2017年10月30日 (月)

ブログを引っ越しします。

いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。

こちら、ニフティのココログで運営してきたブログですが、このたび、お引っ越しすることにしました。

過去記事は、まだ1/6ほどしか移行しておりませんが(汗)、少しずつ作業をしていきますので、引き続き、どうぞよろしくお願いします。

こちらのココログは、2008年より運営してきまして、とても愛着があり、操作も慣れていて、このまま使い続けたい気持ちも大きいのですが、しかし、あまりスマホでの閲覧に適した仕様ではなく、過去記事が遡りにくいため、ここ数年は、どのようにしたらいいかと迷っていました。

それで、主要記事をワードプレスに移してみたり、いろいろ工夫しながら、こちらのココログをこのまま使い続けるという道を探ったのですが///、しかしやはり、セッションのお申込のやりとりなども、過去記事がさかのぼりにくいゆえに、スムーズにいかないことが出てくるようになりまして、

今後を長期的に考えたときに、ここで引っ越しをしようと決断したのが、10/10です。

そのあたりのいろいろは、メルマガで書こうと思っています(*^_^*)。

https://light-blue.net/

引き続き、スピリチュアルティーチングを、どうぞよろしくお願いします!

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2017年10月14日 (土)

スピリチュアル的な、エネルギーを察知するセンサ-の位置。

すべての人に、霊的な感覚、スピリチュアルなセンスが備わっています。

そうしたセンスとは、霊やエネルギーがみえることに限らず、エネルギーの動きを察知するとか、気配を感じるとか、ある情報が伝わってくるとか、

直接の関わりがなくても把握できるという、共感のような働き方だったり、または、予知、予測のようなものだったり、バリエーションはいろいろです。

わりと多くの人に備わっているのは、エネルギーを、体感覚で感じとるセンスです。

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目に見えないエネルギーが、自分に伝わってきたときに、「体感覚の反応」をともなって、キャッチされるセンスは、「強い」「弱い」の差はあるとしても、ほとんどの人に備わっていると思います。

それぞれ、反応が起こりやすい「センサーとなる体の部位」があるようで、どこに、どう反応が起こるかは、個人差があります。

たとえば、

髪の毛が静電気のようにチリッとする、肩のあたりにふわっと暖かい空気がくる、手のひらがピリピリする、手のひらに圧力がくるのを感じるなど、バリエーションはいろいろです。

その人の、反応が起こりやすい場所というのは、だいたい決まってくるものです。

得意なところに起こりやすいか、苦手なところに起こりやすいかの、どちらかなので(^_^)。

こういうことは、無意識でいると気づかずにスルーになりますが、意識してみると、自分の決まったパターンがあることが、わかることもあるでしょう。

「どこの部分に反応が起こるか」と、「その反応は、何を意味するか」という2つのうち、まずは、「どこの部分に」という、センサーの位置の把握をしてみるのが、順番としてわかりやすいですね。

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●リーディングセッションについて。

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セッションの内容、お申込方法については、ミディアムリカコのサイトをご覧ください。スカイプセッションはこちら固定電話はこちらのページのとおりとなります。

セッションについて、サイト内の説明でわかりにくい点や、確認しておきたい不明点などがあれば、お気軽にメールでお問い合せくださいませ。

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2017年9月27日 (水)

自分の波長とは、「自分のエネルギーが、振動する上下の幅」のこと。

スピリチュアルな表現として、波長、波動という言葉が使われることがあります。

そうした意味においての、これらの言葉は、エネルギーの振動の差をあらわしています。

ものごとにも、それ固有の振動数があり、人間にもそれぞれの個性が反映された、振動の差をもっています。

この、「それ自体が振動できる範囲」が、「それ自体がもつ波長」、ということになります。

人の場合は、「その人が、振動できるエネルギーの範囲が、その人がもつ波長」です。

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たとえば、山田さんが備えている、エネルギーの振動の範囲が、数値に置き換えるとして、30~45の間だとしたら、「山田さんの波長は、30~45の幅で備わっている」こととなります。

人間関係で、この備えている幅がたくさん重なる相手には、「近い」「似ている」という感覚をもち、幅が重なる度合いが少ない相手には、「違う」「合わない」という感覚が生じやすくなります。

山田さんからみて、「40~45である田中さんは、自分と似ているタイプ」に思えるでしょうし、「15~30の鈴木さんは、自分と違いすぎて、宇宙人のようだ」と思ったりするのでしょうね。

自分の振動の幅に、重なる度合いが大きいほどに、いつものエネルギーですからなじみやすく、親近感を覚えて安心します。

自分の振動の幅に、重なる度合いが小さいものには、いつもと違う振動を感じさせますから、違和感を覚えるか、または逆に、新鮮な刺激を感じることもありますね。

そして、自分の波長の幅から、あまりに離れすぎている、まったく重なるところがないものとは、そもそも引きあうことがありません。必ず、少しくらいは重なる何かがあるからこそ、お互いにエネルギーが引きあって(振動が共鳴することで)ものごとが展開していくようになります。そのしくみが、同じものが引きあうという「波長の法則」になります(^_^)。

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2017年9月 2日 (土)

手からでるエネルギーの「大きさ」と、呼吸の「深さ」の関連。

人の手からは、エネルギーがでているので、手を使った動作でエネルギーを伝えたり、手でふれたものにエネルギーを乗せたりすることができます。

厳密にいえば、全身からエネルギーがでているのですが、中でも、手からでるエネルギーは大きいということです。

手をつかったヒーリングをするとか、手で品物を作る仕事やクリエイティブな趣味などをお持ちの方は、以下で説明する「呼吸」について意識すると、少し、活動に役立つのではないかと思います(^_^)。

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どんな性質のエネルギーを放っているかは、その人が備えている「本質」と関連しているので、個人差があります。

たとえば、対象物に力を与えるとか、活性化させるとか、安心や癒しを与えるなどの性質の差は、生まれ持っている本質との関連が大きいのです。

放つエネルギーの大きさ(量)も、本質と関連していますが、こちらについては「呼吸の深さ」との関連も大きいですね。深い呼吸ができる人ほど、手からでるエネルギーの量も、比例して大きいという特徴がみられます。

その理由は、「手のチャクラ」と「胸のチャクラ」は関連性が高いためです。胸の位置で行う「呼吸」という動作は、エネルギーを動かすポンプのような働きとなり、(とりわけ、チャクラ同士の関連性が深い)手からでるエネルギーにも作用していくというしくみです。

エネルギーの質については、生まれ持ったものが関連しますが、放つ量については、呼吸との兼ね合いも大きいので、深い呼吸ができるようになる習慣や努力などで、ある程度は増やして大きくすることは可能となりますね。

深い呼吸は、エネルギーを放つこともそうですが、自分が影響されにくくなるためにも大事なことだと思います。

※関連記事:敏感なセラピストさんは、「浅い呼吸」の改善を

上記は、記事の主旨は違いますが、内容に少し関連性があるので、あわせてご覧になると理解が深まるものと思います(^_^)。

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2017年8月24日 (木)

自分の、たましいの課題となることを知るには。

スピリチュアルな観点からすれば、私たち人間は、たましいの存在であり、この人生は、たましいの学びのための経験です。

私たちにはそれぞれ、たましいの領域から備えててきた個性があり、同様に、この人生での学びの課題も、備えて生まれてきています。

これらは、ひとりひとり、違いがあります。

スピリチュアルに関心があると、「今回の人生での、たましいの課題とは、どのようなことだろう」と気になるものでもありますね(^_^)。

この場合の課題とは、「今世の人生で、やるようになっていること」とか、「経験すると決めて、または望んできたこと」という意味のことです。

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「たましいの課題」というと、ものすごく壮大なものを思い浮かべてしまいがちですが(^_^;)、しかし、自分とあまりに遠いところにあるものは、関わることも、成すことも難しいですよね。

課題はたくさんあり、スケールの大きいものも、小さいものもいろいろでしょうけれども、それらの大部分は、「自分からそう遠くないところ」に存在すると考えられます。

(離れたところにあるものに、向かっていくプロセスも含めて、チャレンジしようとしている場合も、もちろんあるので、すべてが上記のとおりとは限りませんが)

たくさんあるうちの、いくつかを、自分で把握するには、以下のような考え方をしてみるといいと思います。

●「どうしてもやりたくなること、やめられないこと」は、「たましいが決めてきた、今世でのやるべきこと」のひとつかもしれません。 たましいの求めることに、自分が動かされている可能性が考えられます。

●逆に、そうしたい気持ちはないのに、なぜか「そうするようになってしまう、やめられないこと」も、「たましいが決めてきた、今世でのやるべきこと」のひとつかもしれません。 たましいの決めてきたことに、状況が動いていくことで、自分に作用している可能性が考えられます。

備えていきた個性も、今世でのやるべきことも、複数ありますから、こうして自覚できることは一部分ですが、「そうなりやすい」「よく、そうなってしまう」という「パターン」に、それらがあらわれていることはよくあるものなのです(^_^)。

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2017年8月 5日 (土)

深い呼吸が、エネルギーを体感でとらえることを促す。

「体感覚で、感じとるセンス」は、胸の位置にあるチャクラと連動しています。

エネルギーレベルでの器官と、実際の肉体の器官は、連動している部分がかなり大きいので、感じることは、呼吸のリズムと関連しています。

呼吸は、胸の位置にある肺などの臓器をうごかして行いますよね。胸の位置にあるチャクラが感じることを司っているので、この動きと作用は、連動することが多いのです。

感じるセンスが高い方は、意識してみるとわかると思いますが、呼吸を止めているときは感じるものが伝わってきにくいと思うのです。

自然なリズムで、吸う、吐く、と繰り返しているときは、エネルギーが自分のセンサーに伝わってきやすいのではないでしょうか(^_^)。

深い呼吸をしっかり行っているときには、感じるセンサーも(本人比で)よく働きやすいです.

また、エネルギーの動きも、連動した「出入り」となるため、不要なものが、長く内に留まることもなくなります。

浅い呼吸になっていると、「感じるセンスの高い人」なら、ネガティブなものばかり感じやすくなりますし、感じるセンスが普通の人は、普段よりもなお感じにくくなります。

そして、エネルギーの動きも、連動しますので、浅い呼吸になると、「十分にとりいれられない、そして、はき出せない」となるため、不要なエネルギも、留まったままになりやすいのですよね(^_^;)。

十分な、深い呼吸をしていくと、エネルギーのめぐりもよくなり、感じるセンサーも、自分比でよい状態に整います(*^_^*)。

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2017年7月22日 (土)

今世の要素を、自分が決めてきているという範囲について。

自分が選んで、この人生(今世)を決めているのだと、スピリチュアルな解釈においてよく使われる表現です。

自分が、この国や時代や、家族構成、性別や、身体的な特徴などのいろんなことを、決めたり選んだりしてこの世にやってきています。

ですが、その選び方というのは、何でも自由に、白い紙に好きなように描いていけるということではないです。決められる枠組みは、ある程度、存在します。

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何も制限のないところから、今回は女性で、金髪の容姿で、ヨーロッパで、こんな経歴の生勉強や生活をして、物やお金はたくさん得て・・・というふうに、何から何まで、「好きなように、決められるわけではない」のです。

そうして決める際の範囲や条件は、ある程度存在していて、それまで積み重ねてきた「前世での経験」なども、関連してきます。

たとえば、前世でAという行いをしたので、今回はAの続きをするとか、Aを活かすような生き方にするとか、または、Aは経験済みなので今回はBを経験するとか、そうした関連性で決める(というか、決まるとも言える)部分は大きいようです。

これまでに、カルマというものについて何度も書いてきました。

http://spiritual-teaching.com/archives/57

カルマというのは、「行い」の総称です。積み重ねてきたすべてが、広い意味でいえば、カルマに該当します。

いくつもの転生(前世)で培ってきた行いをベースにして、今回の人生の構成要素を決めるというしくみは、いわば、「それまでのカルマがベースになっている」と言い換えられます。

カルマという言葉のイメージが誤解されがちですけれども、行いの全部の総称、ととらえていけば、この意味が理解できるかと思います。

人は、たましいの存在で、何度も生まれ変わってあらゆる経験を重ねていて、それらのすべてがカルマとして、たましいのデータベースに蓄積されていき、その蓄積をもとにして、今回の人生のいろいろな要素を、選んで、決めてきています。

ですから、自由に好きなように、「よーし、次の人生は王様だ!」というふうに、決められるとは限らないのです(^_^;)。自分のカルマという蓄積の中に、それに繋がるものがあるか、ということですね。

カルマというのは、悪い意味のほうではなくて、行いの全部という意味のほうです。それらがあらゆる形で複雑に関連していて、この人生の宿命(決まっている、変えられない要素)にも、関連している、ということなのです。


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2017年7月11日 (火)

自分の意識と姿勢が変わると、行動による「あらわれ」が変わるもの。

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すべてを自分の思うとおりに動かすことはできないものです。特に、自分以外の誰かが関わること、その人数が多くなるほど、自分の思うとおりにいかなくなります。

そういうこともありうると、自分の思うとおりになることも、ならないこともありうるという理解をして、その上で、「自分がどのような生き方をしていくことが、自分の人生をより豊かにしていくことに繋がるか」という考え方をして、できることを工夫してみるといいのです。

その結果として、でてくるアイデアが、(思うとおりにしようと奮闘していたときのアイデアと)同じものだとしても、それを体現していく「自分の意識と姿勢」が変わっていますから、周囲へのあらわれは、変わっていくものです(^_^)。

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2017年7月 2日 (日)

自分と相手の、「時間」に対する認識の差を考える。

40代以降の方からの、ときどきあるご相談に、急に友だちとの関係が疎遠になってしまった、というものがあります。

今までは、問題なく付き合いが続いていて、得に最近になって変わったこともないのに、ここにきて距離を置かれてしまった気がする。

雰囲気からして、どうやら相手側の事情というわけではなく、自分に対して何か思うところがあって、距離をとろうとしているようなのだけれど、その理由がわからない。

何も以前と変わっていないのに何故・・・という相談は、ほとんどが以下の理由となっています。

そうしたケースは、相談者さんが、「話が長いので、会うと時間が掛かる」「話に建設的な内容が少なくて、愚痴が多い」ことが、相手を疲れされていることが多いです。

嫌われているのではないけれども、付き合う距離を変えようとされていて、以前のような親しさや頻度でのやりとりが行われないのです。

「でも、以前も同じ付き合い形で、問題なく楽しんで会話をしてきたのに」と、思われるかもしれませんね。

けれど、40代くらいになると、人生における時間の貴重さが、それ以前の年齢よりもよくわかるようになり、建設的なこと、役立つことに時間を使いたいという気持ちが増えるのです。

楽しみを得ることなども含めて、実りのあることをするなら意義があるけれども、愚痴を言うという行為が、ただ時間を消費するだけに思えて、そういう目的で時間を使いたくないという気持ちがでてくる人もいます。

こうした気持ちの抱き方には個人差がありますから、「愚痴を聞くことに時間をつかう気持ちがなくなってきた人」と、「愚痴をふくめて、女性同士の会話を楽しみたい人」との間で、差がついてしまうときに、以前から変わらない付き合い方をしているのに急に距離を置かれるということが起こるのです。

そしてもうひとつ、人は誰もが年齢とともに、若い頃と同じようにいかない部分がでてきます。40代くらいになると、自分では気がつかなくても耐性がなくなったり、周囲のことを配慮する度合いが減ってきたりするものなのです。

そのため、相手の話を聞くことが本来あまり好きではない人は、よりせっかちになって、聞くという姿勢を保つことが面倒になり(^_^;)、

自分が話すことが好きな人は、相手に聞かせている時間は相手を拘束しているという感覚が薄れてしまい、話が長くなりがちで(^_^;)、

お互いに、「昔のように長く聞いていられなくなる」⇔「昔より、話が長くてくどくなる」ということから、なおのこと、聞き役となる側の人が、態度を変えてしまうことが起こり得るということです。

ですので、こうしたケースに遭遇した場合は、時間を何に使うかということを、より深く考える時期にお互いが入ってきていることに、気づくための機会だととらえて、改めて、自分の人付き合いの姿勢や、時間の使い方などを考えてみるといいと思います。

そうして、改めるところは改めていけば、元から気があってはいたのですから、何かのきっかけでまた、楽しく付き合える関係に戻っていくこともできるでしょう(^_^)。

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2017年6月29日 (木)

次に何をしたらいいか、周囲の人(を自分がどう感じるか)が教えてくれる。

この世でおこることはすべて、同じ要素をもつもの同士が引きあうという「波長の法則」が関係しています。

人間関係もまた、この法則のとおり、自分と何かの同じ要素をもつ人と、関わりができるようになっているので、周囲の人には、自分の一部分があらわれています。

しかし、そのときどきで、自分の周囲の「人たち」という、複数との間にみられる共通点や傾向は変わっていくものです。

自分が備えているうちの、どの部分が前面にでて引きあっているかが変わるわるためでしょうね。

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周囲の人たちと、自分との間に、(必ず何かの共通点があるとはいえ)少しの開きを感じることがあると思います。

そういうときは、その開き、違いから、今の自分が学ぶべきことや、とるべき行動がわかります

自分よりも、向上心が高い人が多いと感じるか、または逆に、自分よりも、向上心が低い人が多いと感じるか。

どちらに該当するかによって、相対的に「今の自分を計る」ことができるのです。

自分より向上心が高い人が周囲にいる場合は、「成長するとき」です

その人たちを手本にしたり、または刺激を受けたりして、伸びていくことができる時期にさしかかっていますし、また、それが必要な時期であるということです。

そうして自分が伸びていく時期には、周囲の人たちの向上心について、気づくことが多くなるものなのです。

自分より向上心が低い人が周囲にいる場合は、「新しいことに踏み出すとき」です

今まで、なじんでいた場所に、少しのものたりなさを覚えるときに、周囲の人にそうした印象を抱いてしまうものだからです。

そういうときには、自分が新しいことへ踏み出すタイミングであることに気づきましょう。自分の意識が「前に」と思っているときには、他のそうしていない人が、動いていないことが目立って感じられやすいのです。

その人たちが気づかせてくれたことに感謝して、新しい何かに向かって、スタートをきるのがいいでしょう。

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2017年6月28日 (水)

守護霊、先祖霊と、その他の霊、それぞれが放つ波長は違う。

世の中にはときどき、「霊がみえる人」がいます。

そのセンスのことを「霊視」と言いますね。

しかし、霊視ができる人でも、見える対象と範囲はそれぞれです。「霊視ができる=どんな霊も見えるということではない」のです。

浄化していない、いわゆる「幽霊」がみえるとしても、守護霊が見えないケースもあるということは、なんとなくイメージがつくと思いますけれど、

守護霊が見える人で、幽霊には波長があわないから見えないというケースも、結構よくありますね。

私もどちらかといえば後者のほうで、よほど自分のコンディションが下がっているときでないと、普段は見えないです(仕事のときは別)。そういう人は結構多いと思います。

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どうしてこうした違いがでるかというと、それぞれが放つ波長が違いますので、「霊視者がもつ波長の幅と、合っているものが見える」というしくみになるためです。

霊が放っている波長の差で、どういう関係性の霊であるかの見当はつくからこそ、霊視鑑定というものが成立するわけです。

たとえば「武士の霊が見えた」として、それが先祖なのか、守護霊なのか、どちらでもないのかは一見しただけではわからず、霊との交信でやりとりをして「あなたは、○○さんの守護霊ですか」と確認する・・・などということにはなりません。

その方がまとっているエネルギーに、違いがありますからね。

具体的に、先祖の誰かというところまでは(私はそんなに先祖霊とも波長が合いやすいほうではないため(^_^;))わからないこともありますが、先祖か守護霊かわからない、などということはないですし、それを間違うということも、職業で霊視をするレベルの人には、まず起こらないと思います。

ましてや、憑依している霊などとは、見間違いようがないです。

霊視という言葉が、ある意味まぎらわしのですけれども(^_^;)、霊の姿をみての判断ではなく、エネルギー的な見わけが、なされて、霊視というものが成立する、ということでしょうか。

こう、文章でかくととてもまわりくどくなりますが、

「人」にも個性によって、いろいろ差があるように、

「霊」もまた、性質の差がありますから、ひとくくりにはならないということですね。

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2017年6月20日 (火)

家族は、別のたましいの領域から「集まっている」関係です。

まずは前提の知識として。

ブログでもよくとりあげる話題ですが、先祖霊と守護霊はカテゴリーが別の存在となります。

【過去記事】:先祖霊は血縁の繋がり。守護霊はたましいの繋がり

たとえば、今回の人生で、田中家に生まれたとしたら、先祖霊は「田中家の家系」という繋がりの関係ですよね。

田中家のお祖父さんやお祖母さんが、自分の先祖霊ということになります。

守護霊というのは、たましいの繋がりですので、フランス人やアメリカ人が守護霊であるケースもあります。日本人とは限りません。

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ここでタイトルの話題に戻します。

自分の親や兄弟、自分の子どもという「家族」も、血縁の繋がりの関係ですね

つまり、先祖霊と同じカテゴリーの、「たましいの領域は、共通していない」存在となります。

今回の人生では、同じ「田中家」という家族として生まれた仲間同士でも、学びの要素もそれぞれ、備えている個性もそれぞうという、たましいは共通していない関係なのです。

自分と守護霊は、性質その他がとてもよく似ていることが多いけれど、

家族については、「それぞれの場所からきている」存在ですから、容姿や体質という、肉体的なところは共通点が見られるとしても、性質などは、まったく違っていることがあっても、この構図からすると不思議ではないのです。

この世においては、血縁という繋がりが、もっとも根本的な近い関係となりますので、ここが繋がっているのだから、似ているはずだと、つい思い込みを持ってしまいますが

たましいの大元は別ですので、違う個性をもった人同士の集まりとなることも、場合によってはあり得るということです(^_^)。

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2017年5月23日 (火)

誰もが、霊的な関与をうけながら、学びを重ねている。

人とは、肉体という器を伴った霊的な存在である、とスピリチュアリズムでは解釈をします。

普通は、人という存在と、霊という存在を、わけてとらえていますけれど、実は私たちは霊であるということで(^_^;)、霊的な事柄やエネルギーに、馴染みやすい性質を持っていることになります。

そのため、誰もが、必要に応じて、霊的な事柄やエネルギーの関与を受けることとなり、そのうちのひとつに、守護霊という導き役の存在のサポートが含まれます。

こちらは、スピリチュアリズムに関心をお持ちの方にとっては、既におなじみの知識ですよね(^_^)。

自分と守護霊との関係性というのは、「この世に生まれる以前からの、たましいの繋がり」です。一般的な人間関係のような、立場や感情に左右される不安定な繋がりとは違い、きりはなされることのない、深く強固な関係です。

ですから、霊的な関与となると、一番の基本となるのは、守護霊などの存在との繋がりがあげられます。

誰もが、そうした存在に見守られながら、この人生という経験から学びを得ていることになります(^_^)。

こちらの関係は、とても自然であり、そして「通例・通常」な繋がりといえますね。

しかし、霊的存在の関与にも、いりいろあって、あまりありがたくない(^_^;)、「変則的かつ一時的」な、未浄化な霊による「憑依」という現象もあります。

こちらは、とても「この世的な現象」です。あちらの世界には、霊である自分が、別の霊に憑依されるなどという現象は存在しません。

この世という物質次元では、肉体と霊というそれぞれが完全に一致しませんから、必ずどこかに不安定さがあるので、そこに霊的な不調和がでてしまうと、イレギュラーな現象が起こってしまうということなのです。

肉体と、霊という、ある意味、相反する要素のあるものを同時に抱えている、私たちは、そうした不安定さの中で、あらゆる経験の「幅」の中で、たましいを鍛える学びをしているということですね(^_^)。

そして、守護霊や、未浄化霊以外にも、「他人という霊的な存在」からの関与もあります。

自分も霊なのですから、自分以外の他人もまた、肉体を伴う霊的な存在だと言えます。

人間関係も、お互いに霊的な作用を与えあっている関係性になります。

ある意味、人間関係が、一番、この世的な、「霊との関わり」の機会なのかもしれません(^_^)。

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2017年5月20日 (土)

「感じる」センスには、思い込みが入りやすいという特徴が。

過去記事で、「感じるセンス」と「わかるセンス」との違い、という内容をお伝えしました。

記事内のとおり、こうしたスピリチュアルなセンスとしての感じるとは、「何らかの体感覚を伴う反応」で把握する感覚で、

わかるとは、「根拠がなくても、そうだと確信がわいてくるというわかり方をする」という内的な感覚のことです。

どちらも、内的な感覚なので、この両者の区分けは曖昧になりやすく、また、他人と共有して確認しあったりすることも難しいので、「自分では、そうだと思っている」ところから、なかなか理解も納得も深まりにくいところではあります。

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ご相談者さまの、いろいろなお話を総合すると、多くの方は、「感じるという感覚」のほうが、「わかる」よりも、感度のよいセンサーであると思っていて、「わかる」というセンサーを軽視しているケースが結構多いようなんですよね(^_^;)。

「感じるセンサーが、自分に備わっていたらいいのに」と思っている方は、頭の中でそうかもと思うわかり方より、体感覚のビリッとくる等の反応を伴うほうが、確実性があって把握しやすいという思いからなのでしょうけれども、

しかし、実は、感じるという感覚には、客観性が伴った感覚とは限らないという、「判別のしにくさ」もあるのです。

どちらも必ず、間違う可能性はある。

「感じる」ことも、「わかる」ことも、自分の内的な感覚ですから、客観性があるとは言い切れないということは、どちらにも共通することです。

スピリチュアルなセンスの精度は、そんなに高いものではありません。それはすべての人に言えることです。

しかし、どちらかといえば、「わかる」感覚が鋭い人は、自分のわかることへの思い入れが少ないので、冷静でいられるので、思い込みにとらわれにくく、「感じる」感覚が強い人は、体感覚という反応が実際に伴うため、それが「起こった」ことの印象が強くなるので、思い込みになりやすいという特徴があります。

【わかるタイプ】

頭の中で確信がわくという、「わかる」感覚が鋭い人は、思考との境目があまりないため、その感覚にこだわらないでいられます。

「そうだと思ったけれども、でも、思い込みかもしれないな」とか、「そうだと確信があるが、しかし、これが事実とも正しいとも言い切れないし」というわりきりが簡単にできるので、ひとつひとつの、「わかった」感覚にとらわれないでいられます。

自分の直感的な把握を、軽視してしまうことが多いのですが、しかしその分、冷静にもなれますね。それを信じるという思い入れも小さいので、認識違いもありうるという感覚もまた、受け入れやすいということです。…と書くと、いいような、悪いような、ですけれど(^_^;)、

「自分の感覚を、信じることができにくいけれど、その分、違うこともありうるという点は受け入れやすい」のがこちらのタイプです。

【感じるタイプ】

体感覚を伴う反応で、「感じる」人は、体への印象が強いため、「感じたのだから、そう感じる何かがあるはずだ」という認識もまた強くなるため、そこから意識を離しにくいです。

体感覚の反応が、実際に自分に起こるため、「わかる」タイプよりも楽に、それを信じることができます(^_^)。それ自体はとてもいいことなのだけれども、メリットの裏表として、感じたことから思い込みが生じることも、「わかる」タイプよりも、多くなってしまいます。。。

普通に考えて、「そうかと思ったけれども、違うかも」という思考は自然にできるけれど、「体感覚で反応があったけれども、違うかも」という認識には、あまりなりませんよね。

たとえば、「食べ物を口にいれて、甘いと思ったけれども、でも思い込みで、実際は甘くないかも?」という認識には普通はなりません。

体感を伴う反応は、自分の中での事実として認識されやすい事柄ですから、当然といえば当然です。

「体感という反応がわかりやすいので、感覚を信じること簡単にできるかわりに、しかしそれは、自分の個人的な反応であり、外の何かを感じたあらわれとは限らないという認識を、もちにくい」のが、こちらのタイプです。

どちらも、「得意分野」と「苦手分野」がある。

どちらのセンサーも、完全ではないという理解が大事です。

これまで幾つもの記事で書いてきたように、スピリチュアルなセンスの働き方にも、どんなことがうまくできるかという個人差があります。

「自然現象の変化が当たる」とか、「相手の体調の変化が感じられる」とか、「本質の把握ができる」というような、得意な分野があって、それ以外のことは同じようには把握できません。

わかることも、感じることも、得意分野に対しては、把握できることが多い分だけ、実際以上に大きく反応してしまうこともあります。または、苦手分野の把握には、ノイズが入って間違えることもあるのです。

苦手なことや、できなことは、「無反応で、把握できない」ならば、わかりやすいし簡単なのだけれども、そのようにはならず、できないことでも「何らかの反応や解釈が、自分の内部で結びついて、作られてしまうこともある」ので、こうしたスピリチュアルな感覚のみの把握を、あまりに重視しても、むしろ人生が混乱してしまいます。

そういうセンスも、ひとつ手段としてうまくいかすようにして、それのみにとらわれないバランスが大事ですね(^_^)。

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2017年5月10日 (水)

スカイプセッションの後に、眠くなったり、お腹がすいたり?

皆さまからいただく、セッション後のご感想に、しばしば載っていることですが、「セッション後に「おわった途端に、急に眠くなった」という方もいれば、「なぜか、お腹がすいた」という方もいらっしゃいます(^_^)。

(眠くなった):http://lapis-lazuli.way-nifty.com/true/2017/04/post-328d-2.html

(お腹がすいた):http://lapis-lazuli.way-nifty.com/true/2017/03/post-328d.html

この記事は、最近いただいた中から探しましたが、過去にも同様の現象が起こった方のご感想はたくさんあります。

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眠くなるのは。

眠くなる件については、こちらの過去記事の説明のとおりで、霊的なエネルギーにふれることの作用です。

セッション中の、まさしく「渦中」のときは、自分もその波長の中に(中が多い(^_^;))いることになるので平気なのですが、おわったところで、普段の波長に戻ることになりますけれども、その差が大きくつくときに、「眠くなる」という現象が起こるのです。

つまり、日常の波長から、持ち上がった度合いが大きかった人ほど(その分、落差も大きくなりますから)眠くなるという現象が起こりやすいのですね。

お腹がすくのは。

お腹がすく件については、2つの理由が考えられます。

ひとつは、上記の同様に、急に普段の波長にもどったことが作用していると考えられます。上記は、落差がついたことで眠くなり、こちらのケースは、落差がついたことにより、普段の現実的な事柄がむしろ際だって、本能的な欲求が大きく感じられている、ということです。

もうひとつは、「私の波長に、同調しているため」です(^_^;)。

基本的には、セッション中は、私の側が、ご相談者さんや、霊的な存在の方たちのほうにチャンネルをあわせるかのように、振動を揃えていきいます。そのため、振動(波長)を、変化させることによる負担というのは、私の側に発生するしくみです。

しかし、エネルギーの動きは、「やりとり」でもあるので、そうした動きの作用は、ご相談者さんの側にもゼロではないですから、お互いの波長の繋がりが生まれて、「私が、お腹がすいていること」が、そのまま伝わってしまう、ということもあると思われます(^_^;)笑。

セッションの際は、私はあまり食事をしっかりとりません。少しお腹がすいているくらいが、自分の波長に「余白」ができて、自分以外の、微細な振動をキャッチしやすいですから、そういう状態を意図的につくりあげていきます。

その、私の状態をキャッチして、同調しているという影響で、お腹がすいた「ような気になる」のではないかな、と。本当にお腹がすいているのではなく。

エネルギーに敏感な方は、そういうことが起こっても、不思議でないですね(^_^)。

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