので、すべての人にあてはまるわけではありませんが、働くことが可能な状況で、自分で金銭を得る必要があり、この現代の、この国に生まれたならば、それはやはり、「仕事をするという、学び」を持っているからこそ、学びにふさわしい環境を、自ら選んで生まれてきたのです。

|

2009年1月27日 (火)

対人関係の「得意分野(時期)」を見極める。

目上の方からかわいがられるタイプの方と、同年代とのコミュニケーションが得意な方とが、います。

目上の方から大切にされるタイプは、子どもの頃、学生時代、新入社員時代は、「いい子」として、大人や先生、上司から認められる機会が多いことでしょう。けれど、いつまでも「目下」でいることはできません。後輩もたくさん入社してきて、気の合う上司が退職していく・・・、時は移り変わっていきます。このようなタイプの方にとっては、立場が中堅になるころ、少々、停滞感を味わう方もいます。

一方、同世代と上手くやれるタイプの方は、若い頃には、目上の人からの引き立ては少なくても、自分自身が働き盛りの年齢になったときに、その真価を発揮できるようになります。顧客も同僚も取引先(の、主要人物)も、同世代になりますから、仕事がスムーズに進むようになります。新入社員の頃は、「いつまでも学生気分でいられては困る」などと言われていたような人が、ここにきて光ってくるのです。

仕切り上手なタイプと、補佐的な役割が得意な人とがいます。

仕切り上手なタイプは、「仲間内」では、重宝されるでしょう。けれど、上下関係において、自分が下の立場にあるときは、なかなか真価を発揮できません。仕切り上手も、「仕切れる場」が与えられ手こそ光ります。人を使う立場になると、要領のよさが際立ってくることになります。

補佐的な役割が得意な人も、いつかは自分が人の上に立つ年齢になります。自らが、率いる必要が出てきます。補佐では完璧な評価をもらっていても、自らが動くとなったら、考え方、取り組み方そのものを変えていかなければなりません。こちらのタイプは、自分が上の立場になったときに、新たな学びに直面することになるのでしょう。

誰にとっても、「いい時期」ばかりは続きません。元々の資質がいい方向に作用して、うまく展開していく時期もあれば、努力をすることで、何とか乗り切らなければいけない時期もあります。一時期のみを切り取ると、損得があるように思えますが、長い人生を考えれば、どちらも同じ条件です。「資質が生かされやすい時期と、そうでない時期のサイクルがある」というだけ、なのですから。

ご自分が、どちらが得意なタイプなのかを、考えてみてください。完全に「どちらか」にはっきりと区分けされる人はまれで、多くの方は、「どちら寄りか」という区分けになるとは思いますが、自分を冷静に分析することで、なにをどうすれば、よりよい方向へいけるかの、ヒントになる場合もあると思います。

どちらの場合も、「自分の得意とする時期になっても、驕らず謙虚に努力を続け、忍耐を伴う時期に入ったら、焦らずくさらず、今できることを地道に積み上げ、引き出しの中身を増やしておくこと」です。忍耐の時期に、いかに種を蒔いておくかによって、収穫の時期の「実りの量」と、「実りの質」が、違ってきます。

|

2009年1月26日 (月)

適職と収入の関係。

適職とは、食べるための仕事、文字通り、自分(の資質)に適した仕事のことです。

自分の資質が発揮できる、適した分野の仕事に就けたとしても、・・・金銭的に恵まれた状態になれるかどうかは、何ともいえません。いろいろな要素が、複雑に絡み合って、「現象」が起こるしくみですから、選んだ職業(業種)が、資質に適しているというだけでは、必ずしも金銭的に安定するとは言い切れない面があります。

この点は、考え違いをしないことが大切です。金銭面の不満を、「適職につけば、こんな思いをしなくてすむはず」などと、曲解して結び付け、転職を繰り返すことのないよう、きちんと現実を見ていくことが大切です。

今は、世の中全体が、不景気です。このような状況においては、自分の得意な仕事に就いたからといって、お金がどんどんもうかるわけはありません。

カルマというのは、個人的なものだけではなく、集団とか、時代という、大きな枠組みのものもありますから、この場合だと、不景気で、職が得られにくいという「時代のカルマ」も、負わなければならないのですね。

確かに適した職業につけば、自分も働きやすいでしょうし、社内でも認められやすいことでしょう。持てる資質が活かされ、ひいては(働きやすさも含めて)安定につながっていくかもしれませんが、誰もがある意味、「不景気という時代を、学んでいる」わけで・・・、収入に関する多少の不満は、割り切りをもって、やっていくしかないのだろうと思います。

今の収入に不満があって、職を変えること自体が悪いという意味ではありません。労力の対価として見合わない、他の道があるはずと思うならば、転職を考えてもいいでしょう。ただ、単純に、「適職にさえつけば、こんなはずはない」と、適職という言葉を拡大解釈して、せっかくの環境を手放す前に、現実を見て、良く考えていただきたいと思います。

|

2009年1月21日 (水)

パン好き幽霊?

2年以上前だと記憶していますが・・・。フランスパン好きな幽霊さんにとりつかれて、2週間くらい、毎日フランスパンを食べ続けたことがあります(爆)。

なぜ、そうと分かるかというと、私は、普段、パン食の習慣がまったくない人です。突然、毎日食べたくなるなど、ありえません。それはある日唐突に始まり、2週間ほど経ったところで、唐突に終了したのでした( ̄∀ ̄;)。

しかもなぜか、「フランスパン」なのです(笑)。他のパンでは、ダメで。毎日、ですよ;。ちょうどその頃、母も、頭の中に、フランス・・・、と浮かんでくることが多かったそうで、「え?フランス・・・?」と、考えていたらしく。何か、家系的に縁がある方だったのかな・・・と、後になって話しました。

江原さんをモデルにしたマンガ本があるのですが、そちらの中で、江原さんが「天丼好きな幽霊にとりつかれて、3日間天丼を食べ続けたことがある」と話されてるのですが、その気持ち、わかります(笑)。食べ続けちゃうんですよね、ホント。

私も、憑依の影響であることはわかっていました。あまりに普段とかけ離れた嗜好ですから。でも、パンを食べたい以外に、特に目立った悪影響もないし、数日で終わると思ったので、あまり深く考えず、食べたい気持ちのままに、毎日フランスパンを買いに行っていました。まさか2週間も続くとは、思いませんでしたが;。

それ以来、私は、フランスパンのおいしさに目覚めて、前よりも、少しだけパンが好きになりました(笑)。

|

2009年1月20日 (火)

発熱の思い出;。

小さい頃。幼稚園の前までいくと、「帰る!」と、突然Uターンし家に引き返すという、困った子どもだったようで、かなりの割合で不登園をしていたらしい、私です( ̄_ ̄)。

 ----------------------------------------------

 こちらは、江原さんの本「スピリチュアル セルフ・ヒーリング」からの引用です

 憑依現象のひとつに、発熱もあります。
 スピリチュアリズムでは、熱で霊の浄化をはかっているという考え方をします。
 ですから、熱が出るというのは、とても大切なのこと、ありがたいことなのです

 -----------------------------------------------

江原さんは、子どもの頃、体が弱かったと本に書かれています。霊的な影響をうけやすいので、しょっちゅう体調を崩していた、と。私も、その点はまったく同じです。もちろん、「今にして思えば」ってことですが。

母によると、「一ヶ月のうち、二十日間病院に通った」くらいに、熱を出していたらしいです。で、まあ、子どもだから、「風邪でしょう」的な解釈になって、解熱をして、家に戻ってくる、という繰り返しだったらしいです。

大人になってから、親戚のお見舞いで、その病院にいったら、当時の看護師さんがまだいらっしゃって、「あら、・・・リカちゃん?」なんて、私のことを覚えていまして。・・・つまり、それくらい、通い詰めていたわけですよね、病院に。

実際は、高熱の理由は風邪ではなくて、憑依現象、霊的影響を跳ね除けようとして、発熱していたと思われますが・・・、笑い話として、母とよく話すのは、「病院で、解熱するという処方は、当時の私にとって、どうだったのか(笑)?」ってことです。

浄化をムリに中断させて、やぶへびになってた・・・なんてことは、ないのだろうか、と(笑)。でもまあ、一ヶ月に二十日も・・・ってことは、薬で熱を下げても下げても、しつっこく出ていたわけですから;自浄作用は、ちゃんと働いていたのですよね。

|

2009年1月16日 (金)

上に投げた石が、自分にあたる法則。

上に放り投げた石は、いつか自分に落ちてくる。カルマの法則を簡単に説明すると、そういうことです。

バチが当たるという意味には解釈しないでください。自分に起こることは、良いことも、そうでないことも、自分が原因を作っている(から、どんなことも他人のせいではなく、すべて自分のせい)、という意味の法則です。

例えば、「誤解されて、とばっちりを受けた」とか、「騙されて、損をした」とか、相手に非があると思われることであっても、なぜそのような出来事が起こるに至ったかを、スピリチュアリズムの観点から紐解けば、すべて、自分の身から出たサビなのです。

当然、相手にも非はありますが・・・、だからといって、自分が100%の被害者かというと、表面的な出来事だけ見れば、そうであっても、霊的な観点からみれば、自分にも原因となることがあるはずです。

「相手に非がある事実」と、「自分に石が当たってしまったこと」は、別の問題として、自分を省みることが大切です。なぜ、自分がそのような目にあってしまったのかを、考えてみることです。

うまい話に、のってしまい、結果として騙されたのであれば、見抜く目を持たなかった自分のせいです。都合のよい話に目がくらんだのは、自分が欲を持ちすぎたからではないでしょうか。八つ当たりをされたのならば、過去に自分も他人に同じことをした経験がないかを、考えてみてください。

相手の方も、もちろん、カルマの法則の下にありますから、誰かを騙したり、攻撃したりしたことは、いつかの未来に、同じような目に合うなどして、思い知らされることになります。

例えば、「Aさんに騙されて、Bさんが損をした」場合など、一見、Aさんが投げた石が、Bさんに当たったように思えるかもしれませんが、カルマの法則とは、「自分が原因をつくったことは、自分に返ってくる」法則であり、「他人が原因をつくったことが、自分にふりかかる」ことは、ありません( ̄∀ ̄;)。

あくまでも、Bさんの投げた石が、(一見、Aさんが加害者になるという形をとって)Bさん自身に、落ちてきただけなのです。いつの日にか、Aさんも、自分の投げた石が、頭上に落ちる経験をします。そうやって、誰もが「自分の投げた石が、自分に当たることにより、学ばされる」ようになっています。

|

2009年1月12日 (月)

ひとりで抱えこまないことも大切。

気が利くタイプの人ほど、周りの出来事に振り回されやすい傾向があります。他人が気付かないような、あんなことにも、こんなことにも気付いてしまうからです。感覚が鈍い人は、小さいことまで気にしないものですから。

・・・ということはつまり、気が付いてしまう人が(気が付かない人の分までも)、あれもこれも、やらなければならない羽目になりやすいのです。そして、気が付かない人は、その苦労を分かってくれません(笑)。どれほどに時間と労力をかけて、考え、調べ、先を見越した対応をしたことも、代わりに謝ったことも・・・。

このようなケースは、仕事上で、よくあると思います。気が利く人が、一方的に消耗してしまうのですよね。「何故、私だけがいつもこうなるの?」という気持ちが、大きなストレスになります。

人付き合いや、団体行動において、出来る範囲で、お互いにフォローすることも大切ですが、だからといって、他人のやるべきことまでも、ひとりで抱え込む必要もないと思います。

相手の役割ならば、「そうしなければならないことに、気付いてもらう」ことも、大切です。どのような状況で、何が起こり、誰が動いて解決してくれたのか(つまり、自分に何が足りないのか)を、理解してもらわないことには、またいずれ同じことが起こってしまうでしょう。

対顧客など、相手がある場合には、そう悠長なことは言っていられない場合もあるでしょう。社内の内輪の問題で、外部に迷惑をかけてよいはずがありませんから、そこは、「組織」として、皆でフォローをしていく必要があります。

けれど、個人的なこと、内輪のことは、「あえて、気付いてもらうため」に、見守る姿勢をとるのも、ひとつの有効な方法だと思います。

自分が一方的にすり減ってまで、あれもこれも、頑張る必要があるかどうか、冷静に考えることが大切です。自分の負担軽減のためにも、そして相手の成長のためにも、「自分だけが感張り過ぎない」「気がついても、あえて手を出さない」という選択肢も、考えてみていいと思います。

気が利く人ほど、たくさんの仕事を抱え込みやすいものです。イメージ的には、気が利かなくて、仕事が遅い人ほど、抱え込みやすいように思うかもしれませんが、そうではありません。それは抱え込んでいると言うよりも、滞っている・・・のだと思います;。

その一方で、気が利くゆえに、ひとりで空回りしている場合もありますので、作業遅い相手を見下したりすることなく、自分自身を見つめていき、「その場にふさわしい、自分の行動」を心がけていくことが大切だと思います。

|

2009年1月 2日 (金)

想念は、離れた場所にも届きます。

よく、「念がとぶ」とか、「想念が伝わる」なんて言葉がありますけど、それは本当にある現象です。

もちろん目には見えませんし、それらについて改めて意識する機会というのは通常ないかもしれませんが、「想念は、離れた場所へ届く(伝わる)」ものです。

例えば、私の場合、ご依頼者さまが、「この人に、依頼しようかな・・・、どうしようかな・・・」と考え込んでいる想念が伝わってくることがあります。もちろん、どこのどなた様が、検討していらっしゃるかまでは、分かりませんが(笑)、依頼しようかどうかと、迷っているときの独特の感じって、あるんですよね。私の師匠も、同じようなことを言いますので、これは私の気のせいではなくて、「そういうもの」なのでしょう。

とは言っても、その方が、何処のどなただとか、どういう状態だとか、どんなご相談だとか、そういうことが分かる、という意味ではないですよ。

ある方からの想念が、こちらに飛んできているのが、分かる、というだけのことです。そしてそれは、私個人に対する感情的な想念ではない、ということも分かります。

そして、しばらくたって、ご依頼メールが届いたときに、「あ、さっきのは、この方だったのか」と、思ったりすることは、非常によくあります。

以前、お金を頂かずに、ボランティアでご相談をお受けしていたころは、あまり感じなかったのですが、仕事にするようになってから、顕著になりましたね。以前は、ご紹介者中心で、ひっそりと行っていまして、頻度も低かったからなのか、それとも、私自身の感度が高まったせいなのか・・・。

悩んでいるときや、困っているときは、ご自身のエネルギーが、どーん( ̄_ ̄||)と重たくなっているので・・・、私に届く想念も、同様に重たく感じられます。波長が重たい状態の人が発した想念ですから、エネルギーも重たいのですよね。

突然、「はうっっ( ̄A ̄;)」と、重量感で感じたり、

「イテテテテ( ̄A ̄;)」と、痛みで感じたりします。

でも「、依頼の際に、私の念が・・・?」とかは、まったく気にしないでください。その点も料金に含まれています(爆)。誰でも落ち込むことはあるし、そこから、いかに早く立ち上がって、未来を見据えて、明るくなっていくかが大切で、ほんの一時の状態のみにこだわっても、意味がありませんからね。

話を、戻して(笑)、

このことからでも、想念、思いのエネルギーは、実在することが、分かっていただけるのではないかと思います。目に見えないだけ、通常、感じないだけで、確かに「在る」のです。

そう考えれば、悪意とか、妬みや僻みの、暗いエネルギーにとらわれているよりも、明るく波長の高い、希望や思いやり、感謝のエネルギーを発しているほうが、より創造的な人生を歩めるということも分かりになりますよね。

自分が発した想念が、一番大きく影響するのは、対象となる相手よりも、想念の発信先である、自分自身なのですから、常に明るく輝かしいエネルギーで、過ごしていくことが大切です。

|

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »