« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月の8件の記事

2008年12月31日 (水)

原因は、複数あります。

すべての出来事には、「原因」と「結果」の要素が必ず関係しています。

ある「結果」が出たとき、(例えば、試験に不合格になった、人間関係が上手くいかなくなった、目指していた道が閉ざされた、など)、そのことが起こった原因を、自分なりに探ってみることは大切です。

そうなる原因は必ず存在します。同じ失敗をしないためにも、自分を最大限に活かして生きていくためにも、原因をつきとめて改善していこうという心がけは、大変に大きな意味を持つことでしょう。

けれど、「原因とは、ひとつだけではない」という事実も、覚えておくことが大切です。

原因と結果は、複雑に作用し合っています。一対一で、簡潔に結びついているものではありません。もちろん、複数ある原因のうちでも、作用の度合いが強いものと弱いものがあり、同じ度合いで影響するわけではありません。

「なぜ、私にこのようなことが起こったのか?」「この出来事は、何を学ぶために起こったのでしょうか?」というご質問に対する答えとして、理解していただきたいのは、お伝えできるのは、いくつもある原因のうちの、ひとつかふたつである、ということです。

もちろん、影響度の大きいものを、お伝えしているのだろうとは思いますが(私自身もカルマの全容を把握することはできないので、仕組みとして「そうなったいるのだろう」という解釈しかできませんが)、お伝えする内容が、その出来事に対する原因のすべてではない、という事実も、知識としてお持ちになっていただきたいと思います。

すべての原因と結果は、相互に作用し合っています。今、「結果」として目の前にある事実も、しばらく時がたてば、そのことが「原因」となる、新たな「結果」が、出てきます。今、結果だと思うことも、いつかは何かの原因になります。

ご自分で内観することで思い当たった原因も、私がお伝えした原因も、そのことだけで今回の結果に結びついたわけではないのです。他にも、たくさんの把握しきれないくらいの要素が、複雑に絡み合って、カルマの法則により、出来事が展開していきます。

|

2008年12月25日 (木)

カルマの法則。

「原因があって、結果がある」、いわゆるカルマの法則を、正しく理解することは、霊的真理を学ぶえうえで欠かせない基本の要素です。

カルマとは、サンスクリット語で、「行い・行為」の意味をもつ言葉なのですが、一般的にカルマという言葉を使うときには、悪い意味のみに関して使われることが多いため、カルマの法則への理解も、混乱が生じているといえます。

カルマの法則とは、決して懲罰制度ではありませんし、また、カルマを「よい、悪い」などと、単純に分類できるようなものではありません。カルマという言葉への誤った認識から、「カルマの法則」をも、恐ろしいものに捉えている方が多いように感じます。

カルマの法則(=原因と結果の法則)とは、あらゆる事象(結果)には、必ず原因があり、あらゆる原因が、いつか必ず(何らかの形で)結果をもたらすという、真理の法則です。

自分にとって不都合なことが起こったときだけ、「これは、カルマだ」などと、口にするのは、正しい理解ではありません。この世で起こることはすべて、この法則にのっとって展開しています。喜ばしいことも、そうでないことも、ひとつ残らず、「原因を伴う結果」として、この次元に現れているものなのです。

スピリチュアルに興味を持つ方の多くは、能力を得ることや、前世や、未来予知といった、好奇心を満たす事柄ばかりに、興味を引かれてしまうようですが、スピリチュアリズムを理解するための、もっとも大事な法則であり、偉大なる真理である、「カルマの法則」を、理解しようとする意欲を持たなければなりません。

この法則への理解なくして、霊的真理への階段を上っていくことは出来ません。上っていけるように思えたとしても、必ず途中で行き詰まり・・・、上りかけた階段を下りて、もう一度やり直すことになります。急いだつもりが、逆に遅れるのです。

この世に生を受けた私たちには、必ず未熟な部分があります。未熟な部分を、学び、向上させるために、生まれてきたと言えます。

皆、平穏無事に人生を過ごしたいと望むものですが、それでは何も学ぶことができません。自分の未熟な部分に気づくためには、困難や苦難という形をとった、目を覚ましてくれる出来事が必要です。これらの出来事は、ときにひどい苦痛をもたらしますが、それは決して罰などではなく、意味のある、必要な出来事です。

人生には、多くの喜びがありますが、同じように、苦難にも向き合わされます。それらのすべては、今までの、たましいの歴史(前世)と、今回の人生において、未解決となっている課題、自分自身がひきおこした行いによる結果といえます。他人のせい、境遇のせいに思えることでも、「その原因は、自分にもある」という真理を、理解していくことが大切です。

このような法則について少し理解ができるようになると、「原因」にこだわりすぎる人がでてきます。「原因と結果の作用」について理解することは大切ですが、「原因そのもの」が何であったのかを、必ずしも知る必要はありません。また、すべてを知ることなど、できるわけがありません。

もちろん、その人の可能な限りにおいて、自分を省みて、よりよき状態を目指していくことは大切ですが、そのためには、「原因が何かを知る」ことよりも、「原因が作用する仕組み(つまり、カルマの法則)」を理解するほうが、大きな助けになります。

仮に、過去の原因を突き止めたとしても、それがいかにして作用し、結果を生み出したのかを理解しなければ、その後に活かしていくことができません。

原因を具体的に知ることよりも、この法則がもたらす一連の出来事から気づきを得て、未熟な部分を成長させることが大事なのです。

自分が上に投げた石が、自分に落ちたら、・・・それは誰の責任でしょうか?この法則に照らして考えると、どんなことでも、被害者を装うこと(という、逃避)は、出来なくなります。自分を被害者だと思うのならば、自分に被害を与えている加害者もまた、自分自身(の作った原因)だからです。

「喜び」という花も、あなたが(過去のどこかで)種をまいたからこそ、咲くのです。今ここで、将来の実りのために、よい種をまくことが、できます。

カルマの法則とは、決して恐ろしいものではありません。それどころか、私たちの未来を照らし出してくれる、愛に満ちた法則です。なぜなら、「今ここから、自分の手で、未来を作り上げていける」と、教えてくれるからです。

|

2008年12月22日 (月)

自分の波長をはかる。

ご自分の波長を見分けるための、簡単なモノサシがあります。周りを見渡すこと、です。

今あなたの目の前あるもの、人間関係、環境、その他すべては、あなたの波長が引き寄せたものです。ご自分の心の内が、目の前のものや人を引き寄せ、出来事が展開している仕組みになっています。あなたの周りにあるすべてが、「あなた自身(の、映し出し)」です。

人間の波長には、幅がありますから、高いだけの人もいませんし、低いだけの人もいません。高い部分とも、低い部分とも引き合いますから、目の前の一部分だけを切り取って眺めるのではなく、「すべてを総合的に」解釈することが大切です。

たとえば、昔よりも、よい友人知人が、あなたの周りに増えてきたと感じたら、その事実が「昔よりも、自分の波長が高まった」という証拠です。

疎遠になった人や組織とは、お互いに波長が違ってきたために、縁が薄うなったのでしょう。それもまた、「波長の法則」により、引き合わなくなった、と考えられます。その場合は、寂しさもあるかもしれませんが・・・、変化は成長の証なので、お互いに成長した結果だと受け止めて、あまりこだわらないことも大切です。

持ち物が、昔よりもシンプルになったなら、あなたの心の中もシンプルに整理されたため、好みが変化したのでしょう。自分の好みが変われば、集まってくるものも変わっていきます。

そのように、ひとつひとつ考えれば、「答え」が、出ますよね。

|

2008年12月10日 (水)

似たような人達が、集まります。

すべての人間関係は、「波長の法則」、「類は友を呼ぶ」で、似たようなタイプ、どこかしら共通する部分をもつ人達が、自然に集まる仕組みになっています。

人の波長、意識レベルというものは、単一ではなく、「幅」があります。誰でも、高い部分もあれば、低い部分もあります。もちろん私もです( ̄∀ ̄;)。なるべく、高い部分の「幅」を増やしたいとは思いますが、未熟な人間ですから、自分の低い部分を、目の当たりにさせられることも、多々あります。

この世において、「カルマの法則」と「波長の法則」が当てはまらない事柄はありません。私たちは、必ず、これらの法則の、影響下にあるのです。

「私のまわりには、ろくな人がいません」 
「私の配偶者は、分からず屋で・・・」 
「私は、悪い人に、騙された被害者です」

と、愚痴を言いたくなるような環境についても、自分と相手の間に、何かしら同じ要素があるからこそ、人間関係が成り立っている(もしくは、過去に成り立っていた)ことになります。相手だけが一方的に悪くて、自分は被害者だという理論は成り立ちません。

この意見に反論したくなる、納得できかねるという方もいるかと思いますが、あなたの嫌いな相手と、あなたが、何もかも丸ごと同じレベルだと言っているのではありません。

先にも書いたとおり、人間の波長にはがありますから、自分と正反対に思えるような相手でも、ほんの少しくらいは共通点はあり、・・・ほんの少しでも共通点があると、波長の法則は成り立ってしまうのです。

「波長の法則」の影響下にある以上、どこか共通する部分がなければ、知り合いにはなりません。いえ、なれません、といったほうがいいでしょう。「絶対に、こんな人と私に、共通点など、あるはずがない・・・と思うような相手でも、必ず共通点があります。そして、その共通点とは、多くの場合、あなたが「相手の嫌いなところ」だと感じる部分です。

「あの人は、常識知らずだから嫌い」と思うのならば、あなたにも、同じようなところがあるのかもしれません。「他人の気持ちを考えないところが、理解できない」と思うならば、自分もきつい言葉を発して誰かを傷つけたりしていないかを、考える必要があります。

そのような見方をしていけば、相手に対する思いも、だんだと変わっていきます。「私にも、そういう部分があるのかな」と、冷静に考えて、自分を成長させていければ、(そのことを気づかせてくれた)相手に対する怒りもなくなります。

また、自分が成長することで、相手と波長が重なる部分がなくなれば、自然と疎遠になっていきます。もちろんそのことも、「波長の法則」によって、なされます。波長に共通した部分がなければ、「関係」は作られないのですから。

|

2008年12月 8日 (月)

波長の法則は、逆も引き合う。

ある人のことを、「ずうずうしい」とか「あの人は常識がない」などと、批判したくなる気持の仕組みとは、自分にも同じ要素があるからこそ、相手の欠点が目に付く場合が多いです。(または、その点を、自分が我慢しているのに、認めてもらえていないという不満から起こる場合もあります。)

これは、心理学などに興味をお持ちの方にとっては、当たり前すぎる「常識」かもしれません。自分の欠点を、相手の中に見てしまう、「投影」という現象ですよね。波長の法則でもあります。

しかし、「どう考えても、私は常識的だし、礼儀正しい。あの人の非常識ぶりにイライラするというのに、同じ要素が自分の中にあるとは、思えない」という場合は、「波長の法則」が当てはまらないようにも思えてしまいます。

しかし、まったく逆のパターンに、思える、波長の法則も、あるのです。

自分の中に、相手と正反対の部分があって、かつ、そのことに対するこだわりやプライドが、非常に強い場合、「自分と逆である相手を、認めないことで、自分を肯定する」という考えを持ってしまうことがあります。そういう場合、同じ要素の裏写し、(+)と(−)が引きあって、「波長の法則」が成り立ってしまう場合もあるのです。

例えば、「常識」という要素に関して、一方の人は、几帳面すぎる性格で、ほんの少しの間違いも依存も、絶対に許さないような、激しい性格。もう一方は、まったく協調性がなく、いわゆる、だらしない性格だった場合、この2人は、「常識という概念において、両極端」という、共通点を持ちます。

こういう場合でも、波長の法則は、やはり、成り立つのです。この例の2人は、お互いの極端すぎる部分を、改善するという学びのために、出会い、そして摩擦が起きるのですね。感情的に行き違いがあってこそ、自分を省みることが出来るのですから。

ただ出会うだけでは、なかなか気づけませんから・・・、似たようなタイプと出会うだけではなく、逆のタイプと出会って、・・・そしていさかいが起こるなどして、「同じ問題に、違う方向から、それぞれが取り組む」スタイルの学びの機会を、与えられることもあるのでしょう。

真面目すぎて、相手の非常識ぶりに腹がたつ人にとっては、「少し、柔軟性を身に付けなさい。すべて理想どおりには、ならないのですよ」という、導きなのですね。そして、協調性や想像力に欠けていて、自分のことしか考えていない人には、「相手を、(いい意味で)少し、見習いなさい」という、導きなのでしょう。

|

2008年12月 7日 (日)

いわゆる「ニート」への対応など。

ご家族に、引きこもり・・・とまでは行かなくても、お仕事をする意思がなかったり、いつまでも経済的に自立できなかったり、そのような方がいる場合は、(すべてのケースに、必ずしも当てはまるわけではありませんが)以下のことも、参考になさってみてください。

今は世の中全体が、大変に陰湿になっていて・・・、人間関係を築くのが苦手な方にとっては、会社勤めという名の団体行動が、なかなか大変な状況ではあるのです。

スピリチュアルな観点からすると、そのような自分の資質を乗り越えて、成長していく必要があるからこそ、今この時代を選んで、生まれてきたとも言えるのですが、乗り越えるまでに時間がかかる人もいます。

どんなことでも、成長するには、それなりの時間はかかるものであることを、親御さんを含めたご家族の方達も、認識していただければと思います。

「そうは言っても、誰もが同じ条件で生きている。自分も大変なことはあったが、乗り越えてきた。周りの人達もみな、きちんと働いて自立している。難しい世の中なのは分かるが、なぜ、この子だけが適応出来ないのか」と思われるかもしれません。

けれど、ただの甘えで、働く意思がないのか、それとも本当に適応できないのか、そこを見極めなくてはなりません。親が金銭的に援助をするから甘えるのであって、援助をしなければよい、という考え方もありますが、それが100%すべての方に当てはまるわけではありません。

少々性格的に甘いところがあるとしても、社会にでて働ける方であれば、突き放すのもひとつの方法かもしれないけれど、今まで外でお勤めをした経験がなく、アルバイトすらしたことがないような方に、突然、「今すぐ、働きなさい!家から出て行って、自立しなさい!」と言っても、それはムリに決まっています。ご自分のご家族や、お子さまが、どちらのタイプなのかを、きちんと見極め、相応しい対応をしていくことが大切です。

もし、「自分の子が、どちらなのか分からない。甘えているだけなのか、社会性がないのかわからない」というのであれば、・・・そのこと自体が、ひとつの「答え」ではないでしょうか。それほどに希薄な親子関係だからこそ、お子さまに(相応しい時期に)社会性が育たなかった可能性もあるのです。

本当に苦しんでいるのか、甘えなのか、まずはその点を、周りの方達が見極めること。そこからスタートして行く必要があります。具体的に、どのようなアプローチをしていくかは、その後の話です。

長い目で見ることが、必要な場合もあります。待ってあげることも、大事です。ただ怒ったり、責めたりするだけではなく、理解をしてあげることも、心がけてみてください。そうすれば、時間はかかっても、だんだんと変わっていくケースも多いものです。

|

2008年12月 5日 (金)

まぶた越しに、目が合います;。

たまに、寝ているとき、幽霊さんと、「私のまぶた越しに目が合う」ことがあります。寝ているから、私はもちろん、目を閉じています。閉じているんだけど・・・、まぶた越しに、バッチリ視線が合っているわけです。「夜中に、枕元で、幽霊さんに顔を覗き込まれている自分」を、想像すると・・・、かなりオカルトです( ̄_ ̄;)。

そういうときは、絶対に、目は開けません(笑)。ひたすら寝たフリで、「私は今、寝ています、寝ています、寝ています・・・」と、自分にも言い聞かせます。

こういう経験は、2年くらい前が一番多くて、だんだんと少なくなりました。出来事が減ったのではなくて、私が、「あまり、気にしなくなった」からでしょうね。当時は、過剰反応していて、ちょっとのことでも、気にしていました。今はもう、ぜんぜん。

気にしたらキリがないし、気にしても何も変わらない。

気にしないで、明るく過ごすことが一番です。

自分を高い波長に引き上げることが、一番の改善策だとわかったので、ひたすら精進するのみ、ですね。明るく、前向きに、正しい道を歩いて行くこと、これにつきると思います。

|

2008年12月 4日 (木)

真夜中の、「 こ ん に ち は 」。

2年以上前の、真夜中の話です( ̄_ ̄)。

夜中・・・なので、当然、眠っていたところ、両耳元に、何やら、「気配」が。

右と左から、それぞれ別の周波数が聞こえてきます。

これは、何だろう・・・と、半分寝ながら、思っていたら、

女性の声で、「あのー、 こんにちはー!」と。

あの・・・、今、夜中だし。

それに、私、寝てるし( ̄_ ̄;)。

ちょっとだけ、ムッとして。そのまま、寝てしまいました・・・。

起こされて、気分を害したのが少しと、

それに、やっぱり「夜中」は、怖いんですよ、私も( ̄∀ ̄;)。

せめて、寝てすぐとか、明け方とかならまだしも、

夜 中 は 、や め よ う よ ; 。

|

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »